鉄研三田会写真展パーティー

2024-07-07 | 国鉄時代

模型工作を少し進めてから鉄研三田会写真展へ

電車の顔が並んでいるビルへ

ちなみに。レンガタイルっぽいのが歩道です。

そのビル寄り35cmくらいの所にステンレスの帯、更に35cmでステンレスの帯、

大きな地震が来た場合、この区切られた部分が跳ね上がって地面とビルの間を開けるようになっているそうです。

「免震構造」になっているので世間が揺れてもビルは少なく揺れるのだそうです。

三田会写真展の案内。

同じエレベーターに乗り合わせたのは伊藤正光さんでした。

私、イモンは4枚も出させて頂きました。

或る日の 01 118 です。 

増田さんと別れて井門兄弟で D378 “Istropolitan” 号でベルリンへ行き、いつものウールハイデ駅を下車、その近辺で撮影しながら過ごしているうちに D1275 “Metropol” 号が機関車&乗務員とも同じクルーでやってきたのでした。 (写真左下に写る写真)

「さっきのBoysが居るぜ」との機関士の声で機関助士もやってきて我々に手を挙げてくれたのです。

信号場でワルシャワ方面行線路とポイントで別れた直後で70〜80キロ、カントが無いので満水のテンダーの水が溢れながらやってきます。 前の3両は1950年台後半に造られたハンガリーの寝台車と食堂車です。 (この列車はブダペスト行の国際夜行列車)

同じ日、雨の中ドレスデン中央駅を発車してドレスデン・ミッテ駅に接近する D378 の 01 2118-6 。

相手は写っていませんが機関士は知人に手を挙げています。

実は、撮影地でも挨拶に手を挙げてくれる機関士は多いです。

ワグナーデフは日本の蒸機、デフ装備の見本となったものです。(世界中そうですね)

でも「ご本家」は日本蒸機のデフと違って後方が窄まっているのが分かります。

パーティーが始まります。

鉄研三田会会長岡崎さんからの挨拶。

イモンは足が不自由ながら変な位置から写真を撮る事に夢中です。

相澤さんは昭和30年台半ばから熱心に撮ってきた人です。

鉄道友の会から多くの人に繋がって来ています。 日本の宇宙探査機にも部品を供給しています。

皆様の中から乾杯の発声をする相澤さんを撮ろうとしましたがうまく動けず撃沈でした。

ケータリングの料理群です。 健康貢献度が高く量も充分でした。

既にイモンは真っ赤です。

佐竹さんが締めの挨拶。

下島さん(けむりプロ)が「彼は何者か?現役か?」と聞かれたので「卒業して10年程経ちます」と答えましたが、認識が少し間違っていました。

二次会

13人 どうしてこうなるのかしら・・・

乾杯を撮る練習です。 隣の席の人がシャッター押してくれましたが、おささっていませんでした。

またさっきと同様の始末。

隣の席の人が撮ってくれました。 グレート!

最年少は22歳(修士課程1年生)

 


ロクイチ会 久々

2024-04-28 | 国鉄時代

“ロクイチ会”(またの名を“大窓会”)蒸機ではなく猛烈に「ゴハチ」を撮った人達の会です。

バリバリ蒸機を撮った人も大勢います。

でも大学時代は蒸機無し、だから「ロクイチ」や「大窓」を追ったわけです。

「旧国」に行った人達とは人種が違うのかもしれません。

「ロクイチ」:EF5861 お召指定機

「大窓」:製造時から流線形車体のEF5837〜70とデッキ付車体から改装された7・11・12・16・18 - 20・22・25・28・29・31号機はEF58前期形とも云うべき前面窓が大きな形状で運転台構成・インパネも「小窓」とは大きく違います。 経年劣化でHゴム支持に改造されつつあったので残された大窓は珍重されました。

「ゴハチ」:EF58の事、関西では「ゴーハチ」

渋谷地下通路に“マクドナルド”の広告が・・・

制止する警備員の言うことをきかない女子の大群、撮り鉄みたいなものです。

金剛の丸テーブルに座りました。 一般のお客様はこの金剛とその手前に着席、隣席の女子が酔っ払って大変でした。

そうなった原因は我家の4人の息子全員で「のべ6人」お世話になった松濤先生の息子さんがラグビー留学しているニュージーランドの「U−18」の(息子さんを含む)選手28名とその家族合計100名の大宴会でホール貸切だったのです。

竜之助と松濤(まつなみ)先生と奥様 SHの様に松濤先生と竜之助の間を抜けて行ったお嬢様も画面に見えています。

私は立っているのですが屈んでいる様に見えます。 父兄にオールブラックスが2人居ます。 キャップ50とか!

この画面の左右にもびっしり家族が居ます。 日本の幾つかの強豪校と闘って全勝したそうです。 トイレに行く度にこの大盛り上がりの中を行きます。 NZも日本も様子は同じですね。

こちらも一騎当千のツワモノ達。(竜之助の席は当然こちらです)

仲間の中から鉄道趣味界でプロになった人が3人居ます

最近撮影の画像を見て腰を抜かしました。

宴会3夜目もまた大「盛り上がり」でした。 円卓でも話題は4箇所5箇所に分かれて騒然たるものでした。

 


蒸機を語る会

2024-03-24 | 国鉄時代

山下修司さんが居て、松尾よしたかさんが居る宴席だからカテゴリー;国鉄時代・・・・

林山尭さんより開会の辞

参加者は40名です

宇田賢吉さんより“慶慶”に折り紙で作った薔薇をプレゼント。

渡辺支配人にも薔薇!

集合写真無し、二次会はこのメンバーです。

二次会のおつまみ;ピータンを頼んだら厨房が応じ切れず渡辺支配人が切ってくれました。

めちゃくちゃに忙しかったみたいです。

12:00から始まっていますから二次会終了時間も早いです。

シンガポールから来た外人観光客さんが撮ってくれました。

酒酔いなのでキハ43000ははじめません。

余興でPKPのPm2(独逸のゼロサン)にさわります。

パーツが多そうでゾッとします。

こんな収納方法。

この引き出しにマニュアルが入っています。

こんなに入っていました。

リングカプラーはダメなのでもちろん交換します。 分解が必要でした。

ドレインコックを取り付けます。 でもクロスヘッドと干渉するので一部カット。

ちょっとだけ墨入れしました。

墨入れは大変ですが(簡単です)効果は抜群です。

PKPのPm2は増田泉・井門義博組だけが走行写真を撮っているという深い縁のある機関車です。

また仕舞います。 写真撮る元気はないです。

 


工房打合・天竺会

2024-02-23 | 国鉄時代

オシ17のインテリア取付板 美しく!驚くべき軽さのアルミエッチング!

反対側から見ます。

ビスで固定です。

棚は3D出力のまま

手前はまもなく発売される戦後形C59キットを若い設計者が組んだもの。 真鍮キットを組んだのは2度目との事。 奥は戦前形C59改造のC60キット素組。

流石工房長が組んだC60は綺麗。 戦後形C59のドームはロストパーツになるのですが今は「仮」のドームが付いています

斜め後ろ

ボイラーとランボードの間は隙間が表現されます。

イモンがワガママを言ったのは、「舟底でも下から開けて欲しい」という厄介なお願いです。

でも、これは画期的で絶対に大事な事です。

従台車も戦前形を流用していて発売なら戦後形パーツに改まるそうです。

無塗装でも使えそうなオハ35系のガーランドベンチレーター。

湯口は側面下です。

1箇所切断するのに2回切るのですが、塗装後ヤスリ仕上げ無しで使える設計。

ガーランドベンチレーターには脚が付いています。 脚は屋根に彫ってあるのではありません。

EF30です。

ヘッドライトは仮のもので、正規品は現在製作中。

運転台側窓の作り分けです。

EF81−300でメッキ仕上に自信を持ちました。 それを生かしたモデルとするべく準備を充分検証中。

“ORIENT-EXPRESS”を遊べるように工夫中

深度合成の実験か?

箱詰めできました。

本日“天竺会”

天竺から新しい経典を持ち帰った修行僧の集まりです。

撮影は渡辺クリステル

実は趣味と職業が一致してしまった類まれな幸せ者の集会です。

早撃ち!

今構えているカメラは先程の写真を撮ったイモンのTG-7です。

これは二次会、陳さんによる撮影!

報いが来ました。

 


東北福祉大「鉄道交流ステーション」重量物搬入・プロヴァンス

2024-02-20 | 国鉄時代

写真(撮影;秘書室)のコマ番号順なので此処に写っている棚の上が鉄道資料なのではないと思いますが、この棚の上まで相当の重量物が置けます。

パレットに載ってフォークリフトで運ばれます。

フォークリフトで荷役するのに最適なこのパレットは特許です。

建物外側のリフトでフォークリフトごと上がってきたのは200系先頭部です。

準備した位置に455系電動車輪が置かれました。

置き台

PC枕木は200kgあるのだそうですから機械と力を合わせて定位置に設置するこの人の力はものすごいものです。

再移動が前提なので線路は組まず大地震で重い車輪が転がらないようするだけです。

車輪が置かれていた東北福祉大前駅前は綺麗さっぱり車輪展示関係一切がなくなっています。

実物の信号機や転轍機など安置場所に入りました。 早めに屋根の下に入れば状態は良かったかもしれません。

網の籠二段の中身は車輪展示用の線路用のバラストです。

逆さまに置かれているのは駅名標です。 丸いのは先程のものではなく200系2000番台の前頭部です。

青い床は指定場所で、これは鉄道模型芸術祭やJAMで使うガラスケースです。

ほんの30分で処理したので十分紹介できていませんが・・・・

場所は変わって大井町、長年親しんできた“プロヴァンス”(洋食)が今日で閉店です。

食品サンプルも消灯されています。

大井町に衝撃が走りました。

最終日店内の様子。

シェフ、岡元店主と一緒に

特徴が一番はっきりしている“ポークピカタ”を頂きました。

鉄板が熱いので冷めません。

ピカタの下にスパゲッティーが敷かれてピカタの肉汁を吸っています。

先にスパゲッティーを寄せてからナイフとフォークで食べるのが本筋だと思いますが、スパゲッティーを除けずにナイフで切ってしまった感覚が好きでわざわざそう言う食べ方をしました。

コーヒーをサービスしていただきました。

お孫さん??のお嬢さんが貼っているのはIMONのPOP製作者が作成した「閉店のお知らせ」です。

彼女に食品ケースの点灯を頼みました。

こういうお店の存在が大井町を豊かにしてきたと感じます。

先代の時代かもしれませんが、此処の“タンシチュー”は絶品でした。 “ビーフシチュー”は和牛だと思いますが脂が乗りすぎていました。

寂しいです。

この時間でもイモンはめちゃ忙しいです。