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 ♪ラジオ放送・文字版「世の光」

   1952年以来、キリスト教会が協力して全国民放ラジオで放送して73年、
PBA『世の光』を文字で 

■権力者の高ぶり / 板倉邦雄

2025年03月19日 | Weblog

2024/11/07放送

 「世の光」の時間です。いかがお過ごしですか? 板倉邦雄です。

 今日は、「権力者の高ぶり」という題でお話ししましょう。『七つの大罪』という書物があります。その筆頭は「高ぶり」という大きな罪です。今日のヨハネの福音書7章45節からは、当時の権力者たちの高ぶりの大罪が描かれます。

 さて、イエス様を捕えるために遣わした役人たちが当時の権力者たち、いわゆる神殿運営の最高責任者・祭司長たち、旧約聖書の専門家・パリサイ派の人たちの所へ帰ってきました。
 ところがイエスを捕まえて連れて来なかったので彼らは役人たちを責めて言いました。「なぜ、あのイエスを連れて来なかったのだ!」

 すると役人たちは答えました。「これまで、あの人のように話した人はいませんでした。」

 高慢な権力者は自分の願いや求めが叶わないとき人々を責めるのです。そして自分の部下や仲間であっても叱責するのです。現代、問題になっているパワハラでしょう。悪魔の特徴の第一ですね。天と地とをひっくり返すのです。

 そして、手ぶらで帰って来た役人たちに権力者たちは皮肉を込めて言いました。「あなた方までがだまされているのではないか? 役人やパリサイ派の中で一人でもイエスを信じた者があっただろうか。あのイエスを信じる輩(やから)は無学な漁師や貧乏人たちだ。役人や有識者であるパリサイ人の中では誰もイエスを信じる者はいない。」と断定したのです。

 悪魔の特徴の第二は、はっきりと断定することです。

 ところがパリサイ派の中の一人で、以前にイエス様に会いに来たニコデモが仲間たちに反論します。「私たちの信奉するモーセの律法によれば、まずその人の言い分を聞き、その人がしたわざを知った上でなければ、裁くことはしないのではないのか?」

 ニコデモはモーセの律法が歪められていることに耐えられなかったのです。

 しかし、高慢な権力者たちに聞く耳はありませんでした。「ニコデモさん、あんたもガリラヤ出なのか? よく調べてみなさい。ガリラヤからは預言者が出るものではないことが分かるでしょう。」

 権力者の高ぶりは明らかです。自分の意思に適わない人は断罪し、自分の主張が正しいと断定し、神の律法までも自分流に解説してしまうのです。


 ( PBA制作「世の光」 2024.11.07放送でのお話しより )


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さて、この番組を制作しているPBAの「世の光」の係りでは分りやすい聖書通信講座を用意していて、初めての方には無料の入門コースがお勧めとの事。詳しくはPBAに案内書を申し込みましょう。日曜日に教会を覗いてみるというのもいいんじゃないかなあ。日曜日は大抵、朝10時か、10時半頃からお昼頃まで集まっていて誰が行ってもオーケー。PBAに聞くと近くの教会を紹介してくれるので、気軽に問い合わせるといいでしょう。問い合わせ先は、mail@pba-net.comです。
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 このサイトは URL名として   http://yonohikari.biblica.info  が使えます。携帯からもこのURLでどうぞ。

 


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■腹から生ける水が / 板倉邦雄

2025年03月18日 | Weblog

2024/11/05放送

 「世の光」の時間です。いかがお過ごしですか? 板倉邦雄です。
 今日は、「腹から生ける水が」という題でお話ししましょう。ヨハネの福音書7章37節からです。

 さて、ユダヤ人の仮庵の祭が終わりに近づいた時です。イエス様は神殿の境内で立って、多くの巡礼者たちに向かって大声で言われました。「誰でも渇く者はわたしのところに来て飲むがよい。わたしを信じる者は旧約聖書に書いてある通り、その腹から生ける水が川となって流れ出るであろう。」

 イエス様は、誰でも渇いている人はわたしのところに来て飲むがよい、と勧めました。私たちは渇いた身体と心を潤すために、いのちの水が必要です。神であるイエス・キリストはその両方を私たちに与えてくださっていますね。

 では、心の渇いている人がどうやってイエス様のところへ行って、生ける水を飲むことができるのでしょうか? それは、「わたし(イエス様)」を信じる人であります。「わたしのところに来て飲むがよい」とは、イエス様を信じる信仰のことです。「わたしを信じる者は聖書に書いてある通り、その腹から生ける水が川となって流れ出るであろう」とおっしゃいました。

 イエス様は私たちの心の渇きを癒やす生ける水の源です。信仰というパイプを通してイエス様につながりますと、私たちの腹からも生ける水の川が流れ出てくるのです。
 腹とは私たちの心があるところのようですね。私たちの理性、感性、自由意志、そして道徳性を持つ心は、頭ではなく、どうも身体の中心の腹にあるようです。「腹が立つ」と言います。「頭が立つ」とは言いません。

 では最後に、「生ける水の川」とは何のことでしょう。「それはイエス様を信じる人々が受けようとしている御霊を指して言われた」と、このヨハネ福音書の作者は解説しました。神とキリストから与えられる聖霊の祝福です。
 聖書では聖霊の祝福の実りを、「愛、喜び、平和、寛容、慈愛、善意、忠実、柔和、自制」と言っています。このような数々の生ける水の川が、イエス様を信じる私たちの心から流れ出てくるのです。


 ( PBA制作「世の光」 2024.11.05放送でのお話しより )


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さて、この番組を制作しているPBAの「世の光」の係りでは分りやすい聖書通信講座を用意していて、初めての方には無料の入門コースがお勧めとの事。詳しくはPBAに案内書を申し込みましょう。日曜日に教会を覗いてみるというのもいいんじゃないかなあ。日曜日は大抵、朝10時か、10時半頃からお昼頃まで集まっていて誰が行ってもオーケー。PBAに聞くと近くの教会を紹介してくれるので、気軽に問い合わせるといいでしょう。問い合わせ先は、mail@pba-net.comです。
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■捜しても見つからない / 板倉邦雄

2025年03月17日 | Weblog

2024/11/04放送

 「世の光」の時間です。いかがお過ごしですか? 板倉邦雄です。
 今日は、「捜しても見つからない」という題でお話ししましょう。

 仏教の「四苦八苦」の苦しみの中で、求めても求めても得られない苦しみというものがあります。イエス様も、捜しても捜しても見つからないで苦しむ人について語りました。ヨハネの福音書7章32節からです。

 では、それはどのような人なのでしょうか? イエス様の人気は民衆の間でうなぎ上りでした。それを耳にした当時のパリサイ派の律法学者は心に激しい妬みを起こし、イエス様を捕えようとしました。
 しかし自分たちだけでは力がありません。そこで普段は仲の悪いサドカイ派の祭司長や長老たちと手を組んだのです。そして役人たちをイエス様のもとへ遣わしました。普段は対立していても同じ利益のためだったら手を組むわけですね。これぞ悪魔の手口の一つです。

 するとイエス様は、遣わされた役人たちとパリサイ派の学者たちとサドカイ派の祭司長たちにこう言われました。
 「今しばらくの間、わたしはあなたがたといっしょにいます。それからわたしをお遣わしになった神のもとへ行きます。」

 彼らはイエス様を憎んで、捕まえて殺そうと計画していました。しかし、父なる神が定めた時が来るまでは何もすることはできないのです。そして、「殺されたとしても予定通りわたしは天の父のみもとに帰るだけだ。だから、あなたがたはできる限りのことをするがよい。どんなことをしてもわたしのすることを妨害することはできない。」と言っているのです。

 そして続けてイエス様はこう言われました。
「あなたがたはわたしを捜すであろうが、見つけることはできない。そしてわたしのいるところにあなたがたは来ることができない。」

 彼らはイエス様を捕え殺そうとしていました。しかし、いつの日か惨めで絶望的な時の中でイエス様を必死で捜し求める時がやって来るのです。癒しを求め、慰めを求め、そして救いを求め、イエス様を捜す時が来るのです。
 しかし、捜しても捜しても見出すことができない日が来るのです。

 イエス様のことばです。
 「わたしが道であり、真理であり、いのちなのです。わたしを通してでなければ、だれも父のみもとに行くことはできません」ヨハネの福音書14章6節


 ( PBA制作「世の光」 2024.11.04放送でのお話しより )


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■真の幸い / 菊地 新

2025年03月15日 | Weblog

2024/11/02放送

 「世の光」の時間です。私は山形市にある山形ホーリネス教会の牧師・菊地 新(あらた)です。

 今日は、イエス・キリストが語られた有名な「山上の説教」から「真の幸い」についてお話しします。
 マタイの福音書5章3節をお読みします。

  「心の貧しい者は幸いです。天の御国はその人たちのものだからです。」

 この聖書のことばは一般的な価値観と全く反対です。普通は「富や教養、力のある者は幸いである。なぜなら、彼らはこの世で栄えるから」と考えます。
 ここで言われている「幸いです」は物質的な幸いではなく、霊的な幸い、心の祝福のことです。
 また「心の貧しい」の「貧しい」とは、破産して借財を払う見込みの全くたたなくなったような貧乏、その日その日の生活にも差し支えるような貧乏、という意味です。

 「心の貧しい」というのは、自分を救うための何ものも持っていない全くの無一物(むいちもつ)であることで、従って功績のない者をも顧みてくださる神の恵みである救いを受けなければ他に救われる道が全くないこと、をいいます。

 かつて私は一人の男性がクリスチャンになった記事を読んで大変感動したことがあります。その方の家庭の中では奥様だけがクリスチャンでした。ご主人は奥様が教会に行くのを反対することはなかったのですが、自分が足を運ぶのにはためらいがありました。
 その方は学生の時から陸上の長距離が得意で、健康にはかなりの自信を持っていました。
 ところがある日、自分の身体に異変を感じ病院に行って診てもらったところ、ある病にかかっていることがわかり愕然としました。大いに悩んだ末に奥様にこう言いました。
 「僕はこれまで健康に頼って生きてきたけれど、この度健康を失ってしまい、もう頼るものがなくなってしまった。これからは、一緒に教会に行くよ。」と。
 次の日曜日から教会の礼拝に毎週欠かさず出席するようになり、やがてイエス・キリストを自分の救い主と信じる決心をし、洗礼を受けたということです。

 あなたも教会にお越しください。


 ( PBA制作「世の光」 2024.11.02放送でのお話しより )


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■新しく生れた私 / 菊地 新

2025年03月14日 | Weblog

2024/111/01放送

 「世の光」の時間です。私は山形市にある山形ホーリネス教会の牧師・菊地 新(あらた)です。

 「新(あらた)」という名前は比較的少ないです。名付け親は私の父です。牧師だった父が、「息子の名前を、新(あらた)とつけたよ」と同期の仲間たちに話したところ、「すごいいい名前つけたなあ」と言われたそうです。
 けれども私は名前負けしていました。私は小さい頃から劣等感で悩んでいました。背が低く、気が弱く、何をしても自信がありませんでした。

 私が中学二年生の時のことです。数学の先生は答案用紙を渡すとき、名前を呼んだ後、必ず点数をみんなの前で発表するのです。数学が苦手な私にはそのときが嫌で嫌でたまりませんでした。
 あるテストが終り、数学の授業の時、先生が答案用紙を持って来ました。いよいよ私の番になり、先生から「あらた」と呼ばれ、返事をして前に出て行ったら、「○○点! さっぱり新しくないなぁ!」と言われてしまいました。それは、これまでの成績とほとんど変わっていないことを意味していました。私はとてもショックでした。「頭がいい人はうらやましいなあ」 いつもそんなことばっかり考えていました。

 高校一年生の冬のある日、私は初めて仮病を使って早退しました。その頃の私は、生きる目的がわからなくて無気力になっていたのです。帰宅した私を見て、父は咎めることなく私の話を聞いた後で聖書を開いてくれました。新約聖書コリント人への手紙第二 5章17節でした。

 「ですから、だれでもキリストのうちにあるなら、その人は新しく造られた者です。古いものは過ぎ去って、見よ、すべてが新しくなりました。」

 父は、この個所から私の名前をつけたこと、そして、だれでもキリストを信じる者は新たに生まれ、新しい立場に立つので、理想、感情、好み、生涯の目的などがみな新しくなる、と教えてくれました。
 それを聞いて私はハッとしました。すぐに自らの罪を悔い改め、キリストを救い主と信じて新しく生れる経験をすることができました。

 どうぞ放送を続けてお聴きください。


 ( PBA制作「世の光」 2024.11.01放送でのお話しより )


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■愛は『無駄』と思えることの中にある / 齋藤航大

2025年03月13日 | Weblog

2024/10/31放送

 「世の光」の時間です。本日は山形県酒田市にある酒田キリスト教会の副牧師・齋藤航大(こうだい)がお話しします。

 「正義のヒーローの本質は『余計なお世話』である。」これは某人気ヒーローアニメに登場する一番強く誰からも慕われているあるヒーローキャラクターがひよっこヒーローである主人公に伝えたことばです。このことばを聞いて、ある聖書の場面を思い出しました。

 ある女性が宴会の席でイエス・キリストの頭に高価な香油を注いだところ周囲からブーイングを受けた、というエピソードがあります。
 宴会のゲストの頭の上に油を注ぐというのは当時の慣習として存在しましたが、問題だったのはその香油は海外輸入品で、当時のイスラエル人の年収分の価値があるものでした。これをたった一度きりで使い切ってしまったことが周りの目には良く映らなかったそうです。その女性の行動を見て、周囲の人々はこれを無駄遣いだと批判しました。
 しかしイエスは彼女をかばい、こう言いました。「なぜ困らせるのですか。わたしのために良いことをしてくれたのです。」
 それは彼女がそこまでしてもイエスをもてなしたいという思い、その親切、愛情をしかと受け止められたからでした。彼女の取った行動は今でも多くのイエスを信じる人々から称賛されています。

 イエス・キリストというお方はすべての物事を合理的に効率的にはお考えにならないようです。その一方で私たちの社会では、あらゆる物事を合理的効率的に考えるように求められています。そのために例えば、道に落ちているゴミを拾うのをためらったり、困っている人を見て見ぬふりをしたり、そんな経験はありませんか?

 私たちの日常生活でも、効率や合理性だけでなくあの女性のような愛のある行動が重要です。たとえそれが「余計なお世話」に見えても、そんな小さな親切が誰かの人生を大きく変えるかもしれません。

 私たちはイエス・キリストを知ることで、人を喜ばせ自分も幸せになる「愛の秘訣」を学ぶことができます。あなたも誰かに愛されるからこそ今日も生きていこうと思えるのではないでしょうか。

 イエス・キリストはあなたを愛しており、私たちが互いに愛しあって生きる喜びを聖書の中から見出されることを願っています。


 ( PBA制作「世の光」 2024.10.31放送でのお話しより )


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■酒屋の息子が牧師に! / 高橋富三

2025年03月12日 | Weblog

2024/10/30放送

 「世の光」の時間です。。山形県酒田市にある酒田キリスト教会の牧師・高橋富三です。

 私の生まれ育った家は酒屋です。6人兄弟の私たちは酒の配達に駆り出されるのが常でした。短気な性格の私には、暴言を吐いたり、小競り合いもしばしばありました。そのような自分を直そうとしても直せないで悩んでいました。高校1年生の時、教会に誘われ、聖書を読んで自分の心が鏡に写し出されるようなことばがありました。

 「私には、自分のしていることが分かりません。自分がしたいと願うことはせずに、むしろ自分が憎んでいることを行っているからです。・・・ですから、今それを行っているのは、もはや私ではなく、私のうちに住んでいる罪なのです」(ローマ人への手紙7章15節、17節)

 ここから、私の心の中には私でないもう一人の自分が住んでいる事に気づきました。私は自分で自分を持ち上げられないように、自分でもう一人の自分を治めきれない事を認めました。その私にもう一つの聖書のことばが示されました。

 「もし私たちが自分の罪を告白するなら、神は真実で正しい方ですから、その罪を赦し、私たちをすべての不義からきよめてくださいます」(ヨハネの手紙 第一1章9節)

 この聖書の約束を信じて悔い改めました。すると罪の赦しを確信して心の解放を受けました。それだけでなく、自己鍛錬のために剣道をしていた自分の筋肉の力ではなく霊的なイエス様のいのちの力が与えられ、喜びと感謝が心から溢れるようになりました。

 自分の将来の仕事を考える段になった時、この自分の経験を伝えないではいられないとの思いから牧師を志し、現在、酒田で牧師をさせていただき50年になります。

 あなたも聖書を手にとって読んでみませんか? またお近くの教会へぜひお越しください。


 ( PBA制作「世の光」 2024.10.30放送でのお話しより )


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■一人ぼっちにしない神 / 高橋香世

2025年03月11日 | Weblog

2024/10/29放送

 「世の光」の時間です。私は山形県のど真ん中、大江町キリスト教会の牧師・高橋香世です。

 私は一人でのんびり過ごす時間が大好きですが、聖書の中に興味深いことばを見つけました。それは、創世記2章18節、神様が初めの人間を造ったときのことばです。

  「人がひとりでいるのは良くない」

 「一人でいるのは良くない」・・・本人が言ったのではなく神様がおっしゃったというのです。「神様」というとお願いを聞いてくださる、困った時に必死にお祈りする相手、と思いますよね。

 ところが聖書に書かれている神様は、神様のほうが私たちに良いものを与えたい!と願っているのですねえ。私たちを愛してくださって、いつも最高に良い事をしてあげようと考えてくださるのです。

 一人でいるときの良さもありますが、孤独でいるのは良くない。誰かと語り合ったり、協力したり、重荷を分かち合ったり、・・・。誰でもいいわけじゃない、誰かふさわしい人があなたのそばにいるといいなあ、と神様は思ったのです。

 神様は私たちがお願いするより前に、私たちに何が足りないのか、何が必要なのか知っていてくださいます。そして私たちを愛しておられるので、私たちに与えようとなさる神様なのです。

 ここで聖書は人間の結婚の尊さを教えているのですが、今日は結婚について焦点を合わせるよりも神様に目を向けたいと思います。
 この一言を見るだけでも、こんなに私たちを愛し、私たちを心配し、私たちのために必要を満たしてくださる神様なのですから。

 私たちは自分で自分を大事にしているつもりでも、神様はもっと深い愛で私たちを見つめておられます。あなたをあなたよりも知っていて、あなたのために私たち一人一人のために素晴らしい助け主・救い主を用意してくださいました。それがイエス・キリストです。

 自分をこんなに大事に思ってくださる神様を知らなかった、もっとイエス様について知りたい、と思われた方はぜひ教会をお訪ねください。神様の恵みが豊かに注がれますようお祈りいたします。


 ( PBA制作「世の光」 2024.10.29放送でのお話しより )


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■罪責感からの解放! / 金野正義

2025年03月10日 | Weblog

2024/10/28放送

 「世の光」の時間です。山形県米沢市にある恵泉キリスト教会米沢チャペル牧師金野正義です。

 あなたに聖書のことばを一つご紹介させてください。

 「もし私たちが自分の罪を告白するなら、神は真実で正しい方ですから、その罪を赦し、私たちをすべての不義からきよめてくださいます。」 ヨハネの手紙 第一1章9節

 かつての私は罪責感に苦しんでいました。ある方にしてしまった事が原因で自分の心が責められるようになったんです。誰かがその行為を私に指摘し私を責めたわけではありません。しかし、「あんなことしなければ良かった」という後悔が私の内で声となり、「おまえのせいであの人の人生、狂ったんだ」と心責められたんです。

 そしてこの罪責感を自分の力ではどうすることもできませんでした。

 そんなとき、先に紹介した聖書のことばと出会いました。
 そして、私たちの罪という問題に解決を与えるためにイエス・キリストが十字架にかかってくださったことを知りました。イエス・キリストは私たちを罪の奴隷状態から贖い出すために、ご自分のいのちを贖い金として十字架で支払ってくださったんです。

 私は決心しました。私の罪の問題をイエス・キリストにお任せしよう。
 その日、これまで誰にも話せなかった自分の罪を祈りの中で素直に(神様に)告白しました。教会の牧師先生にもお願いし、私の罪の解決のために一緒に祈っていただきました。
 するとどうでしょう。驚くべき事に、これまでどうすることもできなかった罪責感が嘘のように無くなったんです。

 聖書は語ります。

 「もし私たちが自分の罪を告白するなら、神は真実で正しい方ですから、その罪を赦し、私たちをすべての不義からきよめてくださいます。」

 神様のことばは真実です。 いかがでしょうか、あなたの周りで私のように罪責感に苦しんでいる方はおられませんか?
 もしくは、あなた自身が罪責感で苦しんでいるということはないでしょうか? 

 もし罪責感で苦しんでいるなら、あなたもその罪の解決をイエス・キリストにお願いしてみませんか?
 
 ぜひ今度の日曜日、お近くの教会に足を運んでみて下さい。


 ( PBA制作「世の光」 2025.10.28放送でのお話しより )


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■泣いて叱ってくれる人 / 水谷 潔

2025年03月08日 | Weblog

2024/10/26放送

 「世の光」の時間です。愛知県春日井市にあります春日井聖書教会協力牧師の水谷潔です。

 以前、一人のクリスチャン青年からお聞きした話です。彼はある高校の教師でしたが、ある年の卒業式の時のこと、先生たちを困らせてばかりだった男子生徒が彼のもとに来てこう言ったそうです。
 「こんな俺のために、『自分を大事にしろよ』って涙を流して叱ってくれた先生のことを僕は一生忘れません」

 自分を大切にできない背景には、愛され大切にされることのない家庭環境があったのかもしれません。たとえ深刻な背景があったとしても、自分に本気になってくれた先生がいたこと、自分を大事にするようにと涙を流して叱ってくれた大人がいたことは、彼の人生にとって大きな意味を持ったことでしょう。

 新約聖書エペソ人への手紙4章15節にはこんなことばがあります。
  「むしろ、愛をもって真理を語り、あらゆる点において、かしらであるキリストに向かって成長するのです」

 聖書は「愛をもって真実を語るように」と勧めています。愛をもって真実を語る。それは場合によっては、愛する誰かの過ちを「間違っているよ」と語ることを意味します。上から目線で相手の過ちを指摘するのでもありません。相手を断罪するのでもありません。「それは間違っているよね、あなたを幸せにしないよね」「もうやめましょう。自分を大切にしましょう」 そんなふうに愛を込めて涙を流すように、過ちを悟ってもらうのです。相手を愛し、相手のために時には嫌われることも覚悟してそう語るのです。それが真実の愛の歩みでしょう。

 「むしろ、愛をもって真理を語り」とエペソ人への手紙4章15節は言います。「自分を大切にしろよ」と泣いて叱ったクリスチャン教師の根底にはこの真実の愛があったのでしょう。いいえ、彼自身がその愛で愛されているからこそ、同じ愛をもって生徒に接することができたのでしょう。

 神様はあなたに対して本気です。あなたが自分を大切にしていないなら涙を流して叱ってくださる方です。神様のこの真実な愛を受けて、歩んでゆきませんか? 


 ( PBA制作「世の光」 2024.10.26放送でのお話しより )


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