アルフレッド・ゴッドバルト博士講演

2014-12-28 | 海外蒸機
日本鉄道保存協会
http://www.rpsj.jp/
でいつもお世話になっているところの

交通協力会
http://transport.or.jp/
http://transport.or.jp/pdf/2014_Foundation_Outline.pdf

理事長菅健彦さんからアルフレッド・ゴッドバルト博士講演を聞きに来ませんかというお誘いを受けました。

ゴッドバルトさんは来日され

独立行政法人国立文化財機構東京文化財研究所
http://www.tobunken.go.jp/index_j.html

の招請でこの↓講演をすることになって居りました。

交通協力会ではこの機会に午後もう一度の講演を組みました。

題して“ドイツ高速鉄道の歴史”です。

アルフレッド・ゴッドバルト博士はドイツ技術博物館で鉄道部門の重鎮でしたが、今回高齢で退官されるそうで、最後の来日講演になる可能性が高いとの事です。

アルフレッド・ゴッドバルトさんという名前に何か引っかかるモノが有り、私は聴きに行く事を決めました。


東京文化財研究所です。


地階セミナー室に進みます。


ICEの歴史の話だったらツマラナイなあと思っていたらいきなり期待一杯の画面が出ています。


菅健彦さんのご挨拶です。


バイエルン王国鉄道のS2/6

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%8E%8B%E7%AB%8B%E3%83%90%E3%82%A4%E3%82%A8%E3%83%AB%E3%83%B3%E9%82%A6%E6%9C%89%E9%89%84%E9%81%93S2/6%E5%9E%8B%E8%92%B8%E6%B0%97%E6%A9%9F%E9%96%A2%E8%BB%8A


アルフレッド・ゴッドバルト博士

講演内容は期待に応えるところ充分な内容でした!

講演終了後Aゴッドバルト博士にDVD(今年ドイツ人に渡すために沢山持って行ったDVDと同じ物です)を手渡しました。
そして

「私は蒸機撮影の為東独に5回行きました」

と自己紹介したところ、驚くべき反応が返ってきました。

「マズダ、イモン!」(増田=Masudaをドイツ人は「マズダ」と発音します。 殊に北ドイツの人は・・・ゴッドバルトさんはベルリンの人です)

何で知っているの?

その衝撃で思い出しました。

アルフレッド・ゴッドバルトさんは増田泉・井門義博組が西ドイツシュツットガルトのフランクコスモス社から“Die letzten 01-Lokomotiven bei der DR”を出版した時の著者の一人です。我々が英訳して送って文面を独訳した人なのです。

http://www.amazon.de/Die-letzten-01-Lokomotiven-bei/dp/344004968X

この↑著者の欄

von Izumi Masuda (Autor), Yoshihiro Imon (Autor), & 1 mehr

と書かれている最後の 1 mehr をクリックすると

Alfred B. Gottwaldt (Mitarbeiter)

が登場し、さらにクリックするとアルフレッド・ゴッドバルトさんの著書の数々が現れます。





・・・しかし、共著者の一人と言っても良い人の名前を思い出さなかったのは恥ずかしい限りです。 せめて「引っ掛かった」のが‘何より’でした。

写真集の写真に付いたキャプション、ドイツ語だから直接わかるわけではないのですが、見ると蒸機をよく判った方の作られたドイツ文であることが感じられます。

ゴッドバルトさんに感謝!です。


最後の来日かも知れないという時に会う事が出来たのは幸せです。

現役時代の動画をお渡しする事が出来たのも良かった!

18年振りの訪独をはじめ、私はドイツに染まった2014年だった様に思います。








01 180 動態へ!

2014-12-22 | 海外蒸機
デトレフから生き返った 01 180 の画像が送られてきました。

先月の書き込み↓ネルトリンゲンに帰ってきた姿の次に来る画像です。


本当はドイツのいかなるメディアより早いニュースだったのですが私の忙しさの為に1カ月遅れてのニュースになってしまいました。

丁度1か月前11/22のネルトリンゲンでの姿です。

右側シリンダーのドレインコックをバラしています。

既にボイラーには火が入っているみたいですが左側のデフが無いですね。

右シリンダーブロックで奮闘中はもみあげ君・・・(今付けた名前ですが5月に会っています)

デフの無いサイド、ウィッテデフはボイラーとの距離が重要な要素でボイラーから生えています。 ランボードから生えているワグナーデフや日本の門デフとは全然違うものです。

機関士側から最初の自力走行を見ます。

後ずさって居ます。

もみあげ君が火床を診ています。

感動的な復活走行!

蒸気圧が上がってくると彼方此方から蒸気が漏れてきている感じでしょうか。

凄い情景ですね。

暗くなってからも修正が続きます。


流石に暗くなってくると作業が捗りません。

駅のホームの明かりを利用して作業を継続します。

動輪並に大きな背丈の人はバイエルン鉄道博物館のボスです。


5月の写真です。 手前デトレフ、私の向こうがボス、もみあげが無いもみあげ君も見えています。

来春復活お披露目走行が楽しみです。







広田尚敬さん写真展“鉄道ものがたり”始まる。

2014-12-21 | 今鉄

本日、と言ってももう昨日になってしまいましたが鐡道写真の‘神様’広田尚敬さんの写真展“鉄道ものがたり”が東武デパート船橋店6Fイベントプラザで始まりました。


船橋は遠い様に思いましたが、JR駅隣接デパートの6階ですから「驚くほど近い」という感じです。

中身は、既に発表された写真も有りますが、大半が初めて公開される写真です。

その質、量に圧倒されました。

鑑賞時間は相当長めに考えた方が良いと思います。 期待はいつも裏切りません!


c57135さんが探し出した


素晴らしい店(参加希望者が増えて店変更の苦闘の末探し出した店)


内輪だけの小さな祝宴が開かれました。


飲み放題メニュー、なかなか豪華!サンタさんは店員さんです。


私はビールの次は「ブラジル祭」カイピリーニャソーダを頼みました。

全く無難でした。


仲間が倶利伽羅峠で出会ってスカウトして来た女子‘鉄’平野昭子さんは驚くべき多数の素晴らしいプリントを持参しました。

目が眩むほど凄い「バリ鉄」で驚くばかりの腕前です。


大変に盛り上がり500円追加で30分延長しました。


最後にサンタ→カメラマンでの記撮です。


ソルマックを飲んで明日もますます元気にお願いいたします。

http://www.yomiuri.co.jp/adv/enterprises/release/detail/00109387.html

http://www.tobu-dept.jp/funabashi/event/6f/photo.html


東京在住組が横浜在住組を見送ります。

彼女は決して酔っているわけではありません。 未成年ですから飲んでいません。


長いエスカレーターではしゃぎながら


帰りました。


              私は、   完全に元気になりましたぁ





01逢いたや2014・・・秋!2日目完

2014-12-18 | 海外蒸機
第2日

朝、目覚めると下界はまた朝靄に覆われている。

昨日と違うのは雨が降り続いていることだ。
このままドレスデンへ向かい帰国する名取さんにノイエンマルクト蒸気機関車博物館へ送ってもらう。

雨の中を松岡君と昨日と同じ機関区へ行った。 昨晩の夜間撮影の位置から01が給炭台へ向かっている。 給水、給炭が終わるとバックで転車台へ向かい方向転換する。

昨日より空は暗い。 しかし立ち入り禁止もかまわず皆が線路を跨ぎアップで写真を撮っている。
誰も怒らないし注意もしない。 昭和時代の地方の機関区のようだ。














01 118をそばで見る。


長いデフレクター、太いボイラー、2mの動輪、どこからみても均整がとれている。


オランダから来た01 1075は末期の011-075-9に番号が替わっている。

イベント毎にナンバープレートを替えるのもよく見るが、昨夜遅くまでは元のナンバーだったので今朝付け替えたらしい。




01 1533


一回転できないターンテーブルに乗る 01 150

2日めは峠の上の方へ挑戦したかったが、この雨では車がないと到達、撮影は不可能だ。 しかたなくまた駅のそばの陸橋へ向かった。


陸橋の上に立つと今日は暗い、時々小降りになるが視界もよくない。

昨日と同様に01達は次々と機関区から出庫して列車組成をする。

雨は降り続く、何条もの煙が上がりその煙が無風なので漂っている。
今日も昨日のように30分毎の発車で、計20分程度で戻ってくるダイヤだ。 機関車を毎回並べ替えるので陸橋みていると随分と忙しい。 雨は続いて気温が上がらないから煙と蒸気が機関車に巻き付いて行く。 舞い上がる蒸気、煙、霧で視界が落ちる。


一番列車は今日も 015 重連で、発車位置に就く。


時間になると汽笛が鳴り、列車が傲然と発車して行く。

跨線橋にいると凄い煙を浴びる。

視界が戻ると次の列車を牽くために 01 118 がポイントを渡っていく。

















ふとこの風景を見たことがあるのに気がついた。

デジャブかな

違う!   この、霧、雨、01のブラスト、、、これはザールフェルトの陸橋だ。

34年前もこのようなドイツの霧の中、次々と列車が出て行くのを濡れながらみていたのだ。

山下さんが隣にいたらうれし泣きするか、顔をつねって夢かと疑うのではないか。
線路配置も違う、機関区のターンテーブルも逆だ。 しかし石炭の匂い、この煙、雨、蒸気、これはまさしくザールフェルトだ、、、とうとう逢いたかった時間と場所に戻ってきたのだ!

その証拠に015 09にはBw Saalfeldの刻印がある。
01 118 は山下さん達がSaalfeldでたくさん撮った機関車だ。

私は陶然としながら眼下を過ぎる01を見送っていた。



午後になっても雨は続いた。

お腹がすいて松岡君とビールで一杯、その後はしばらくホームでスナップを撮った。







































しかし若い彼はどうにも走行写真が撮りたいらしい。

私も久々に撮り鉄をやる気になってきた。

雨の中を30分程歩き、昨日行ったカーブに向かうことにした。
私の鞄を持って松岡君はずんずん歩いて行く、ドイツのファン達はずぶ濡れで列車を待っていた。 混ぜてもらって昨日と反対側で 01 118 を迎えた。









なぜかこの01原形タイプは黒煙をほとんど上げない。 罐の調子がいいのか、サービスが悪いのか微妙なところだ。 最終列車の前の列車を牽いて、最後も白煙のみを上げて、素晴らしいブラスト音で 01 509 を従え通過していった。


最終列車は西ドイツ型の三重連だった。









更に雨が強く、視界は暗くなったまま 01 150、 01 202、 011 075 の順に駆け抜けて行く。

こうして「私の01逢いたや21世紀版」は30年前の東ドイツのように雨の中で終わった。

終章:01は21世紀に生きる。

ドイツでは蒸気機関車が集まり列車を牽くイベントがある。

年に1度あるかないか、
“プランダンプ”“ダンプスペクタケル”そして今回の“01フェスティバル”等の名前で蒸機が走り回る。

同じことが日本でもおきないかと想像する。

C62 2 と C62 3 が C62 1 と一同に会して、夜の梅小路蒸気機関車館で照明に浮かび上がる。 そして翌朝はファンが見守る中、山科の築堤を3重連でいくのだ。 その30分後には C57 1 と C57 180 が旧型客車を牽いて追いかける、、、

とても現状では想像もできない。

状況が変わって日本でも『蒸機大集合』のようなイベントが始まるのを願うばかりである。

ドイツを訪問した時、蒸気機関車の動態保存はあと20年もしたら全て無くなると言った人がいた。 我々蒸機世代がこの世を去る頃にはメインテンスもできなくなり、静態保存になり、それも何十年後には忘れられてしまうだろうと。

しかしそんなことにはなりそうもない。
松岡君のような若い世代にも蒸機ファンは居るし、ドイツの子供達も熱心に蒸機を見つめていた。 あの職人気質の国では蒸気機関車という機械はこれからもずっと愛されていくのだ。 世代を超えて、時代を超えて01は21世紀に生きるのだ。 そして30年後もドイツにはまだ01が動態保存で元気に走り、新しいファン達がドイツに訪れるだろう。

01逢いたやは続いていくのだ。






01逢いたや2014・・・秋!

2014-12-16 | 海外蒸機
水沼先生の秋レポートをお届けいたします。


1、ザールフェルト:1980

“鉄”の神様が目の前に現れて

「ヤマシタさん、世界のどこか一カ所だけ好きな時代の好きな場所へ連れて行ってあげる」

とのたもうたら?

ここは東十条の居酒屋たぬき、午後11時、酒が入って上機嫌の国鉄時代、編集長の山下修司さんは言う

「あるものは上野駅13番線、あるものは函館本線上目名、飯田線、しかしわしゃー1980年の雨と霧のザールフェルトへ行きたい! もう一度あの陸橋から、01を、44を今のデジカメで撮りたい!!」

そう1980年の旧東ドイツ、ザールフェルトには蒸気機関車が集結していた。

駅のそばの陸橋から機関区と駅が見渡せた。

ドイツらしい低い雲がたれ込める中、機関区から次々と01、44等の蒸機が給水、給炭を終わり目前の側線に現れるのだ。 一旦停止した後、構内やザールフェルト駅のホームの発車位置に向かうのだ。
待つ事しばし、長笛一声、ほれぼれするようなブラストとともに黒煙を上げ、白いドレインを切って眼下を通過していくのだ。

確かに‘もし’世界でただ一カ所行けるとしたら、上野でも常紋でも横川でも無い。 私も間違いなく1980年のあのザールフェルトの陸橋を選ぶだろう。


2、ノイエンマルクト:2014

「今年の秋は01大集合だ!」

5月にドイツを訪問した際、ネルトリンゲンのバイエルン鉄道博物館の機関士、デトレフ メゴウ氏は酔っぱらいながらわめいていた。

ネルトリンゲンの01も066と180が参加予定だという。 ボイラー修理中でバラバラの 01 066 が数ヶ月後に走るとは信じられなかったが、スイスから来た180はマイニンゲンの蒸気機関車工場で修理中だという。

“01大集合”はノイエンマルクトにあるドイツ蒸気機関車博物館が主催となっていた。

ノイエンマルクトはドイツの東南部でニュールンベルクに近い。 国鉄時代の編集長、山下修司氏のいうところでは結構な山岳地帯だという。 01は9台が大集合するらしい。

この01大集合の噂は何度も聞いた。 2011年のアイゼンバーン ロマンティックでもこの話を聞いた。
そのたびにガセネタだったのだが、定例のたぬき会で新人、松岡君の情報だと、ネットには情報が流れていてどうやら今度は確実らしい。 これは何があってもいかなくてはと決心した。



9月後半、5人の日本人は続々とドイツ東南部ノイエンマルクトへ集合した。

今回はKATOから社長加藤浩さん、営業企画課長関良太郎さん、ネコ・パブリッシングの編集局長名取紀之さん、そして大学院生の松岡秀樹君とバラエティーに富んだチームだ。

フランクフルトで加藤さんのBMWに乗せて頂く。
今回はポルシェはなし。

ポルシェに乗っていたらドライブが楽しすぎて“鉄”を忘れてしまう。

第1日

泊まったホテルはスパと言う名前の、山の上のなかなかしゃれたリゾートホテルだ。


朝の窓からは霧が立ちこめるノイエンマルクトの町が見下ろせる。


朝靄の中をドイツ蒸気機関車博物館に向かった。


線路は架線がなく、駅舎は立派で貨物ホームまであるが、なんと無人駅だ。

松岡さんの前情報だと50ユーロで‘2日間パス’が買えるという。 博物館の出入り自由で有料撮影地も自由、そして列車乗り放題だという。
ドイツ語の堪能な彼はあっというまにパスを人数分手に入れてきた。 首からパスを下げ蒸気機関車博物館に向かう。


小さめの機関区、そして良い状態で保存された静態保存の蒸機が現れる。


博物館内にエンドレスで敷かれている600mmナローを眺めながら行くと数条の煙が上がっている。


朝靄の中に01が忙しく出発準備をしている。


結局、参加したのは6台。

デトレフのバイエルン鉄道道博物館からの 01 066、01 180 は修理が間に合わず参加しなかった。

ウルムの 01 1066 もやってこなかった。

しかし6台が一同に会するとは壮観だ。
 

左はスイスからやってきた 01 202号機、磨きだしの動輪を持つ。 右は西ドイツニューリンベルグで一度は焼失した 01 150 号機、前回はトラブルで走らなかったが今回は走行可能らしい。


そしてフランクフルトから 01 118号機はいつもの美しい姿を見せている。


一番奥はオランダからやってきた1075号機で今回唯一の3シリンダー機だ。 結構汚れていて、かえって現役っぽく好ましい。 

東ドイツ型で、人民01とかナメクジと呼ばれる015は今回 509 と 533 が参加しているはずだが重油専燃機 509 が見当たらない。


533 は入れ替え用のディーゼルに牽かれて現れた。




朝靄はどんどん晴れて行く。

しかしドイツの9月は天候不順で午後からは雨らしい。


石炭炊きの015(ヌル・アインス・フュンフ)01 1533


ダンプスペクタケルでは走れなかった 01 150


美しい 01 118


給炭中


磨き上げられていないのが好ましい 01 1075


次々に給水、石炭を積み出庫していく。


ビールの絵が気になりますね

走行写真を撮るべく駐車場に戻るとすでに一杯で車を移動することができない。

やむなく駅近くで発車をとることにした。
駅構内に陸橋が有り、すでに人だかりだ。 撮り鉄に専念する松岡君はシャトルバスで終点近くの撮影地へ向かった。  

残るおじさんたちは陸橋に上がった。


次々と01が駅構内にやってきて出発位置につく。


補機としてオーストリアから01と共に38型 1301号が来ている。

2012年にデトレフのS3/6と重連でオーストリアへ行った時に重連を組成した機関車だ。 当時は手すりを赤く塗っていたが、黒くなりナンバープレートも替えてシックに見える。


もう1台、64 491という小型のタンク機もやってきている。

列車は隣のMarktschorgast駅まで30分毎に発車する。

線路は非電化の片登りの複線でMarktschorgast駅から単純にバックしてノイエンマルクト駅へ戻ってくる。


9時47分定刻に1番列車が発車した。 トップバッターは 01533、509 の東独タイプの重連だ。


前向きに強烈なドレインを吹く




陸橋上は煙と蒸気で全く見えない。






64 491


01 1075

2番列車は 01 118 の単機で38形が後補機につく。


20分後、01118 も凄いドレインを吹きながら発車していった。






どこかで同じ光景をみた気がするがデジャヴかもしれない。


ニュールンベルグから“テツ”満載の臨時列車を牽いて旧塗装のディーゼル機 216 224号も到着し、構内は賑わっている。 この機関車は日本のDD54の見本になったといわれ外観もDD54に似ている。


次は走行が撮りたいがとても駐車場から車をだせそうもない。

駅から15分くらい歩き、カーブのアウトから第3列車を狙う。


背走する第2列車


豪快な3気筒の音と共にオランダから来た 01 1075 と 01 509 の重連が駆け抜けて行く。










北海道南部のような風景を歩く


スイスからの 01 202 と 01 533 の重連を横から撮った。


38形


背走する第3列車








駅へ戻りながら原形タイプ 01 118 を撮った


この頃から空は曇りだした。


その後晴れることはなく、先程見かけた小さな橋の上で2回めの 01 1075 と 01 150 重連を捉えた。 01が2台が現れたと思ったらそのまま停止してしまった。


しばらくすると汽笛二声が鳴り、後ろで候補機のもう一つ汽笛が響き、空転を繰り返しながら再スタートしていった。


01二台のブラスト音は凄い。






ビデオ向きで井門さんが今回参加して動画を回していたら狂喜したろう。

結構疲れたおじさんたちはもう駅へ戻った。


機関区の横に臨時に作られたバーで昼食を取る。

入れ替えをする01を眺めながら地元のソーセージとビールをやるなんてこんな幸せはない。


ビール名は地ビールのKapuzinerdeでこくがあり苦みもちょうどだ。 ソーセージもさすが本場でおいしい。 すぐそばを通過する01の動輪を眺め汽笛とブラスト音を聞きながら一杯は最高だ!このまま時間が止まってほしい。

空腹が落ち着くとすでに雨は本降りになっていた。 濡れるのはしんどいので博物館に入った。


01 111


比較的狭い扇形庫だが綺麗に整備されている。


流線型の010


グラスカステン  他に18形もがいる。

どれも鉄道模型ではおなじみだ。


博物館内の敷地を600mゲージのナローがエンドレスに敷かれている。

ここにも有火の2軸のナローの蒸気機関車がいて小さな列車を引いている。 この小さな1台を入れれば蒸気機関車は9台が有火で稼働していることになる。

雨は小降りになってきた。


乗車無料だから終点まで乗り鉄をすることにする。 跨線橋を渡り駅へ戻り今度は列車に乗った。


うれしいことに食堂車があり、また地元のビールを頼む


一等車のコンパートメントを見つけたのでここで寛ぐ事にした。

前から汽笛二声、後ろからも一声で列車は走りだした。
歯切れの良いブラスト音でかなりの加速だ。
線路は結構な勾配だが列車はぐんぐんスピードを上げていく。
機関車の音が3気筒と2気筒の重連で微妙にずれてかえって楽しい。
01のブラスト音を聞きながら1等のコンパートメントで地ビールを飲むなんて贅沢の極みだ。

10分ほどでMarktschorgast駅へ着いた。 後は下り坂を折り返すばかりだ。 ノイエンマルクトに戻り列車を降りると加藤さん、関さんはBMWでスイスへ向かった。 彼の地で鉄道模型の打ち合わせだという。


360度回転は出来ない独特のターンテーブルに乗る 64 491






600mmゲージと標準軌のクロッシングを撮影する名取さん

残った名取さんと私はお土産を探すことにした。


ナローゲージのエンドレスの中にかわいい機関庫があり、その中で銘板を売っている。


名取さんはどうやらナローのディーゼルのプレートがお目当てらしい。


私は Deutche Raichbahn (東ドイツ国鉄)とBw Saalfeld(ザールフェルド機関区)の銘版を購入した。

販売のおじさんが

「ザールフェルドは蒸気が大集合した有名な機関区だ」

と説明してくれた。

「知っているよ、1980年に行ったから」

と答えるとびっくりしていた。






最後列車は3重連になる。


現役で01が走っている頃はほとんどが平原を単機で走っていた。 リアルではないがC62も最後は3重連のイベントだったと聞く。
40年後にまともに走っているC62が1台も無いとは鉄道大国として情けない。


陸橋を登ると出発直後は蒸気と煙でさっぱりわからなくなるので、少し先の陸橋を過ぎたDDMの看板がある位置で構えることにした。

待つ事しばし、01 118 原型機が先頭、そして01 509、01533と東ドイツで活躍した機関車達が素晴らしいブラスト三重奏で眼前を通過していった。

















雨は土砂降りになってきた。




かなり堪能した名取さんと私はホテルに戻った。

部屋でうつらうつらしていると汽笛が何度も何度も聞こえる。 後に合流した松岡君の話では8台全て繋げるというショーをやっていたらしい。

7時すぎにホテルを出てまた機関区に向かった。






最近、流行中のライトアップだ。


少々不自然だがこれも魅力だ。


01の赤い動輪が照明がライトアップでくっきりと浮かび上がる。








残念ながら三脚がなく感度を上げて撮影した。


01 118

この日は午後9時に引き上げた。

充実した長い一日だった。