北海道はクライマックスを迎えます。
狩勝峠に帰ってきた狩勝戦士達、マウンテンバイク(自転車)で旧線跡を走ります。
NPO法人旧狩勝線を楽しむ会で紹介されている遺構などがこれです。
http://www.karikachi.org/heritage/
そして、こちらも面白い調査を実現していて興味深いです↓
http://golgodenka.com/reports/railway/nemuro-karikachi01/nemuro-karikachi01-01.html
さて、マウンテンバイクです。
毎週土日にエコトロッコの向かい側の建物で「狩勝COYA」と題して行っています。
ブログでの紹介が遅くて今年のシーズンに間に合っていないのが残念すぎる感じですが・・・
貸し自転車;大人800円、中学生以下400円
その自転車と人間を狩勝トンネルまで輸送してもらえるというものです。
まずは申込書に記入。
自転車を選んだら車に搭載します。
2台でトンネルに向かいます。
廃線跡を走って行きます。 里程標は調査発掘の上再建されたものです。
狩勝トンネル入口に到着しました。
案内文が掲示されて居ます。
遮風用の垂れ幕装置は失われてしまっています。
トンネル内部は落盤の危険が有り立ち入り禁止ですが、
3m程は内側に入れます。
トラックの運転手さんに記念写真のシャッターをお願いしています。
左から私、杉江さん、堀越さん、村樫さん、旧狩勝線を楽しむ会の増田秀則さんです。
マウンテンバイクで走り去る前にトンネルを振り返って見ます。
ハエタタキは重要な遺構になっています。
程なく第1展望台です。
狩勝旧線と言えば何と言っても『日本三大車窓』です。
狩勝新線にはこの旧線ほどの眺望はありません。
かつての狩勝旧線には写真を見ても判るように視界を遮る樹木が有りませんでした。
現在かなり殆どの区間で樹木で視界を遮られてしまっているのは「旧線」のかつての姿が失われて仕舞っていると言ってよいと思います。
多くの点で日本一の蒸機撮影地であった狩勝峠の偉容が復元されつつある中での残念事です。
そして改めて凄いのは‘狩勝戦士’の皆様が昭和41年の新線切換後47年振りの狩勝再訪が「今回」だという事です。
すっかり蔓延ってしまった樹木の間に遠景の線路跡を追っていくことが出来ます。
マウンテンバイクで駆け下ります。 大きな村樫さんが乗ると自転車が小さく見えます。
今走ってきた直線をかえりみます。
三品勝暉(かつき)さんはこの正面の山に登ってこの直線を撮影されたという事です。
斜面に沿って進む線路の右=谷側に切り通しをならしたような小さな丘があり、かつて有った「狩勝峠 日本八景の一」の表示看板、位置を変えずに再現されたそっくりの看板が建てられています。
新得寄りの線路跡を望みます。
滝川起点120k800m(此処です)を行く下り【おおぞら】三品勝暉さん撮影 と、全く同じ地点で撮影した現在の写真(増田秀則さん撮影)の比較写真です。
マウンテンバイクのサドルに載せてセルフタイマーで撮った写真です。
その私が乗っているマウンテンバイクが一番可哀相です。 村樫さん撮影。
第2展望台です。
狩勝旧線を狩勝旧線たらしめるもの=この眺望です。 (拡大できます)
新内トンネルが見えてきました。
新内トンネルに接近します。 “自転車の耐荷重試験”村樫さん撮影。
滝川起点121k700m新内トンネル落合側入口を走り去る上り【おおぞら】杉江弘さん撮影と現在の同じ地点(増田秀則さん撮影)
その増田さんと杉江さんが迂回路に向けて走り出します。
新内トンネルも危険で立入禁止です。
新内トンネル新得側入口。 (拡大できます)
新内トンネルの新得側すぐの築堤線路下に小さな小さな小川が流れています。
かつて大雨で増水したとき築堤の山側に巨大な水たまりが出来て決壊、路盤が大きく失われてレールが宙吊りになりました。
狩勝戦士展より この新内トンネル↑左側の山を崩してその土で築堤を再建して開通させたのだそうです。
現在のトンネルを迂回して走る自転車兼用歩道はそのお蔭で高低差も大きな迂回も無く出来ているのだそうです。
(狩勝戦士展で新得機関区所蔵として線路宙吊りの写真もあったように思いますがデジカメの画像に見あたりませんでした)
滝川起点122k600m昭和41年3月27日堀越庸夫(つねお)さん撮影の写真とほぼ同じ地点から撮った現在(増田さん撮影)
線路周辺だけではなくバックの山も以前は禿げ山だった・・・撮影の足場には事欠かなかった事が判ります。
下り25‰のサイクリングは快適そのものです。 撮影;村樫さん
大カーブに来ました。
半径181.05mのカーブが両側に続いて居ますが、此処に直線が200mm有るのだそうです。
旧狩勝峠に於ける最小の半径は179mだそうです。
比較してみました。
最急勾配 最小半径
狩勝旧線(G=1067mm) 25‰ 180m
狩勝新線(G=1067mm) 12‰ 500m
内蒙古経棚峠(G=1435mm) 12‰ 400m
大カーブには村樫さんの撮影した写真が飾られていました。
滝川起点124k400mD51295の後追い;村樫四郎さん撮影と同地点の現在(増田さん撮影)
現地に飾られている写真の列車の後追いです。
この写真では山が樹木に覆われているのは人工的な植林であったことがよく判ります。
村樫四郎さん本人が初めて展示写真の横に立った記念すべき写真です。
このオメガ2つ連続の部分は、自動車は殆ど短絡路を走ってしまいますので少しだけ草が茂っています。 撮影;村樫さん
新内(にいない)駅にごく近い部分では旧線路跡は舗装道路になっています。 撮影;村樫さん
新内駅は4つのオメガの真ん中にある感じなのですね。
(中国で言えば寧夏回族自治区中衛近くの長流水站の如し)
新内駅エコトロッコのところに帰ってきました。
この地面の盛り上がりは新内駅ホームの落合側先端とのことです。
本日の宿、ヨークシャーファームです。
http://www.york.co.jp/
NPO法人旧狩勝線を楽しむ会理事長の経営するペンションです。
羊料理が売り物なのですが、増田さんと戦士達の宴会が新得町で予定されているため素泊まりです。
旧狩勝線を行く蒸機の写真が随所に飾られています。
手前がバス・トイレです。 英国風を楽しむペンションです。
そして新得町公民館1階ロビーで行われている『狩勝戦士展』を見に行きます。
新得機関区所蔵の写真も多数展示されて居ます。 毎年場所や内容を少しずつ変えながら恒例のように行われています。
http://www.karikachi.org/event/
言葉もない・・
機関区所蔵写真ならではの写真と
当時は命掛けと言われ、覚悟無しには来られなかった狩勝峠冬の写真が多数。
そして新内駅とその周辺での
今に続く様々な活動の記録。
多くの写真を堪能しました。
外は夕焼けが素晴しいです。 撮影;岡本和彦さん
‘楽しむ会’増田さんと待ち合わせた居酒屋。
乾杯です。 鉄研三田会昭和56年卒岡本和彦さん(右端)はこの狩勝・新得を選んで移り住んで居るのです。
メニューなど、
デジカメの設定が狂ってブレブレの写真になってしまいました。
お酒は地元の焼酎『十勝無敗』です。
素晴しい名前ですが「十勝なら五敗」じゃないかと思ったりします。 (十勝五杯?)
ほっけ
ししゃも
茄子・・・実はブレている写真ばかりでした。
宴会終了して外に出た途端にDC特急が通りました。
新得駅に行ってみます。
改札付近です。
特急を外してある時刻表。
タラコ色のキハ40が居ました。
DF200の牽く貨物列車がやってきました。
特急列車の遅延などの案内です。
JR北海道とJR四国は並の努力では立ちゆかないと思います。
JR貨物と比べてもJR北海道は遙かに厳しい状況に置かれています。
JR貨物が
(1)A更新と称してDD51のエンジン以外の部品類全てを新品と交換して
(2)B更新と称してエンジンまでも新品に換装して
(3)DF200という高性能で【北斗星】客車を牽くのに充分な高速機関車を作って
(4)エンジン換装までした更新DD51をどんどん廃車にして行っても
(更新も出来ない)DD51に特急を牽かせるしかない、その中古も買えない程困窮し追い詰められたJR北海道を責めても仕方がないのではないでしょうか。
生半可な知識しかない者が敵意を持って取材した記事を信じるのもどうかしています。
もっと社長が「自殺せよ」という事でしょうか?
http://yamazakijirounew.cocolog-nifty.com/blog/2011/09/23921.html
元来、国鉄からの分割の仕方で少々知恵が足りなかったと思います。
本州三社と三島会社の置かれた環境の格差が余りにも大きく、その中でさえ九州と北海道では人口も人口密度も違いすぎます。
経営を成立させて競争させるつもりであれば大きさではなく人口密度が公平になるようにするべきでした。
(分割の仕方が幼稚だった・・・)
それが無理なら別の分割(上下)も有りますし、併用も有りますし、今更ながら分割を解消する手もあるのではないでしょうか。
私はJR北海道は東日本が飲み込むべきと思いますし、四国も西日本が飲み込むべきだと思います。
(でもそれ以前に分割地点に拙さが目立ちます)
公平を完全に達成するという発想も馬鹿ですが、
極度の不公平でも弱者を平気で叩く馬鹿にも呆れてものが言えません。
(言ってるじゃないか!)
まあせめて「新得から落合まで」という狩勝切符を買いました。
入場券も買いましたがここのところの狂乱的忙しさで行方知れずです。
2次会もありました。
料理はこちら
焼酎は北海道
こんなものを食べたんですね・・・
プリウスタクシーで
ヨークシャーファームへ帰りました。
物凄く充実した1日でした。 感謝感謝です!
狩勝峠に帰ってきた狩勝戦士達、マウンテンバイク(自転車)で旧線跡を走ります。
NPO法人旧狩勝線を楽しむ会で紹介されている遺構などがこれです。
http://www.karikachi.org/heritage/
そして、こちらも面白い調査を実現していて興味深いです↓
http://golgodenka.com/reports/railway/nemuro-karikachi01/nemuro-karikachi01-01.html
さて、マウンテンバイクです。
毎週土日にエコトロッコの向かい側の建物で「狩勝COYA」と題して行っています。
ブログでの紹介が遅くて今年のシーズンに間に合っていないのが残念すぎる感じですが・・・
貸し自転車;大人800円、中学生以下400円
その自転車と人間を狩勝トンネルまで輸送してもらえるというものです。
まずは申込書に記入。
自転車を選んだら車に搭載します。
2台でトンネルに向かいます。
廃線跡を走って行きます。 里程標は調査発掘の上再建されたものです。
狩勝トンネル入口に到着しました。
案内文が掲示されて居ます。
遮風用の垂れ幕装置は失われてしまっています。
トンネル内部は落盤の危険が有り立ち入り禁止ですが、
3m程は内側に入れます。
トラックの運転手さんに記念写真のシャッターをお願いしています。
左から私、杉江さん、堀越さん、村樫さん、旧狩勝線を楽しむ会の増田秀則さんです。
マウンテンバイクで走り去る前にトンネルを振り返って見ます。
ハエタタキは重要な遺構になっています。
程なく第1展望台です。
狩勝旧線と言えば何と言っても『日本三大車窓』です。
狩勝新線にはこの旧線ほどの眺望はありません。
かつての狩勝旧線には写真を見ても判るように視界を遮る樹木が有りませんでした。
現在かなり殆どの区間で樹木で視界を遮られてしまっているのは「旧線」のかつての姿が失われて仕舞っていると言ってよいと思います。
多くの点で日本一の蒸機撮影地であった狩勝峠の偉容が復元されつつある中での残念事です。
そして改めて凄いのは‘狩勝戦士’の皆様が昭和41年の新線切換後47年振りの狩勝再訪が「今回」だという事です。
すっかり蔓延ってしまった樹木の間に遠景の線路跡を追っていくことが出来ます。
マウンテンバイクで駆け下ります。 大きな村樫さんが乗ると自転車が小さく見えます。
今走ってきた直線をかえりみます。
三品勝暉(かつき)さんはこの正面の山に登ってこの直線を撮影されたという事です。
斜面に沿って進む線路の右=谷側に切り通しをならしたような小さな丘があり、かつて有った「狩勝峠 日本八景の一」の表示看板、位置を変えずに再現されたそっくりの看板が建てられています。
新得寄りの線路跡を望みます。
滝川起点120k800m(此処です)を行く下り【おおぞら】三品勝暉さん撮影 と、全く同じ地点で撮影した現在の写真(増田秀則さん撮影)の比較写真です。
マウンテンバイクのサドルに載せてセルフタイマーで撮った写真です。
その私が乗っているマウンテンバイクが一番可哀相です。 村樫さん撮影。
第2展望台です。
狩勝旧線を狩勝旧線たらしめるもの=この眺望です。 (拡大できます)
新内トンネルが見えてきました。
新内トンネルに接近します。 “自転車の耐荷重試験”村樫さん撮影。
滝川起点121k700m新内トンネル落合側入口を走り去る上り【おおぞら】杉江弘さん撮影と現在の同じ地点(増田秀則さん撮影)
その増田さんと杉江さんが迂回路に向けて走り出します。
新内トンネルも危険で立入禁止です。
新内トンネル新得側入口。 (拡大できます)
新内トンネルの新得側すぐの築堤線路下に小さな小さな小川が流れています。
かつて大雨で増水したとき築堤の山側に巨大な水たまりが出来て決壊、路盤が大きく失われてレールが宙吊りになりました。
狩勝戦士展より この新内トンネル↑左側の山を崩してその土で築堤を再建して開通させたのだそうです。
現在のトンネルを迂回して走る自転車兼用歩道はそのお蔭で高低差も大きな迂回も無く出来ているのだそうです。
(狩勝戦士展で新得機関区所蔵として線路宙吊りの写真もあったように思いますがデジカメの画像に見あたりませんでした)
滝川起点122k600m昭和41年3月27日堀越庸夫(つねお)さん撮影の写真とほぼ同じ地点から撮った現在(増田さん撮影)
線路周辺だけではなくバックの山も以前は禿げ山だった・・・撮影の足場には事欠かなかった事が判ります。
下り25‰のサイクリングは快適そのものです。 撮影;村樫さん
大カーブに来ました。
半径181.05mのカーブが両側に続いて居ますが、此処に直線が200mm有るのだそうです。
旧狩勝峠に於ける最小の半径は179mだそうです。
比較してみました。
最急勾配 最小半径
狩勝旧線(G=1067mm) 25‰ 180m
狩勝新線(G=1067mm) 12‰ 500m
内蒙古経棚峠(G=1435mm) 12‰ 400m
大カーブには村樫さんの撮影した写真が飾られていました。
滝川起点124k400mD51295の後追い;村樫四郎さん撮影と同地点の現在(増田さん撮影)
現地に飾られている写真の列車の後追いです。
この写真では山が樹木に覆われているのは人工的な植林であったことがよく判ります。
村樫四郎さん本人が初めて展示写真の横に立った記念すべき写真です。
このオメガ2つ連続の部分は、自動車は殆ど短絡路を走ってしまいますので少しだけ草が茂っています。 撮影;村樫さん
新内(にいない)駅にごく近い部分では旧線路跡は舗装道路になっています。 撮影;村樫さん
新内駅は4つのオメガの真ん中にある感じなのですね。
(中国で言えば寧夏回族自治区中衛近くの長流水站の如し)
新内駅エコトロッコのところに帰ってきました。
この地面の盛り上がりは新内駅ホームの落合側先端とのことです。
本日の宿、ヨークシャーファームです。
http://www.york.co.jp/
NPO法人旧狩勝線を楽しむ会理事長の経営するペンションです。
羊料理が売り物なのですが、増田さんと戦士達の宴会が新得町で予定されているため素泊まりです。
旧狩勝線を行く蒸機の写真が随所に飾られています。
手前がバス・トイレです。 英国風を楽しむペンションです。
そして新得町公民館1階ロビーで行われている『狩勝戦士展』を見に行きます。
新得機関区所蔵の写真も多数展示されて居ます。 毎年場所や内容を少しずつ変えながら恒例のように行われています。
http://www.karikachi.org/event/
言葉もない・・
機関区所蔵写真ならではの写真と
当時は命掛けと言われ、覚悟無しには来られなかった狩勝峠冬の写真が多数。
そして新内駅とその周辺での
今に続く様々な活動の記録。
多くの写真を堪能しました。
外は夕焼けが素晴しいです。 撮影;岡本和彦さん
‘楽しむ会’増田さんと待ち合わせた居酒屋。
乾杯です。 鉄研三田会昭和56年卒岡本和彦さん(右端)はこの狩勝・新得を選んで移り住んで居るのです。
メニューなど、
デジカメの設定が狂ってブレブレの写真になってしまいました。
お酒は地元の焼酎『十勝無敗』です。
素晴しい名前ですが「十勝なら五敗」じゃないかと思ったりします。 (十勝五杯?)
ほっけ
ししゃも
茄子・・・実はブレている写真ばかりでした。
宴会終了して外に出た途端にDC特急が通りました。
新得駅に行ってみます。
改札付近です。
特急を外してある時刻表。
タラコ色のキハ40が居ました。
DF200の牽く貨物列車がやってきました。
特急列車の遅延などの案内です。
JR北海道とJR四国は並の努力では立ちゆかないと思います。
JR貨物と比べてもJR北海道は遙かに厳しい状況に置かれています。
JR貨物が
(1)A更新と称してDD51のエンジン以外の部品類全てを新品と交換して
(2)B更新と称してエンジンまでも新品に換装して
(3)DF200という高性能で【北斗星】客車を牽くのに充分な高速機関車を作って
(4)エンジン換装までした更新DD51をどんどん廃車にして行っても
(更新も出来ない)DD51に特急を牽かせるしかない、その中古も買えない程困窮し追い詰められたJR北海道を責めても仕方がないのではないでしょうか。
生半可な知識しかない者が敵意を持って取材した記事を信じるのもどうかしています。
もっと社長が「自殺せよ」という事でしょうか?
http://yamazakijirounew.cocolog-nifty.com/blog/2011/09/23921.html
元来、国鉄からの分割の仕方で少々知恵が足りなかったと思います。
本州三社と三島会社の置かれた環境の格差が余りにも大きく、その中でさえ九州と北海道では人口も人口密度も違いすぎます。
経営を成立させて競争させるつもりであれば大きさではなく人口密度が公平になるようにするべきでした。
(分割の仕方が幼稚だった・・・)
それが無理なら別の分割(上下)も有りますし、併用も有りますし、今更ながら分割を解消する手もあるのではないでしょうか。
私はJR北海道は東日本が飲み込むべきと思いますし、四国も西日本が飲み込むべきだと思います。
(でもそれ以前に分割地点に拙さが目立ちます)
公平を完全に達成するという発想も馬鹿ですが、
極度の不公平でも弱者を平気で叩く馬鹿にも呆れてものが言えません。
(言ってるじゃないか!)
まあせめて「新得から落合まで」という狩勝切符を買いました。
入場券も買いましたがここのところの狂乱的忙しさで行方知れずです。
2次会もありました。
料理はこちら
焼酎は北海道
こんなものを食べたんですね・・・
プリウスタクシーで
ヨークシャーファームへ帰りました。
物凄く充実した1日でした。 感謝感謝です!