花の四日市スワマエ商店街

表参道スワマエ商店街会長のひとり愚痴

発見!垂坂山遥拝の碑

2021年06月25日 | レモン色の町

久留倍官衛遺跡公園(くるべかんが いせきこうえん)へ出かけた。富田駅を過ぎて四日市高校沿いの道を大矢知方面へ上る。あさけプラザを過ぎると北勢バイパスの高架がある。高架の手前を左へ折れて道沿いに行く、バイパスに乗らずに左へ入ると駐車所場が広がっていた。北勢バイパスを造っている途中でこの遺構が見つかり、迂回させて保存された。

駐車の車は3台だった。“くるべ古代歴史館”へはいると、説明される方が付きっきりで話をしてくれた。なんとここは聖武天皇と天武天皇が主人公でありました。知りたかった壬申の乱や聖武天皇の徘徊のことを説明頂いた。

思わず尋ねる「ところで垂坂山の山頂に、天武天皇の遥拝碑は今でもあるのでせうか?」答へは「いまでもありますよ。富田山城線沿いに北警察署が新しく出来ました。手前の細い道を上ると小さな駐車場があります。そこへ車を停めて、山道を少し登ると山頂に碑が立っていませう。」館内の説明を聞いた後、“くるべ歴史公園”も観ずに遥拝の碑を目指した。

簡易トイレが立つ砂利敷の駐車場から、一気に登山道となっていた。ロープ伝いに登る。“まむしに注意”の看板が点々とある。マムシに嚙まれたら北警察署の人が来てくれるかな?と思いつつ進む。おお!山頂に碑がみえた。

撤去されたと思っていた遥拝の碑がそこにあった!

木々の間から伊勢湾が望める。大友皇子を倒して、政権をとるため立ち上がった大海人皇子(後の天武天皇)の軍勢は、朝廷軍と東方面を寸断するため鈴鹿の関を超えた。そして、この久留倍の役所へ立ち寄ったのは、わずか2日間だった。

※ 訂正:通りがかり様からコメントをいただきました。2日間居たのは聖武天皇だったそうで、大海人皇子は通りかかっただけだそうです。通りがかり様からでした。

カメラの操作間違いで ジオラマモードで撮ってしまった。歴史館へは再訪問の必要有!


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7 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
Unknown (伊勢生まれの下総人)
2021-06-25 20:23:40
天武天皇の記念碑。
女性と子供が写っていた“富田の思い出の写真より”の風景と比べると、木々が繁茂していて、あまりの変わりよう。とても同じ場所とは思えませんね。6〜70年は経っているのでしょうか。
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遥拝の碑 (タケオです)
2021-06-26 10:03:21
昭和30年代の垂坂山は、ハゲハゲで真っ平でした。おそらく、間伐が盛んで、木々の生い茂る暇もなかったんじゃないか?と推測できます。
思い出の写真は、カメラの位置が不思議でした。低いところから撮ったように見えますが、小津監督のように、寝転んでシャッターを切ったように見えました。楽しいでゴザイマス。
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Unknown (伊勢生まれの下総人)
2021-06-26 11:39:07
思い出の写真の女性と子供。撮影者の家族かな。
彼らにとって、楽しいひとときだったのでしょうね。
この子供、タケオさんや私と同年代くらいかな。
時は流れ〜る〜ですね。🙄🙄🙄😢😅😇😇😇
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記念写真 (タケオです)
2021-06-26 14:06:48
おそらく親子3人で出かけて撮ったんでしょうね。奥さんの顔がモロ見えだったので、隠させていただきました。ま、今はおばあさんでしょうが・・・(ご健在であることを祈ります)
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Unknown (通りがかり)
2021-06-26 15:44:41
私も天武天皇迹太川御遙拝所跡、天武天皇
神宮御遙拝所碑が建っ山、久留倍官衙遺跡と
一通りは訪れた事が有ります。

この記事を要約しますと『北警察署の側の小
さな駐車場から「垂坂山」に登ったら、撤去
されたと思っていた碑が有った』ですね。

最近この山に登られた方のブログを拝見して
みましたら駐車場には、此の山の名を表示し
た看板と説明書が二箇所に設置されてあるに
も関わらず此の山名では無く、あたかも垂坂
山に登ったかのように受け取れる記述にはと
ても違和感を感じます。

コメントするのもこれで最後にします。一度
は新聞で紹介された当ブログですので、今後
ともご活躍下さいませ。

追記
郡家(久留倍官衙)に二日留まったのは聖武天皇
です。 天武天皇は立ち寄っただけです。その
場では不破道の状況報告を受け、高市皇子を不
破へ派遣したあと桑名郡家へ移動し、その日は
桑名に留まっております。
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通りがかり様 (タケオです)
2021-06-26 17:18:42
くるべに泊まったのは、聖武天皇だったんですね。ご指摘ありがとうございます。これで最後だなんて冷たいことをおっしゃらず、これからも間違い訂正よろしくお願いいたします。
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御遥拝巡行が行く (タケオです)
2021-06-27 09:53:15
くるべ歴史館でのお話を思い出しました。二つのイラストがあって、一つは山中を行軍するショボイ行列(山海人皇子御一行)、もう一つは神輿?に乗って家族そろって行軍を進める御一行。天武天皇はくるべに2日間留まり、家族は桑名まで進んで1カ月ほど居たそうでした。ジョンゴラ ジョンゴラ と進む行列。迎える方も急遽、施設を新築したりして、大変だったでしょう。
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