花の四日市スワマエ商店街

表参道スワマエ商店街会長のひとり愚痴

花の東海道⑨戸塚宿

2021年12月22日 | レモン色の町

境木を超えると戸塚の宿場へ入る。此処も平坦な街道ではなく上り下りの多い山坂道である。しばらく歩くと柏尾川が流れて大きな橋が架けられており、その手前に道標が立ち「左り、かまくら道」と読める。大きな茶屋があり、鎌倉へ向かう人々はここでひと休みして、川沿いに街道をそれて歩きはじめるのだろう。往来の人々の姿が多くなっていた。

戸塚のこめや付近 戸塚は最初 宿場ではなかったが慶長5年(1604)に宿駅となった。

戸塚は江戸から十里半、小田原へ十里という地点にあり、旅人の一日の行程にちょうど適した距離である。江戸からの旅人の多くはここで一泊めの宿をとる。二泊めは小田原、そして箱根の関所へ向かう。

Fベアト撮影 戸塚宿 (年代不詳)

戸塚の宿場は賑やかだった。七十五軒という旅籠が軒を並べている。茶屋や土産物屋の店も多い。同行の喜兵衛は「本陣や脇本陣は窮屈でならぬ。なみの旅籠にせよ」と半睡に言い含められている。門構えもいかめしく、玄関や書院までを備えた屋敷ではおもしろくも何ともない。しかし、一般の旅籠は“飯盛女”と呼ばれる娼婦を置いたところが多く、それでは遊女屋に泊まるのと変わらない。

旅籠を探しに行った喜兵衛が駆け戻ってきて、大きくはないが落ち着いた旅籠に草履を脱いだ。

十時半睡事件帖 東海道を行く 白石一郎著 より

広重 東海道五十三次 戸塚


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9 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
Unknown (伊勢生まれの下総人)
2021-12-22 19:05:17
喜兵衛って、彼のご主人様はどなたでしょう。
すみません。読み落としちゃったのかも、、、、、、?
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喜兵衛とは? (タケオです)
2021-12-24 10:28:18
丸写しの連続で、白石一郎様には大変失礼だったです。すっ飛ばし、結果文脈があやふやになり申した。陳謝致します。喜兵衛さんは、日雇い請負人と呼ばれる道中人足さんのことです。快適な旅をと、お金で雇われました。気は使いますが、いいご商売だったでしょうね。旅のガイドから道中の困りごとまで、なんでもひきうけました とさ。・・・かな?
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Unknown (伊勢生まれの下総人)
2021-12-24 15:55:26
ご主人様は?
お金と暇のある旅好きの、さるやんごとなきお方ということでよろしいのでしょうか。🤗🤗🤗
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十時半醉は? (タケオです)
2021-12-25 11:19:41
十時半醉、九州は福岡藩で長く総目付をつとめていました。現在は60代で隠居の身でしたが、江戸藩邸の風俗の退廃を憂い、老臣たちが改革のために、半醉を指名、江戸へ向かわせます。そして、江戸生活が三年過ぎたころ、福岡の息子が病に倒れている報を聞き、老臣らが気遣って一旦帰郷させるに至ったと、ま、こういう訳です。
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Unknown (Unknown)
2021-12-26 00:40:06
十時半睡?
人の名前だったのですね。
なんと読むのでしょうね。
ときにこの人、睡たかっただけで“酔って”はいなかったようですね。🥱🥱🥱😴😴😴
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Unknown (伊勢生まれの下総人)
2021-12-26 00:43:29
例によってドジ。
名前を入れ忘れました。
Unknownではなく、下総人で〜す。
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十時半醉 (タケオです)
2021-12-26 09:36:10
とときはんすい と読んで 元総目付役の老人!  いえいえ まだまだお若い 我々から見れば 若造です 我々は十歳は若い現代人でございます
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Unknown (伊勢生まれの下総人)
2021-12-26 15:53:34
半酔ではなく、半睡ではありませんか。
やはり飲まないと眠れませんかね?😅😅😅
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ウワォー (タケオです)
2021-12-26 17:45:29
間違っておりました
白石様には 大変失礼をいたしました
ご指摘ありがとうございました
訂正、訂正!
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