花の四日市スワマエ商店街

表参道スワマエ商店街会長のひとり愚痴

昭和の食と商店街 太陽堂

2017年09月09日 | レモン色の町

第9回 太陽堂の巻

昭和30年頃、諏訪前通り商店街に“太陽堂”がオープンする。それまでは、斜め前でお祖父さんが店を構えていた。その前でお父さんが新規開店したのだ。“グリル太陽”と書かれたモダンでシャレた店舗。それを包むように花輪が飾られた。

“本日開店”を記念して従業員の皆さんと記念撮影をする。NHKの朝の連ドラ“ひよっこ”に出てくる“すずふり亭”を彷彿とさせる。8人の従業員に囲まれ満面の笑顔だ。当時は住み込みで働く人が多く、従業員は、ほとんどが2階で寝起きをしていた。

前の看板には、折詰、仕出し、小宴会、貸席とある。店舗右にショーケースがありサンプルが並ぶ。カレーライス・ハヤシライス・オムライス・チキンライス・ビーフステーキ・クリームコロッケ・ハンバーグライス・エビフライ、夏はうなぎも焼いたそうだ。左のケースでは“ケーキ”が販売されていた。店舗へ入ると右にカウンターが並び、奥が厨房。左側がテーブル席になっていて、正面に当時まだ珍しいテレビが置かれていた。テレビ観たさにお客が押し寄せる。注文が入るとスクーターで配達もした。

 昭和30年初めの諏訪前

この写真は“四日市のまちかど”四日市市立博物館2016 からお借りした。諏訪前を三番街角から南に撮った絵である。右角の“ミナミ喫茶店”そこから“ツル家”“横田洋服店”(その向こうに太陽堂旧店舗の看板が望めるが、その跡を傘喜さんが入る)と並び、左に“太陽堂”“みかどボタン(タバコも扱っていた)”“木村自転車店”と並ぶ。太陽堂のシャレたファサードはどうなったのかと尋ねると、雨漏りがひどく取り壊されたらしい。

アーケードは間もなく造られる。通りの西側は、ほとんどが諏訪神社からの借地だった。この先を右に折れると諏訪駅に至る。戦後賑わった諏訪新道と駅との間に位置し、大勢の人が通った。食べるものすべてがごちそうで珍しく、家族そろって諏訪へ出かけ食事をする、そんなハレの日が商店街にあった。

コメント
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