戸井十月著「植木等伝 わかっちゃいるけど、やめられない!」小学館 図書館でお世話になりました。
2007年80歳で逝かれた。三重県伊勢市のお寺に生まれた植木等は、決して無責任男ではなかった。
破天荒な性格の親父に「いつどこにいても、六方拝だけは忘れるな」といわれていた。では「六方拝」とは何か?
「六方というのは、東西南北天地のことね。この六方を拝み、感謝する気持ちをもって生きなさいってことなわけ。
東を向いて拝むときは自分の両親に対してね、自分の両親にも親がいて、その両親にもまた両親がいるわけだから、つまりご先祖様を敬い、拝みなさいってこと。
西は、自分の家族。自分の働く意欲をもたらしてくれた女房や子どもに感謝する。
南は、自分にとって“師匠”“先生”という人に向かって感謝する。読み書きそろばんから始まって、博打から女の道までね。人生のあれこれを教えてくれた先生やら先輩やらに感謝して拝む。
北は自分の友ね。友人知己、すべてに感謝する。
そして、天地は自然。太陽が当たるのも風が吹くのも、雨が降るのも種から芽が出るのも、これ全て大自然の恵み。だから天に向かって感謝する。
東西南北天地と、合わせて六方に感謝し、いつも拝むような気持ちをもって生きなさいってことね。これを、親父はいつも言っていた。だから、お釈迦様のというよりは親父の教えという気がしてね。いい加減な親父だったけど、これだけはちゃんと教えてくれたな」
植木等の付き人に、九州博多から上京していた、小松政夫がいた。
真面目な小松を思い、植木はナベプロ所属の芸人として独立させてやる。
走る車の中で、芸人として独立する道筋をつけてやったことを植木は小松に伝えた。嬉しさに感極まった小松は車を止め、ハンドルを握ったまま号泣した。それを、植木は無言で見ていた。
ひとくさり泣いて涙が涸れるのを待って、植木がボソリと言った、「別に急いじゃいないけど、そろそろ行くか」。植木が口にしたのはそれだけだった。
小松は涙を拭い、小さく礼をしてふたたび車を走らせた。
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