京都の条例

2014-11-28 | 鉄道模型ではない仕事
三都物語は本日も続きます。


平野町スエヒロの前を通りかかりました。

銀座スエヒロが隆盛だった頃、銀座店5Fステーキルームの上階6Fに営業していたスエヒロ朝日と関係が有るのだろうか?と思ってしまいます。

http://www.h-suehiro.com/

「石焼」が有るというところからするとむしろ銀座スエヒロか?


1年前に取得した住友生命瓦町第二ビルです。


こちらはお馴染み井門瓦町ビルです。 外装が先に綺麗になりましたが、現在IMON得意のトイレ改修や昇降機等の改修に取り掛かるところです。

旧ビル名は住友生命瓦町ビルです。


実はこのように向かい合ったビルなのです。


井門明治安田生命ビル、京都にやって参りました。 隣接地に建築中だったNHK京都放送局が完成しています。 使用開始は来早春です。


スプリンクラーの改修が完了して居り、その新システムの扱い方などを教えていただいています。


条例によって烏丸通沿いと御池通沿いの袖看板を完全に取り去りました。

その撤去跡、かなりきれいに「似た」石材で埋めて誤魔化しています。 なかなかの努力賞です。


この角の左側(御池通り沿い)にも大きな袖看板が有りましたが綺麗に埋め戻しています。


袖看板禁止のはずの烏丸通に沿ってまだまだ怪しい袖看板が残っている感じがします。


特に見本を示すべきお役所がこんな看板を残しておいては拙いでしょう。 なんというお粗末!

凄まじいスケジュールの中を縫って実現した三都物語でした。






只今大阪

2014-11-28 | 鉄道模型ではない仕事
全くもうしわけないことながらこんな状況です

① メールは読めません。 大井町に居る時は1秒や10秒の時間は取れても1分の時間は無いのでここ1週間近くメールは全く読めません。

② 11月最後の10日間は休肝日無しです。 本当に心配です。

ブログでの紹介が前後しては拙いので書けませんが充実を極めています。

今日は、只今大阪(三都物語)出張中です。 だからこうして書けているのですが・・・


井門三宮ビル工事準備室での打ち合わせです、 トイレや空調の改修が終わり、外観の見栄えUP工事中です。


三宮ビル11Fの空室(打ち合わせ会場)から見た神戸ビル。


三宮ビル1Fエレベーターホールには札幌事務所の社員菅原さんの写真が展示されています。


ネオパリエが綺麗に貼れて面目一新した三宮ビル外観。 窓ガラスには神戸ビルが映っています。


神戸牛石焼ビビンバ


神戸ビル11F打ち合わせ会場から見た三宮ビル。


改修を終えた空室をチェックするメンバー。


外装清掃方法について議論中。


大阪の夜を楽しんでいます。

看板登場人物のモデルさんと一緒です。


二次会。

11/29、15:00、ホビーセンターKATOで“01逢いたや”講演会が有ります。
私も出ます。
斉藤晃,長谷川進吾、杉江弘、山下修司、水沼先生が講演します。
廣田尚敬、泉親子の講演もあります。
ご興味のある方は落合南長崎の『ホビーセンターKATO』に集合です!






01逢いたや2014⑪マンハイム

2014-11-25 | 今鉄
マンハイム:


シカゴでの水沼先生です。























シカゴでの学会は盛況だった。

しかしダンプスペクタケルの最終日を逃して、不完全燃焼のままだった。

会議のない午後、ダルトン(Dolton)ヤードへ
訪ねた。 郊外のこのクロッシンッグは全米でも有名なポイントだ。




旧知のタクシーにお願いして2時間だけクロッシングの横に立つ。

ダイヤの無いアメリカでは列車に会えるかは運次第、しかし今回はドイツでの不運を見返すかのようにひっきりなしに列車がやってくる。それも最新のSD70M、C4400等が間を空けずにやってくる。
同時にCSX, UP, BNSFの機関車が次々と派手なディーゼル音と共にやってくる。







踏切では黒人の緑のおばさんが子供たちの誘導をしていた。 踏切はしまりっぱなしだ。
あまりの列車の多さで待ち時間に子供たちもうんざりしている。 やっと踏切があいた。 子供達が踏切を渡る。

ほんの数分でUPのSD70Mが現れ、CSXの4重連と並ぶように地元シカゴのインディアナ ハーバーの機関車がスラッグ(運転室なし機関車)を先頭に同時にやってくる。

一昔まえのディーゼルを繋いで百鬼夜行というところだ。




























2列車が行ったかと思うと間もなくNS8999号機が単独でクロッシングをわたる。
列車の通過を待っていると裏でCSXの重連の音が横を並走する。
この2列車が過ぎ行く先に2列車の間にユニオンパシフィックAC45CCTEの7603号が現れた。 SD70M、4449号機を従えタンカー列車を牽いて現れた。 合わせて1万馬力近い。 タンク車が轟音と共にクロッシングを渡る。 長いこと、延々と続いている。 鶴見でEH200の牽く10両足らずのタンカー列車をいつも見ているので物量の差を思い知る。

































この後もクロッシングを行く列車が次々と現れた。 2時間足らずで何列車が来たろう。 しかし会場に戻る時間だ。 最後にSD70M 4746号を見送る。 4000馬力の強力な機関車で単機で軽々オートラックを牽いて行く。 少し気が紛れたがやはりまだ01が見たい。

























翌日、長かったツアーの最後にオヘア空港のそばのヤードへ行き小さな駅のホームでMETRAの列車を見送る。



駅名を見てびっくり、このあたりはドイツ系の移民が多かったのを思い出した。 移住者達は故郷を思い町作っていったのだろう。
駅名には2日前過ごしたばかりの懐かしい駅名が書かれていた、、“Mannheim”。














今回で01中毒は治った? 多分、大型蒸機コンプレックスは改善した。

しかしますます、01が好きになった。
今回は01が走るのを見たがますます01にはまって行く。
あの日ザールフェルドで会ったのは東独の動態保存機 01 204号だった。 オイルショックで復活した原型機は他に066,118,137等で統一ドイツになった後も動態で活躍している。
わが204は不運にもその後走ることなく、小さな博物館で眠っているという。

次に01に逢えるのはいつの日か、、、

その日まで私の「01逢いたや」は続くのだ。








01 180 逢いたや!

2014-11-21 | 海外蒸機
Hi Izumi na Yoshihiro,

please infor the other friends tomorrow 01 180 will make the first steps by its self on steam

Freundliche Grüße/Kind regards

Detlev Megow

デトレフから興奮したメールが来ました。

メール自体には写真は添付されていませんでしたが、時折届いていたメールには途中経過が乗ってきていました。




復元前のバックプレートでしょう。


この辺りの画像は2012年頃です。




この画像はおそらく不具合部品をこの様に外に求めたものだと想像します。

亀裂が入っていた輪芯を他の保存されていた単体動輪と交換したと。


























マイニンゲンの機関車工場で修繕を続けていました。


動輪をフレームに収めます。




そして工場での作業は夏ごろ終了です。


外へ姿を現したところです。 戦後交換された高性能ボイラーを備えたカマの様です。


そしてネルトリンゲンへ回送されます。






BEM(バイエルン鉄道博物館)に搬入、残りの作業はネルトリンゲンで行います。

そして、明日11/22(土)火が入り、自分の蒸気を発生させ生き返るのです。

BEMはS3/6に加え、2両の01を持つ事になります。

元気な姿を早く見たいものです。