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花の四日市スワマエ商店街

四日市の水谷仏具店です 譚

映画“黒い司法”

2020年12月01日 | 映画の名言、映画の迷言

映画“黒い司法”は、黒人への偏見が根強いアラバマ州で、差別意識と闘った一黒人弁護士の事実に基づいた作品である。

ウォルター

近場でリンチ事件も数多く起きたが

今では誰も語らない

 

そんな町で 北部の黒人の若造が

黒人の冤罪を晴らそうと戦っているとはな

彼を連れ戻すと約束したのに

状況を悪化させた

 

ジェイミー

依頼人と親しくなるのはよくないと聞いていた

距離を保てと

でもあなたはまるで違う

一人ひとりに近づいて

家族のように愛するわ

家族が傷つけば一緒に傷つく

あなたの葛藤は私の想像を超えている

でもあなたはもうこの町の大切な人よ

証言を逆転させたのは 青年弁護士の誠意が通じたからか

事実の持つ重み 素晴らしい逆転判決でした

 

 

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「倍賞千恵子の現場」より“寅のアリア”

2017年08月28日 | 映画の名言、映画の迷言

もう一つご紹介します。「倍賞千恵子の現場」より、渥美さんが膨らませたセリフ

寅さんが歌い上げる「アリア」で、私が一番に思い浮かべるのは、第十五作の「男はつらいよ 寅次郎相合い傘」(1975年)の一シーンです。

リリーさんを仕事先のキャバレーへ送って、とらやに戻った寅さんは、茶の間のみんなに、そのキャバレーが如何にしょぼくれた場末の店だったかを悲しそうに伝えます。そして、俺に金があったらなあ、大劇場を借り切って、リリーに好きなだけ歌を歌わせてやりたいのよと語ります。

この場面を渥美さんが、最初の台本からどんな風に膨らませて語ったか、最初はこんな風になっていました。

「・・・バンドも一流司会者も一流よ。ベルが鳴る。灯りが消える。『テレビをご覧の皆さま今晩は、会場の皆さん、今夜はようこそいらっしゃいました。それでは只今よりお待ちかね、リリー松岡ショーの幕開きでございます』。緞帳がゆっくりあがる。スポットライトに照らされて立っているリリー。きれいだよ。あいつは。なにしろ姿がよくて、顔立ちが派手だからな。場内にザワザワザワザワ・・・。溜息の声。割れるような拍手。『リリー』『待ってました!』『日本一!』。やがて騒ぎが収まる。水を打ったようにシーンとなる。そしてリリーが歌いだす。♪ひーとーり酒場で飲む酒は・・・シワブキ一つももらさず歌に聞き入る観客、みんな泣いているよ。なにしろリリーの歌は悲しいからなあ。・・・やがて歌が終わる、待ちかねたようにウワ―ッ、拍手拍手拍手、花束、テープの紙吹雪・・・。リリーは泣くぜ、あの大きい目からポロポロ涙をこぼしてさ、いくら気が強いあいつだって、そんなときはきっと泣くよ」

この第一稿の台本の世界を渥美さんが膨らませていって、実際の本番ではこんな風になりました。

「ベルが鳴る。場内がスーッと暗くなるなぁ。『皆様、たいへん長らくをば、お待たせいたしました。ただいまより歌姫、リリー松岡ショーの開幕ではあります』。静かに緞帳が上がるよ。スポットライトがパーッと当たってね。そこへまっちろけなドレスを着たリリーがスッと立っている。こりゃいい女だよ。あれはそれでなくったって、そりゃ様子がいいしさ。目だってパチーッとしてるから派手るんですよ、ね!客席がザワザワザワザワザワザワザワザワっとしてさ。『きれいねえ』『いい女だなあ』『あっ、リリー!』『待ってました!』『日本一!』。やがてリリーの歌がはじまる。♪ひーとーり酒場で飲む酒は・・・ねー、客席はシーンと水を売ったようだよ。みんな聞き入ってるからなぁ。お客は泣いてますよ。リリーの歌は悲しいもんねえ。やがて歌が終わる。花束!テープ!紙吹雪!ワーッと割れるような拍手喝采だよ。あいつはきっと泣くな。あの大きな目に涙がいっぱい溜まってよ。いくら気の強いあいつだって、きっと泣くよ・・・」

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「倍賞千恵子の現場」より“家族”

2017年08月23日 | 映画の名言、映画の迷言

「倍賞千恵子の現場」倍賞千恵子著 PHP新書より

山田洋次監督の「家族」を上映したのは2015年1月23日でした。この日は吉村英夫先生にもお越しいただき映画鑑賞後、山田監督について講演会を行っていただきました。この本に映画「家族」のことが掲載されていました。

 

『家族』は長崎の炭鉱に見切りをつけた一家五人が、酪農を夢見て北海道の開拓村まで列車を乗り継いで旅をする物語です。道中、乳飲み子を病気で亡くし、やっとの思いで到着した中標津で老父(笠智衆さん)を亡くします。後悔と悲嘆にくれる夫(井川比佐志さん)に、民子(倍賞千恵子)が語りかけます。

「六月になって春が来て、春になっとね、見渡す限り緑になって、花がいっぱい咲いて、牛がモリモリ草ば食べて、乳ばどんどん出すようになって、そんなときになっと、住んどう人間も生き返ったような、こん広か土地と一緒に生き返ったような気がして、そんときは誰でも、ああ今年こそは何んか良いことがありそうなって、そう思うて。ねぇ父ちゃん、そんときば楽しみにせんば、ね」

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映画“杉原千畝”

2016年09月07日 | 映画の名言、映画の迷言

渡航ビザを発行して6000人のユダヤ人を救った“杉原千畝”のDVDを観ました。

日本大使館が閉鎖され、リトアニアから列車で去るとき、見送る事務官のグッジェは杉原にリストを渡します。

「杉原領事 これを」

「・・・」

「あなたが救った命のリストです これがなければ 

私は“よき人”と感謝される・・・喜びを知りませんでした」

「グッジェ」

「世界は車輪です

 今はヒトラーが上でも

 いつか車輪が回って 下になる日が来るかも」

「車輪が回ったとき

 お互いが悔いのなきよう努めよう」

「そうですね 領事」

 

杉原千畝の母校 ハルピンの学校の自治三決です 映画の中では二度繰り返して紹介されます。

 人のお世話にならぬよう

 人のお世話をするよう

 そして 報いを求めぬよう

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映画“ワイアット・アープ”

2016年09月03日 | 映画の名言、映画の迷言

ワイアット・アープは1994年の映画です。スケールのある英部劇そのものの作品で、ケビン・コスナーが主人公、おやじ役がジーン・ハックマン。若いころ、妻を病気で亡くしやけになり、酒におぼれて留置場に入る。ある夜、おやじが救いに来る。

「馬泥棒?」

「それは」

「黙れ!死ぬ気か?

馬泥棒は縛り首だぞ」

「構うもんか」

「愛するものを失ったから?

人生は失うことの連続だ

それにくじけて どうする

それに耐えるのが人間だ」

人生は 失うことの連続 

それに耐えよと 諭します

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“悪人”

2016年08月12日 | 映画の名言、映画の迷言

吉田修一著“悪人“が李相日監督(フラガールの監督)により2010年に映画化されています。

原作と比してミスキャストではないか?とか、いろいろ思いながら鑑賞しましたが、感涙の最後を堪能いたしました。チェックしていた佳男の一言。やはり映画でも重要ポイントとなっておりました。

娘を殺された佳男(柄本明)。佳男は、娘を車から蹴落とした増尾の友人鶴田を横にこう話しかける。

「あんた、大切な人はおるね?」

佳男の質問に、ふと鶴田が足を止めて首を傾げる。

「その人の幸せな様子を思うだけで、自分までうれしくなってくるような人たい。おらん人間が多すぎるよ」

ふとそんな言葉がこぼれた。

「今の世の中、大切な人もおらん人間が多すぎっとたい。大切な人がおらん人間は、なんでん出来ると思い込む。自分には失うもんがなかっち、それで自分が強ようなった気になっとる。失うものがなければ、欲しいものもない。だけんやろ、自分を余裕のある人間って思いこんで、失ったり、欲しがったり一喜一憂する人間を、馬鹿にした眼で眺めとる。そうじゃなかとよ。本当はそれじゃ駄目とよ」

犯罪者を、とかく世間の人は先入観で判断しがちです。しかし、人は人とのしがらみの中で生きている。愛する人を思う気持ち。肉親を思う気持ち。時にこれらは重圧になるけれど、持ちこたえて生きることが人の道だと思います。

妻夫木聡、深津絵里のほか、いい脇役が揃っています。

余貴美子

樹木希林

九月には、同じ吉田修一と李相日監督のコラボで“怒り”が上映されます。

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“おくりびと”上映

2016年06月25日 | 映画の名言、映画の迷言

「長えこと ここさ居っと

 つくづく思うのやの

 死は門だなって

 死ぬって云うことは

 終わりっていうことではなくて

 そこをくぐり抜けて

 次へ向かう

 まさに門です

 私は門番として

 ここでたくさんの人を送ってきた

“いってらっしゃい”

“また会おうの”って

 云いながら・・・」

昨日は“おくりびと”を上映させていただきました。

お天気の悪い中41名の方にご参加いただき、本当にありがとうございました。また、DVDの状態か、機器の状態かが悪く映像が止まったりして皆様には大変ご迷惑をおかけしました。次回より事前チェックを充分にしてまいりますので、これに懲りずに参加いただきますようお願い申し上げます。

次回は、三重県視聴覚ライブラリーより “ローマの休日”を 7月22日(金)午後6時より上映させていただきます。全体に飽きさせずに最後の感動シーンまでなだれ込んだ感があります。すでにご覧いただいた方も今一度鑑賞ください。

そして8月26日(金)は小津安二郎監督“彼岸花”を今一度上映させていただきます。

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“七人の侍”をもう一度語る

2016年05月10日 | 映画の名言、映画の迷言

改めて観なおした、黒澤明監督の“生きる”と“七人の侍”は実に傑作である。“七人の侍”の構図一場面一場面は計算尽くされていて、監督の怒鳴り声に従って、役者は被写体として何センチの位置まで支持されていたと思われる。

さて、晩年の黒澤作品に魅力がなくなったのはなぜか?“どですかでん”“デルスウザーラ”“まあだだよ”“夢”と、我々の期待からは遠く外れたものとなった。

吉村英夫氏は「黒澤明を観る 民の論理とスーパーマン」草の根出版会 でこう書いてみえる。

 “生きる”から“七人の侍”のシナリオを書いた黒澤監督や橋本忍の目線は、領主や支配者の側ではなく、主君を持たない浪人や、あるいはまだもっと「下」とされる農民=民衆と同一の高さにあることは確かである。民の論理の立場を明確にしつつ、決定的に映画的高揚を想像することに成功した。ところが、民の視点は、「七人の侍」で足踏み状態になってしまったのである。

そして、「隠し砦の三悪人」「用心棒」「椿三十郎」「天国と地獄」「赤ひげ」と再び映画的高揚をもって旺盛な映画づくりにとりかかったが、映画はめっぽう面白いのに、他方ですっぽりと低い目線と民の言い分はどこかへ置き忘れ去られていた。逆に民衆不信と英雄待望論から生まれるスーパーマンの論理を身にまとうことになってしまうのである。黒澤にととって後退になったと言わざるを得ないのは残念である。「赤ひげ」完成後、黒澤は、自分の目線が高くなってしまったことに気づき、三船をスーパーマンにし過ぎてにっちもさっちもすすめなくなったことを自覚し、民の論理が欠落してしまったことに思いいたったようだ。

五年後、「どですかでん」で彼は日本映画界に復帰する。だが皮肉にも「どですかでん」は、映画的高揚を想像する術を完全にどこかへ置き忘れてしまっていた。その後、五年に一度、やっとのことでうみだす黒澤映画は、スーパーマン路線に戻ることはなく、目線も低くしていくのに、引き換えに映画的高揚とは大きくかけ離れたものしかつくれなくなっていったのである

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映画“ボクは坊さん”

2016年04月20日 | 映画の名言、映画の迷言

映画“ボクは坊さん”は、四国八十八カ所霊場、その五十七番目の札所“栄福寺”の住職となった若い僧侶(伊藤淳史)が、様々な体験をしながら成長していく姿を描いた作品です。

“三丁目の夕日”のプロデューサー安藤親広氏が手掛けているとあって、(中ほどから急降下するけれど)最後の最後で希望が持てる、いい作品となってオリマシタ。

最後、総代であった老人(イッセー尾形)のお葬式の席で、光円さんはこんなお話をします。

「ぼくは 生まれる前の感じと 死んだあとの感じって 似てるんじゃないかなって思うんです そして それが いちばん普通の状態なんじゃないかなって だから 生きているっていうこの状態は とても短い すごく特殊な時間なんじゃないかなって そんな気がします だって 人は何で 生まれたときに泣くんでしょうか? もしかしたら 穏やかな眠りから覚まされてしまうかもしれない そしてまた死をもって 穏やかな眠りへと帰っていく だとしたら 生きている時間なんて お祭りみたいなものかもしれない そして長老は そのお祭りを経て帰って行った だから僕はその長老に お疲れ様でしたって 言ってあげたいんです じゃあまたって 笑顔で・・・」

ムム・・短いお祭りの時間は、大切にしなければなりません。そして、こんなことも云っています。ここのお寺は真言宗。般若心経の“空(くう)”の心についてです。

「・・・ブッダが答えた 自我に固執する見解を打ち破って 世界を 空なりと感ぜよ」

ひろく ひろく もっとひろく これが空の教えなり・・・

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わが青春の映画“若者たち”

2016年01月06日 | 映画の名言、映画の迷言

“若者たち”は、わが青春の映画である。学生運動を続ける山本 圭は、運動から離れ酒を飲んで競馬に走る江守 徹のところへ、貸したお金の請求のため訪問する。応じるのは父親役の大滝秀治。名セリフ(怪演)であります。

学生さん これね 俺の胃袋の写真だよ ガンだってよ 医者がね どうしてもはっきり言わねえから 看護婦だまくらかして(レントゲン写真を取り出す) ホラ これがガンだってんだよ 

税務署もおまわりも ちっともこわかねえんだ俺ァ 昔はこれでもね 葛飾の争議の時にゃ旗振り回したことだってあるんだから

この工場だって俺が腕一本で作り上げてきたんだからね 

煩悩だよ 学生さん 煩悩

俺が昔っきりの着たっきりの労働者で 野郎が生涯ボロを着て暮さないようナ境遇なら何やったって俺ァ黙ってるよ

だけどね 俺ァ経営者で 奴ァ学生だ あんたと同じにヨ いくらだって先があるわけだよ これから

だからさ アナやプロの真似はしてもらいたくねえんだよ 小せえ工場だって ここを守ってくれせえしたら

あんた方から見りゃあねえ こんな工場なんかこっぱ同然かも知れねぇけど だけどねえ 俺ァ毎日新聞見るたびに 胸がギューっと痛くなんだよ

倒産なんて言ったってねえ 当節いまや新聞ズレしてるから 誰一人驚く者ァ居やしねえけど 俺ァねえ あーまた何処かに誰かが泣きみてやんだなあと思うと

 

ホント 仕事なんてものはねぇ やってきた当人でないと分かりゃあしねェなんだから

良い親じゃねぇンだ 俺ァ 頭じゃ野郎の云う理屈だってよーく分かるのによ

とにかく 暴れねえで無事学校を出てくれて・・・

そんなもんだぜ学生さん やわら人間の一生なんてものぁ・・・

良いと思ってんだよ それで

嫌われたって 軽蔑されたって とにかく野郎が安穏に生きてってくれさえすりゃぁ それで俺は 良いと思ってんだよ

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