花の四日市スワマエ商店街

表参道スワマエ商店街会長のひとり愚痴

失われた海水浴場⑩絵葉書の続き

2023年08月27日 | レモン色の町

下総人さんが言ってみえる霞ケ浦競馬場の写真が“写された四日市”(四日市市博物館刊)にありました。

競馬場の東は入り江になっているのが分かります

現在は競輪場になっています。小さいころ(昭和30年代)海岸へ遊びに行って、砂浜から眺めたことがありました。怖いおじさんがたくさんいてお金をたくさん使うところと思っていましたが海側は静かで、競輪選手の荒い呼吸の音だけが左から右へと通過していきました。

最も印象に残る“海浜ホテル 霞洋館 新館大食堂”の絵葉書です。

余興の演劇は、午後1時から4時迄(昼の部)と午後6時から10時迄(夜の部)の二回上演の表示があります。どんな演劇が行われたのでしょう。うしろには女給さんが7名、三助さんとマスターらしき人がずらり並びます。お金持ちしか泊まれないかと思いきや、食堂の隅に立つ歓迎の花輪には“建清木工場?”とあり、会社の慰労会にも利用されていたのでしょう。しかし、テーブルにはビールとメニューと灰皿、それから千人風呂のモニュメントのようなものしか見当たりません。大した料理は出なかったのか?写真を撮るにあたって控えられたのでしょうか?モニュメントは何だったのでしょう。おみくじかな?全テーブルに必ず立っているようです。

前回掲載の台風により出来た入り江の図が、昭和10年の鳥観図の隅に伺うことが出来ます。これも舘さん所蔵で“写された四日市”(博物館刊)に載っていました。

明治20年代に大きな台風に見舞われ、それまで一直線にあった海岸松原が大きく欠損して入江になったと言われている。

同じく“写された四日市”博物館刊(舘さん所蔵)から“伊勢富田浜風景”。右が海水浴場ですから北向きの写真です。砂浜に葦簀張りの休憩所が並びます。遠くに岩山のようなものがみえていますが、噴水塔でしょうか?


最新の画像もっと見る

コメントを投稿