ノーブルジョーカーの運転会

2009-11-27 | 鉄道模型
11月22日は去年に引き続きノーブルジョーカーの運転会にお邪魔してきました。

ポイントマシンについて相談が有るという事からお邪魔してきたのですが「16番車両の虫干しでも如何?」という言葉に甘えて〔大雪〕崩れを持って行き、遊ばせていただきました。

まずは前日、少しだけ整備です。
ちゃんと整備するのがレイアウトにお邪魔する立場としては正しい姿勢なのですが、電気を消しての室内灯点灯夜行運転をやらないので車輪磨きの必要もなく1両の車輪をチェックするだけにとどめました。

完成品の場合はきちんと整備する必要があります。「完成品は未完成品」(井門義博談・・・失礼な話で済みません)と言うくらいで市販の完成品はだいたいレイアウトの走行に耐えないです。
IMON製品は其処のところを大改良しています。


車輪を取り外してチェックしてみます。
チェックは、磨いてみてどのくらい汚れているか見るだけです。
10年以上前に綺麗に黒染した車輪です。
時折走ってきた車両ですから踏面はこんな具合に白く光り始めています。
何処がどのくらい強く線路に当たるか判って面白いです。


オハネフ12
フジモデルベース西島さん組立、インテリア(井門担当)はTOMIX+背ずりと座面に塗装したプラ板貼り付けという井門の定番です。


オハ45 ハザの内装の雰囲気はこんな感じです。
フジモデルベース西島さん組立、屋根はエコーのルーフィングサンド(by井門)です。


スハフ444 この番号は実際にかなりの回数乗車しています。
屋根にはキャンバスの継ぎ目が表現してありますが、一番太い2本だけにしているのが井門所属の16番客車です。
テールライトはもちろん点灯します(当たり前ですね)


IMONの木製車両ケースに収納してある状態です。
IMONの木製ケースの利点は所有者が模型に触らなくても鑑賞出来る事、模型に会える事が利点ですが「重い」という大欠点があります。
ケースも重いが、客車も重い。
だからケースも重く強く作らないと中身を守れないとも言えます。

重い客車・・・軽いパネルライトを開発する原因でもあります。


東浦和、EF64重連がお出迎えですが、乗ってきた電車に被られてしまいました。


ノーブルジョーカーは昭和28年生まれ位の慶應義塾高等学校鉄道研究会OBが中心となってその縁から広がった大人の趣味人の集団です。
塾高鉄研の先輩が多いのですが私は31年生まれで在校は全く重なっていません。


1527レ〔大雪〕崩れを走らせて貰っています。
エンドウパネルのまま白色LEDに交換した室内灯が光って見えています。
札幌22:15発網走行き急行〔大雪5号〕517レは、北見でハザ1~2両を落として普通列車1527レとなって網走へ走ります。(通勤通学にも使えるようにかなと思います)

1527レはC58単機牽引でした。
10~11両編成を単機ですからホンモノはずいぶん頑張りますね。模型のC58は軽くてブラス10両は大変です。モデラー泣かせの列車だと言えます。

C58は自宅地下倉庫から適当に3両ひっつかんで持って来ました。走行チェックの間がなかったのです。


西端さんの20系、素晴らしいケースに入っています。
運転会に車両を大量に持ち込むためには軽量な持ち運びケースが必要です。
この自作ケースはプラスチックコンテナにぴったり収まるサイズでもあり、恐ろしく巧く考えられたものでした。

このようなケースも開発したいです。


DD51カンタム+DF50(TOMIX+永末サウンド)思った以上に良い感じです。
(カンタムは自宅では家族の反発がありますからあまり走らせてはいけません) 


OJのC57です。走らせる一方でオハフ61をペーパーで作っていました。
HOナローも見えますね。


クマタのOJのTR-11はHO1067と同じ構造でびっくりしました。


13ミリ組立レイアウトです。 この佇まいは日本の鉄道ですね!


D51の貨物列車が周回を重ねています。
側線と本線は色合いを変えてあります。
素晴らしい!

それにしても
#70の線路は1/87でもやや細いですが、1/80ではかなり細すぎる印象です。
37kgレールを使った線路を表現したい向きには良いかもしれませんがHO周辺の縮尺はまだまだ「小さい」サイズなので電気抵抗と強度の両面から言って50kgレール方向に作られて居るべきです。
(メインラインが太いレールを使うべきもう一つ決定的な理由は、ナローの線路をより細く見せる必要が生じる場合があるからです)


13mm組立レイアウトの駅の反対部分は単線で少し勾配を付け、単純な直線ではありません。

「見る曲線」(=私の理想)ではないのですが素晴らしい!!!


去年HO1067のエンドレスがあったので、C11を持ってきました。
貨車を10両ばかり持って来たのですが、10個混入させてあるIMONカプラー試作品は一つも入っていませんでした。
・・・残念・無念・・・
西端さんの貨車も併せて超低速走行のデモンストレーションをしました。
IMON蒸機完成品は「人間国宝的職人」が下回りを調整していますので注油しなくても驚きの走行性能を発揮します。


これは16番吉岡心平さんのセム編成です。
同行した三田会の同期生の話ではご本人は他所で講演中とのこと、模型だけが参加です。
これらのセムは昔TMSの表紙に使われたセムかも知れません1970年代終わり頃・・・実は私のキュウロクもその時ご一緒させていただいたのでした。


1両1両色々な汚れ具合でこういう風に仕上げてあります。


そして最高なのがこの鞄
素晴らしいウェザリングが効いた鞄からカワイモデルの箱が見えます。
そう、カワイのセム8000なのです。


石井さんがこのカメラで写真を撮っていました。
3000mm相当だそうです。


井門の持ち込んだC58が集まっています。


機関区はやはり夢ですね。


C58418 [北]


C58139 [北]


C5882 [北]
どれもトビーまたは「トビー→天賞堂」ベースです。
C58のような中型機となると16番は少し破綻を来し気味になりますね。

いずれHO1067でC58も実現しなくてはいけません。
その時は1527レが牽けるようにタングステンでウェイトを作る位の事をやりたいと思います。


撤収が始まりました。


16番レイアウト


13mmもこんなに巧く重ねられて畳めてしまいます。

そして、
このレイアウトを収納する坂本さんのお宅で凄いモノを見る事になるのです。





ノーブルジョーカーの運転会の後で

2009-11-26 | 鉄道模型
衝撃的なモノを見てしまいました。

大人のおもちゃ箱!

50代ともなれば誰のおもちゃ箱も相当凄くなってきているはずですが、超特別の凄いモノを覗いてしまいました。

運転会場から近い阪本昇次さんのお宅?にレイアウトを収納します。
移動距離が小さい方がレイアウトにとって負荷が少ないとのことです。

ノーブルジョーカーは以前JAMにも出展し、石井さんがレイアウト製作の実演もしていた事が思い出されますが、あの時のレイアウト移動距離の長さも結構神経にこたえたとの事です。

それにしても収納の終わったこの現場!
ホンダS800を1台移動させないと収納できないのですが、これは収納を終わり、車を戻してカバーを掛けている所です。
S800が何台も見えます。
さらに接近すると部品取り用の分解された下回りも有ります。


このおもちゃ箱も凄いのですが、おもちゃ箱は此処だけではなかったのです。


先ほどのガレージに近い坂本さんのお宅にお邪魔します。

扉が開いた瞬間から普通のお住いでは無さそうです。


スリッパで上がるようになっています。


中ではホームレイアウトが着々と建設されていました。

ガレージの傍とホームレイアウトの傍、どちらがお住いなのか?お住いは更に別なのかもよく判りませんでした。


このレイアウトはノーブルジョーカーのHPで進捗が着々と報告されつつある
「大人の休日レイアウト」
なのです。

ノーブルジョーカーHP;

http://www.noble-joker.com/

立体図面に有るように壁をくりぬいて線路が引かれていました。

阪本昇次さんのOn3レイアウトについてはご本人の制作記の邪魔をしないように此処ではお見せしません。

工作机周辺の写真を撮りました。

素敵です。


この大きな機械は版画用プレス機です。


版画原板です。


工作室入り口側を振り返った所です。ドリルの歯、CD。


こんな感じです。


入口側手前の本棚を望む
奥にTMS、手前に松本零士・・・


入口側突き当たりの書棚の様子です。


線路の黒染に使って居る雨樋です。
そんなに巧い具合に黒染(茶染)が出来る様なら私も取り入れたいです。

黒染液は米マイクロエンジニアリング製のもののようです。
ホワイトメタルも染められる茶染め液という触れ込みだったように思い出されます。

こういった薬品の輸入や取り扱いが難しさを増していますがモデラーの役に立つモノだったら入手できるようにするのがIMONというものでしょう。
調べてみたいと思います。

多くのモデラー達も人様にお見せできる(坂本さんの場合、こちらが乱入してしまったのかもしれませんが)こんな素敵な工作室は持てないでしょう。
普通なら専用の工作机が有れば立派な方だと思います。
素晴らしすぎます!

坂本さん、ノーブルジョーカーの皆様、本当にありがとうございました。





44が復活運転

2009-11-25 | 海外蒸機
バイエルン鉄道博物館(BEM)のデトレフ・メゴウ氏は、初めて知り合った時からBR44(形式44)を担当していました。

今年になってからの連絡でいよいよ44に動きがありそうな様子だったのですが、遂に夏、復活を果たし、今日、列車を牽引して走行している写真が送られてきました。




貨物列車を牽いて走る44-546


44 2546-8 とプレートが付いています。
44は形式
2000番台は東独国鉄の分類では原形・石炭炊きを表わし、546が番号です。
-8はチェックデジットです。

44型は統一ドイツ国鉄が1926年から2気筒(43型)と3気筒(44型)を両方10両づつ製造して実地比較した結果1936年から量産され、最終的に1978両という両数に至った機関車です。

44はドイツのD51ではありません。
日本のD51に相当するBR50及び52(1625PS=C62相当)は9336両も生産されました。

かといって日本のD52(285両)に相当するのは同じ1943年から製造が始まった大きな2気筒戦時型機関車BR42(1800PS)で838両も作られたました。

(日本とドイツの国力の差を思い知らされる数字ですね)

44は製造初年は1926年(C53は1928年)ですが量産開始はD51がデビューした1936年という日本には無いタイプの「蒸機を代表する優秀な大型貨物機」です。

機関車重量100t 軸配置1E 動輪径1400mm 3気筒 1910PS


2009年8月9日ネルトリンゲン;バイエルン鉄道博物館にて


この機関車が保存蒸機の列に加わると言う事は、行けば3気筒のブラストが聞ける事を意味します。
ドイツの3気筒は日本のC53と違い、グレズリー式ではなく、ワルシャート式バルブギアを3組持っていますのでC53の問題点とされたバルブギアの調整の難しさを抱えるモノではありません。

この何処から持って来たのか判らないが、羨ましい長さの貨物列車を見るまでもなく、彼の地の保存運転は日本の保存蒸機と違ってハードな運転をしますのでかなりの期待が持てると思います。

ドイツ鉄道175周年記念のイベントが来年4月から目白押しのようです。

BEMも創立40周年を迎える様ですので私も久々の訪独が実現すると期待致しております。




11月23日は

2009-11-24 | ノンジャンル
家の雑事をやりました。

自宅のパソコンでブログの書き込みが出来る様に会社のパソコンで写真を登録しておいたのですが、やるべき家の雑事が多すぎて思いを果たせず「時間」が来てしまいました。

時間・・・

13:30

切符が無ければ大人しく自宅で模型に触り、ブログを書き、三田祭でも行くのがこの時間の過ごし方ですが、電話を入れたところ「切符有り」です。
急いで秩父宮ラグビー場へ早慶戦を見に行きました。

今世紀になって以来早稲田に勝てなかった慶應義塾ですが今年は互角と伝えられています。
春の試合は27-27で引き分けています。

売り切れ寸前、際どく切符を手に入れて入場しました。

席は自由席ですが、空席を見つけたのはこの程度の席です。
早稲田二本目のPG(成功)です。

0-3とリードされて始まった世紀の肉弾戦、前半は13-13で終了。
新聞にも記述がありましたが、骨と骨が激突する音がスタンドに届く激しい試合でした。
早稲田に勝つ為なら死んでも構わないと思っている慶應関係者が多いだろうと想像されます。 命と引き換えでも勝ちたいと思う程の慶應側の執念、気迫に対して早稲田側も一歩も引かずそれに対抗する気持ちの強さが何処から来ているのかと不思議な気がします。


後半、慶應20-13と再びリードするも結局後半も7-7、トータル20-20の引き分けに終わりました。
終了間際の慶應のペナルティーキックがタッチを割らなかったのは疲れかなと思いました。
ノーサイドの笛が鳴ったとき慶應の選手何人かがグラウンドにへたり込みました。
早稲田の選手はほっとした感じです。 慶應にしてみれば憎き早稲田を倒す千載一遇のチャンスが去った瞬間だったからです。

おそらく早慶は大学選手権決勝で再戦することになると思います。
決着はそこでつくかもしれません。

しかし「対抗戦」で早稲田を倒すかどうかはそれとは別の問題です。

残る対抗戦。
早稲田は明治を一蹴すると思います。
慶應は帝京(昨年優勝)戦を残していますが、負けないだろうと思います。 両校無敗一引き分けで終わった場合早慶戦でのトライ数が多い慶應の優勝が決まります。
 
勝ちに等しい引き分けだったのですが、優勝などたいした意味はありません。
早稲田を倒せなかった事が悔しかった!
優勝が他校であっても早稲田は倒したかった。
呆然として倒れこむほど悔しいことです。

私は原宿店に立ち寄ってから一旦自宅に帰り、録画しておいたビデオを確認しました。
20-13からの山中(早稲田)のトライが、実見した感じでも場内VTRでもグラウンディング出来て居らず、インゴールノッコンに見えたから確認したかったのです。



なるほどちゃんとグラウンディングしています。
納得するしかないでしょう。

気分を切り替えて慶大鉄研の三田祭打ち上げに参加してきました。
つるの屋という私達が現役時代に開拓したお店です。


若手OB達が先に来て居ます。
手前の空席は全て鉄研現役生の為の席です。
現役はレイアウトの片付け等それぞれの仕事を終えてから順次合流してきます。


OBだけの0回目の乾杯に続き、1回目の乾杯です。


2回目の乾杯です。


3回目の乾杯です。


恐るべき貴重な資料(ホンモノのメニューです)が酔い席に登場しました。


同じく・・・


昭和57年卒田中秀樹さんが三田祭終了後のつるの屋の打ち上げを30年以上守り続け、若手OBと現役の絆を強固に保ち続けてきました。
田中さんは私が4年時の1年ですから現役時代そう長い付き合いではないはずですが当時から慶大鉄研には若手OBと現役の親交があったことが思い出されます。


沢山の事件が有った11/23はこうしてHAPPYに終わる事が出来ました。
田中さん、若手OBと現役KRCの面々に感謝です。




三都物語 上

2009-11-22 | 鉄道模型ではない仕事
11月19日、20日の両日、関西地区井門ビル3棟の定例オーナー報告会に行ってきました。3棟の所有は(株)井門エンタープライズであり、社長は私なのですがいつもはIMONグループの不動産管理を担当しているハウジングいもんの社長と担当者だけが出席していました。
(モデルスIMONは(株)井門コーポレーションで、私は社長ではありません)
報告を取り仕切るのは3棟のPM(プロパティーマネージメント)会社である(株)ザイマックスアクシスです。
PM会社はテナント探しや周辺競合ビルの調査と対策(募集賃料の設定を提案)を行い、家賃徴収を代行します。

BM(ビルマネージメント)会社、工事会社など十数名での報告会となります。


井門四条ビル
このビルもPMをザイマックスにお願いしていますが規模が小さいので報告会はありません。
ハウジングいもんの社員2名とここで集合、一通りビルの中を見ました。


井門四条ビルエントランス
四条烏丸と四条河原町の中間、四条通の北側です。
一階はドトール、地下はイタメシ屋ですが、食事は別のところへ行くようになりました・・・


三条のとんかつ・かつくら本店
この狭い間口を入るとかつくら本店です。


桃園豚ロースかつ160gセット
蒋介石が毛沢東に敗れて台湾に逃れる時、持って逃げたモノの一つが桃園豚だそうです。なるほど驚くべき柔らかさでした。


井門明治安田生命ビル(この写真は2008年撮影です。今回は撮り忘れました・・・)
烏丸通りと御池通りの南西角にあり、地下鉄烏丸線と東西線の乗換駅烏丸御池から直接ビルB1飲食街に入れます。
明治安田生命との共有ビルで井門エンタープライズの持ち分は60%です。


これは現在の地下鉄からの案内看板です。


報告会の始まりです。
この半年で971.2坪という大きな面積を賃貸できたために入居率93.55%(解約予告ベース)まで入居率が上向きました。
この好成績ゆえに私は呼ばれてここへ来たらしいと今になって推理しています。
世の中そういうモノであります。


私はすぐトイレの写真を撮ります。綺麗にしていますね。
女子トイレも撮りたかったのですが平日の昼間なのでやめておきます。


基準階のエレベーターホールです。


一階のエントランスからエレベーターに向かう所です。
設備の更新なども数年前に一通り終了して居り、今日は殆ど見ることなく報告会も終わりました。

井門明治安田生命ビルの「頭痛の種」はB1の飲食街の不振です。
現在の空室率6.45%ももっぱらB1が足を引っ張っています。


烏丸御池から京阪三条へ、さらに京阪特急で淀屋橋へ出ました。
淀屋橋から本町へ乗ろうとする地下鉄御堂筋線です。
今日はホテルは本町です。


本町の地下鉄通路に良い感じの注意書き発見!
なんとも暖かい感じです。
明日は大阪と神戸の報告会です。