花の四日市スワマエ商店街

表参道スワマエ商店街会長のひとり愚痴

続 植木等伝

2008年07月08日 | わたくしごと、つまり個人的なこと
井十月氏は、小松政夫氏に植木さんのことをインタビューしている。植木等が亡くなってからのことだ。
松さんは22歳のときに植木さんの運転手兼付き人になったわけですけど、2年半ほどで独立しますね。その道筋は植木さんがつけたんですね」
松さんは、こみ上げる嗚咽をかみ締め、一息ついてから話した
「そうです。車を運転していて、突然後ろから言われたんです。“明日から来なくていい”って。青天の霹靂というか何というか・・・で、後ろから身を乗り出してきて、“給料もマネージャーも全部決めてきた。社長とも話したけど、社長も大賛成だといっている。だから、明日からは俺のところに来なくてもいいんだ”って。
が溢れてきて前が見えなくなっちゃったので、“ちょっとすいません。車を止めさせてください”って言って道の脇に止めました。家に帰る途中の、NHKの近くでした。東京オリンピックのときに選手村があったあたり。今でも忘れません。
分くらい泣いていたのかな。その間ずっと黙って待っていてくれて、しばらくして、“別に急がないけど、そろそろ行くか”って。僕は我に返って、“はい”って行って車を出したんです。粋だったですね、やることが。
の後も、渡辺プロの上層部を呼んで、“小松は辞めて独立するけど、もし、おまえらが干すとか意地悪するとかいうことがあったら俺が承知しないからな”って、そこまで言って出してくれたんです。そんな人、いませんよ。自分だって色々あったでしょうに、そういうことはおくびにも出さずに、“お前は自由に、好きなようにやれ”って背中を押してくれたんです」
台出演で地方に出かけたときも、泊まるところは普通の旅館だった。食事は一膳飯屋。酒を飲まない植木さんは、女の子がいるようなクラブとか飲み屋には一度もいったことがなかった。
松さんは話す「いつも一膳飯屋。一膳飯屋だけはいっぱい行きましたよ」
植木等さんは、六方拝を地で行くような人だった。
コメント
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