花の四日市スワマエ商店街

表参道スワマエ商店街会長のひとり愚痴

四日市の中世城館②

2022年03月13日 | レモン色の町

この後、駒田利治氏は各城館跡について説明をしてみえます。その中から・・・

萱生城は、あかつき台団地の北部に位置する

YAHOO!地図より

北西随一の要害と伝えられる萱生城(かようじょう)は、昭和38年にあかつき学園建築の為「髪のびの井戸」(?)と呼ばれる井戸を残して壊された。城は幅約30メートルの深い堀で区切られた二つの郭(くるわ)から成り、東は一辺が約25メートル四方の高い郭になっていて、近世の天守閣の原型であろう。西の郭は、北西側に土塁を築き、西にも小さな空堀が掘ってある。さらに西へ平坦地が広がっており、ここには建物があった可能性が高い。戦国時代には、空堀と土塁で囲まれた郭が一般的で、萱生城の場合、北西側にしか土塁がないのには疑問が残る。

坂部城は、三重団地西部にある

YAHOO!地図より

坂部城は、海蔵川南岸に広がる丘陵地帯のやや奥まったところに位置し、現在は三重団地内の公園として整備されている。三つの郭が丘陵尾根に沿って高低差をつけて配置されている。中央(郭Ⅰ)が主郭で45×20メートルあり、その南西隅に8×5メートルの一段高い物見台(郭Ⅱ)がある。集落と離れた丘陵地帯に築かれ、土塁や堀が造られた形跡がないところから、戦国以前の築城と推定され、地誌などから推測すると、文久元年(1204)の“三日平氏の乱”(?)の際に造られたと思われる。

釆女城は、内部川沿い北側にあった。

YAHOO!地図より

釆女城は、南に内部川を望む丘陵地の尾根を利用して築かれ、八つの郭から成り立っている。中央の郭1は40×60メートルの平地で素掘り井戸が残る。郭Ⅱ・Ⅲ・Ⅳの間の堀は、現在も湿地帯となっていて水壕の可能性がある。一番高い位置にある郭Ⅱには櫓(やぐら)があったと思われる。また、釆女城は、南方面から敵が攻め入る“虎口(こぐち)”にあたる為、防御性を高める必要があった。郭のⅡとⅣ裾では土塁を突出させて障壁とし、ⅢとⅣの間には通路が設けられている。釆女城は、高い土塁と深い堀、虎口や櫓など戦国期の典型的な城館の在り方を示している。

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