湘南ライナー1号の旅2015

2015-06-30 | 喰いだおれ
KYB鉄道友の会主催、「湘南ライナー1号 貨物線の旅」

今年も乱入してきました。

貨物線を走る東京発下り〔湘南ライナー〕はこの〔1号〕だけです。

しかも追い詰められつつある185系を使用するとあってはチャンス有る度に味わっておかなくては!


去年までと大きく違うのは「上野・東京ライン」のOPENです。

東京駅は殆どただの中間駅になってしまいました。

東京始発の〔湘南ライナー〕はますます貴重性が増しています。


185系入線。 今年も近年の普通の色です。


乗務員の間にGマークを流そうと思ったら見事被りました。


4号車に乗り込みます。
 
まずは記撮大会が始まります。 ご機嫌です。

 
幹事役の佐志さん手配の横浜工場謹製の崎陽軒シウマイ、おつまみ用ルールで用意です。

 
走り出しました。 大崎の国際自動車学校跡地の写真はコンクリート柱に被られました。

 
鶴見通過、そして貨物線トンネル突入前に品川で我々を見送った普通電車に一気に抜かれます。

ライナーは並走時以外はガンガン走ります。 ジョイント音有りで郷愁を感じるモーター音もあります。

 
横浜羽沢貨物駅を通過、生憎の雨で暗くて工事状況がよく判りません。


品川の次はここ藤沢です。 この手前の階段を上ると小田急乗換しかできませんのでご注意!


185系を見送ります。


東海道線下りが入線して来ました。 あの各停か!と思ったらSSラインでした。 新宿18:30発→藤沢19:25→20:02小田原です。

我々乗車した〔湘南ライナー1号〕は東京18:34→藤沢19:22→小田原19:47です。

あの各停は東京18:37→藤沢19:28→国府津19:58終着でした。


藤沢名物80系売店


遠くテールライトがまだ見えています。


大船方に移動して階段を・・・あれっエスカレーター在りましたっけ?


藤沢はいつも山側ですが、今日は海側、なかなか賑やかで驚きます。


清香園


ビールが出る前に模型が出てきました。 たん、たん、たぬき状態ですね。


大久保さんが佐志さんの為に組んでフィニッシュしてきたキハ40。


中村さんが持って来たのは今日この場に来たいけど来られなかった黒田和夫さんの進行中のペーパー車体です。

三重交通のモニ550です。


越後さんも何か持ってこられたようです。


おねえさんが持って来たのはビール。


早速乾杯です。


前菜です。 模型との距離感が怖い。


幹事役佐志さんが持って来た汚しをやったDD51です。 五稜郭かな


越後さんは485系先頭車を持ってきました。 13両作った中の先頭車1両です。

ただし、有名な話なのですが未完成で床下機器を塗装していません。 ウェザリングと言うよりもエイジングでだんだんいい感じに成りつつあります。


ふかひれスープ


鶏カシューナッツ


紹興酒・・・今日はボトル3本と言ったところ・・・丁度良い感じ


蟹ですな・・・

DD51のたたりですね。

ちょっと盛り上がりすぎて遅くなってしまったのが予定外でした。

次の時は何か持ってこなくちゃいけません。









鉄道模型加工いろいろ

2015-06-26 | 鉄道模型
最近、私が抱える作業を少し分担して貰えるようになったので、多少前の話をほじくり出せるようになりました。

あまりに溜まっている模型の加工工作の話を少し・・・・


これはワールド工芸HO1067スユニ50とマニ50です。

屋根と床下に同じ汚れ色を吹きました。 (ずばり省力化です!)


TR47はIMON製です。 ブレーキシューだけ‘レッドブラウン’を塗り付けておいて台車枠だけは別にして同じ汚れ色を吹いています。

幌は立体感を出すために幌枠だけをマスキングして妻面に汚れを少しだけ吹いてみました。


スユニ50の妻面です。

全検表記のレタリングです。

端梁と車体の間に隙間がありますが、これは半田組立時点でこうなっています。 つまり、車体が少し上がっているのかもしれません。 カプラーには影響ありません。


iPシリーズ第6弾トラ40000の試作品です。 (まだ発売数ヶ月前でした)

成型色=黒のままの状態です。 これからアクリル系塗料で塗装します。


塗装しました。


下から見た眺めです。

iPシリーズも回を重ねるごとに良くなってきています。 次回作はワム80000で秋頃でしょうか。


左が製品に入っていたインレタです。 郵便マークの赤は塗装で先に入れて置くと言う設定の様です。 1色ならばそれしかないという構成です。

右はIMONの郵便車用です。 赤い郵便マークを後で乗せるようになっています。 2色あれば出来る構成です。 当然こちらを使います。


まずは‘郵■便’を載せて。


赤い〒マークを重ねます。 


反対側も同様に。


スユニは出来合いの番号‘スユニ502033’からほかの番号を作ります。


‘スユニ502036’にしました。


反対サイドはレタリングの位置が判りにくいのでドアからの距離を偶然ぴったりの寸法である「添付インレタ」の寸法を使って中心位置を出します。

(つまらない事ですが定規は勘違い読み間違いが有るのでこういうモノがベターです)


メンディングテープの細片で中心位置を示します。


トイレの窓を入れ替えます。 真鍮製の光を通さない白い板では雰囲気が出ません。

その様なアクリル板で言う「骨白(こっぱく)」ではなく光を通す「乳半(にゅうはん)」であるべきです。

何故なら光を通す必要が無いならHゴム窓を作る必要が無いからです。


薄い白プラ板に取り換えます。


マニ50のインレタ、全検表記。


換算表記


幌が良い感じです。


形式番号。


窓が一つ外れています。


窓はこんな感じです。


どちらにも付きそうな仕切なのでトイレ方に仕切持って行ってみます。


やはりこの窓を仕切るものに間違いなさそうです


ちょっと気になるのはトイレを横切ってしまう仕切りですが・・・これもあるので骨白を許容するか・・・

実物の仕切りはちょっとだけ複雑な形になっているのでしょうか。







紙製車両ケース

2015-06-25 | 鉄道模型
鉄道模型に於いて、編成で持っている車両をどう持つのか・・・‘持ち方’で楽しめるかどうかが決まると思います。

これまでIMONは‘持ち方’として木製のケースを提案してきました。

しかし、静岡の小物家具メーカー(職人)を使った其の取組みは苦難の歴史と言ってよいものでした。

1軒目の会社の倒産 → 2軒目開発 → 倒産 → 3軒目開発 → 倒産

(我々と取引したから倒産した訳ではないです、モノ作り日本は危機に直面しているのです)

151系ではもはや木工業者を手当て出来ずアクリル加工業者に製作依頼する事になりました。

そして、そのアクリル加工業者も今はもうありません。


一方、模型車両の方は真鍮製重量級よりプラスチック製のほどほど安価な軽いものが主流となってきました。
プラ製車両を収めるのには木製は大げさすぎる上に重量が嵩みすぎて全く不向きです。


そんななか、この数年来模索してきた紙製の編成用車両ケースがようやく出来上がってきたところです。

(まだ欧州形、米国形用が発売できていませんが・・・)


運転会に誘われた機会に本格的にはまだ導入していなかった(未だに木製が主流である)我家にも徐々に紙製ケースを導入しつつあります。

先日、休日を使って木製ケースから紙製編成用ケースに入れ替えをやってみました。


2段用スリーブと5両用ケース×2、中には「屋根押さえ」と「端面押さえ」が10両分入っています。

屋根押さえ、端面押さえを取り付けるのは両面テープ(幅5mm)です。


屋根押さえ、端面押さえは纏めて入れてあります。 (別売;車両の寸法に合わせて買います)


1両ずつこの枠に入れて行くのですが、この枠に車両に適合した屋根押さえ、端面押さえを取り付けることになります。

編成両数がたとえば4両→6両と増えた場合、中身の車両と一緒にこの枠ごと移動する事が出来ます。 空き家となった4両用紙箱には新しい屋根押さえ、端面押さえを買うことで別の編成に使えるというわけです。

編成序列の変更も自由です。


現物合わせで両面テープを切断します。


経年変化がとても少ない硬質ウレタンの屋根押さえに両面テープを張り、糊を露出させて、


平らな面で貼り付ければ完全に下面が一致する様に「枠」に貼り付ける事が出来ます。


端面押さえも適当な長さの両面テープで取り付けます。

(長さ21.3m、20.5m、20m、17mがあります)


手前の「枠」ひとつをひっくり返してあります。 底面は一致させているのが判るかと思います。


10両分の枠が用意されました。


最後の一両だけ17m級です。

こんな編成だったなぁ・・・と思いながら此処まで作ってしまって木製ケースを開けてびっくりする事になるのです・・・


木製ケースに入った編成を持って来ました。


このケースは横に開くタイプです。 2軒目の木工業者の作った製品です。

同じ10両用木製ケースで左右両側の金具を操作すると蓋が外れるタイプが有ります・・・取手が2連に成っているので直ぐに見分けられます・・・それが3軒目の木工業者が作った製品です。


16番ニワモケイ製の特急【 櫻 】です。

重量の重いことではなかなか凄い車両で紙製編成ケースが成り立つかどうか、強度的に問われる場面です。

ところで、スニ30が最後尾と思っていたら一番左上に来ているので慌てました。

(枠を移動するだけで編成の入れ替えもできるのでそう心配しなくても大丈夫です)


紙箱にすっぽり入りました。 スニ30の車掌室側にテールマークが付いていました。 編成序列は予定通りで良さそうです。


紙箱の蓋を閉めたところです。


それを2段重ねにしてスリーブに入れたところです。

スリーブは高さ6両用に合わせてあります。

自分で切る必要があります。 (切り落とした残りも簡易スリーブになります)

HOスケール用とJスケール用、1段用と2段用の全部で4種類のスリーブがあります。

編成箱は4両用~8両用ですから4~16両編成までに対応している事になります。

3段用スリーブが無いのは、うっかり手で掴んで真ん中の箱が落下する事故を恐れたからです。

スリーブが大げさに欠き取ってあるのは、スリーブを持つと中身落下の危険があるからです。

一目で上下が判る利便もあります。


もう一つ似たような紙の編成用ケースが出てきたのは、先日運転会に持ち出した編成です。


今日は一気に「ネームランド」で名前付けをしてしまいます。


「富士1」「富士2」「櫻1」「櫻2」コダックはありません。


箱を開ければ

①簡単に持っている編成を目で愛でる事が出来る、

②人に見せる事が出来る、

③紙袋に入れて運転会に持って行ける、

④収納も場所を取らない。


製品【北斗星】のケース(そちらはHOスケールですが)を作る際に考えられた手法をそのまま全て採用しています。

「屋根は中央で押さえる屋根押さえ」

「幌とカプラーには干渉しない高さの端面押さえ」

これらのおかげで車両自体をよりよく目で愛でる事が出来るとともに出し入れの際の「痛み」も最小限に抑える事が出来るのです。


【富 士】編成は増結されて9連となった姿です。

空間には先日はEF53を一両詰めて出掛けました。


マイネ37130と展望車の間には増結一等車マイネフ37230が挟まっています。

西尾克三郎ライカ写真全集ⅠのP.76 1934-05-19 の写真にその編成例が写っています。

しかし、マイネ37100を手に入れるチャンスが有ればそれを37230の置き換えに使い、37230は17/18列車(名士列車と言われた急行)に転用しようと考えていました。 中古で37230をもう一両ゲットしていたからです。

チャンスが有ればその出撃した運転会の情景も紹介できればと思っています。






“ドレスデン蒸機祭”三日目

2015-06-24 | 海外蒸機
水沼先生のドレスデン蒸機祭レポート第三日目、最終日です。


第3日

 今朝は35型の重連が走る。
 日本でいえばC58というところだ。 今朝も松岡君は撮り鉄モード全開になっている。 鹿山、田柳ご両人と合流しドイツの撮り鉄達に混ざって午前中はこの列車を追っかけた。
DLの補機がないせいかもうもうと黒煙を上げてやってくる。 昼間にドレスデンへやってくるラインゴルトを撮りたかったが、35型重連の魅力に負けてこれを追いかけることにした。
 
 最初の撮影はタラント峠と呼ばれるところだ。 最初の築堤に松岡君がどっと登って行く。 あぜんとするばかりの速さだ、線路に到達した瞬間、3気筒のブラストが森中に響き 01 1066 が悠々と姿を現した。 なんと!時刻表には無いチャーター列車だ。 奥にはドイツテツ集団が何人もいた。 ファインダーに入ったのはまちがいなくさぞかし迷惑だったろうが彼らは罵声一つ浴びずに済んだ。 大人の国といわねばならない。

 しばらく待つと響き渡るブラスト音と共に、35型重連が現れた。







 列車が通過するとドイツテツ達は一斉に動きだして、車に飛び乗っていく。

松岡君撮影
 
 磐越西線あたりのC57追っかけとそっくりだ。 我々もこの‘撮り鉄’自動車レースに参加して都合4カ所で写真を撮った。















 午前中は雲一つない青空だ。 初日の唯一原型機が走った日にこの空だったらどんなによかったろう。


 
 お昼には機関区に戻る。 本日の夜間撮影パスがない鹿山さん達の手配とデトレフにお別れをいうためだ。



 博物館の前にはインダストリアルナローがゆっくり走っていく。



 名物 19型も今では静態になって置いてある。

 関係者と思われる老人に訪ねたところ、あちこち一緒にまわってくれて、最後に機関区詰所のようなところで遂にチケットを手に入れた。

 ふと見ると 01 204 の銅板がある。 01 の中でも動態保存機として大事にされていた1台だ。 ザールフェルドで1980年に私の見た原型機はこの 01 204 だけだった。




1976-07-25 01 204 D378【Istropolitan】Dresden Hbf 雰囲気が近い写真! 井門義博

 今は小さな博物館に売られ、消息もはっきりしないらしい。 何とか逢いたいがかなえられそうもない。 機関車の運命も人の運命に似ている。 増田、井門さんがドレスデンで追いかけた 01 は10両を少し超える数だったろうか。 1980年にエースだった 01 204 はどこかで朽ちかけている。

 そのうち 01 118 は本線を走り続けている。 01 066 はボイラー代わりで余生を過ごしていたが奇跡の復活を遂げた。 この2両のみが動態保存で 01 137 はこのドレスデンに残ったがここしばらくは火がはいっているのを見たことはなくこのまま静態保存と思われる。

 午後は再びエルベ川沿いに向かう。



 松岡君は昨日の写真のピントが合っていなかったらしく、この晴天にリベンジを狙い、同じケーニッヒシュタイン駅付近の丘に登った。 今回の私はただ彼について行くだけだ。 

 遠くから汽笛が聞こえてきた。 快晴と思っていたが小さな雲が上空にさしかかり、視界が暗くなり少々あわてるが、それも一瞬のことでまた快晴に戻った。



 降り注ぐ太陽を浴び 01 509, 35 1097 の重連が通過していった。 01 509 は最後まで煙は全く出さずで、一回り小さい 35 が盛大に煙を上げていた。

 今回のツアーはまずまず晴れに恵まれてこれにて終了、テツの神様は味方してくれたらしい。



  明日からフランクフルトで検討会、翌日はミュンヘン大学で会議が待っている。 皆に別れを告げドレスデン空港へ向かった。



35形について;

ドイツのC58と言ってよさそうな1-C-1プレーリー機です。

戦争の激化で増産が捗らなかった23形は2両で製造を終わり、東西ドイツでそれぞれ100両余のモデルチェンジ版23形が作られました。 この35-10形はその東ドイツの23-10形で1956年(私の生まれた年)が製造初年という妙に新しいカマです。
C63みたいなものです。

増田・井門組はドイツの9600と言うべき58形(1-Eデカポット機、特に狙いは3000番台となっていないカマ)を狙いに行き、そこで多数の35-10と遭遇しています。

水沼・松岡組が35形を撮ったのはドレスデンの南ですが、増田・井門組が39年前の1976年に撮った Döbeln(デーベルン)はドレスデン~カールマルクスシュタット(現ケムニッツ)線を挟んだ北側、ほぼ真西30㎞程のところに有ります。

35 1030 1976-07-25

35 1045 1976-07-25

35 1030 の牽く客車列車が発車。 1976-07-25(実は 01 204 の写真と同じネガで日付も一緒なんです・・・3000番台ではない58が撮影できたのはこの2日後です)

我々はこの地域(このデーベルンHbfの地下通路だったかも・・・)で警官に呼び止められました。

いつもの緑色っぽい制服の Volkspolizei ではなく Schutzpolizei を名乗りました。 警官が言う趣旨は
「君達は昨日はXXXXXに居たね、いつも見張っているからね」
ということでした。

その警官との接触後はまことにいや~な気分が続きました。

今にして東ドイツは暗かったですが(蒸機が元気だったからか?)なかなかすばらしい世界だったような気がします。 あの地獄はご免だという意見が大半かもしれませんが、今が幸せかどうかもよくわかりません。

すみません、僕らには天国でした。





健康診断→たぬき

2015-06-20 | 喰いだおれ
折角順調に減量していたのに一日にして失ったかの様な嘆きを書き込んでいたのは、今日が健康診断だったからです。

その時系列比較情報はこんな感じでした。

           γ‐GTP      HbA1c(N)
2014-06-20     161        計測無
2014-10-10     193        計測無
2015-01-09     171        7.0
2015-03-20     114        6.9
2015-06-19      94        5.8

心配する大惨事ではなくまあまあ改善の‘実’を示すことが出来ました。


最近はやりのブランパンです。 111キロカロリーと思ったら1個当りが「それ」で、3個入っていた(一袋333Kcal)という誤算に見舞われました。


さてここは何処でしょう。 (一番左の一切れが凄い!)


反省の足りない私は


“たぬき”に行ってしまいました。 水沼先生に誘われてたのですぅ。


ポイントを貯めて刺身の盛り合わせも食べました。

“たぬき”の刺身だけはやっぱり「特別」なものだと思います。


『尻啖え孫市』(しりくらえまごいち)司馬遼太郎


雑賀(さいか)党の棟梁鈴木孫市の話ですが、この中に子孫の岡本伝之助が出てくるのです。
その人はウチの嫁の祖父です。 此処を私に見せる為に付箋を付けて持ってきてくれたのです。 感謝感謝!!

https://kotobank.jp/word/%E5%B2%A1%E6%9C%AC%E4%BC%9D%E4%B9%8B%E5%8A%A9-1062382

(確か本当は岡本傳之助と書いた様な気がします)

(息子;井門竜之助はこの命名法を引き継ぎます)(そういえば彼も子孫ですね)


料理はこれら馴染のモノ以外撮って居ないのもまた面白いでしょう!!

 
実は言いだしっぺの水沼先生が「と」ある事情で欠席で大慌てです。

今日は打合せ(話し合い)するべき要件が有ったのですが・・・どこか別のところで済ませてしまうという荒業に打って出ましたのです。


今日は0.1㎏増!


こんな感じ。


2週間ではこうなります。


明日のリベンジを誓います!

それに、明日は「ドレスデンレポート」を頑張ります!