一昨日とは逆に、桃の花から見た菜の花畑。
桃の花をアップにしたため、菜の花畑がボケた。
上の写真は、桃の全景。まだ八分咲き程度だろうか。
今日あたり、きっといい雰囲気で咲いていてくれるとは思うのだが、今のところはその予定はない。
写真と今日の記事とは関係ない。
この世に生まれ、「ドジ」を踏んだことのない人は、皆無ではなかろうか。
私など、数えたらキリがないほど繰り返している。
二度と口にできないような「ドジ」も、幾つかはある。
知られたら「人にあるまじき」とか、「そこまでドジかいな」といった類のものだ。
ひどい話については、今後も絶対に口にせず、墓場まで持って行くしかない。
今日の話は、今になってみれば、「へー、かなりなオッチョコチョイなんだねえ」ですみそうな話である。
少なくとも私は、その程度に軽微な「ドジ」と認識している。
私たちの世代から学制改革が施行され、「六三制、野球ばかりがうまくなり」の時代に、花の少年期を過ごした。
つまり、明けても暮れても野球ばかり。
昭和25年に高等学校に入学したのだが、まだまだ野球が少年たちの中心にあった。
甲子園を目指す球児ほどに上手でなくとも、街には野球の機会があふれていた。
町内対抗野球、職場対抗野球。
有志が作っているクラブ的なチームも、あちこちに散在していた。
私はそんなチームの一員だった。
しかも、異なる二つのチーム(仮にAチーム、Bチーム)に所属していた。
プロの二重契約ほどの悪質性はなく、員数が足りないチームへの助っ人感覚だ。
ある日曜日、▲△グランドで試合をすることになった。
私のドジはそこから始まった。
Aチームが試合をするものだと、すっかり思い込んでしまっていたのだ。
当日、私は定刻に合わせて、▲△グランドへ出かけて行った。
もちろん、Aチームのユニホームを身につけてのこと。
ところが、集まっている顔ぶれはBチームのメンバーであった。
当然のことながら、全員Bチームのユニホーム。
チームメートは怒ったり呆気にとられたり。
時はすでに遅く、間もなく試合開始である。
ユニホームを着替えに戻る時間はなかった。
チームメートの冷たい視線にさらされながら、Aチームのユニホームを着たまま、試合終了を迎えた。
勝敗についての記憶はない。
罪のないドジではあった。
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