2012鉄道模型大集合 IN OSAKA

2012-09-30 | 鉄道模型
鉄道模型大集合 IN OSAKA(関西合運)に行ってきました。

(先程、台風の咢をぎりぎり躱して帰ってきました)


昨日午後、大崎付近を通過。

客車を整備しようとしたのですが、やってみて出かけるばかりになったところで天気が悪そうなので自宅に置いていくことにしました。

(むしろ正解は模型を一切持たずに行くべきだったかも)


品川駅で買った駅弁。


割合美味しかったです。

でもやはり『シウマイ弁当』『深川めし』の満足度には及びません。


小田原の手前で見えた富士山です。

三島~富士は全く見えませんでした。


名古屋の先で在来線を追い抜きます。


(京都から近鉄奈良線)そして丹波橋から京阪特急です。

京阪特急、3扉電車が来てびっくりしました。 ちょっとがっかりです。

でも前面展望席は良い具合です。


淀の駅が京都寄り、京都競馬場近くに移転して物凄い高架駅になっていました。

お金が掛ったろうなァ・・・・『A列車で行こう』の影響でそういう感じがしてしまいます。


大阪方はまだ未完成な雰囲気ですが、今風の架線柱と複数のダブルクロスが立派です。


枚方市で乗り換え、交野線終点私市(きさいち)に到着。


グリーンビレッジ交野が見えてきました。 17:18です。


体育館1Fのメイン会場、もうすぐ記念写真です。


幹事「ゼネラル・トレイン・クラブ」の高田昌典さんの司会で連絡や来賓、来阪者挨拶などが行われました。


集合写真の態勢です。 中腰はきつい・・・


模型3誌による記念写真が順次和やかに行われました。

 寝室は8人部屋です。


18:00より懇親会です。


カツミ模型店酒井社長のご挨拶。


グリーンビレッジ交野の努力が光る「焼肉、ししゃも等バーベキューコーナー」。

今スタートです。

雨は降っていますが楽しみました。


エリエイ社長、そしてJAM理事長の平井憲太郎さんの中締めご挨拶。

「手締めなし → まだ続けてよい & 帰る人は帰ってよい」の素晴らしい中締め!


でんしゃくらぶ武本さんから「レストアした1978年頃発売!カツミの近鉄ビスタカー」を見せていただきました。

http://denshaclub.blogspot.jp/


初めて室内にインテリアが入り、中央モーターから両側のインサイドギアを駆動するという意欲的なモデルです。

素晴らしいじゃないですか!


そして驚きの構造、通電ドローバーを使って編成で集電する構造になっています。


通電ドローバーをきっちり整備すると素晴らしい走りになったとのことです。

素晴らしいものを見せていただきました!!ありがとうございます。


二次会201号室に人が集まっています。

結局3次会は3時半位まで続いていました。







ST-ONライヴ④終了

2012-09-29 | ノンジャンル
いよいよ終盤です。


6番手いまのまい『小娘ハートブレイク』(伊藤美紀)


当時よく歌っていた曲、もしかすると「更に」最初に歌った曲なのかもしれません。


ST-ON終了直後、ST-ONキャストの中でいまのまいだけが広告代理店の女性と二人でインテリア井門のイベントを手伝い、風船配りをしてくれた事が思い出されます。


10月13日、四谷Live inn Magicにて『懐かしアイドルソングバンドスペシャル-秋の陣-』の告知です。

http://ameblo.jp/maiimano/entry-11365655934.html


7番手は内八重友賀『マイレボリューション』(渡辺美里)


うちゃに何を歌ってもらいたいか?という討議の末決まった曲だったと思います。


88年の春ごろ歌っていたのを覚えています。


内八重友賀の歌声には特徴、個性が有りますが、現在の彼女の持ち歌でそれが生きるモノが有るかと問われれば「まだまだ足りない」と答えざるを得ません。

持ち歌が増えて、うちゃの歌声が多くの人の耳に届くようになる事を祈っています。


高橋剛『ff』(ハウンドドック)

蕎麦の歌(Bad Boy Blues)じゃなかったんですね。


天井に届くかと思いました。


迫力ありますが歌は完璧にきちんと歌います。 なにせ剛ちゃんですから。


会場のテンションはアゲアゲです。


バナギャン大作戦行けなくてごめんなさい。 その時は埼玉県民活動センターで鉄道模型の関東合同運転会、それも懇親パーティーの日です。

http://www.barks.jp/tickets/?id=132684

同日、軽便祭もパーティーじゃないでしょうか・・・・重なるのは困りものです。


さて、ストリートオーディション9番手、最終演技者は「ガールズクラブ」です。

そのガールズクラブは直前、崖っぷちに立たされていました。


9月13日最終打ち合わせの日、練習する「ガールズ」和泉佳保里の左足が・・・

この時点で足は全く動かせません。


駅の階段で転び、怪我をしたのです。 ここまで共に練習してきた知子と奈々の顔が真っ先に浮かんだそうです。
衣装は準備していますが、ソックスで隠すこととは相いれない計画です。

ご覧の“キズパワーパッド”に賭けるしかありません。

http://www.band-aid.jp/

お母さんを応援じゃなくて「大変なのはお母さんだった」のでした。


ガールズクラブ『渚のダンスパーティー』(少女隊)

ガールズクラブ; 田中知子、和泉佳保里、星奈々

ガールズクラブはボーイズクラブをパロったようないい加減な名前ですが、少年隊に対する少女隊の様なものです。

グランドチャンピオンを目指して『ストライプブルー』(少年隊)の練習に励みました。 彼女たちのサブ演目として用意したのが『渚のダンスパーティー』(少女隊)です。

(40過ぎて少年隊は女子には厳しいか)

ポニーテールズは第8回グランドチャンピオン大会で激闘を演じたライバルです。


足は直したのです。 キズパワーパッドの勝利。


スタンドマイクを使ったり手に持ち替えたり配置が換わったり、大変な演目なのです。

実際に飛び跳ね踊りながら歌うのは半端ではない・・・やはり一種のアスリートか。














見事成功。 根性を見せました。


最後に弄られて終了です。 (その名の通りアイドルです)



ストリートオーディション部は終了、オリジナルコーナーに移ります。


遠野舞子(岩本舞子)『Mr.サブマリン』

画面は大きくできます。(此処まで大部分の写真は拡大できます)

20年も過ぎてしまったけれどデビューおめでとう!!日テレ新人賞おめでとう!!


感動しました!!舞子が立派になって。

和泉佳保里もそうなのですが、どんどんシャッターを切っても「使えないカット」はせいぜい7枚中1枚程度です。
隙を見せません!!
どの一枚も使えるカットなのです。

写真をチェックしてみて驚異の目を見張ります。


本人、自分のデビュー曲『Mr.サブマリン』のカラオケを持っていません。

→貞方がヤフオクで中古を買って提供。(笑)
(シングルCDにはカラオケが付いていますので)

振り付けは忘れたのでユーチューブで自分の映像を見て練習。(爆笑)

そこまでは「流石はいわもとさん」だが、眼前で展開される彼女の歌は目にも耳にも素晴らしく天女の舞いを見るようでした。

立派になったなァ・・・・感涙!

























毒舌の賢も気圧されちゃいます。 賢よ、それは岩本舞子だよ!


12歳の時、既に身長も今と変わらず、バスト86センチのナイスバディ―で全身バランスもよく、日本のブルックシールズ!と思ったものです。

本人も身長を止めるために睡眠時間を3時間に削り、目が大きくなるように必ず上目使いで見るなど『女磨き』はこちらが元祖かもと思われる子でした。

10年ほど前、深夜のTVで舞子発見、ビールのキャンギャル集合!でサントリーモルツが遠野舞子、他社は全部モデル、でかい娘ばかり…弱小サントリーの気分でした。(アサヒは藤原紀香だった)

伸ばす気だったら身長も負けていなかったかも・・・祖父は名球会ですから。


ともかく
あれから26年半、デビューして20年、1児の母ですが美しさは失いません。
ヒトとして尊敬に値すると思います。


オリジナルコ-ナー、最後は星奈々の物まねショーです。

http://www.nethills.ne.jp/nana/


『川の流れのように』(美空ひばり)

『舟歌』(八代亜紀)


表情しぐさも大げさにやってくれます。


マイコーりょうを紹介して一旦下がります。

『Mr.サブマリン』の間に衣装を変えた奈々は凄いと思いますが、また変わります。


マイコーりょう、スタート・サムシングのミックスに乗って登場。 サプライズ参加です。


何処から来たのか出身を明かさないマイコ―りょう。


我らには親近感を感じてくれているようです。


http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9E%E3%82%A4%E3%82%B3%E3%83%BC%E3%82%8A%E3%82%87%E3%81%86

http://ameblo.jp/mycoolgood/


軽く衣装が変わって『ビリージーン』


フルコーラスを踊りながら歌い切るマイコー(マイケルの英語発音)

彼の希望は日本にも“インパーソネーター”という概念を定着させることです。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%82%E3%81%AE%E3%81%BE%E3%81%AD%E3%82%BF%E3%83%AC%E3%83%B3%E3%83%88#.E3.82.A4.E3.83.B3.E3.83.91.E3.83.BC.E3.82.BD.E3.83.8D.E3.83.BC.E3.82.BF.E3.83.BC


星奈々『夏の扉』(松田聖子)


歌だけでなくしぐさ、表情など交えます。


奈々のレパートリーは対象70人以上(CXで真似した実績…だったと思う)ですが、松田聖子は挨拶から始まってやはり十八番と言ってよいです。


そしてオーラスは『 - ら・ら・ら』(大黒摩季)


その日の出演者全員が入場してくるのもストリートオーディションのスタイルです。


説明もなく押して押しての演目でしたが大成功で終了です。

(説明用パンフが有ればよかったかも)


今日の出演者全員で。


スタッフや見に来た仲間や家族も入って一枚!

開始から28年
終了から20年4か月
初めてのライヴでしたがまた何かのきっかけで集まれればいいですね。

「鉄」のブログに不似合いな話題、付き合っていただいた方ありがとうございました。

山下修司が、都築雅人が中国蒸機撮影に行き始めていた頃井門義博はこんなことばかりやっていたのです。





ST-ONライヴ③

2012-09-28 | ノンジャンル
ようやく写真の処理が本格化しました。 するとこのライヴ報告が思った以上に「大物」であることにようやく気が付きました。 (主たる原因がD800のデータの大きさであることは予想通りでしたが・・・)


8番手は二度目登場の‘いまのまい’『AGAIN』(工藤静香) 


復活第13回グランドチャンピオンを獲得した時の曲です。

ストリートオーディションはホコテンの通行人(と、通行人転じて見物客)に加えて、カメラ小僧をはじめ常連ファン達が納得のいくストーリーを見せなくてならないので選曲に気を遣わなくてはなかなか勝てません。

このAGAINは勝ちに行くに相応しい力のある曲でした。


9番手 ナナ&マイ『HELP』『1986年のマリリン』2曲続けて歌います。

衣装を見て堀岡賢の毒舌が爆発します。

でも両名プロですから堂々としていて全然動じません。

この衣装は奈々が前に間違えて同じ衣装を二重に買ってしまったモノだそうです。

でも見たところ微妙に違います。 着方も違う?


ナナ&マイが活躍したのは「奈々が中2、舞子が中1」の1986年9月から87年の1月までです。
僅か4~5か月です。

歌った曲は何れも本田美奈子の『HELP』『1986年のマリリン』『キャンセル』の3曲のみ。

復活第3回、第4回グランドチャンピオン大会に連続出場、しかし敗退しました。

強敵「ボーイズクラブ」「バービーズ」が相次いでグランドチャンピオンになって「上がって」仕舞ったので勝負を面白くするために‘余りにも’強すぎる「ナナ&マイ」を解体してしまったのです。

大失敗だったと深く反省しています。


派手ですね。

このライヴ、ナナ&マイ結成26周年でもあるかもしれません。

奈々 14歳+26年=40歳
舞子 12歳+26年=38歳(もうすぐ39歳)

どれほど遠い過去を再現させているか!と言う事です。


『HELP』


この二人が組み合わさると刺激しあい、高まります。 幻ですが史上最高のペアです。

PLもキラウラもウィンクもバランスがイマイチですがこの二人の間のバランスは歌唱力もダイナミズムも完璧でした。 体格同じ&完全異質でかつバランス取れているのが凄かったのです。


『1986年のマリリン』平行に動くところと線対称に動くところが絡み合い複雑な振り付けです。 奈々と舞子ではマイクの持ち手が逆である事を生かしています。

(昔の映像を見てかつての自分達の「振付け」を練習し直したのです)


騒音計を置いて「拍手をどうぞ!~」

奈々は86年当時大手事務所所属でTVCMに多数露出してデビュー間近の気配でした。 舞子はまだ歌ったところを見たこともない状態でした。

その二人の組合せ“ナナ&マイ”でしたが、結成後成長著しかったので第4回大会でのバービーズ側の悲壮感は凄かったのです。
(飛ぶ鳥を落とす勢いのPLをキャンディーズが止めた感じの勝負でした)


懐かしのST-ONは一旦休憩で「オリジナルコーナー」に移ります。


(1)うちやえゆか
此処でもトップバッターは信頼の「うちやえゆか」です。

『しあわせの予感』(世界名作劇場/家なき子レミ・エンディング) 今、神戸では再放送で放映されているそうです。


歌だけでなく、オリジナルコーナーでは本人に仕切らせます。 うちゃの司会ほど面白いものはこの世にそうは無いと言われています。


そして二曲目は 『まかせて☆スプラッシュ☆スター☆』(ふたりはプリキュア Splash Star)

女児のアニメソングです。 (リハーサルの時、南エレナ(11)が本物降臨に感動していました)
 

(2)たかはしごう 『男達のメロディー』を歌います。


http://eplus.jp/sys/T1U90P006001P0050001P002084490P0030001P0007P0010137P0491


期待通りの盛り上がり・・・でもABC-Dヨロシクは出ませんでした(当然か)


『If~愛が降る街~』作曲もたかはしごう本人です。 

http://www.youtube.com/watch?v=Cptk9aVL8yU


休憩の後後半スタート。

後半のアシスタントは伊能貴子です。 このコンビも大いに印象に残っています。

喉のポリープ切除の手術後でガラガラ声の伊能さんが司会をしなくてはならない理由は。


後半トップバッターにいきなり和泉佳保里登場だからです。

恥ずかしそうに出てきました・・・
                      (よーく見ておくように!)


歌うは『C』(中山美穂)


16歳の時よりも声が可愛いと皆が衝撃を受けた42歳、二児の母。


当時アイドル誌グラビアに多数登場、シャワランCMでは画面に名前が出ていました。

その水着写真を不正転用したピンクビラは渋谷の電話ボックスに多数貼られていました。 題して「大学生も居ます(電話番号)」・・・・高1だったのですが。


何処に行ってしまったのか?と思われたいた方!!・・本人はこの通り全然変わっていません。


貴重です。 (また拝むチャンスが有りますように!)


そしてもう一人貴重な姿を拝めます。 南エレナ『アイスのくちづけ』(AKB48)


可愛らしい11歳。


和泉佳保里の御嬢さん(第二子・・・お兄ちゃんが居ます)です。


後半3番手はポニーテールズ『ほらね春が来た』(うしろ髪ひかれ隊)

あの頃と比べて大人になったので振りが柔らかいです。 実に良いです。


この曲はポニーテールズがスーパーグラチャンに出場する頃、うちゃとはるえの二人で歌っていました。


スーパーグラチャン大会には自分たちで編曲したメドレーを用意してきましたが決勝戦で敗れました。


4番手は岩本舞子『風のマドリガル』(南野陽子)


これは岩本舞子が人前で初めて歌った「歌」です。 12歳でした。

ナナ&マイでチャンピオンになり、ST-ON事務局から「翌週のチャンピオンの歌は何としてもソロも歌わせろ!」と要請され、舞子が選んで、練習してきたのがこの『風のマドリガル』でした。

曲に合わせて衣装を選び、歌詞と振り付け(←オリジナルだったとしても)を完璧に覚えてくるのですから実は大変なことなのです。


12歳岩本舞子の『風のマドリガル』は完璧以上でした。

期待値75点に対して100点満点。

期待したよりも50倍位良かったのです。

すぐに大本恭敬先生のもとにボイストレーニングに通わせることになります。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E6%9C%AC%E6%81%AD%E6%95%AC

以後も能力は常に期待値を上回り続けました。

(今回、本人はこの曲に記憶無いのです「私歌ったっけぇ~~まじでぇ?」・・・いちから覚えてもらいました・・・いつもの通り?です)(我々と一緒の時、舞子は中学生に戻ります)


5番手は田中知子『サザン・ウィンド』(中森明菜)


1985年2月、飛び入りコーナーに参加した時歌った曲です。


中森明菜は歌は上手いですが見せるほうに気が回って歌になにも気が入っていません。

田中知子は振り付けが完璧で(そこに余裕が有るから)歌に気が入っています。 だから聞いた感じは別物なのです。

(中村明菜として「明菜」をやるときはわざと少し拙い感じでやるのでしょうか)

振り付けも歌も「本物の十倍レベルの練習量&経験値」だと思います。


ポニーテールズを破ってスーパーグラチャンに輝くのは、かつて姫乃樹リカを破ってグラチャンになっていたこの田中知子だったのです。







ST-ONライヴ②

2012-09-27 | ノンジャンル
相変わらず会議会議で死ぬほど忙しいです。

深夜まで忙しいです。

D800の写真は3回処理しないとブログに載せられません・・・

一気に説明しないと訳が判らないST-ONとライヴの件がちょっとずつしか出せなくて地団駄踏んでいます。 (一回で書きたかった!)

今週末デトレフはS3/6を運転する(ÖBB special trainの機関士をする)のですが、私は関西合運に行ってきます。

ブログ的には暗雲垂れ込めています。 ネタ腐りの危機。



・・・・粛々と出します。


二番手 岩本舞子『WAKUWAKUさせて』を歌います。

中1の頃よく歌っていた、似合っていたから「これ歌ってね」の一曲です。

岩本舞子(遠野舞子)がST-ONに現れたのは1986年5月、中学生になったばかり(12歳)です。

おそらく5月5日復活の日の前日、5月4日におはスタマヌカン(おニャン子クラブのTX版)にくっついて侵入したのではないかと想像しています。
(病原体の侵入経路の話か!?)

当時の「おはスタ」は午前7時東京タワー前のスタジオ屋外で始まりました。

其処には地元の子供たちが映っています。

その中に舞子はじめST-ONの一大勢力になる港中の子供たちがはっきり映っているのです。

これが侵入ルートだったのか!と


ST-ON事務局はST-ONのイベントの中に『舞子の情報コーナー』(渋谷の街情報をお知らせするコーナー)を作って強引にレギュラー化、夏には第1回グランドチャンピオンである田中知子とともに3人で少女隊(田中知子!・岩本舞子・星奈々!)をやらせ、星奈々とのコンビ(ナナ&マイ)でチャンピオンになり・・・・

岩本舞子が遠野舞子としてデビューするのは18歳です。

もっと巧く扱ってあげられていたらというのが大きな悔やみです。 (後でまた取り上げます)

http://ameblo.jp/tohno-maiko/

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%81%A0%E9%87%8E%E8%88%9E%E5%AD%90

http://www.google.co.jp/search?q=%E9%81%A0%E9%87%8E%E8%88%9E%E5%AD%90+%E7%94%BB%E5%83%8F&hl=ja&prmd=imvnso&tbm=isch&tbo=u&source=univ&sa=X&ei=siJjUKrRJ6X2mAWY04DQBw&sqi=2&ved=0CCAQsAQ&biw=1140&bih=488


三番手 いまのまい『アンバランスに抱きしめて』を歌います。

88年ですので本日の出演者の中では一番後の登場です。

http://ameblo.jp/maiimano/entry-11321039573.html

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%81%84%E3%81%BE%E3%81%AE%E3%81%BE%E3%81%84


いまのまいは今でもライブハウス等で懐かしのアイドル曲を歌い繋いでいるので思いもよらぬ曲でもカラオケを持っている・・・そのお蔭で『懐かしのライヴ』が出来たのですから今日の殊勲一番!です。

ST-ONも1988年頃になると出場者が応援する「親衛隊」とも「プロデュースマネージャー」ともつかない人達と一緒に来るパターンが現れてきます。
たしか今野舞(いまのまい)(上から読んでも下から読んでもいまのまい)もそういう一人だったように思います。


ところで彼女が歌っている『アンバランスに抱きしめて』は姫乃樹リカの歌です。

彼女はわざわざそれを選んで歌ったのですが、姫乃樹リカもST-ONの重要な構成員でした。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A7%AB%E4%B9%83%E6%A8%B9%E3%83%AA%E3%82%AB

http://www.google.co.jp/search?q=%E5%A7%AB%E4%B9%83%E6%A8%B9%E3%83%AA%E3%82%AB&hl=ja&prmd=imvnso&tbm=isch&tbo=u&source=univ&sa=X&ei=kTNjUNK8POPzmAWZtoHoDA&sqi=2&ved=0CCsQsAQ&biw=1140&bih=488

姫乃樹リカのST-ON初登場は1986年5月11日復活第二回大会に出場してチャンピオンになっています。

名前『姫乃樹リカ』はモモコクラブのモの字も無い当初から姫乃樹リカでエントリーして居り「西村知美とのダブりを避ける」説は間違いだと思います。 所属するピュアコーポレーション代表中牟田さんからは「目立つ名前を考え姫乃樹にした」と聞いていますので間違いないでしょう。

姫乃樹リカは約1年間(中3時)毎週出演して居り、その間に磨かれて行く姿が完璧に残っています。 当初は出場者として勝負し続け、モモコクラブからの要請で出場者としての道をふさがれてからは『名誉グランドチャンピオン』の名を受けてレギュラー出演しています。

1987年1月代々木公園野外音楽堂での第1回姫乃樹リカファンの集いは我らST-ON事務局がすべて運営したほど一心同体だったのです。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A2%E3%83%A2%E3%82%B3%E3%82%AF%E3%83%A9%E3%83%96

現在は結婚してアメリカ在住とのことで当初から交渉も諦めて居ます。


はじめて現役ではない娘がステージに立ちます。

4番手 田中知子『デザイア』を歌います。

今日の出演者の中で3番目に古くから居る子です。 1985年2月(中2時)飛び入りコーナーへの参加が一回目の登場です。

スターダスト時代のST-ON第9回グランドチャンピオンにも輝きました。

復活第一回グランドチャンピオン大会で姫乃樹リカと激闘を演じ勝った歌がこのデザイアです。

決勝の結果

田中知子  88.8ホーン
姫乃樹リカ 88.1ホーン

と言う際どい勝負でした。


彼女は一時はテレビの物まねショーに出演していました。

http://takepro.net/third/a/03/02/nakamuraakina.htm

http://person.naver.jp/1131663

中森明菜が好きでその歌を集中的に歌っていますが、歌唱力では田中知子の方が100倍上手いと思います。
誰の歌を歌っても聞く人の心を揺さぶります。

日本人に必要なのは彼女の歌かも知れないとも思いますが私には実現する方法が有りません。



もう一つ田中知子の面白いところは、衣装を自分で作ってくることです。

(復活8回目のグランドチャンピオン大会、少女隊の衣装はやっぱり傑作だったと私は思っています)


現在彼女は介護の仕事をしています。


テレビの歌真似ショーと言えばこの人「星奈々」です。

5番手 星奈々『ワンウェイジェネレーション』を歌います。

奈々が復活第5回グランドチャンピオンを勝ち取った曲です。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%98%9F%E5%A5%88%E3%80%85_(%E3%82%82%E3%81%AE%E3%81%BE%E3%81%AD%E3%82%BF%E3%83%AC%E3%83%B3%E3%83%88)

http://bemahalo.com/profile.htm

http://www.google.co.jp/search?q=%E6%98%9F%E5%A5%88%E3%80%85&hl=ja&prmd=imvnso&tbm=isch&tbo=u&source=univ&sa=X&ei=ZUFjUL_RHsH2mAWe4oHgCQ&sqi=2&ved=0CCcQsAQ&biw=1140&bih=488

星奈々が初めてST-ONのステージを踏んだのは1984年9月30日(第三回)です。 もっとも古い子です。 (今日の観客にはもっと古い子が居ますが)

小学校6年生でした。


グランドチャンピオン時と同じバックアップ隊が後ろで踊っています。

和泉佳保里と伊能貴子です。

アシスタントの和泉佳保里は居なくなったと思ったら着替えていたわけです。 伊能貴子は佳保里が連れてきた日の出女子学園一年時の同級生(名前から見て出席番号隣?)


BU隊(バックアップ隊)の衣装のままアシスタントの位置に戻った和泉佳保里。 高橋剛を紹介します。


高橋剛は2番目に古い子です。 初登場は1985年1月、当初からゲスト、司会として来ています。 初代司会アシスタント保坂尚希が多忙になってきたために招請されたのです。

今日は6番手として『そして僕は途方に暮れる』を歌います。

85年1月、初めてステージで歌った歌なのです。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%81%9F%E3%81%8B%E3%81%AF%E3%81%97%E3%81%94%E3%81%86

http://amigo.aleaders.jp/e14143.html


たかはしごうは一回だけ出場者として出た事が有ります。

「一回だけ出てみようよ」という私のお願いでやってみたのです。

結果は“拍手全然なし”でした。 プロが出てみた感じ・・・冗談にしか見えなかったのかなと思います。

実は和泉佳保里も同様の事態に陥っていましたが。 (こちらは上手いんじゃなくて綺麗すぎて出場者らしさが無かった)


7番手ポニーテールズ 『時の川を越えて』を歌います。

ポニーテールズは石田いづみ、太田晴恵、内八重友賀の三人だったのですが、高校卒業を機に石田いづみが引退してから太田晴恵、内八重友賀の二人になっています。

先程のたかはしごうは東中学3年5組ですが、この太田晴恵は金八先生に出ていました。

↓?
http://spysee.jp/%E5%A4%AA%E7%94%B0%E6%99%B4%E6%81%B5/1894293/


性格の明るい太田晴恵が呼びかけて、内八重友賀、石田いづみを集めて結成されたと感じています。

太田晴恵(当時13歳)は岩本舞子の港中同級生で大きなメガネが可愛かった!

太田晴恵が呼ぶ「うちゃ」が内部で浸透し「内八重友賀さん」から「うちゃ」に変わっていったのです。

実に可愛らしいニックネームだと思います。

実力者揃いの今日の出演者の中でも結構目立つ歌唱力を持つのがこの太田晴恵です。

しかし現役プロを差し置いてのソロは「遠慮」になってしまい。 残念です。

ポニーテールズがガールズクラブ(田中知子、和泉佳保里、星奈々)とストリートキッズ(当時中2の少年ダンサー3人組)を撃破する第8回グランドチャンピオン大会は見応えが有りました。

そう、彼女たちは第8回グランドチャンピオンなのです。








ST-ONライヴ①見切り発車

2012-09-25 | ノンジャンル
忙しくて全く進展しないのですが少し見切り発車して紹介し始めます。


モノを入れて行くのは昔の入れ物で行きます。

このフェラーリバックは“365BB”とプリントされたものです。


中にHDカムのテープとHDカムのバッテリー、充電器、ハンディカムの電源装置、D800等を入れて行きました。


メインはHDカムHDW-750です。

3/4CHにライン音声を入れます。

このカメラは正穣白旗や好魯庫、経棚峠やチャブカ、葦河、芭石などでも活躍した歴戦のカメラです。
バッテリーは20年前からアントンバウアーシステムを使っていますが、ダイオニック50二丁で充分と踏んで後でトラブる事になります。

今年の3月寒い元宝山、平庄で完璧に動いたバッテリーが・・・・・


これは出入り自由の主催者側パスです。 服に貼ります。


スタッフの一人はかつてスタッフ全員で揃えたST-ONロゴ入りMA-1を着てきました。

お客様も入り、スクリーンが下りて映像が流れます。

12分48秒に纏めた28~25年前の映像です。

当時のストリートオーディションの姿を見せた後、当時そのままの「ジングル」で始まりました。 (涙が出そう!)


司会の堀岡賢とアシスタントの和泉佳保里、中央は口火を切る内八重友賀

『賢と佳保里』
途中中断時期や雨天中止もあり、結果258回行われたST-ONで最も回数が多かったコンビです。

道玄坂ホコテンでは有得なかった「緊張した堀岡賢」が見られました。


内八重友賀 『哀愁ピュセル』を歌います。

今日は時間が押している(演目が多すぎてMCは各1分に厳命されているのです)ので説明もなくこの歌が始まるのは残念です。


1987年春、当時「高2」の内八重が人の紹介でストリートオーディションにやってきました。

(思い返すとおはスタと交流が深かったST-ON、高橋名人からの繋がりかも)

学生集団ST-ON事務局やスタッフとは少し距離を置き、会社(インテリア井門)寄りのポジションに居ました。 (居させられていました)

真面目に業界に入る事優先という扱いになっていたのです。

(出場者としてはそれは何のプラスもマイナスも無いですが、同年代の仲間と少し距離を置かされていたのです)

高2でまだ事務所に所属して居らず、際どい位置に居るのかなと感じていました。

その、まだ、まるで‘アウェイ’そのものだった「初めの頃」何回もステージで歌っていたのがこの『哀愁ピュセル』です。

歌詞の少し寂しい感じや真面目で清潔な雰囲気がぴったりでした。

あのころの内八重を思い出す。 涙無しには聞けない・・・・


しかし徐々に明らかになっていく内八重友賀の個性・・・

現在“うちやえゆか”として活躍している内八重を知っている人は知っているのですが・・・

個性の話は後に置いておいて・・・

・・・半年、一年と付き合って(決して交際していたわけではないですょ)感じたのは「性格の良さ」は「最初の見た目以上!」と言う事です。

あだち充の漫画に出てくるみたいな女の子が現実に居るんだなという感想を持ちました。

(内八重に何を見るのか、人はいろいろだと思いますが私はそんな感想を持ちました)

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%81%86%E3%81%A1%E3%82%84%E3%81%88%E3%82%86%E3%81%8B

http://blog.excite.co.jp/uchiyae/

ファーストバッターの解説(の第一部)で今日はおしまいです。