第49回6788開会

2023-12-31 | 国鉄時代

1975年12月24日に日本の蒸汽機関車最終列車が走りました。 その日の晩(6788が追分に到着したのは21;00頃だから22;00頃を言うのですが)追分で執り行われた第一回6788会、今年は48年後の第49回です、

色々うまくいかない事だらけの中で程々上手く盛り上がった6788会だったのではないかと思います。 何もしないうちに4時間が経過して酔っ払いのイモンでした。

一歩、立ち上がって撮ればよかったかも。

珍しい15人掛け。 石附さん50年ぶり・・・

別宴会へ退席した憲俊さん。

奥井さん掲げるは鈴木達ちゃん撮影の金華〜常紋信号場。

ライン交換中。

仕事帰りの竜之助立ち寄り。 錦糸町からはるばる松尾さんも到着。 丈を撮った写真発見できず。

〔こうみ〕〔夕 張〕茂木さんとメイちゃん。

大人になったな

イモンに対するガードが厳しくなったために変なセルフタイマー記撮は取りにくくなってます。

 


FABキハ35系インレタ①

2023-12-30 | 鉄道模型

キハ35に椅子を接着します。 トイレのある連結面側の長椅子は34mmではなくドア間と同じ39mmを使いました。

ここで気がついてドア閉め表示灯の裏側に塗装なりアルミテープ接着なりをしておけばよかった!

忘れたのです。

ガックリ

筆とハリケーンブロアーで掃除しました。

ヒカラ」にすることにします。

ピカチュピカピカ じゃない

東唐津です。 多くの人には馴染みは無いと思います。 筑肥線です。

伯母が唐津にいました。 中学時代からの思い出です。

気動車にもフィルムを使えるようになった昭和50年台になるとキハ26−400が配属されていました。

ナンバー貼り付け始めました。

真ん中から貼るのが基本だと思います。

ここに並んでいるのは

「0」→「3」→「キハ」→「5」と貼って行っています。

「6」がたまたま余っていたので「キハ30−56」にしました。

関東近郊の私鉄に流れて行ったナンバーのようです。

私としたことがナンバーの位置が少し低いです。 イモンもヤキが回ったか??

「キハ」

「0」→「3」→「キハ」→「5」

さっきより少し良くなりました。 でも塗装の弱い恨みが・・・・

これから「5」と「キハ」と「1」と「40」を取ります。

「3」は別のシートから取ります

ここで「3」をとると崩壊してしまうからです。

ど真ん中に「5」

「5」→「3」→「キハ」→「1」→「40」です。

文字の位置も今度はまあまあ。

「5」から

「1」

できました。

今回のが一番良いかな・・・

ノウにしようと思っていたのですが、ヒカラにすることに決めた途端にやる気が出ました。

唐津が好きなんですね。

ここで唐津線のキューロクが出たら良いのですが・・・

 


今年最後の悪魔宴会

2023-12-29 | 喰いだおれ

今日は歯科医に行ってから会社に行って全くできていなかった作業をしてからパンダにて悪魔宴会です。

宴会の時は車を運転しないのでタクシーが多いです。 イモンとしては「その機会に遊べるものはないか」と並走する電車をとってみました、 見慣れない電車です。

「いけるのだな」と思ったので並走する車も撮ってみました。

フィルムの心配しないで良いのはありがたい時代です。

いつもの通り悪魔宴会に途中乱入。 バックはゆめ牧場8重連。

この大きさ!キンメです。

(マー)料理長。

料理長は中国語で「大逗」です。

私も初めて食べました。 焼きたての窯焼き焼豚。

加藤さんが到着!

バックはセンボロです、

シリンダーの排気は利用しないのか?

既に酔っ払いの顔になっているイモン。

キハ35忘れました。 いかん。

 


FABキハ35系インレタ

2023-12-28 | 鉄道模型

黙々とキハ35系のインレタに励みます。

組立工房を守るのが一つの使命と自分に命じてから28年になります。

鉄道模型を工作できない人のために必要と考えるからです。

イモンの「其処」をわかっていない人が多いのが困ったことです。

しかし、職人さんは常にアドバイス・提案には全く耳を貸してくれません。

ハンダ付け(←鉄道模型工作の中で一番楽で快感が得られる作業です)は好きだが塗装(←一番難しい)にはイマイチを修正してくれません。

目が衰えることをカバーする道具についても全く聞く耳は持たないです。 進呈しているのにです。

故に完成にはイモンの手が掛ります。

猛烈に忙しいイモンは追いつかないので戦意が衰えてきています。

 

メーカーとしてのIMONに関しては完璧に向かって常に邁進していると思います。

(時に問題ある個体が出るのは残念だが仕方がない・・・店に持ち込んでいただければ修正します)

走らせて遊ぶ人は其処はよくわかるのではないかと思います。 イモンは遊べていません・・・悲しいことに。

 

密着バインダーについて

(繰り返しになりますが)

マッハのミッチャクロンが切れた時、ベタつきが強すぎて問題がある(短時間でも埃を捉える)と言われていたものに対してそれを売るのはいかがなものか!自社で製品に使っている「密着バインダー」が自社の手作り製品に対しては最適だと認めているのだからそれを分売しようという意見に従って公表&分売ということになったものです。

特徴としてイモンが知っているのは・・・

① 強力である、多分今年イモンが組み立てた(少々塗装に失敗しているが)EF65514の塗装が剥げないことに驚いた向きがあると思われます。 (ペーパーの時には分からなかった事です)

② 原液そのまま使用する。

③ 溶剤は何が適当なのか不明、だがあえて言えばラッカーシンナー。 溶かしたあと放置するとどうなるかはやったことがないので不明。

④ 下塗りしたあと、直後に吹いても、2〜3日放置されてから吹いても、関係なく問題ない。

⑤ 時間が経過すると粘りが増す、だがそのまま吹いて大丈夫。 どうして大丈夫なのか→分からない。 濃くなってもそのまま吹いて大丈夫なので溶剤を使う方が怖い。(←イモンの考えと経験では)

⑥ ラッカーを上に吹き付けると具合良く馴染むものと考えている。(2剤混合タイプは始末に悪い・・・塗装が薄くて擦れに負けて真鍮色が出た場合、概して剥げたのは塗装だけで下塗りは残る・・・常温黒染剤で誤魔化す手が使えない・・・下塗りと塗装は馴染んでいないのが問題)

⑦ 密着バインダーはブログではわざと少し漏らしていましたが、IMONの企業秘密だと感じていました。

 

キハ35系です。

だが、もう夜が遅いので明日にします。

 


しつこく8620ボックス動輪径問題

2023-12-27 | 鉄道模型

出来るだけ正確に画像から読もうと頑張った結果の報告です。
48633は

ホイールベース2286mmのところが99mm、第3動輪半径33mm、第2動輪半径34mm(両
者の直径の平均値が67mm)2286÷99×67=1547.090909

軸の中心が判然としないときは軸と輪芯部の境界線から中心の位置を判断しています。

第三動輪も、第二動輪も0.5mmずつずれていて99mmと見ました。

58683(普通のスポーク動輪1600mm・・・・ただしタイヤが減っているもの)

これは 林 嶢 (はやしたかし)さんの品川での写真で第二動輪と第三動輪の中心がカメラ正面になっている理想的な角度です。 ただし、ホイールベースの数字は最大になるが、動輪直径は僅かに横に逸れて小さい数字になるかもしれません。


ホイールベース2286mmを100mm、第2動輪67mm
2286÷100×67=1531.62
と計算されます。

48633(ボックスでタイヤは厚め)1547.090909mm

58683(スポークでタイヤは薄め)1531.62mm

1520mm径であるという根拠はタイヤが既存直径が無いと小数機は成り立たないだろうと
いうことだと思います。 それは実物は輪芯に合わせて個別にタイヤを挽く、それも直ぐに焼き嵌める時点で挽くと思うので一段小さな1520mmに合わせなきゃならない事はなさそうだと感じます。

ボックス動輪はタイヤ直径1580とか1560ならありうるが、1520は無さそうだと言える計測結果です。

むしろ同じ1600mmであると判定しても良さそうな測定結果です。

いつも先ず計測をする、また計測方法の発案も鋭い五反田工房の宮代工房長は、常にホイールベースと輪芯直径を測っているとのこと。 しかし安定した計算結果は得られないと言っています。(8620形用ボックス動輪は直径の問題で何十年に亘って論争が続いているからの様です)

ブラスト音が少しずつずれるという報告が気になるところですが・・・
イモンとしての判定は「同じ動輪径」だったと考えます。

しつこい研究ですが、イモンは異常に忙しいです。 過去に例がない忙しさです。 明後日、医者と16:00からの宴会だけで会社に行かない珍しい日があります。

さて。

C58はボックス動輪の形状が随分違っていたので何か写真が無いかな?と調べてみたらこんな写真が出てきました。

豊肥本線にC58が走った時。 〔豊の国号〕が走った1981年大分駅です。

全然違うデザインのボックス動輪・・・と思っていましたが、よく見ると意外に似ています・・・穴の大小具合がさが小さいだけです。 C57やC55同様途中からドームの前端に傾斜がつくようになっていった可能性はあります。

12系を逆向きで牽引中。(PENTAX6✖️7 150mmF2.8)

第二動輪が第三動輪側に寄っていることがよくわかる写真です。

ごく初期に山口線で使われていた機関車はC571もそうですが、動輪のタイヤを磨き出していました。

現役時代ではお召列車牽引機にはそうすることがありましたが、およそ2日間保つだけで直ぐに錆色になってしまうので、その磨き出しは当初の数年間だけで、それ以降は普通に黒塗装していました。