右の花は、一昨日に撮った黄花コスモスです。
暑い天に向かって咲いていた花を、裏側から撮りました。透過光のため、花弁が薄く見えています。
執着心という言葉がある。
あることにとらわれて離れない心、とでも言うのだろうか。
哲人や成功者たちは、「思いが強くないと、成功しない」、と説いている。
そのようなことを説く書物も多い。
経営にかかわらず、健康に関しても、そのように説いている医家もいる。
一方、宗教家たちは、物事にとらわれ過ぎてはいけない。こだわりを捨てろと、説いている。古くは「般若心経」などだろうか。
どちらも真理なのだろうが、私のような凡夫の身では、すんなりとは心に落ちない。
若いころの私は、こだわりの塊だった。良い意味でも悪い意味においても、強くこだわった。
強くこだわったために、成功したこともあったように思う。
反面、強くこだわったために、人間関係にヒビが入りかけたこともあった。なによりも、こだわり過ぎは、健康に良くなかったのではなかろうか。病気が多かった。
そんなこだわりの塊だったくせに、諦めが早い一面もあった。
失敗しても、「こんな程度で済んだと思えば、まあいいやなあ」、といった感じだ。
いつかのブログにも書いたのだが、東北新幹線に東京で乗り、大宮で降りずに、仙台まで乗り越してしまったことがあった。そんな時は、「きっと大宮で降りたら、交通事故に巻き込まれたかも知れないなあ」、と思って諦めた。諦めの理由作りはうまかった。
こだわりを強く持ったり、あっさり諦めたりのわが原則を、自分でも分からない。
こだわりを強く持ったために、成功したり、失敗したり……。
反対に、こだわらなかったために失敗したり、結果オーライだったり……。
成功と失敗の分かれ目、ないしは定理を知らないまま、年月が過ぎてしまった。定理を知っていれば、成功の確率がより高く、失敗の確率がより低かったかもしれない。
老年になるにつれ、やや淡泊になった。少なくとも私は、そのように自分を解析しているのだが、長年連れ添ったカミさんに言わせれば、「万事、しつこくなったわねえ」となる。
こだわりを強く持てと説く人がいる。こだわりを持たないと成功しないと説いている。
こだわりを捨てなさい、心が楽になり、病気にならない、と説く医家がいる。
凡夫は悩むばかり。
定理を知らずに、死を待つことになるらしい。