新・ほろ酔い気分

酔っているような気分のまま、
愚にもつかない身辺雑記や俳句で遊んでおります。
お目に留めて下されば嬉しいです。

こだわりの定理

2007年09月19日 02時05分43秒 | 日記・エッセイ・コラム

Simg_0928t2_1  (写真をクリック頂くと大きくなります)

 右の花は、一昨日に撮った黄花コスモスです。
 暑い天に向かって咲いていた花を、裏側から撮りました。透過光のため、花弁が薄く見えています。

 執着心という言葉がある。
 あることにとらわれて離れない心、とでも言うのだろうか。
 

 哲人や成功者たちは、「思いが強くないと、成功しない」、と説いている。
 そのようなことを説く書物も多い。
 経営にかかわらず、健康に関しても、そのように説いている医家もいる。

 一方、宗教家たちは、物事にとらわれ過ぎてはいけない。こだわりを捨てろと、説いている。古くは「般若心経」などだろうか。

 どちらも真理なのだろうが、私のような凡夫の身では、すんなりとは心に落ちない。

 若いころの私は、こだわりの塊だった。良い意味でも悪い意味においても、強くこだわった。
 強くこだわったために、成功したこともあったように思う。
 反面、強くこだわったために、人間関係にヒビが入りかけたこともあった。なによりも、こだわり過ぎは、健康に良くなかったのではなかろうか。病気が多かった。

 そんなこだわりの塊だったくせに、諦めが早い一面もあった。

 失敗しても、「こんな程度で済んだと思えば、まあいいやなあ」、といった感じだ。
 いつかのブログにも書いたのだが、東北新幹線に東京で乗り、大宮で降りずに、仙台まで乗り越してしまったことがあった。そんな時は、「きっと大宮で降りたら、交通事故に巻き込まれたかも知れないなあ」、と思って諦めた。諦めの理由作りはうまかった。

 こだわりを強く持ったり、あっさり諦めたりのわが原則を、自分でも分からない。

 こだわりを強く持ったために、成功したり、失敗したり……。
 反対に、こだわらなかったために失敗したり、結果オーライだったり……。

 成功と失敗の分かれ目、ないしは定理を知らないまま、年月が過ぎてしまった。定理を知っていれば、成功の確率がより高く、失敗の確率がより低かったかもしれない。

 老年になるにつれ、やや淡泊になった。少なくとも私は、そのように自分を解析しているのだが、長年連れ添ったカミさんに言わせれば、「万事、しつこくなったわねえ」となる。

 こだわりを強く持てと説く人がいる。こだわりを持たないと成功しないと説いている。
 こだわりを捨てなさい、心が楽になり、病気にならない、と説く医家がいる。

 凡夫は悩むばかり。
 定理を知らずに、死を待つことになるらしい。

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コメント (5)
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