第133回直木賞受賞の「花まんま」朱川湊人著をオール読物9月号で読ませていただきました。
読んだのは「花まんま」のうちの短編「トカビの夜」。トカビとは、朝鮮のお化け、小鬼のようなものらしい。昭和40年代、主人公がまだ子供で、大阪の長屋のような通称、文化住宅に3年ほど住んでいたときの出来事だ。
朝鮮人の子供チュンホと友達になるが、病弱であったためにその友達は死ぬ。その直後、長屋周辺でチュンホのトカビが出現するのだ。屋根の上を移動したり、窓から覗いたりする。チュンホの家族を差別していた長屋の住民は、幽霊の出現を恐れる。
主人公のユキオは、友達ではあったが遊びの中にも差別意識があったことを気にしていた。ある夜、窓から遊びに来たチュンホに、自分のおもちゃを貸して遊ばせてあげる。満足したチュンホはそれ以後、現れなくなった。
懐かしい時代を背景に、トカビの現れる幻想的な風景が展開する。霊とか呪いとかが、いまや映画でも大流行だが、霊って存在するんだろうか?と考えてしまう。
先日、お客さんのところで「霊魂を信じますか?」なんて質問をぶつけられ途惑ったことがあった。その人は日本に国籍を移して20年以上になるフィリピン人の奥さんだった。「写真にはっきりと霊が写るんですよ」と話す。一緒にいた店のI君は迷わず「見える人には見えるが見えない人には見えない」と分かったような返事をした。オイラは「信じますよ」と答えてしまった。
けれど、幽霊とか呪いということばになると、信じることに抵抗がある。急いで復習してみる。ええっと、魂は宇宙の生命体の一部で、死とは魂が宇宙の生命体に還元されること。浮遊している原子がたまたま濃くなったところに自分とか他人が存在する。ぴんとこない。やっぱり科学的に片付けようとしてしまう。
霊魂なんて、存在するとかしないとかの問題じゃなく、信じるとか信じないとかの問題なんだろう。
読んだのは「花まんま」のうちの短編「トカビの夜」。トカビとは、朝鮮のお化け、小鬼のようなものらしい。昭和40年代、主人公がまだ子供で、大阪の長屋のような通称、文化住宅に3年ほど住んでいたときの出来事だ。
朝鮮人の子供チュンホと友達になるが、病弱であったためにその友達は死ぬ。その直後、長屋周辺でチュンホのトカビが出現するのだ。屋根の上を移動したり、窓から覗いたりする。チュンホの家族を差別していた長屋の住民は、幽霊の出現を恐れる。
主人公のユキオは、友達ではあったが遊びの中にも差別意識があったことを気にしていた。ある夜、窓から遊びに来たチュンホに、自分のおもちゃを貸して遊ばせてあげる。満足したチュンホはそれ以後、現れなくなった。
懐かしい時代を背景に、トカビの現れる幻想的な風景が展開する。霊とか呪いとかが、いまや映画でも大流行だが、霊って存在するんだろうか?と考えてしまう。
先日、お客さんのところで「霊魂を信じますか?」なんて質問をぶつけられ途惑ったことがあった。その人は日本に国籍を移して20年以上になるフィリピン人の奥さんだった。「写真にはっきりと霊が写るんですよ」と話す。一緒にいた店のI君は迷わず「見える人には見えるが見えない人には見えない」と分かったような返事をした。オイラは「信じますよ」と答えてしまった。
けれど、幽霊とか呪いということばになると、信じることに抵抗がある。急いで復習してみる。ええっと、魂は宇宙の生命体の一部で、死とは魂が宇宙の生命体に還元されること。浮遊している原子がたまたま濃くなったところに自分とか他人が存在する。ぴんとこない。やっぱり科学的に片付けようとしてしまう。
霊魂なんて、存在するとかしないとかの問題じゃなく、信じるとか信じないとかの問題なんだろう。