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花の四日市スワマエ商店街

四日市の水谷仏具店です 譚

田村泰次郎と豊富川

2023年09月29日 | レモン色の町

『わたしのふるさと 海の消えた町・富田 田村泰次郎』“家庭全科”昭和51年3月号より抜粋でゴザイマス

図書館でお借りしました おもしろい!

田村泰次郎(明治44年〜昭和59年)は小説家で、戦後“肉体の門”が映画化されている。富田村の生まれで、富田中学校(現 四日市高校)の初代校長を務めてお見えです。とは知らなかった!田村泰次郎のおとっつさんが校長せんせでした。アチコチさんに教えていただきました。陳謝!

嘗てこの川沿いに酒吉へと通じる辻があった善兵衛の橋 ここでうどんをいただきました

 私の郷里は、三重県の富田である。海岸の町で伊勢湾に臨んでいる。富田に来て何より驚かせたのは、海岸の波打ち際に高い堰堤が造られていて、海との交流がすっかり断ち切られてしまったことであった。この堰堤は、名古屋と四日市を結ぶ名四国道と呼ばれる高速道路で、そこにはいつも沢山の車が、轟音をまき散らしながら走っている。

富田の鎮守様は鳥出神社である。(中略)この神社は私の生まれた宮町にあって、神社の庭は子供の絶好の遊び場所で、本堂の裏などは、ウッソウと巨木が茂っていて、昼までも薄暗かった。子どもたちは、よくその本堂の周りを一まわりして、肝試し(きもだめし)をした。「をしろんどをまわってくる」といった。つまり「うしろ堂をまわってくる」ということである。

大晦日の日暮れから、この庭では、大焚火が燃やされ町のひとびとは、この時神社にお詣りして、この焚火にあたると、つぎの1年間は、息災無事を約束されると信じている。焚火は夜が明けるまで燃え、初詣の人達を待つのである。

この神社へのまちのひとたちの信仰は厚く、まだ私の子供のときなど、浜が大漁でにぎわうと、その漁獲の一部が必ず神前に奉納され、本殿で打ち鳴らされる神官の神楽太鼓の音が勇ましく、私の家へもひびいてきたのを、いまもよく覚えている。

国土1号線沿いに片方だけ残る豊富川の標柱

宮町には、かなりの大きな川に見えた川(中央通りの下を流れ酒吉の後ろを流れている豊富川)が走っていたその川の両側はまだ堤で囲まれていて、外側は水田がひろがっていた。その水田には海からあがってきたイナ(ボラ)が沢山いた。イナをつかまえるために、子供たちは泥んこになって、水田のなかを走りまわるのであった。

酒吉の裏を流れる豊富川

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新図書館の進捗状況

2023年09月29日 | レモン色の町

昨日の中日新聞から

市民がつくった、市民の図書館にしてほしいと、思っていたところ。民間委託にするとのこと、市民で魅力ある提案を作り上げ委託業務に応募していただきたいと思います。只、駐車場が心配です。

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