第38回6788会

2012-12-31 | 国鉄時代
国鉄現役最後の蒸機列車、夕張線6788列車を偲ぶ年末恒例の6788会が開かれました。


今回三回目の参加となる廣田尚敬さんによる乾杯の発声です。


すみません!鉄道ジャーナル誌別冊『蒸気機関車の最後』誌上の12月24日9799列車(返しが6788列車となる日本最後の現役下り蒸機列車;牽引D51241)写真(現役時代廣田さんと並んで撮影することが出来た唯一の機会)脇にサインを頂いてしまいました。

バックに見えるのは高野陽一さん撮影最後の6788列車夕張発車の写真です。


その高野さんの写真に皆で寄せ書きです。


集合写真はPANDA山崎支配人です。


集合写真。



一本締め!  山下修司!






01逢いたや2012‘秋’Part2・3

2012-12-30 | 海外蒸機
01逢いたや2012‘秋’Part2  text&photo;水沼信之


ダルムシュタットに置かれている[01 1056]01-10型(-10は1000番台を表わします)3気筒140km/h

 オーストリアの学会が終了して、再びドイツに戻った。
 ドイツの秋は蒸機の記念運転が多数企画されていた。 10月3日は休日で01型機関車の西ドイツ改良型の3気筒エンジン1066号機や03型の運転が企画されていた。 旅客型機関車がまだ生きているのはうれしいことだ。 しかしどちらも直前になってキャンセルになってしまった。 ボランティアで運用されているので、機関車が不調だったり、乗客の集まりが悪かったりするとキャンセルしてしまうこともよくあるらしい。 事実、昨年つかの間見たネルトリンゲンの01 066はボイラーの修理が必要で今年は動いていない。 一日どう過ごそうか悩んでいたところダルムシュタットの博物館から機関車に乗せてあげるからおいでよとのメイルが来た。 フランクフルトから北へ向かいダルムシュタットを目指した。 列車は中央駅でなく東駅から発車する。さんざん迷い博物館へ着いた。






Mr.Marco Schumann

 秋の青空に小型の機関車が止まっている。 続く列車も2軸車客車が中心でかわいらしい。 運転室からディエテル ワフル(Dieter Wahl)さんが手を振っている。 機関車に昇ると、運転士のヴォルカージェンドリー(Volker Jenderny)さんと火夫のマルコ シューマン(Marco Schumann)さんが笑顔で迎えてくれた。
 ディエテルさんはジーメンスで永年働いていた。 定年後、自分の祖父の職業の蒸気機関車の運転手になって見たいと思ったそうだ。 今は機関士の免許を取得すべく見習い中なのだ。日本にはない機関士テツがここにもいた。 撮りテツ、乗りテツ、いろいろあれ、蒸気機関車運転テツは日本にはいない。 しかし、好きならば遂には自分の手で運転したくなるだろう。 究極の鉄道趣味を見た気がした。
 時間が近づくと家族連れが次々にやってきた。 一家で小旅行というところだろう。 列車は汽笛一声、バック運転で出発した。 心地よいブラスト音と共に森の中をどんどん進んだ。 15分程で深い森の中の終着駅についた。 かつては森を抜けて鉄道は続いていたという。 家族連れが楽しそうに機関車と写真を撮っている。








Mr.Dieter Wahl & Mr.Volker Jenderny






 この1841号機は地方の鉄道でよく使われていたタイプらしい。 ドイツの制式機関車ではないものの使いやすく、壊れにくく、燃費も良いそうだ。
 日本でも結局C11あたりが保存鉄道で使われていると同じ理由だろう。 帰りの列車は再び乗客を乗せドイツの秋の森を快走した。








01逢いたや2012‘秋’Part3  text&photo;水沼信之




 フランクフルトのホテルで秘書からのメールを開けた。

 「レンタカーにご要望のポルシェを予約しました。 パナメーラはご用意できます。 ポルシェ911はミュンヘンから前夜遅く1台が帰ってきますが確約できません。 どちらも同じ値段ですが当日、空港のレンタカー窓口で確認してください。」

 待望のポルシェ!円高のおかげで充分見合う値段だ。 翌朝は提携会社のハイヤーのベンツを空港のレンタカー屋さんへ向かわせた。 待っていたのはなんとブラックの911カレラ4GTSのオープンカーだった。
 会議の前日にフランクフルト歴史鉄道で01 118が久しぶりに走るとホームページに載っていた。 この機関車は長い間マイニンゲンの機関車工場で修理中だった。 2日間の会議を終わらせると、いよいよ01の追っかけの日がやってきた。
 残念ながら曇り空だがポルシェをなじませながらフランクフルトの東駅へ朝向かうと駅に一条の煙が上がっている。




 フランクフルト歴史鉄道の01型、原型機の01 118号機だ。 本秋にマイニンゲンの機関車工場で修理を終えたばかりのピカピカの機関車だ。
 末期まで活躍したこの機関車はしばしば日本の雑誌で紹介されている。 私が01を知るきっかけとなった鉄道ファン誌の名文、斎藤晃さんの「01逢いたや」に015は登場した。 その後増田さん、井門さんが東ドイツをまわり01の本を出版した。
 その「Der Latzen 01 lokpmptive in DDR」にはこの機関車がしばしば登場している。 国鉄時代編集長、山下修司さん鈴木達也さん達が1980年に東ドイツを訪問した時も、ザールフェルトで出会った機関車の一つで、キネマ旬報の蒸気機関車の最終巻ひとつ前号の記事にも登場した。
 その機関車が今も動態保存機として活躍している。 ゆっくり眺めると長いデフレクター、大きな赤い動輪、リベットの打たれたキャブ周り、均整がとれて美しい急行用蒸気機関車だ。 ただ残念なことに後ろに続く客車は2軸車も含めた比較的短い編成だ。 9時35分、列車は軽々と発車していった。





 私は急ぎ足で駐車場に戻り、ポルシェに飛び乗るとエンジンをかけた。 さすが01で列車は100km/hを超えて走っていた。 しかし最新型の911は軽く時速200kmを超えてアウトバーンをかっとんでいく。 かなりの強風とスリッピーな路面をものともせず、先回りができた。







 途中で列車はフォトランをしながらマンハイムへ向かう。 ここで最後尾に付け替え、逆位になり終着駅ノイシュタットまで向かった。 ここにも鉄道博物館がある。 18型の機関車が保存されている。 乗客たちはワインを楽しみながら、鉄道博物館を見学している。 帰りも01を追ってダルムシュタット中央駅で発車を見送った。


スポーク本数は直径10cmにつき1本と言われます。

C51、C53が17本 C51後半、C54、C55が18本、01は21本です。 ドイツでは共振の可能性を嫌って絶対に偶数は採用しないと聞きました。(井門)









 最終日はまるで日本の撮り鉄の様に車で「追っかけ」をしたが、なかなか孤独な作業だった。 ドイツの蒸気機関車保存がボランティア活動を中心になりたっているのを考えると、やはり乗車券を買って、乗り鉄の旅を楽しみ、お土産を買い込むほうが保村団体の収入になり、01存続のお手伝いになると思える。 なによりその方が地元ドイツのテツ仲間が増える。









 今回のツアーで私の01中毒は治った?今回は天候に恵まれなかった。 しかし、じっくり01を眺める時間があり、本当に美しい機関車であることを再認識した。 中毒は更に悪化してしまい、ますます01を夢見る。 来年もその先も私の‘01逢いたや’は続くのだ。
 私がドイツ型蒸気機関車ファンのなったきっかけとなった鉄道ファン誌の名著「01逢いたや」の著者、斎藤晃さんが健在であることを伺った。 一度御挨拶をしたいが僥倖に恵まれない。
 末筆ながら、この機会に素晴らしい記事を書いてくださったことに感謝したい。






01逢いたや2012‘秋’

2012-12-30 | 海外蒸機
01逢いたや2012‘秋’  text&photo;水沼信之

 また秋の学会シーズンになった。
 バイエルン鉄道博物館の機関士デトレフ氏から連絡があり、週末にS3/6が走るという。 列車はオーストリア、リンツ地方の鉄道博物館に行くらしい。
 今年はオーストリア鉄道開通175周年で、去年お邪魔したアイゼンバーンロマンティックのツアーも8月にオーストリアで行われていた。
 10月2日夕方ミュンヘンの空港へ降り立った。 空港駅で訪ねると2回乗り換えで列車はネルトリンゲンに11時近くに着くらしい。 世界的に有名なオクトーバーフェストで酔っぱらった陽気なドイツ人に囲まれて各駅列車でネルトリンゲンへ向かった。



 翌朝午前05:30、まだ暗い道をネルトリンゲン駅へ行く。 一条の煙が見えた! 黎明の駅に18型機関車(S3/6 3673号機)が白い蒸気につつまれて停車している。 スポットライトに映る緑色の‘バイエルンの女王’車体は美しい。 キャブを覗くとデトレフ氏が
居る。


S3/6‘3673’&Mr. Detlev Megow

今日はデトレフ氏が機関士!往路の運転担当だそうだ。


!素晴しい煤け具合!




機関士は忙しいのでメンバーのフリードリッヒ ウィルヘルム ウルフェルトさん(Mr.Friedrich-Wilhelm Wulfert)
が案内してくれることになった。
 打ち合わせをしていたクルーが散り、列車は夜明け前に出発をした。


持ち場に就くバイエルン鉄道博物館(BEM)のメンバー

 アウグスブルグに着くと、前から煙が上がり黒い機関車が近づいてきた。 プロイセン王国の38型だ。 統一ドイツ前に作られた元は敵国同士の重連らしい。 手すり等が赤く塗られており美しい。






アウグスブルグでの重連組成


 列車はミュンヘンで多数の乗客を乗せ、オーストリアへ向かった。 あいにくの曇り空だが列車は美しいヨーロッパの田園風景を駈けていった。










ドイツのテツ達

 昼過ぎに列車はアムプルワング機関車館(Ampflwang Lokpark)についた。 アルプスの麓でザルツブルクに近い。
 オレンジ色の電気機関車が見え、ターンテーブルに東独型01が乗り回転していた。
 扇形庫は建てられたばかりだそうだ。 火の入った蒸気機関車が何台もいた。 煙で周りがかすんでいた。 オーストリアの緑色の古典機、 プロシアの38型機関車、そして01 1533が次々にターンテーブルに乗り、一回転して、元の線へ帰って行く。




7728






この01は東ドイツの末期にザールフェルトに居た東独型の機関車で井門さんや『国鉄時代』の山下修司さん達が1980年頃に捉えた東ドイツ最後の蒸気機関車の一つだ。 昨年アイゼンバーンロマンティックで会った機関車でもある。 独特の流線型が美しい。


この機関車もここ、アムプルワングに所属している。

 緑色に塗られた古典機7号、41型機関車、オーストリア独特のギーゼルエゼター付き観音扉風、煙室扉の7728等勢揃いだった。



 もっと、ゆっくり見たいところだが、列車はネルトリンゲンまで帰らなくてはならない。 乗客達の前にバイエルンの女王が現れ、帰路の列車は午後3時30分に出発した。 ザルツブルグの近くの駅で列車を降りる。
 デトレフ氏やお世話になったファン達が列車から手を振っている。
 ホームから「今度は井門さんや仲間とくるよ。」と伝えると
「44型直しとくからな。俺の運転見せてあげる!」
との大声の返事が帰ってきた。 S3/6の牽く列車は汽笛一声、アルプスの夕闇へ消えて行った。








01逢いたや2012

2012-12-29 | 海外蒸機
01逢いたや2012  text&photo;水沼信之

1980年3月、東ドイツザールフェルト近郊、
 冷たい霧雨の中から長いデフレクター、真っ赤な動輪のパシフィック、01型蒸気機関車がいきなり現れた。隣にいた地元のファンが呆然とつぶやいた。
「ドレスデンの動態保存機だ、01型原型機の01 2204だ!なぜ、ここにいるのだ?」
 当時はオイルショックと呼ばれた世界的石油不足で、共産国だった東ドイツでは石油節約のため蒸気機関車を次々と復活させていた。このニュースを聞いて私は観光旅行のヨーロッパ巡りの2日間だけを東ドイツに割り当て、幸運なことに世界で最も有名な蒸気機関車01原型機に出会えたのだ。 01原型機は本当にバランスがとれた美しい機関車だった。 01 2204は特に丁寧に磨かれた状態で、後年見た中国やアメリカのSLより遥かに美しかった。「いつかまた01に逢いたや」という気持ちは年が経つほど強くなり、立派な01中毒になっていた。(RailMagazine2012-4掲載01逢いたや2011より)

 2011年秋には‘アイゼンバーンロマンティック’というSLツアーに参加した。ドイツ南部の国営放送『SWR』の定期放送‘Eisenbahn Romantik’(アイゼンバーンロマンティック)が放映20周年を記念して計画した大周遊旅行だった。ここでぴかぴかの01原型機、バイエルン鉄道博物館所属のの01066号機に出会った。しかし、わずか数分の出発シーンを撮っただけだった。 却って中毒は悪化した。
 それから9ヶ月が過ぎ、Eisenbahn Romantikは2011年末に放映された。 なんと名誉なことか、私は2回出演していた。 律儀なことにキャスターのオルトロフさんはDVDを送ってくれた。 御礼に記事を書いたRailMagazineを送ると今度はSWRのホームページにRailMagazine2012-4の表紙をでかでかと載せてくれた。

アイゼンバーンロマンティックのサイト;
http://www.swr.de/eisenbahn-romantik

 ネルトリンゲン訪問

 2012年春再び、ドイツで医学会議が開催されることになった。
 幸い一日だけ余裕がある。
 東十条の会でおなじみ井門さんがデトレフ氏にメイルを入れてくれた。
 幸運なことに出発の前日デトレフ氏よりメイルが帰ってきた。 今度の日曜日は博物館開放日で、もしかしたら博物館にいるとのことだった。 メイルには携帯の番号も書かれてあった。
 飛行機は早朝にフランクフルト国際航空に着いた。 時間があるのでフランクフルト中央駅へ行き、切符売り場で尋ねると2回乗り換えで列車でネルトリンゲンに行き着けるらしい。
 そのまま一番早い急行列車(IC)に乗った。 食堂車の中でデトレフ氏に電話をすると運良く彼が電話にでた。
「今どこだい?シュツットガルト?なら次はウルムだよ、駅をおりたら改札で待っているから。」
 待ち合わせの場所へ行くと長身でメルクリンのTシャツを着た男性が手を振っていた。 彼がデトレフ・メゴウ氏、このウルムに住んでいて、ダイムラーベンツ社に勤務しているそうだ。
 愛車も黒のベンツのオープンカーだ。 車は幌を開けたままアウトバーンを飛ばす!飛ばす! 渋滞を避け下の道を走る! バイエルンの農村風景は美しい。



(1)ヘルズフェルド博物鉄道


Mr. Detlev Megow デトレフ・メゴウ氏と(社員割引で購入したと聞く)愛車

 小さな町が現れた。外れに駅があり煙が上がっている。 メーターゲージナローの線路が現れた。 かわいいSLとレイルバスがいる。







 ここがヘルズフェルド博物鉄道Die Härtsfeld-Museumsbahnだった。

 運転台の載せていただき、機関車がバックで給水場へ向かうのを撮影した。 一度は廃線になったが、ボランティアを中心に復活させているらしい。

ヘルズフェルド博物鉄道のサイト:
http://www.hmb-ev.de

(2)バイエルン鉄道博物館

 車は再びアウトバーンへ乗り、1時間ほどでネルトリンゲンへ着いた。 ネルトリンゲンはロマンティック街道沿いの小さな美しい町だ。
 駅はローカル線の小さな駅で駅の裏に目立たない感じで博物館の入り口があった。 ターンテーブルを中心に長方形の大きな機関庫があり、中へ入るとずらりと機関車が並んでいた。



 鉄道博物館というより有名モデラーのHO巨大レイアウトにお邪魔したようだ。 所狭しと機関車が並べられている。 機関庫も長方形だ。 古典機Fussenを初め、無火機関車や有名なS3/6型;バイエルンの女王と呼ばれる緑色に塗られた3673号機やドイツ制式機関車がずらりと並ぶ。 44、50、52は数台ずつ並んでいる。 しかし展示というより集めて保存しているという感じでぎっしり機関車が詰まっている。 引きがとれず写真にならない。 01はなんと3台保存されている。

















 昨年のアイゼンバーンロマンティックツアーで逢った01 066が客車に挟まれて待機線に置いてあった。 ボイラーを破損して居り修理中とのことだった。 かなり予算がかかるらしく今年は動く見込みがないらしい。 ナンバープレートは去年は東ドイツ末期の表記[01 2066-7]だったが、今はオリジナルの[01 066]になっている。 東ドイツ時代とオリジナルの違いだ。 気分によって付け替えるらしい。 ほとんど1/1のライブスティームの乗りでいじっている。






01066の第2動輪右側(公式サイド)

日本の大径スポークもこの様に作られていればと思います・・・C55を見る度に動輪を見てがっかりします(井門)



これは砲金製プレートです。 東独時代の[01 2066-7]はステンレス製です(井門)

 博物館の隅にほとんどスクラップ状態の01が居た。 [01 066]もこの状態から作り直したらしい。 にわかに信じがたいが記念撮影した。





 3台めは[01 180]で旧西ドイツに居た原型機だ。
 

01180





 最近スイスのマニアから購入したらしい。 SL時代の末期にスイスの富豪が自分の愛息の誕生日にプレゼントしたものだという。 以来何十年もスイスで良い状態に保存されていたらしい。 この機関車も動態に向け修繕中らしい。

 この博物館は電気機関車も保存してあり、有名なTEE牽引機103型をはじめ古典電機も結構居る。


103


194 ドイツのクロコダイル


塗装中の動輪


44 1524

 彼は貨物用機関車44型の担当で今日はメインテナンスの予定とのことだった。 少し雲もでてきて居りここで撮影は諦めドイツのナッパ服に着替えて彼の修理を手伝うことにした。 この44にはチームがありデトレフ氏はドライバーで助士もいるらしい。 修理も昔ながらの方法で直す決まりらしい。 私は古いドライバーとネジを渡された。 ランボード上の四角いパーツを銀色から黄色のものに換える作業だった。 キャブに乗ってみるとかなり高い。 ちょっと怖いがランボードを渡り取り替え作業に入る。 ネジは数十年経過しているのだろうか、すでに錆びて全く動かないものもある。





この黄色い中継ボックスは東独仕様への「コスプレ」かもしれません(井門)

 しばらく作業に集中しているとドイツのファンがやってきて不思議そうにこちらを見ている。 変な東洋人だとでも思っているんだろうと見返すとなんとアイゼンバーンロマンティックで同席したゲルハルト シュバルツ(Gerhard Schwarz)氏だった。 偶然の邂逅に驚き合う。 しかしドイツのテツ世界もかなり狭いのかもしれない。 44の前で記念写真を撮る。 本年のアイゼンバーンロマンティックツアーはオーストリアだそうだ。


Mr.Gerhard Schwarz


44 2546

 もう1台の44(44 2546)をライト点灯テストし作業を終了とする。
 日も暮れて、作業を終え、ウルムへ引き返した。 川沿いのレストランでソーセージとビールで楽しむ。 彼も車好きなので日独のスポーツカーの話になった。 私が911の空冷サウンドをいうと、デトレフ氏は指を上げ「次のツアーは3気筒44の重連でアルプスを駆け上るのさ、何万馬力のサウンドショーさ、ノブははまるぜ!」と大笑いした。
 デトレフ氏はウルム中央駅へ送ってくれた。 ICEを待っていると、デトレフ氏に電話。 なんと今からくるICEの運転士は“チーム44”のメンバーらしい。
 にわかには信じがたかったがホームにICEが到着すると、運転席の窓が開いて運転士がデトレフ氏と親しく話しだした。



 日本でいえば、名古屋駅に着いたのぞみの運転士席から運転士が話し始めて、その運転士は休日は大井川でC11の運転をしているようなものか?どうも日本とは蒸気機関車運転に対する敷居の高さが違いすぎる。
 列車は音もなくウルム駅を出発していった。

バイエルン鉄道博物館のサイト;
http://www.bayerisches-eisenbahnmuseum.de/





“J”_箱根登山モハ1・2・3

2012-12-28 | 鉄道模型
“J”(←16番)の新製品、箱根登山鉄道モハ1、モハ2、モハ3は着々と進行中です。

フクシマ模型製作所が近年の姿を製品化していたものの全盛期バージョンです。 


車体はドア間の窓数5(リベット有りと無し)窓数6の3種類で、キットも3種類になります。


NA-7、シュリーレン、川車製の台車を製作します。 TS-110を加えて4種類の台車を履く5種類の完成品(特定番号)を発売し、発売しない番号についても特注を受ける予定です。


川車製台車。 動力はフクシマ時代と同じ乗り越しFギヤ17:1です。


NA-7台車


シュリーレン台車


パーツはまだ全部が揃っていませんがかなりのところまで来ました。


シュリーレン台車を履いた姿。


屋根上


パンタグラフと碍子です。


そう遠くない将来、Jパンタシリーズに新製品が加わります。