♪ラジオ放送・文字版「世の光」

   1952年以来、キリスト教会が協力して全国民放ラジオで放送して72年、
PBA『世の光』を文字で 

■本当の自由を求めて

2005年06月14日 | Weblog

 世の光の時間です。お元気でお過ごしでしょうか。関根弘興(せきねひろおき)です。今日もさわやかに一日を過ごしていきたいですね。

 ま、誰しも自分は自由でありたいという思いを持っています。(束縛を受けずに生きていたい。)、そう思いますよね。ま、よくこう言う人がいます。「衣食住があればそれで十分ですよー」って言うんですよね。でも本当でしょうか。それなら刑務所でも同じですよね。雨・梅雨しのぐ場所がありますし、食事は三度、適度な運動もあり、大変規則正しい生活ですから。でもあなたはそれじゃあそこでお世話になろうかって思いませんでしょう? なぜならそこには自由がないからです。人間は本当の自由を発見し見い出し掴んだ時に、実は最も人しての満足とか充足を得ることができるんですね。でも自由ということを考えるとき、私たちの自由はいつも制限がついている制限付きの自由でしかないということを知っておくことはとても大切なんです。

 しばらく前に子どもと一緒に川に行って魚を釣ってきました。すぐに家に帰ってきて水槽に水を張り飼い始めたんです。しかし悲劇は数日後に起こりました。なんと魚が泳いでいる時ジャンプしたんですねえ。ところがジャンプした拍子に水槽から飛び出してしまったんですよ。魚はきっとね、(こんな小さな水槽じゃイヤだ。俺は自由になるぞ。)と言って水槽から出たのかもしれません。でも私たちがその魚に気づいた時には既に魚は死んでしまっていました。魚にとって自由を謳歌する場所は水の中という制限がある訳です。あなたが宇宙に出たらどうでしょう。きっと分厚い宇宙服を着なければなりません。俺は鳥のように自由になろうと考えて屋上から飛び下りたらどうでしょう。怪我をするだけです。ですから自由というものは必ず制限というものがついているんですね。魚にとっては水の中が自由を謳歌する場所であり、鳥であったら大空でしょう。

 それでは人はどんな場の中に生かされる時に本当の自由を味わうことができるんでしょう。聖書のことばを紹介しましょう。第一ペテロ2章25節。「あなたがたは、羊のようにさまよっていましたが、今は、自分のたましいの牧者であり監督者である方のもとに帰ったのです。

 実は本来あるべき場所から離れてしまったら、それはとても不自由なんですねえ。羊が羊飼いから離れたら自由ではなく、それはただ危険なだけなんです。人が本当に自由を喜び楽しむためには羊飼いのもとであなたが歩むことなんですね。イエス・キリストは私たちの羊飼いです。そしてこの方の導きの中で歩むことこそ本当の自由の中で歩むことができるんですよ。

 ( PBA制作「世の光」2005.6.14放送でのお話しより )

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さて、この番組を制作しているPBAの「世の光」の係りでは分りやすい聖書通信講座を用意していて、初めての方には無料の入門コースがお勧めとの事。詳しくはPBAに案内書を申し込みましょう。日曜日に教会に行ってみるというのもいいんじゃないかなあ。近くの教会を紹介してくれるので、気軽に問い合わせるといいでしょう。問い合わせ先は、mail@pba-net.comです。











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