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 ♪ラジオ放送・文字版「世の光」

   1952年以来、キリスト教会が協力して全国民放ラジオで放送して73年、
PBA『世の光』を文字で 

■へりくだって

2005年06月18日 | Weblog

 世の光の時間です。お元気でしょうか。羽鳥 明です。

 さあ今日の世の光は、皆様からお寄せくださる、「心に残る聖書のことば」の御紹介です。

 東京都にお住まいの真田ふみのりさんからは新約聖書ピリピ人への手紙2章3節のことばをお寄せいただきました。お読みしましょう。「何事でも自己中心や虚栄からすることなく、へりくだって、互いに人を自分よりもすぐれた者と思いなさい。

 平成6年に3ケ月の入院の後に
 牧師先生と聖書の学びをさせていただいている時に、
 このみことばをいただきました。
 それまでの自分の自己中心な考え方に
 気が付かされました。

 真田ふみのりさんは、このたった五行のことばを添えて御自分の心に残る聖書のことばをお寄せくださいました。
私は心打たれました。私はクリスチャンになってからもう68年。今84歳になります。今も毎朝の第一に神様にこう祈ります。「神様あなたは万物の造り主、全知全能・唯一の全権の神様でいらっしゃいます。でもこんな弱い・愚かで自分勝手で罪深い者を愛して、イエス・キリストを十字架の上で苦しめ・殺して、私に対する罪の裁きの身代わりとし、ただ信ずるだけで私を赦し、永遠のいのちを与え、天国の市民にしてくださいました。ありがとう、ありがとうございます。」と祈ります。そして私の家内のために祈って言います。「23歳の時に見合いをしてプロポーズをした時に妻は祈って祈って祈った末、神様の御心と信じて決心して、こんな小さな弱い愚かなそして自分勝手で罪深い私の所にお送りくださり、今や50年、夫のために良いことばかりし、悪いことをせず、仕え尽してくださいました。神様ありがとうございます。」こう祈るのです。クリスチャンになって68年。でもまだ、この弱い愚かで自分勝手で罪深い者と心の底から感じて祈らずにはおられないのです。

 真田ふみのりさんの心の残る聖書のことば。
何事でも自己中心や虚栄からすることなく、へりくだって、互いに人を自分よりもすぐれた者と思いなさい。
新約聖書ピリピ人への手紙2章3節のことばです。
 ではまた聞いてください。お便りをお待ちします。

 ( PBA制作「世の光」2005.06.18放送でのお話しより )

*****

さて、この番組を制作しているPBAの「世の光」の係りでは分りやすい聖書通信講座を用意していて、初めての方には無料の入門コースがお勧めとの事。詳しくはPBAに案内書を申し込みましょう。近くの教会を紹介してくれるので、気軽に問い合わせるといいでしょう。問い合わせ先は、mail@pba-net.comです。

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■長つづきする幸せ

2005年06月17日 | Weblog

 世の光の時間です。お元気ですか? 安海靖郎(あつみやすお)です。
 今日は、長続きのする幸せという事についてお話しします。

 ま、幸せ・幸福、誰もが関心のあるテーマではないでしょうか。でも一方では幸せや幸福 、それはあまり長続きしないという冷めた見方もあるんじゃないでしょうか。

 隣の中国の有名な話「塞翁が馬」、そんな事を表していますね。塞の国の国境に住んでいた人が突然隣の国から一匹の馬が国境を越えて逃げてきた。これはハッピー(幸せ)とその馬を飼いました。ところが息子がその馬に乗って遊んでいて落馬し足を折ってしまった。アンハッピー(不幸せ)となりました。でもすぐ隣の国との戦争が始まりました。多くの若者が戦争に駆り出され、亡くなりました。でもこの息子は足が悪いので戦争に駆り出されず助かりました。あらハッピーという訳です。ま、幸いと不幸というのは隣り合わせだというような事でしょう。ま、いずれも幸せというのは儚(はかな)いんだ、そんな経験・現実を言っていると思います。

 でも聖書ではこのように変わってしまう儚(はかな)い幸せと、もう一つ変わらない幸せという事を言っています。また別のことばで言い表しています。ハッピーの幸せとは別に、英語でブレッシング、ま、祝福と訳されることばですが、新約聖書の原語のギリシャ語ではマカリオスということばです。マクロ・大きい・広いという語源から来ています。つまり大きく広く状況に左右されない、自己充足するような幸せという意味です。誰もがこんな幸せ、持ちたいですね。

 実は聖書ではこのマカリオス --長続きのする自己充足している豊かな幸せ-- を創造主なる神はこの世界に私たちに与えておられる・備えておられるって言うんです。でも多くの人はその存在すらも知らない。すぐ変わってしまうハッピー、--ま、このハッピーはハプニングから来てますからすぐ変わってしまう--、それだけを思っています。でも決して変わらない長続きのする本当の心を充足する幸せがある。イエス・キリストはこう言いました。「心の貧しい人は幸いです。天の御国はその人たちのものだからです。」自分にはそういうものがないと気がついて神に求める心の中に神の国が・神が共にいてくださる長続きのする幸せがあるというのです。


(PBA制作「世の光」2005.6.17放送でのお話しより )

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さて、この番組を制作しているPBAの「世の光」の係りでは分りやすい聖書通信講座を用意していて、初めての方には無料の入門コースがお勧めとの事。詳しくはPBAに案内書を申し込みましょう。近くの教会もPBAで紹介してくれるので、気軽に問い合わせるといいでしょう。問い合わせ先は、mail@pba-net.comです。


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■一般廃棄物

2005年06月16日 | Weblog

 お元気でいらっしゃいますか。世の光の榊原 寛(ひろし)です。
 
 去年の八月のことでしたか、神奈川県横浜市の産婦人科医院がですね中絶胎児を一般ゴミとして捨てていたという問題がありましたよねえ。血のついたガーゼなど感染性一般廃棄物は密閉容器での移動や処理記録の保存などが廃棄物処理法などで定められているようですけれど、妊娠十二週未満の中絶胎児の扱いは明記されていなかったらしいんですね。妊娠十二週未満の中絶胎児について環境省が、受け取り先のない場合は廃棄物という見解をですね神奈川県警に通知していたことが分かったそうです。妊娠十二週以上の胎児は墓地埋葬法で死体として火葬・埋葬することになっているっていうことも言われています。環境省の適性処理不法投棄対策室ではですね妊娠十二週未満の中絶胎児について、「本来廃棄物ではなく丁重に埋葬すべきだが、引き取り先のない場合には胎盤などと同様に感染性廃棄物として扱わざるを得ない」、こんな考えだそうです。引き取り先がない場合は廃棄物として取り扱わざるを得ないと言うんだそうですが、それなら引き取り先がある場合は丁重に埋葬されるべきで当然てすが、引き取り先がない場合はゴミだという考えはなんかこう納得いかないばかりか空恐ろしいことさえ感じます。引き取り先がないと分かった途端にそれはゴミになってしまうんでしょうか。こんな所にあまりにもいのちの軽視が見られるのではないだろうかと思います。この延長線上に殺人や自殺の悲劇が潜んでいるような気がしてなりません。

 なおですね、自分は捨て子だと分かっていながら生き続けていくっていうことも辛さや刹那さがありますよね。私にもそういう過去を持っている友人・知人が何人かいます。自分を捨てた親への恨みつらみの塊のようだったと話してくれました。しかしイエス・キリストに出会った時、その愛に癒され人生を取り戻していったんですねえ。彼らの多くは決まって次のような聖書に出会っています。旧約聖書・詩篇の27篇の10節です。「たとい父母が私を捨てても主が私を迎えられるでしょう。」いかがでしょうか。私は天地万物をお造りになった神様の愛によって、キリストによって迎えられている、愛されているっていう経験なんですよねえ。

 まあどんな場合でもお互い今、今の私はこの宇宙大の神に愛され、キリストのいのちをかけて愛されているんだという受けとめ方、大切じゃないでしょうか。

(PBA制作「世の光」2005.6.16放送でのお話しより )

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さて、この番組を制作しているPBAの「世の光」の係りでは分りやすい聖書通信講座を用意していて、初めての方には無料の入門コースがお勧めとの事。詳しくはPBAに案内書を申し込みましょう。近くの教会を紹介してくれるので、気軽に問い合わせて日曜日の朝、教会に行ってみましょう。問い合わせ先は、mail@pba-net.comです。

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■その恵みはとこしえまで

2005年06月15日 | Weblog


 世の光の時間です。お元気でしょうか。羽鳥 明です。

 さ、今日の世の光、まず皆様からのお便りの御紹介です。島根県隠岐郡西郷町の松岡としあきさんからいただきました。
 「幸せになろうよ。ありがとうございます。感謝。」

 松岡さん、いつも長い長いお手紙ありがとうございます。今日のお葉書、そのものずばり、短いですね。感謝いたします。

 さ、今日の約束のことばです。旧約聖書の詩篇136篇1節です。お読みします。
主に感謝せよ。主はまことにいつくしみ深い。その恵みはとこしえまで。

 神様は私たちが立派だから良いことをたくさんするから私たちを愛してくださる・恵んでくださる・守ってくださるのてせはありません。神様御自身が愛なるお方・恵みいっぱいのお方・真実なお方ですから私たちを愛してくださる。いつも一緒にいて守ってくださるのです。私たちがそのことに気づかないで恨んだり疑ったり悩んだり自分勝手に自分で自分の道をさまよい歩くだけなのですねえ。

 神様はそんな私たちに求めることが一つあります。いえ、三つでしょうか。「いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。すべての事について、感謝しなさい。これが、キリスト・イエスにあって神があなたがたに望んでおられることです。」(1テサロニケ5:16-18) 神様の方に顔を向け、いつも喜び、絶えず祈り、すべての事を感謝する。神様はイエス・キリストを通して私たちが神様と仲直りして神様と親しく交わって欲しい。そうすれば、ぞろぞろと神様の恵みがついてくる。その愛の深さに私たちの心は喜び感謝に満ち、歌に満ちてくる。これこそ大きな神様の私たちへの約束なのですねえ。神様はイエス・キリストの十字架の手を私たちに差し伸べていて、神様と私たちが仲直りするのを待っていてくださる。妨げの壁を打ち壊すと、ザアーッと神様の恵み・慈しみの水は流れ込んでくるのです。

 今日の約束のことば。
主に感謝せよ。主はまことにいつくしみ深い。その恵みはとこしえまで。
 
 いつでもどこでもいつまでも神様の真実・神様の愛・神様の恵みがとこしえまでなんですね。

 また聞いてください。お便りをお待ちします。

 (PBA制作「世の光」2005.6.15放送でのお話しより )

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■本当の自由を求めて

2005年06月14日 | Weblog

 世の光の時間です。お元気でお過ごしでしょうか。関根弘興(せきねひろおき)です。今日もさわやかに一日を過ごしていきたいですね。

 ま、誰しも自分は自由でありたいという思いを持っています。(束縛を受けずに生きていたい。)、そう思いますよね。ま、よくこう言う人がいます。「衣食住があればそれで十分ですよー」って言うんですよね。でも本当でしょうか。それなら刑務所でも同じですよね。雨・梅雨しのぐ場所がありますし、食事は三度、適度な運動もあり、大変規則正しい生活ですから。でもあなたはそれじゃあそこでお世話になろうかって思いませんでしょう? なぜならそこには自由がないからです。人間は本当の自由を発見し見い出し掴んだ時に、実は最も人しての満足とか充足を得ることができるんですね。でも自由ということを考えるとき、私たちの自由はいつも制限がついている制限付きの自由でしかないということを知っておくことはとても大切なんです。

 しばらく前に子どもと一緒に川に行って魚を釣ってきました。すぐに家に帰ってきて水槽に水を張り飼い始めたんです。しかし悲劇は数日後に起こりました。なんと魚が泳いでいる時ジャンプしたんですねえ。ところがジャンプした拍子に水槽から飛び出してしまったんですよ。魚はきっとね、(こんな小さな水槽じゃイヤだ。俺は自由になるぞ。)と言って水槽から出たのかもしれません。でも私たちがその魚に気づいた時には既に魚は死んでしまっていました。魚にとって自由を謳歌する場所は水の中という制限がある訳です。あなたが宇宙に出たらどうでしょう。きっと分厚い宇宙服を着なければなりません。俺は鳥のように自由になろうと考えて屋上から飛び下りたらどうでしょう。怪我をするだけです。ですから自由というものは必ず制限というものがついているんですね。魚にとっては水の中が自由を謳歌する場所であり、鳥であったら大空でしょう。

 それでは人はどんな場の中に生かされる時に本当の自由を味わうことができるんでしょう。聖書のことばを紹介しましょう。第一ペテロ2章25節。「あなたがたは、羊のようにさまよっていましたが、今は、自分のたましいの牧者であり監督者である方のもとに帰ったのです。

 実は本来あるべき場所から離れてしまったら、それはとても不自由なんですねえ。羊が羊飼いから離れたら自由ではなく、それはただ危険なだけなんです。人が本当に自由を喜び楽しむためには羊飼いのもとであなたが歩むことなんですね。イエス・キリストは私たちの羊飼いです。そしてこの方の導きの中で歩むことこそ本当の自由の中で歩むことができるんですよ。

 ( PBA制作「世の光」2005.6.14放送でのお話しより )

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■学び方の要素

2005年06月13日 | Weblog

 世の光の時間です。お元気でしょうか。村上宣道です。

 えー、私は勉強はあまり好きな方じゃないんですけど、幾つになっても学ぶってのは大事だなというふうには思っているんですね。あのー、学び方の要素には三つあるって言われますねえ。何を学び、誰に学び、どのように学ぶかっていう事ですね。

 えー、まず何を学ぶかっていうことですけれども、どうせ学ぶなら益になることを学びたいですよねえ。聖書の中に「多く学べば体が疲れる」っていう所があるんですけれども、短い人生であれもこれもやってみてただ疲れだけが残ったというんじゃあ悲劇ですよねえ。かつてイエス・キリストは、「なくてならないものは多くはない。いや一つだけである。」というふうに言われました。すべてのことをさておいて神のことばを聞こうとしてキリストの足下に座っていたマリヤという婦人をイエス・キリストは大変お誉めになったんですね。それは人生において学ぶべき最も大切なものが何であるかをこの人は知っていたからだと思うんですね。

 次に誰に学ぶかってことですね。スポーツの世界でも音楽の世界でも誰について学んだかでその人はある程度決まるということが言われますよね。それにしちゃあ私はそういう優れた人に出会わなかったなあというふうにおっしゃる方がおられるかもしれませんけれども、ぜひ御紹介したいと思うんです。それは私に学びなさいと言われたイエス・キリストっていうお方ですね。この先生はいわゆる鬼軍曹・鬼コーチというふうにやたら厳しいのではなくってですね、わたしは柔和で優しいからっていうふうにおっしゃっておられて、人生の酸いも辛いもみな経験済みのお方ですね。私たちの弱さもよく御存知なお方で、まさにコーチ・指導者として最適なお方ですね。このお方についていけば間違いのない人生の学びができると思うんです。

 ではどのように学ぶかですけれども、日本語の「学ぶ」っていうことばは「まねび」から来ているっていうふうに言われますよね。つまり真似るということですよねえ。私たちがことばを覚えたのは、お父さんやお母さんや周囲の人々の真似な訳ですからね。私たちがその良いお手本を見てどれだけうまく真似るかということによってその人のあり方が決まっていくっていうことですよね。ある哲学者も、独創という事は模倣に徹する事だとさえ言っていますけども、私たちは誰の生き方の模倣をしたらよいでしょうか。

 イエス・キリストっていうお方は人間の生き方を示す最も完全なサンプルとして神に遣わされたお方なんですね。神によって造られた私たちは神様が私たちに示してくださった模範であるイエス・キリストに学ぶことはとても有意義だとそう思います。

 ( PBA制作「世の光」2005.6.13放送でのお話しより )

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■人はパンだけで生きるのではなく

2005年06月11日 | Weblog

 世の光の時間です。お元気でしょうか。羽鳥 明です。

 さあ今日の世の光は、皆様からお寄せいただく、「心に残る聖書のことば」の御紹介です。

 匿名御希望のY・Hさんは新約聖書マタイの福音書4章4節のことばをお寄せくださいました。

  イエスは答えて言われた。「『人はパンだけで生きるのではなく、神の口から出る一つ一つのことばによる。』と書いてある。」

 亡き主人が末期ガンと告知され、早ければ一週間か一ケ月の命と言われました。その時二人の子どもは小学生と中学生でした。私はクリスチャン。主にすべてをゆだねて祈ることができました。多くの兄弟姉妹そしてもちろん牧師先生・伝道師の先生たちの祈りに支えられて医学的には考えられないと言われましたが、主人は十ケ月も生かしていただきました。その間に主人の亡き後の心の備えができました。口から食べることのできない日々でしたが、この『人はパンだけで生きるのではなく、神の口から出る一つ一つのことばによる。』とのみことばを心に掲げて、祈るたびにアーメン・アーメンと言うことができました。この昔のことは今も昨日のように思い出されます。

 Y・Hさん、二人の子どもを抱えてどんな御苦労だったか身につまされます。私たち夫婦も米びつに米が一粒も無く財布に一銭も無い日があっても、いつもいつも不思議に神様に助けていただいたことを今も昨日のように思い出します。アブラハムが一人子イサクを山で犠牲にして捧げよと言われた時、彼は悲しみに打ちのめされました。でもイサクを連れて山に登って行った時にイサクの代わりの動物を神様が山に備えておられたとの聖書のことばを思い出しますねえ。そうですねえ、人はパンだけで生きるのではないのです。神の口から出る一つ一つの神のことばによって生かされ支えられるのですねえ。

 Y・Hさんの心に残る聖書のことば。
  イエスは答えて言われた。「『人はパンだけで生きるのではなく、神の口から出る一つ一つのことばによる。』と書いてある。」
 新約聖書マタイの福音書4章4節 のことばです。

 ではまた聞いてください。お便りをお待ちします。

 ( PBA制作「世の光」2005.06.11放送でのお話しより )

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さて、この番組を制作しているPBAの「世の光」の係りでは分りやすい聖書通信講座を用意していて、初めての方には無料の入門コースがお勧めとの事。詳しくはPBAに案内書を申し込みましょう。近くの教会を紹介してくれるので、気軽に問い合わせるといいでしょう。問い合わせ先は、mail@pba-net.comです。



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■笑顔の素

2005年06月10日 | Weblog

 世の光の時間です。お元気ですか? 安海靖郎(あつみやすお)です。

 今日は、笑顔についてお話しします。

 笑顔は誰もが大好きですねえ。笑顔は最高のお化粧・最高の魅力なんても言われますね。ま、笑顔はわずか一秒で良い印象を効果的に表すことができるとも言われます。ま、その人の顔の作りとかスタイル・服装以上に明るい魅力的な輝いた印象を与えることができるというのです。

 そして笑顔にはこんな効果もあると言われています。緊張の場を和らげる。安心感をもたらす。好意・興味を惹く。親しみやすさ・信頼感を感じさせる。心を開くきっかけとなる。笑顔から感じる共感が一体感を増す。出会った喜びを与える。まあ、だから笑顔こそ良い印象を与える最も大切な要素だと言われる訳ですねえ。

 どうしたらそういう笑顔を持つことができるでしょうか。ま、練習とか訓練も大いに役立つと思います。この道の専門家の貴重な経験を御紹介しましょう。心理学・パフォーマンス学博士の佐藤綾子さんはまさにこの道の日本のパイオニア・第一人者と言って良いでしょう。その著書・『はじまりの家』--副題は「悲しむのに時があり、笑うのに時がある」--という本の中でこんな事を書いておられます。お母さんを亡くされた悲しみの中にあった時、友だちに誘われて世田ヶ谷にある教会の礼拝に出席しました。そこでその教会の牧師夫人の笑顔に心を惹かれたそうです。最初の挨拶から礼拝が終わって帰る時までずうっと同じ笑顔だった。ま、佐藤さんの経験では、--政治家とか俳優とかアナウンサーとかいろんな人に笑顔の作り方を教えてこられ訓練してこられた--、大体続いても三分間だそうです。どうしてこの人はこんなに長く同じ自然な笑顔でいられるのか。それを知りたくて毎週日曜日礼拝に出席したそうです。そしてついに発見しました。この方の心の中にキリスト様が住んでおられる(と)。そしてやがて御自分もそのキリストを知り、信じてクリスチャンとなられたというのです。
 
 聖書では、キリストを信ずる人の心の中に神の聖(きよ)い霊が宿って、愛や喜び・平安・寛容な心を湧き立たせてくださると書いてあります。あなたも確かめてみてください。


(PBA制作「世の光」2005.6.10放送でのお話しより )

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■ニートと呼ばれる若者たち

2005年06月09日 | Weblog

 お元気でいらっしゃいますか。世の光の榊原 寛(ひろし)です。
 
 ニートと呼ばれる若者たちが何と87万人も越えたんだそうですね。ニートというのは学校も行かず仕事もせず職業訓練も受けないことで、失業者やフリーターとは違うというらしいんですね。このことばは90年代後半にイギリスで生まれたことばらしくて、学校も行かず仕事もせず職業訓練も受けないことを英語で表現した場合、頭文字を集めるとニート・NEETとなるようです。つまり「Not in Education, Employment or Training」なんだそうです。学校も行けず仕事もすることができず職業訓練も受けられないというならば分りますよね。何とニートと呼ばれる人々は2020年には120万人を越すだろうと言われています。この人々の中には心を病んでいる人々・引きこもりの人々も決して少なくありません。エコノミストたちは少子高齢化による労働力低下による潜在成長率を心配していますが、若者たちがなぜそうなるのかという深い部分での問題に取り組まなければならないじゃないかな、そんなことをとても感じているんですね。

 旧約聖書の箴言の6章という所には「蟻[のところ]に行って学べ」というような表現があるんですね。紹介しましょう。「なまけ者よ。蟻のところへ行き、そのやり方を見て、知恵を得よ。蟻には首領もつかさも支配者もいないが、夏のうちに食物を確保し、刈り入れ時に食糧を集める。なまけ者よ。いつまで寝ているのか。いつ目をさまして起きるのか。しばらく眠り、しばらくまどろみ、しばらく手をこまねいて、また休む。だから、あなたの貧しさは浮浪者のように、あなたの乏しさは横着者のようにやって来る。」ま、大変厳しい内容のようにも思います。なまけ者呼ばわりがあったり貧しくなるぞ乏しくなるぞなんていう警告があります。このことばはですね蟻を引き合いに出して一所懸命に働けって鞭を打つことばじゃないと思うんです。これは単に物質的に貧しいとか乏しいとかという以上に、現実は心の貧しさや乏しさについて言えることではないかなって思うんです。ニートと呼ばれる人たちの生活は親のスネをかじってでも生きていけるかもしれませんが、心がハングリーです。労働力低下や経済の成長率を心配する以上に人間としての豊かさによってどれだけ豊かな成長が遂げられるのか、そんなことを取り組んでいきたいなあと思っているんです。

 同じ旧約聖書の箴言4章23節という所には、「力の限り、見張って、あなたの心を見守れ。いのちの泉はこれからわく。」ということばがあります。まずは意志の力というよりもお互い心を強くしていきたい。そんなことを思います。
 
(PBA制作「世の光」2005.6.9放送でのお話しより )

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■いつも喜びをもって祈り

2005年06月08日 | Weblog


 世の光の時間です。お元気でしょうか。羽鳥 明です。

 さ、今日の世の光は、まず皆様からのお便りの紹介です。栃木県壬生町にお住まいの鈴木たえさんからいただきました。

 「シオンの小道はいのちの小道 天国へ続く道」私の作った讃美歌を娘と一緒に歌いました。放送が待ち遠しいです。

 鈴木さん、娘さんと一緒に讃美歌が歌える、幸せですね。

 さ、今日の約束のことばです。今日は新約聖書ピリビ人への手紙1章3節4節5節。お読みしましょう。
私は、あなたがたのことを思うごとに私の神に感謝し、あなたがたすべてのために祈るごとに、いつも喜びをもって祈り、・・・感謝しています。

 私の周りに93歳の御婦人がおります。老いさらばえて(やせ衰えて)寝たきり。ベッドに縛りつけられて何一つしたいこともできません。昔は活発に人々のため教会のために奉仕をし、働き、力一杯元気な方だったのに、今はまるでベッドという牢獄に縛りつけられた囚人のようです。しかし彼女には祈ることができました。毎日毎時祈る時に神は聞いてくださる。それ以外に、神様は93歳の彼女の心を感謝に満たし喜びに満たしてくださるのでした。

 今日のみことばを書いたパウロは本物の牢獄の囚人でした。鎖に縛りつけられて身動きもままならず老いさらばえて(やせ衰えて)いました。しかし彼のことばの中には喜びが満ち、感謝が溢れていました。人はどんなに縛りあげられても、囚人だったり寝たきりだったりしても、神に祈れば神は祈りに答えてくださり、その上心に喜びと感謝を満たしてくださる。幸福ではないでしょうか。すばらしい約束ではないでしょうか。

 私の友人の93歳の寝たきりの老婦人も喜びと感謝に満ちています。神様は豊かに彼女の祈りに答えていてくださるのですね。

 今日の約束のことば。牢獄に囚人である老使徒パウロのことば。
私は、あなたがたのことを思うごとに私の神に感謝し、あなたがたすべてのために祈るごとに、いつも喜び・・・感謝しています。」ピリビ人への手紙1章3節から5節までです。

 それではまた聞いてください。

 (PBA制作「世の光」2005.6.8放送でのお話しより )

*****

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