新・ほろ酔い気分

酔っているような気分のまま、
愚にもつかない身辺雑記や俳句で遊んでおります。
お目に留めて下されば嬉しいです。

アガリ癖

2007年09月14日 07時15分35秒 | 身辺雑記

 緊張すると上がってしまう。

 ドキドキして、汗がでる。動作がぎこちなくなる。言葉がうまく出ない。

 つまりこれは、ストレスを感じたときの身体反応なのだろう。

 子供のころから、私はアガリ癖があった。国民学校1年生の学芸会(今は何と言っているのかなあ)。私は開会の言葉をする羽目になった。
 幾度も演習をさせられた。家でも親の前でやった。
 親の前では平気なのに、学校ではうまくいかなかった。ほかの誰かに代わって貰いたくて、いろいろと言い訳を考えたりした。
 そのような私の心境を察知していたのか、母親の特訓は厳しかった。
 細かいことは覚えていないが、予行演習の日はうまくいった。
 その日、ルンルン気分で家に帰ったら、
「うまくいったじゃないの!」と、母親に誉められた。予行演習は講堂でおこなわれたのだが、窓の外で、母親が見ていたらしい。心配だったのだろう。
 学芸会の当日も、うまくやれた。
 こんな古いことを覚えているのだから、当時の私にとって、大きなイベントだったのだろう。

 アガリ癖はその後も続いた。

 「六三制 野球ばかりが うまくなり」、という川柳が作られたほど、中学生時代から、私たちは野球に夢中になった。
 学校対抗の試合も、地域対抗の試合もあった。
 夢中になっていた割りに、野球でもアガリ癖が出た。特にバッターになった時がひどかった。ストライクを見逃して、ボールを振ったりした。身体が正常に反応してくれなかったのだ。

 テレビで見る高校球児たちのプレーは、まるで奇跡に見える。よほど鍛えているに違いない。

 中学生時代から柔道にも熱を入れた。高校時代、学校対抗の選手になったこともあった。
 不思議なことだが、柔道ではあがったことを覚えていない。お互いに、襟と袖口を取りあって呼吸を計るのだが、あがって失敗した覚えはない。一対一で相対しているので、あがる余裕がなかったのだろうか。

 大人になっても、アガリ癖はあった。しかし、なんとか凌いできた。大きな失敗は記憶していない。
 大人数の前で話をする機会もあったが、なんとかことなくこなしてきた。それだけ図々しくなってきたのだろう。

 ストレスの受け方や反応は、人さまざまなのだろう。
 安倍首相は、国を預かる身として、大きな負担を感じていたに違いない。
 だからといって、今般の身の処し方を、認めるわけにはいかないのだが……。

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コメント (4)
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