新・ほろ酔い気分

酔っているような気分のまま、
愚にもつかない身辺雑記や俳句で遊んでおります。
お目に留めて下されば嬉しいです。

謙虚について

2008年03月16日 06時54分01秒 | コラム・エッセー

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三人姉妹   2008年3月9日

 水仙の花が、三人姉妹のように顔を寄せ合っている。

 中の娘が、遠慮して窮屈そうだ。

 昨日のこと、ある女性のブログ友の方が、ご自分のブログの中で、「モットーとしていた感謝と謙虚はどこへ行ったか」と自分を嘆かれていた。

「そのように自分と向き合っていること自体、謙虚な証拠ではないか」と、私はしたり顔でコメントした。

 コメントした後に風呂に入った。

 風呂の中で考えてしまった。

「ちょっと待ってくれ!かく言うオレは謙虚か?」

 後輩の前で、悩みを傾聴する顔をしながら、持論を開陳していた私は、謙虚といえるか。

 先輩に対しておこなった意見具申は、謙虚だったと言えるか。

 子供たちに対し、愛情を看板に押し立て行動批判をしたことは、謙虚だったと言えるか。。

 ブログ友の方々のブログに対するコメントは、謙虚なものであったと言えるか。

 考えてみるまでもなく、ほとんどの場合、「自分の過去を棚に上げ」て言っていた。

 過去・現在における自分の姿を顧みたとき、誠実に「謙虚」を押し通そうとしたら、もはや何も言えなくなってしまいそうだ。

 湯船の中で、そんな疑問が生じてしまった。

 70歳をいくつも過ぎた私が、本来はとっくに解決済みであるべき事項でなければならなかったはずなのに、恥ずかしい。

 広辞苑(岩波書店)による「謙虚」には、以下の解釈がついている。

  ① 謙遜で心にわだかまりのないこと。ひかえめですなおなこと。

  ② [宗] 自己の弱小・無力・罪業に対する深刻な自覚から、神の意思に飽くまで従順に  なろうとする心。

 はっきり言って、ますます訳が分からない。

 ②は[宗]だから別としても、①では何を言ってもいい。

 心にわだかまりがなければ、何を言ってもいい。

 つまり、「真底から相手に良かれと思っている限り」、何を言ってもいい。

 「控えめで素直」でさえあれば、何を言ってもいい。

 ②を加えたとしても、過去の自分を深刻に自覚した上で、控えめで素直でさえあれば、「謙虚」と言えるようなのだが。

 新明解国語辞典(三省堂)による「謙虚」。

『自分の存在を低いものと客観的に見、相手の考えなどの中にとるべきものが有ればすなおに受け入れる態度を失わない様子』。

 こちらの辞典では、受動的姿勢について言っているので、この際はずして考えよう。

  この問題、自分がどのような思いで言うかという視点とは別に、周囲に傲慢無礼と思われずに伝わるか、という視点も加えなければならないのではなかろうか。

 どんなに「謙虚」のつもりで言っても、相手に「傲慢無礼」と受け取られては万全ではない。

 「自分と相手」の関係も大切なのではなかろうか。

 広辞苑に補足する態度は、「謙虚」でないかもしれないが、

 『過去の自分を深刻に自覚した上で、控えめで素直な態度でものを言い、しかも相手に、傲慢とか無礼と思われない』

 とでもなるのだろうか。

 このようなことをブログに書くようでは、私の知恵はだいぶ遅れているらしい。

 私自身、度を過ぎた行動をとっていなかった、という安心感は得られた。

 相手にどのように受け止められたかが問題。

 益のない低次元の話だったことを、今反省している。

 写真の「三人姉妹」の中娘は、長女と三女に挟まれて、肩をすぼめている。

 中の娘も、控えめで素直でさえあれば、もっと自己主張してもよさそうではないか。

 これから恒例の外出。

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