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 ♪ラジオ放送・文字版「世の光」

   1952年以来、キリスト教会が協力して全国民放ラジオで放送して73年、
PBA『世の光』を文字で 

■エジソンの名言の真意 / 水谷 潔

2025年03月07日 | Weblog

2024/10/25放送

 「世の光」の時間です。愛知県春日井市にあります春日井聖書教会協力牧師の水谷 潔です。 
 
 「天才とは1%のひらめきと99%の努力である」 これは、努力の大切さを教えるトーマス・エジソンの名言とされているようです。しかしこの名言が広く知られるようになった後で、エジソン本人がある会見でこう語ったそうです。

 「私は『1%のひらめきがなければ99%の努力は無駄になる』と言ったのだ。なのに世間は勝手に美談に仕立て上げ、私を『努力の人』と美化し、努力の重要性だけを成功の秘訣と勘違いさせている。」

  どうもこの名言の真意は、努力を実りあるものとする「ひらめきの大切さ」にあったようです。

 「努力は裏切らない」と言います。しかし積み上げてきた努力が無に帰する現実があります。自分なりの努力が的外れとわかり、徒労感や虚しさに襲われることもあります。
 そう考えると、目的達成につながる努力、実りある努力をすることが大切なのではないでしょうか。

 実は意外なことに聖書には努力の虚しさを嘆くようなことばが記されています。旧約聖書 伝道者の書の冒頭にあたります1章の2節と3節には、こう書かれています。

 「空の空。伝道者は言う。空の空。すべては空。日の下でどんなに労苦しても、それが人に何の益になるだろうか。」

 この伝道者の書は、かなり多くの紙面を割いてその虚しさを突き詰めるように考えてゆきます。
 そして最後に伝道者は結論をこう記しています。伝道者の書12章13節をお読みします。

 「結局のところ、もうすべてが聞かされていることだ。神を恐れよ。神の命令を守れ。これが人間にとってすべてである。」

 全てが空しく思えてしまうのは、神様を恐れず、神様の命令を守らず、神様に背を向けて生きているからだ、と伝道者は結論づけます。人間の本分は、神様を神様として崇め礼拝し、神様のことばを指針にして生きることです。その本分に生きることが、エジソンの言う1%のひらめきのように私たちの努力に意味を与え、実りあるものにするのだ、と聖書は私たちに語りかけます。

 虚しさを覚えるとき、徒労感に苛まれたとき、この聖書の語りかけに耳を傾けてみてはどうでしょう。


 ( PBA制作「世の光」 2024.10.25放送でのお話しより )


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さて、この番組を制作しているPBAの「世の光」の係りでは分りやすい聖書通信講座を用意していて、初めての方には無料の入門コースがお勧めとの事。詳しくはPBAに案内書を申し込みましょう。日曜日に教会を覗いてみるというのもいいんじゃないかなあ。日曜日は大抵、朝10時か、10時半頃からお昼頃まで集まっていて誰が行ってもオーケー。PBAに聞くと近くの教会を紹介してくれるので、気軽に問い合わせるといいでしょう。問い合わせ先は、mail@pba-net.comです。
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 このサイトは URL名として   http://yonohikari.biblica.info  が使えます。携帯からもこのURLでどうぞ。

 


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■うなだれて終わらない歩み / 水谷 潔

2025年03月06日 | Weblog

2024/10/24放送

 「世の光」の時間です。愛知県春日井市にあります春日井聖書教会協力牧師の水谷潔です。

 高校野球の強豪・浪商のエースとしてプロ野球では中日とロッテで主力投手として活躍した牛島和彦さんをご存知でしょうか。 牛島さんは引退後しばらくして2005年に横浜ベイスターズの監督に就任します。そして着手したのは低迷していたチームの投手陣の建て直しでした。

 投手陣の意識改革の一環として、「ホームランを打たれて膝に手を当て下を向いたら替える」と予告しました。するとそのシーズンは対象となる投手は一人も出なかったそうです。「しそうにはなるんですけど、下を向いて手が膝にいきかけたところで思い出して立ち直っていましたねぇ」と牛島さんは振り返ります。
 意識改革が成功し、投手たちが打者に向かっていく気持ちを失わなくなったからでしょう。そのシーズン、チームは3年連続の最下位から3位へと大躍進を遂げることとなります。

 実は聖書も、膝に手をあて下を向くこと、「うなだれること」について記しています。旧約聖書、詩篇42編5節をお読みします。

 「わがたましいよ なぜ おまえはうなだれているのか。 私のうちで思い乱れているのか。 神を待ち望め。 私はなおも神をほめたたえる。 御顔の救いを。」

 この詩篇を書いた詩人は魂がうなだれ、思い乱れています。彼はうなだれないように意識変革をしたのではなく、うなだれてしまってから意識変革をしています。
 詩人はうなだれてしまった自分の魂に向けて「神様を待ち望め」と命じます。そして、それでも自分は神様をほめたたえるのだと決断します。何と力強く前向きで、希望に満ちているでしょう。

 うなだれてしまったとしても神様を待ち望むなら希望があります。失望してしまう状況の中でも神様を褒めたたえることで、前を向いて歩んでゆけるのです。詩人は神様によって意識変革をしていただき、立ち上がろうとしています。そうです。うなだれたままで終わらない理由は、自分自身の中にではなく神様にあるのです。

 神様を信じる恵みの一つは、うなだれることがあっても、そのままで終わらないことです。
 ラジオの前のあなたも、うなだれた者の顔を上げてくださるこの神様と共に歩みませんか?


 ( PBA制作「世の光」 2024.10.24放送でのお話しより )


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さて、この番組を制作しているPBAの「世の光」の係りでは分りやすい聖書通信講座を用意していて、初めての方には無料の入門コースがお勧めとの事。詳しくはPBAに案内書を申し込みましょう。日曜日に教会を覗いてみるというのもいいんじゃないかなあ。日曜日は大抵、朝10時か、10時半頃からお昼頃まで集まっていて誰が行ってもオーケー。PBAに聞くと近くの教会を紹介してくれるので、気軽に問い合わせるといいでしょう。問い合わせ先は、mail@pba-net.comです。
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■悪人の死を喜ばれない神様 / 水谷 潔

2025年03月05日 | Weblog

2024/10/23放送

 「世の光」の時間です。愛知県春日井市にあります春日井聖書教会協力牧師の水谷潔です。 

  2019年7月のこと、京都にあるアニメ制作会社に一人の男性が侵入し、ガソリンを撒いて放火をしました。この犯罪による死傷者は70人にも及び、36人もの尊い命が奪われました。痛ましい事件として多くの人の心に今も残っている凶悪犯罪です。
 火傷を負った人々は病院に搬送されますが、その中には被疑者として逮捕拘束された男性も含まれていました。彼は救急治療を受けた後も命の危険がある重篤な状態が続いたために別の病院でより高度な治療を受け、一命をとりとめます。

 医療スタッフは最善の治療を施しました。多くの命を奪ったとされる人物に、なぜそこまでするのでしょう。それはすべての人のいのちは等しくかけがえのないものだからです。それゆえに医療はすべての人に平等であるべきだからです。報道によれば、医療人たちは彼に「生きて、償うのですよ」と語り掛けていたそうです。

 私はこのことを知った時、一つの聖書のことばを思い出しました。それは旧約聖書エゼキエル書33章11節のことばです。

 「わたしは決して悪しき者の死を喜ばない。悪しき者がその道から立ち返り、生きることを喜ぶ。」

 聖書が示す神様は、悪は憎まれますが悪を働く者を愛しておられます。そしてその人が悪を離れ、神様のもとへ立ち返り、神様と共に生きることを願っておられるのです。

 私たちは愛する大切な人が病気になったら病気は憎みますが、病気で苦しむその人を愛しますよね。そしてその人が病気から回復することを願いますよね。それと同じです。

 あなたはこのような重大な犯罪を犯してはいないでしょう。でも自らの過去や心の内を顧みるとき、ラジオの前のあなたは、自分は神様に愛されるだろうか?と疑うかもしれません。神様に受け入れてもらえないかもしれない、と心配になるかもしれません。
 しかし聖書は言います。

 「わたしは決して悪しき者の死を喜ばない。悪しき者がその道から立ち返り、生きることを喜ぶ。」

 この神様の愛に応答して神様のもとへと立ち返りませんか? 


 ( PBA制作「世の光」 2024.10.23放送でのお話しより )


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■家康と信玄の悲しい共通点 / 水谷 潔

2025年03月04日 | Weblog

2024/10/22放送

 「世の光」の時間です。愛知県春日井市にあります春日井聖書教会協力牧師の水谷潔です。 

 戦国武将の代表とされる徳川家康と武田信玄にはとても悲しい共通点があります。
 その共通点とは、二人ともが自らの長男を死に追いやっていることです。徳川家康は長男を切腹に追い込んでいます。これは長男が謀反のリーダーに担ぎあげられたからでした。武田信玄の場合も長男が家臣たちの分裂の火種になりかけたからでした。

 戦国武将たちには時にそうせざるを得ない切実な事情があったようです。親が子を死に追いやらざるをえない、そんな局面が訪れかねないというのが戦国大名たちの宿命だったようです。

 実は聖書が記す神様にも、我が子を死に追いやらざるを得ない切実な事情がありました。聖書によれば、生まれながらの私たちは誰もが神様に背を向け、歩み、本来の生き生きとしたいのちを失い、滅びへと向かっています。この神様に背を向けて歩む姿勢のことを聖書は「罪」と呼んでいます。

 しかし神様はそんな私たち人間を愛してくださり、たった一人の子であるイエス・キリストをお与えになりました。イエス様を地上に送ってくださり、私たちの罪の身代わりとして十字架にかけ、私たちのために罪の赦しの道を、豊かないのちへの道を開いてくださったのです。

 そのことを新約聖書ヨハネの手紙第一4章9節はこう記しています。

 「神はそのひとり子を世に遣わし、その方によって私たちにいのちを得させてくださいました。それによって神の愛が私たちに示されたのです。」

 戦国大名と同じように、神様がたった一人のわが子を十字架の死に追いやらなければならなかったのには切実な事情がありました。神様に背を向け歩む私たちの罪を解決し、いのちを与えるには、私たちの罪を独り子に負わせるしかなかったのです。

 わが子を十字架の死に追いやってでもあなたに本来のいきいきとしたいのちを与えようとされている神様の愛を、あなたも受け止め、応えてみませんか? 


 ( PBA制作「世の光」 2024.10.22放送でのお話しより )


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■ホウレンソウのお返しはオヒタシで / 水谷 潔

2025年03月03日 | Weblog

2024/10/21放送

 「世の光」の時間です。いかがお過ごしでしょうか。今週番組を担当する愛知県春日井市にあります、春日井聖書教会協力牧師の水谷潔です。 

 職場では上司が部下によく、報連相(ホウレンソウ)を実行するように、と言います。報連相とは、報告、連絡、相談のことです。そして何でも最近は、報連相を受けた上司は部下に対して「オヒタシ」で返すのが良い、と言われているそうです。
 「ホウレンソウ」には「オヒタシ」で返すのです。面白いですねえ。この「オヒタシ」とは何でしょう。「オヒタシ」の「オ」は「怒らない」、「ヒ」は「否定しない」、「タ」は「助ける」、「シ」は「指示する」を意味します。

 「ホウレンソウにはオヒタシで返す」。これは聖書が記している神様と人間との関係に似ています。神様と私たちの関係は、職場の上司と部下というよりは愛の絆で結ばれた親子に似ています。

 新約聖書ヤコブの手紙5章13節は言います。

 「あなたがたの中に苦しんでいる人がいれば、その人は祈りなさい。喜んでいる人がいれば、その人は賛美しなさい」

 これは、「お母さん、今日こんなことがあってとっても悲しいんだよ」「お父さん、今日はこんないいことがあったんだよ」 そんなふうに子どもが苦しみも喜びも親には素直に伝えるように、神様に伝えていきましょうということです。これに、「お父さん、お母さん、どうしたらいいと思う?」という相談を加えたら、報告、連絡、相談、まさに「ホウレンソウ」ですね。
 
 そして神様は、私たちの「ホウレンソウ」に「オヒタシ」で返してくださいます。愛をもって間違いを悟らせることはあるでしょうが、「怒る」ことはありません。神様は決してあなたを「否定」しません。あなたの祝福を願って「助けて」くださり、「指示」をしてくださいます。聖書のことばなどを通して、どうすればよいか指針を与えてくださるんです。

 新約聖書ヤコブの手紙5章13節は言います。

 「あなたがたの中に苦しんでいる人がいれば、その人は祈りなさい。喜んでいる人がいれば、その人は賛美しなさい」

 神様は、あなたの素直な「ホウレンソウ」を受け止めてくださいます。そしてそれに「オヒタシ」で返してくださいます。愛の絆で結ばれた親子のように、あなたもこの神様と歩みませんか?


 ( PBA制作「世の光」 2024.10.21放送でのお話しより )


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■神の助けは確実だ / 福井 誠

2025年03月01日 | Weblog

2024/10/19放送

 「世の光」の時間です。福井誠です。この一週間、皆さんと新約聖書のマタイの福音書を読み続けることができました。皆さん、いかがでしたか? マタイの福音書の面白さが伝わり、読み続けるきっかけになればと願います。今日は、「神の助けは確実だ」と題してお話しします。では、マタイの福音書5章3節をお読みします。

 「心の貧しい者は幸いです。天の御国はその人たちのものだからです」   

 このマタイ5章から7章まで続く一般に「山上の説教」と呼ばれる説教が語られた舞台は、ガリラヤ湖の西岸、エ・タフガだとされています。現在そこには八角堂の「垂訓の教会」が建立されています。ガリラヤ湖を一望できる、とても見晴らしのよい美しい場所です。聖地旅行では必ず訪れるスポットの一つでもあります。

 ただこの説教は、実際にはここで語られたというよりも、様々な機会にイエスが語られたものを一つにまとめたのではないかと考えられています。そして5章の最初の1節から11節は、「幸いです」と繰り返されることばから「八福の教え」とも呼ばれています。

 古い文語訳の聖書では、「幸福(さいわい)なるかな」と感嘆調の訳になっていて、実はその方がイエスの意図をよく翻訳しているとも言われます。つまりイエスは幸いになる方法や秘訣を語っているわけではなく、幸いな事実を指摘しているからです。

 たとえば、「心の貧しい者は幸いです」と語られます。詳訳聖書と言う聖書のもとの原語ギリシア語のニュアンスがわかるように様々な訳を紹介している聖書を読むと、「心の貧しい者」は、「霊において貧しい者」「自分をつまらない者と評価する謙遜な人」と訳されています。つまり、神以外に助けを求められない心の貧しさに陥ったとしても、卑屈になる必要はない、あなたは幸いだ、神の助けは確実だから、ということでしょう。

 イエスは神の子として、神の存在の確かさ、そして誠実さ、熱心さを語り掛けているのです。神を信じるその心が裏切られることは決してありません。

 では季節の変わり目、どうぞ体調に気を付けて次回をお楽しみに。
 またこの放送でお会いしましょう。


 ( PBA制作「世の光」 2024.10.19放送でのお話しより )


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■人間を取る漁師 / 福井 誠

2025年02月28日 | Weblog

2024/10/18放送

 「世の光」の時間です。いかがお過ごしでしょうか? 今週は福井 誠が担当しています。今日はその五日目。暦では「食欲の秋」「読書の秋」「スポーツの秋」と色々と活動が楽しまれる季節です。聖書もじっくり読んでみたいところです。では昨日の続きで、「人間を取る漁師」と題してお話をします。新約聖書マタイの福音書4章19節をお読みします。

 「イエスは彼らに言われた。『わたしについて来なさい。人間をとる漁師にしてあげよう。』」   

 マタイの福音書はこの4章後半から18章まで、イエスのガリラヤ宣教と呼ばれる期間に起こったエピソードを記録しています。イエスはイスラエルの土地をくまなく旅しましたが、マタイはその中でもイエスが北ガリラヤ地方で活躍していた時の記録に多くの紙面を費やしているのです。

 どうしてだろう?と思います。実はこの北ガリラヤ地方は当時のユダヤの領主ヘロデ・アンティパスが本拠地としていた場所です。このヘロデ・アンティパスはイエスに洗礼を授けたバプテスマのヨハネを殺しています。イエスはそんなヘロデを恐れることなく、堂々と宣教活動をしたということなのでしょう。イエスはまことに神の子としての風格を示されたのです。そしてこの地で多くの弟子を呼び集められました。

 当時の弟子たちは文字通り教師の後について教師と共に生活する中でその教えを吸収しました。
 しかしイエスが期待されたのは漁師となることでした。与えられた魚を食べて喜んでいるのではなくて、自らの手で魚を釣ることができる人になることでした。つまり、イエスから聞いた教えをよく消化して、その教えを自分自身のものとして、実際に他の人にもイエスの教えを教えられるようになることです。

 イエスは私たちにも同じように語り掛けていることに間違いはありません。イエスは後に、「あなたがたは行って、あらゆる国の人々を弟子としなさい」(マタイ28章19節 )と言いました。これからマタイの福音書をさらに読み進み、これをよく理解するなら、私たちは単に慰められ励まされるどころか、人を救いに導く力をも身に付けるように整えられるのです。


 ( PBA制作「世の光」 2024.10.18放送でのお話しより )


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■悪魔の誘惑 / 福井 誠

2025年02月27日 | Weblog

2024/10/17放送

 「世の光」の時間です。いかがお過ごしでしょうか? 今週は福井 誠が担当しています。今日も昨日に続いてマタイの福音書を読みます。では「悪魔の誘惑」と題してお話しします。新約聖書マタイの福音書4章4節をお読みします。

 「イエスは答えられた。『人はパンだけで生きるのではなく、神の口から出る一つ一つのことばで生きる』と書いてある」

 今日(こんにち)、聖地旅行に行きますと、イエスが悪魔の誘惑を受けたと考えられている場所を必ず訪問します。それはエリコという町に位置する300mほどの小高い山、モンス・クアランタナという場所です。緑の少ない岩肌の山で、険しい道が山頂まで続き、ちょうどギリシヤ正教会の修道院がその中腹にあります。
 私もその場を訪れて、なるほど、ここでイエスは誘惑を受けたのか、とその山を遠目に眺めながらしみじみ思った記憶があります。

 さて、イエスはそこで40日40夜断食をし、空腹を感じられました。
 すると悪魔がやってきて、「神の子なら、石をパンになるように命じよ」というのです。
 悪魔はイエスに神の子としての能力を示すように促しました。
 しかしイエスは断られました。神の力は神の栄光を表す目的のためにのみ使うものです。イエスは多くの奇跡を行いましたが、ご自分の利益のためではなく神の御性質を教えるためにそうされました。

 次に悪魔は旧約聖書の詩篇のことばを引用して、その山から飛び降りて神に守らせてみよ、とけしかけます。するとイエスは、それは神をあからさまに試みることだ、と応じます。確かに、神の力と権威は、軽々しく試みることのできない偉大なものです。

 そこで最後に悪魔は、神ではない自分の力を試してみないか?と誘惑します。世の指導者たる者にとって最大の誘惑は、神ならざるものを神とすることです。自分を神として権力を振り回したり、悪に心を売り渡してまでも目的を達成したりする誘惑です。
 しかし、イエスはまことに神の子、ただ神に従い神のみこころを行うことに徹するお方でした。悪魔の誘惑のエピソードは、信仰を持つ者がどのように神に従い生きるかを教えます。イエスのように神の力と権威の偉大さを認め、遜(へりくだ)って、神に従って歩むことです。


 ( PBA制作「世の光」 2024.10.17放送でのお話しより )


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■筋を通される神 / 福井 誠

2025年02月26日 | Weblog

2024/10/16放送

 「世の光」の時間です。いかがお過ごしでしょうか? 今週は福井 誠が担当しています。継続は力なり。聖書を読む楽しさが次第に身に付いてくるものです。
 今日も新約聖書のマタイの福音書3章から読んでまいりましょう。今日は、「筋を通される神」と題してお話しします。マタイの福音書3章15節をお読みします。

 「しかし、イエスは答えられた。『今はそうさせてほしい。このようにして正しいことをすべて実現することが、わたしたちにはふさわしいのです。』 そこでヨハネは言われたとおりにした」   

 このことばはイエスがキリスト教の儀式であるバプテスマ、つまり洗礼を受けた時に語られたものです。月曜日にもお話したように、バプテスマは当時悔い改めを必要とする罪人に授けられるものと考えられていました。
 それを私たちが神と信じるイエス・キリストが受けられるのです。違和感を覚えるのは私ばかりではないでしょう。実際、イエスに洗礼を授けたバプテスマのヨハネもこれは違うと考え、「自分こそイエスから洗礼を受けるべき者であり、あなたに洗礼を授けるなどとんでもない」と抵抗しているのです。

 するとイエスは、「そうではない。このことで議論するのは止めて、とにかく私が願うように洗礼を授けるように。それが神の前にも正しいことだから」とヨハネに洗礼を授けさせるわけです。

 このやりとりの中に私は、私たちが信じる神の考え方また性質を感じるところがあります。
 つまり、私たちの救い主は、旧約聖書に預言されたとおりにこの地上にお生まれになりました。それは人類をその底辺から救うための神の遜(へりくだ)りでした。そして神は、信仰の初めの洗礼においても人に必要とされるものは皆行う、ご自分にも例外を設けないという姿勢を貫かれたのです。

 このように、神であってもご自分を特別扱いされず、正しいことの筋を通されるお方であるなら、私たちも安心して従うことができるというものでしょう。神は正しいことをされるお方、正しく物事を導くお方なのです。


 ( PBA制作「世の光」 2024.10.16放送でのお話しより )


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■血筋とは一切関係がない / 福井 誠

2025年02月25日 | Weblog

2024/10/15放送

 「世の光」の時間です。いかがお過ごしでしょうか? 今週は福井誠が担当しています。昨日からマタイの福音書を読み進めています。今日は、「血筋とは一切関係がない」と題してメッセージをいたします。新約聖書マタイの福音書3章9節をお読みします。 

 「あなたがたは、『われわれの父はアブラハムだ』と心の中で思ってはいけません。言っておきますが、神はこれらの石ころからでも、アブラハムの子らを起こすことができるのです」   

 「われわれの父はアブラハムだ」ということばは当時のユダヤ人にはよく使われたことばです。それは一種自慢めいた言い方で、自分たちが神に愛されたアブラハムの子孫であること、つまり神の特別な加護の下にある民族の一員だ、と主張するような言い方でした。

 しかし、預言者のバプテスマのヨハネは、それは考え違いだ、と言うのです。神は、アブラハムなどとは全く関係のない 人間でもない「これらの石ころからでも」アブラハムの子孫と呼ぶような者を起こすことができる。つまりアブラハムと同じように、神に愛される信仰者になることは血筋とは一切関係のない事だ、と言うのです。

 確かに信仰を持つことは個人的な経験です。熱心な信仰の両親のもとに生まれたからその子も信仰者である、あるいは先祖代々キリスト教を信じてきた家柄にあるから自動的に信仰者となることはありません。
 たとえそのような両親や家系に生まれたとしても、人は個人的に神と向かい合って神の前に罪を悔い改めて、イエスの十字架にある罪の赦しに対する信仰を告白して信仰者となっていくのです。

 またさらに言えば、日々誰かの信仰にあやかって信仰を続けることもありません。自立的に神を呼び求め、心を通わす時を持ち、神のことばに生きていく。そのような主体的な信仰によってこそ、アブラハムの子孫、神に愛される信仰者になれるのです。

 神は私たちに個別に関わり、個別に祝福してくださる方であることを覚えましょう。


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