新・ほろ酔い気分

酔っているような気分のまま、
愚にもつかない身辺雑記や俳句で遊んでおります。
お目に留めて下されば嬉しいです。

久しぶりの宇都宮

2007年09月21日 08時01分07秒 | 日記・エッセイ・コラム

 会社を早めに退去し、宇都宮へ行った。
 宇都宮には18年前、2年半ほど支店勤務をした経験がある。

 宇都宮駅は大きな変貌を遂げつつあり、一部にいまだ整備中の様子もみせていた。しかし、総じて明るくなったし、楽しい雰囲気に変わってきていた。

 駅近くの居酒屋で、後輩3人と会うことになっていた。その3人とは、宇都宮だけが接点だったわけではない。長いサラリーマン生活の中で、東京や北関東でも交流があった。

 居酒屋の女将さんとは、かれこれ18年の付き合いとなる。気っ風のいい女性で、わがカミさんとも親しくしてくれており、お互いに身の上相談をしているようだ。(どうせ亭主の陰口だとは思うが)
 18年も経てば、年齢は間違いなく18年加わっていて、すっかり落ち着いた貫禄だ。
 女性を表現するのに、「落ち着いた貫禄」は失礼かもしれない。落ち着きを見せ始めた色気とでも表現しようか。

 以前の私は、日本酒だけにこだわっていたが、今は焼酎が多い。飲んで旨いのは日本酒なのだが、酔い心地が少ししつこい。若いころは、そのしつこさが良くて飲んでいた。しかしこの歳になると、さすがに後々がつらい。特に、足腰に疲れがどっと出る。

 後輩たちとの話題は、まずは昔話からスタート。ほとんどは私が彼らの論評の的となる。
「あのとき、×××◇◇と言ったのを、覚えていますか?」
「イヤ、覚えていない」
「あの後が大変だったんですよ!」
「そうだったのかァ。そりゃァ悪かったなァ」
 まずはそんな話が多い。

 先輩の身としては、元気だったころの私の無謀ぶりを、そのような語り口で言ってくれるのは、懐かしいしありがたい。精気溢れて仕事に打ち込んでいたころを思い起こすことになる。回春剤を投与されたようなものだ。

 彼らも年齢を加えた。会社の幹部として活躍していて頼もしい。

 彼らとしては、敬老精神で私を励ましてくれているのかもしれない。
 しかし私としては、先輩面をして、それに甘えてはいけない。彼らの活力に役立つ存在でなければならない。
 後輩たちと会うとき、私はいつもそのように思ってしまう。

 もっと楽になったほうがいいなかもしれないな。
 しかし、これが私の性分なんだから仕方がないのだ。

 一ヶ月後に会う約束をして別れた。

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若者言葉

2007年09月20日 06時20分29秒 | 日記・エッセイ・コラム

Simg_0988tt_1  (写真をクリックして頂けると大きくなります

 風が強い中の撮影でした。

 白い曼珠沙華が、赤色の中で、結構存在感がありました。

 黄色の曼珠沙華もありましたが、少し時期が過ぎていたようです。

 電車の中で話している高校生の言葉は、分かりにくい部分が多すぎる。
 彼ら彼女らの感覚で話していて、私には追いつかない。

 日本語の乱れを懸念する声もあるが、私はあまり心配しない。もともと言葉は、昔からさまざまな応用問題を解きながら、進歩してきたのではなかったろうか。
 基本的な、あるいは標準的な言葉が残っている限り、やや応用的な分野で、若者言葉が使われても、日本語の危機と言うほどのことではあるまい。

 私たちも学生のころは、ずいぶんと独善的な言葉を使っていた。それが仲間内の隠語でもあり、連帯感の証しだったりもした。

 とは言っても、基本的な用例や言い方・発音の仕方で、気になる言葉はある。
 私が気にする一つの例では、ラ抜き言葉がある。もっともこれは若者に限らず、テレビのアナウンサーですら使っている。

 差別に繋がりそうな、あるいは誤解されそうな言葉は、厳に慎むべきなのだろう。

「KY」という言葉があるようだ。
 某総理大臣に対し、「マジ、KYだよねえ」などと使ったりするのだそうだ。つまり通訳すれば、「ほんと、空気(K)が読めない(Y)んだよねえ」となるのだという。
 このような言葉は、いずれ消えていくに違いない。だから、恐れることはない。

「KY」についてはそれでいいが、政治家は時代の空気の流れを、敏感に読んでほしい。そして、良い意味での「空気の流れ」を生み出してほしいものだ。

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こだわりの定理

2007年09月19日 02時05分43秒 | 日記・エッセイ・コラム

Simg_0928t2_1  (写真をクリック頂くと大きくなります)

 右の花は、一昨日に撮った黄花コスモスです。
 暑い天に向かって咲いていた花を、裏側から撮りました。透過光のため、花弁が薄く見えています。

 執着心という言葉がある。
 あることにとらわれて離れない心、とでも言うのだろうか。
 

 哲人や成功者たちは、「思いが強くないと、成功しない」、と説いている。
 そのようなことを説く書物も多い。
 経営にかかわらず、健康に関しても、そのように説いている医家もいる。

 一方、宗教家たちは、物事にとらわれ過ぎてはいけない。こだわりを捨てろと、説いている。古くは「般若心経」などだろうか。

 どちらも真理なのだろうが、私のような凡夫の身では、すんなりとは心に落ちない。

 若いころの私は、こだわりの塊だった。良い意味でも悪い意味においても、強くこだわった。
 強くこだわったために、成功したこともあったように思う。
 反面、強くこだわったために、人間関係にヒビが入りかけたこともあった。なによりも、こだわり過ぎは、健康に良くなかったのではなかろうか。病気が多かった。

 そんなこだわりの塊だったくせに、諦めが早い一面もあった。

 失敗しても、「こんな程度で済んだと思えば、まあいいやなあ」、といった感じだ。
 いつかのブログにも書いたのだが、東北新幹線に東京で乗り、大宮で降りずに、仙台まで乗り越してしまったことがあった。そんな時は、「きっと大宮で降りたら、交通事故に巻き込まれたかも知れないなあ」、と思って諦めた。諦めの理由作りはうまかった。

 こだわりを強く持ったり、あっさり諦めたりのわが原則を、自分でも分からない。

 こだわりを強く持ったために、成功したり、失敗したり……。
 反対に、こだわらなかったために失敗したり、結果オーライだったり……。

 成功と失敗の分かれ目、ないしは定理を知らないまま、年月が過ぎてしまった。定理を知っていれば、成功の確率がより高く、失敗の確率がより低かったかもしれない。

 老年になるにつれ、やや淡泊になった。少なくとも私は、そのように自分を解析しているのだが、長年連れ添ったカミさんに言わせれば、「万事、しつこくなったわねえ」となる。

 こだわりを強く持てと説く人がいる。こだわりを持たないと成功しないと説いている。
 こだわりを捨てなさい、心が楽になり、病気にならない、と説く医家がいる。

 凡夫は悩むばかり。
 定理を知らずに、死を待つことになるらしい。

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後輩と昼食

2007年09月18日 17時22分01秒 | 身辺雑記

Simg_0947_3 (写真をクリック頂くと大きくなります

 

今日の昼、後輩と食事。

 健啖家の2人だが、私と一緒の時は、蕎麦を付き合ってくれる。

 食事しながらの話題は、縦横無尽。あっちへ飛んだりこっちへ滑ったり。

 このごろは政治の話題も多い。

 Kさんによれば、私のブログ(「漂流にストップ!」)は正論過ぎるらしい。
「国民のすべてに歓迎される政策はない。全体を生かすために、斬るものがあっても仕方がない」。
 K意見の大要は、こんな感じだ。

 私としては、「国民のすべてに歓迎される政策」を求めていない。
 むしろ、政治のプロセスを大切に考えてほしいと思っているだけだ。
 Tさんもおおよそ同じように考えているようだ。

 そんな話をゴチャゴチャ言いながら、蕎麦をすすり、そしてコーヒーを飲む。
 いくらいい加減な私たちでも、蕎麦とコーヒーは別々の店だ。

 彼らは現役のチャキチャキなので、すこぶる多忙だ。私の相手などをしているヒマはないはずだが、なんとか時間を割いてくれている。
 ありがたいことだ。

 家に帰って、さっそくパソコンの前。

 ブログ仲間「月下浪人」さんのブログ「日々闊達に」を訪問。
 「ヒヨドリジョウゴ」という可憐な花を紹介してあり、しかも「ひよどり」にちなみ、私に贈って下さると書いてあった。
 嬉しいやらこそばゆいやら。
 このような交流も、嬉しいことの一つだ。ブログの一番目の効用。

 写真の曼珠沙華は、昨日撮ってきたもの。
 台風10号の被害で、コスモスは無惨だったが、曼珠沙華は少し遅れたらしく、これからが花時の風情だった。

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コスモス無惨

2007年09月17日 17時59分59秒 | 日記・エッセイ・コラム

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(写真をクリック頂けると大きくなります)                                                             

 

遠出をしようと、車をスタート。日光を目指した。

 しかし、高速道に入ってから、気が変わった。風が吹いている。ますます強くなっては大変。花の撮影にはならない。

 栃木インターで下りて、「花之江の郷」へ向かった。

 風が強くなってきた。上手な写真家なら、風を利用する撮り方もあるのだろうが、私にはとても不可能なこと。

 コスモスを狙って行ったのだが、無惨な姿だった。台風10号によって、揺さぶられたのだろうか。花弁にも小さな傷があって、痛々しい。勢いもない。うなだれている。そんなコスモスは見たくない。

 不思議なもので、色の濃いコスモスは、頑張っている。蜂や蝶もそちらに多い。

 曼珠沙華が咲き始めていた。係の人の話では、少し遅れているとのこと。「早すぎたかなあ」、と懸念していた私にとっては、意外だった。

 暑い日だった。そんなところで「熱中症」では、シャレにもならないので、早々にして引き揚げた。

 連休の最後の日だが、車は空いていた。
 こんな日は、覆面パトカーが走っているので、要注意。
 年寄りの言うセリフではありませんなあ。
 つまり、「雀百まで、踊り忘れず」、だったでしょうか。

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