歯科衛生士さん

2012-06-30 | 喰いだおれ
記事カテゴリを「喰いだおれ」にしてしまいましたが・・・・

はて、それでいいのか・・・

歯科衛生士さんというのは大変綺麗な女性が多い職業だと聞いています。

歯科衛生士さんと一緒に飲めるチャンスがあるということでたぬきに行ってきました。


文脈と関連なくイカフライです。


こういった面々・・・


半田さん すいませんツマラナイおじさんで、おもしろい話は髭の人から。


海鮮チャーハン


メンチカツです。

おもしろい話もなくてすみません。




釜石線余談

2012-06-29 | 今鉄
釜石線の蒸機列車運転、本当にご苦労様と言うべき山場は日曜日の帰路にあります。

私は実見しませんでしたので奥井さんの写真で『山場』を見て頂こうと思います。

6月3日


はるばる花巻から陸中大橋へ僅か2駅間だけD51をエスコートするためにやってきた「お迎え」DE10重連です。 単9663レ

このDE10、配置は青森車両センター?盛岡車両センター?

どちらにしても大変です。


誰もいない陸中大橋に静かに進入する単9663レ。


陸中大橋停車中(待機中)のDE10重連。


陸中大橋駅はエスペラント語による“ミナージョ”という愛称が付けられています。

ミナージョ;
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%99%B8%E4%B8%AD%E5%A4%A7%E6%A9%8B%E9%A7%85

エスペラント語;
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A8%E3%82%B9%E3%83%9A%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%83%88


3621D(左:運転停車中)と3624D(通過)快速〔はまゆり〕同士の交換


釜石から陸中大橋へ驀進する9624レ。


ミナージョに到着した9624レ。

D51のナンバープレートとヘッドマークはDLの油煙とトンネル内の壁面に付着している煤煙落下による汚れから守るため養生中です。

その様子を横目に見ながらDE10重連の入換作業がはじまります。


前部に連結されます。


連結 組成完了。


ミナージョ発車。


Ωを過ぎて鬼ヶ沢橋梁を行きます。

鉄路もすごいですが、この路線によくぞSLを走らせること!その運転に関わる労力も凄い!

改めてミナージョ周辺の線路状況です。
http://www.mapion.co.jp/m/39.277425_141.7221806_8/v=m3:%E9%99%B8%E4%B8%AD%E5%A4%A7%E6%A9%8B%E9%A7%85/


11時57分 9624レ足ヶ瀬到着。


DL解放。


2両目以降は全員マスク姿です。


石炭前寄せ作業。


12時02分 一足先にDL出発。 (単9664レ)

前方で9624レの発車を狙う鉄の砲列も凄いです!


D51整備・・・養生を撤去する作業が始まります。


DLの油煙も煤煙を上回る汚れ(「汚れの量」以前に汚い)の酷さですが、猛烈なDLの排気の勢いでトンネル天井の長年の汚れが剥がれ落ちて来て「大事」なSL列車を汚すのだと思います。


ナンバープレートカバーを外して、


汚れを丁寧に落とし、拭き取ります。


ヘッドマークカバーも


外して拭き掃除をします。


仕上がりました。

岩手キャンペーンイメージキャラの“そばっち”です。 

http://www.iwatetabi.jp/wanko/illustrations/sobacchi

(昨日今日と書き込み時間は23時59分になっていますが、実際は昨日が27時、今日は26時20分書き込みです)





釜石線_続き

2012-06-28 | 今鉄
宮森駅を発車した列車を追って我々は走ります。 信号に引っ掛かりましたが列車は25‰をゆっくり登ります。


宮森~柏木平


脚立の威力を発揮させてこんな場所から頂きました。


乗務員も余裕の表情です。


小雨という蒸機撮影に絶好の天候のせいか凄まじい人出で道路も「激パ」で追いつけません。

窓を開けて煙を味わいながら追走します。

遠野の盆地に入っても前に出ることはできませんでした。


遠野駅、釜石方すぐの跨線橋の上、地元の皆様と一緒に発車を楽しみます。


交換のDCを待つ間機関車の点検に余念がありません。 上りDCを待つお客様も見えます。


DCがやってきました。


DCとほぼ同時に発車しました。


大勢の‘鉄’‘にわか鉄’の皆様に雄姿を見せつつ


接近!


通過!


次の陸橋に


接近!


通過!


平倉~足ヶ瀬

次に追いついたのは此処でした。


此処でも多くのカメラマンと


見物の皆様の歓迎を受けます。


足ヶ瀬に停車している間に釜石方に回り、


もう一回やります。


C61が復活した時、煙室ハンドルが黒くて素敵でしたが最近このD51同様に磨かれてしまって残念です。

現役蒸機っぽくあるためには煙室扉のハンドル黒く塗りつぶしでなくてはいけません。

(走行区間が長い釜石線はD51も煤けてシンガーフィニッシュ化されて素晴しいです・・・そう!この煙室ハンドルもそうですが「ぼかす」のが重要なのです)

(所詮特別仕立ての運転では仕方がありませんが)

上有住~陸中大橋

日本では珍しい‘オメガ’の字を描く線形を持つ大変な難所です。

http://maps.google.co.jp/maps?hl=ja&pq=%E5%AE%AE%E5%AE%88&cp=0&gs_id=a7&xhr=t&bav=on.2,or.r_gc.r_pw.r_qf.,cf.osb&biw=1192&bih=511&bs=1&wrapid=tljp1340900542612030&q=%E9%99%B8%E4%B8%AD%E5%A4%A7%E6%A9%8B&um=1&ie=UTF-8&hq=&hnear=0x5f8607ced26617a5:0xe6a810e9331abef3,%E5%B2%A9%E6%89%8B%E7%9C%8C+%E9%99%B8%E4%B8%AD%E5%A4%A7%E6%A9%8B%E9%A7%85&gl=jp&sa=X&ei=x4TsT8e2CsnomAXanc3YAg&sqi=2&ved=0CBEQ8gEwAg


陸中大橋駅、先程の列車はΩを下ってここにやってきます。


交換の上りDCがやってきました。


いよいよ発車です。


発車しました。


此処からは釜石まで急な下り坂が続きます。


蒸機ファンに囲まれて眼前を通過。


もう終点まで追いつけませんので陸中大橋駅を見下ろすポイントまで行ってみます。

今日は列車は釜石泊、明日日曜日に逆のコースを一関まで走ります。

私は明日東京で仕事がありますので釜石の街を見てから帰ります。

奥井さんは遠野泊です。

遠野と言えば遠野舞子でしょう。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%81%A0%E9%87%8E%E8%88%9E%E5%AD%90

http://ameblo.jp/tohno-maiko/


被災地釜石へ向かいます。

はまゆりは撤去解体された筈ですが看板は残って居ます。

http://sankei.jp.msn.com/affairs/news/110510/dst11051022570039-n1.htm


なんとなく夕張への道を思い出させます。


「ようこそ鉄と魚とラグビーの街釜石へ」

そう書かれているのは新日鉄釜石製鉄所です。


釜石駅駅には運休中の三陸鉄道のゆるキャラが居ました。


JR釜石駅とほぼ一体の三陸鉄道釜石駅、駅前には新日鉄釜石製鋼所が聳えます。


SL列車のお客様で賑う三鉄グッズ売り場。


三鉄の駅舎の中は鉄道模型ジオラマがあります。

だけど事故って脱線していますよ。 触るなと書いてあるし困りました。 縁起でもない・・・


三鉄への激励を書き込めるようになっています。


運転見合わせ中の切符売り場。


グッズ売り場。 少しお付き合いさせていただきました。


駅前にある復興の鐘。


碑文。


釜石の海沿いはこんな地形になっています。


被災地をみに行きました。




建物は残りましたが・・・








三陸鉄道南リアス線の鉄橋と新日鉄釜石製鋼所。


17:42発1660D盛岡行に乗って帰ります。

釜石駅で東京都区内行の乗車券と新幹線特急券を購入しました。


1660D


前側です。 キハ110系3連です。 隣に12系客車が停まっています。


乗ってビックリほぼ満席です。

SL列車に乗ったお客様で釜石に宿泊して明日も乗車するお客様以外はこのDCに乗って帰らなくてはならないですので満席も当然なのです。


釜石~小佐野 甲子川鉄橋を行く1660D 撮影;奥井伴彦

私は2両目後側のドアに立っています。


列車内から見た奥井さんです。 川と道路の中間にある空き地に立っています。

(全然写っていなくてスミマセン)


岩手上郷~青笹 猫川鉄橋を行く1660D 撮影;奥井伴彦


2両目後側のドアに立っているのが私です。

(満員の列車は超高湿度で現在全てのガラスが曇っています)


撮影中の奥井さんです。

(全然写っていなくてスミマセン)


乗降があっても常にほどほど混んでいる列車内の様子です。


撮影地アーチ橋を行く列車の中から見た「道の駅みやもり」です。


花巻の二つほど手前新花巻で降りて新幹線【やまびこ286号】に乗り換えます。

20:00ですがお弁当は完全に売り切れ、売店も閉じられています。


E2’系車内販売で買った前沢牛のお弁当。


これが見事に美味しくない。

和牛は嫌いですが、これは和牛ではないと思いました。 (国産牛?)

【やまびこ286号】は殆ど各駅に停まり、那須塩原、小山だけ通過という厳しい列車でした。

往路は【はやぶさ】大宮→仙台1時間11分の早さに驚きましたが、帰路は【やまびこ】新花巻→東京約3時間の遅さにびっくりです。

昨年秋の南三陸町(志津川)に続いて企業城下町釜石と釜石線を見る事が出来ました。

釜石は『市』というからもっと広い場所を想像していましたが、夕張のように谷沿いの集落を纏め上げて『市』になっているだけで津波被災地である海沿いの街釜石の狭さに意外な感じがしました。



仙台平野を駆け上がる津波は1000年に一度らしいですが、三陸の沿岸は明治以降だけで4回も津波で多くの死者を出しています。

40年に1回程度の周期で津波による大量の死者を出す土地であることは絶対に忘れないようにしなくてはいけません。

1000年に一度ではなく40年に一度です。

1896年「明治三陸大津波」死者行方不明21,959人
1933年「昭和三陸大津波」死者行方不明 3,064人
1960年「チリ地震津波」 死者行方不明   142人
2011年「東日本大震災」 死者行方不明18,812人

一朝一夕では対策は無理かもしれませんが海抜50m以下の土地には絶対に住んではいけないと決めて守った地域では死者がゼロだった教訓を学び、この地域での自然との付き合い方を誤らない様にしていかなくてはいけません。

いまだに出鱈目な情報・・・「津波はすぐ来るから早く逃げなくてはいけない」・・・が無神経にまかり通っている現状には怒りが止められません。
誤解を招きかねない言葉は厳に慎むべきです。

津波は概して「もう大丈夫」と思った頃にいきなりやってくるのです。

(今回の津波到来時刻予想の精度は素晴しかったと思います)

ですから、本格的に遠くへ長期間(少なくとも半日)逃げる必要があります。
「早く準備」して「遠くへ逃げ」なくてはいけないのです。
重要なのは「戻らずに済む準備をして逃げる」です。

「急いで逃げる事」と教えられた何千人という人が「まだ平気」「もう平気」と思って着衣を取りに自宅に戻って命を落とした記録を軽く考えてはいけないのです。








JAM出展企業説明会

2012-06-27 | 鉄道模型
釜石の途中ですがまた割り込みです。 すみません m(_ _)m


本日JAMコンベンション出展企業に対する説明会が開かれました。

例年にも増して企業サイドの出席率が高く、KATO色が消えアマチュア主導の祭典として3割増しの“東4ホール”へ遷った「日本最大の鉄道イベント」に対する関心がますます高まったと感じられます。

(KATOは出展します。 前々回までJAM運営自体をリードしてきましたが完全にアマチュアに任せる形となりました)


平井憲太郎理事長から2013年(来年)の開催決定についてもアナウンス(場所;同じ、日程8月16金17土18日)されました。


披露されたチラシの見本です。

本印刷はこれからです。

このチラシは「趣味者向け」です。 他にファミリー向けも作られます。


130%に拡大される分あらゆる部分でスケールアップされていますが、私が思う今回の目玉は、

(1)レストアされたばかりの鉄道連隊のコッペル実物が展示される事。

   チラシ写真はレストアを担当した大井川鉄道の倉庫内での写真なので冴えないのが残念ですが、会場ではマニアの気持を100%理解している「撮り鉄」兼「模型鉄」である理事達が来場者が写真を撮って満足できるような展示を見せてくれる筈です。


(2)西尾克三郎写真展の開催。

   トークショーも実に楽しみです。 ゲストはこの人しか居ない!!


大ヒットするかどうか判りませんが「フリーマーケット」も楽しみです。
スワップミートの興奮を期待したいです。





釜石線

2012-06-27 | 今鉄
JR東日本盛岡支社といわてデスティネーションキャンペーン推進協議会が協力して岩手県でD51が走りました。

http://www.jr-morioka.com/pdf/press/pdf_1329095182_1.pdf

〔SLイーハトーブいわて物語号〕;一ノ関~北上(東北本線区間)

〔SL銀河ドリーム号〕;北上~釜石(主に釜石線区間)

と名前が違う様です。

土曜日は一ノ関から釜石まで「行き」

日曜日に釜石から一ノ関まで「帰る」

という遠大な運行です。

「銀河」と付くのは釜石線の前身が岩手軽便鉄道が宮沢賢治の『銀河鉄道の夜』のモデルと言われているからです。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B2%A9%E6%89%8B%E8%BB%BD%E4%BE%BF%E9%89%84%E9%81%93

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%8A%80%E6%B2%B3%E9%89%84%E9%81%93%E3%81%AE%E5%A4%9C


まずは平泉~前沢、平泉から直ぐの所で最初の一枚です。

上手い具合に「しとしと雨」という蒸機撮影にはぴったりの天候です。
(それだけに人出が凄く、激パ激パの連続でした)


一ノ関行き上り電車。 普段は人が居ないところにも既に「鉄」が立っています。


今日の最初の写真です。 煙は上がらなかったけど仕方がないですね。


眼前を通過!


ガレキか、と思ったら自動車のスクラップでした。


二枚目は金ヶ崎~六原です。


無風だったのですが蒸機が来る少し前から風が吹き始めてしまいました。

風が吹いたらもうアウトですね。


お昼は『メフレ市場食堂』を目指します。


『メフレ市場食堂』が見えてきました。 「社員食堂だよ」と言う通りホンモノの「社員食堂」なのですが、「『メフレ市場食堂』⇒」という看板が周囲に立ててあります。


社員食堂です。

でも家族連れが沢山来ていました。 周辺から食べに来る様に看板も出して宣伝しているのです。


安いから2つ食べてしまいます。


中華ざる¥400 小鉢が1つ選べるので「マカロニサラダ」を取ってきました。


中落丼¥480 小鉢は冷奴を選びました。


実は相方も全く同じメニューです。

 食券売場は行列。 ××売り切れの声も響きます。

中華ざるはざるそばの麺汁に中華麺を付けて食べるもので、珍しさだけでした。


途中まで食べた中落丼

マグロが一杯載っていて見事な一品です。 素晴しい。


無料のコーヒーを頂きます。


改めて店内チェックです。 真っ先に売り切れたのは「市場丼」のようです。


ご飯は一回どかっとおかわり出来るようです。 お新香付き。


コーヒー無料コーナーはこれです。


念のため1品選べる小鉢もチェック、右下に納豆が有ったことに気が付きました。


強烈なインパクトがある昼食になりました。


会社の敷地だし、正真正銘の社員食堂です。 東北国分?メフレ?

http://www.mefure.co.jp/

お客様呼ぶのは良いですが、看板メニューは社員が食べる間もなく売り切れで宜しいのでしょうか。


メフレ食堂出発前にナビの地図写真を撮っておきます。


さて、釜石線に向かいます。 宮守を目指します。


宮守駅駅舎です。


入口は鍵が掛かって入れない様になっています。


中の様子です。


こちら側にトイレがあります。


トイレの中のです。 これから使わせて頂きます。


宮守→柏木平の撮影地を検分に行きます。 激パが予想される場所には既に砲列が出来ています。


振り返って見た眺めです。


有名なアーチ橋を撮る足場になる道の駅にも入ってみます。


少しお買い物しました。

そうこうしている間に時間が迫って参りました。 岩根橋~宮守に引き返して宮守到着前を狙います。


こんな感じでした。

白煙中心だった煙が想定より薄くて高圧鉄塔が見えちゃいましたね。


撮影後直ぐ移動して宮守発車を狙います。 見物の親子が一杯来ています。

大勢が撮るアーチ橋は今日の天候では背景に溶け込む可能性が大きいと見て外しました。


発車しました。


良い感じで楽しみました。


さあこれから一番の見せ場、そして難所に掛かります。

でも、勾配のきつい釜石線でもデコイチだから楽々かも知れません。 (画像は拡大できます)