新・ほろ酔い気分

酔っているような気分のまま、
愚にもつかない身辺雑記や俳句で遊んでおります。
お目に留めて下されば嬉しいです。

過去の人

2007年09月24日 19時45分07秒 | 身辺雑記

 午後5時、安倍首相が入院している病院で、記者会見をした。

 「突然の辞任表明で、政治空白を生ぜしめ、国民をはじめ多くの人々に迷惑をかけ、申し訳なかった」。そのような詫び言だった。
 また、辞任の原因については、健康問題だとの説明であった。

 今後も政治活動を続けたいと述べていたのには、少なからず驚いた。

 一国の宰相が、政治責任を放り投げたのだ。たとえ健康問題だとは言え、議員を続けたいと言えるのだろうか。
 そのようなことを、今の段階で口にできるとは、恐ろしく無責任な話ではないか。
 その感覚の政治家を、私たちは宰相として選んでいたのだ。

 彼が辞任表明をした当時(9月12日)、私は彼を気の毒に思った。世の中の不条理を感じた。
 しかし、今日の記者会見を見て、辞めて貰ってよかったと、つくづく実感した。冷たい言い方をするが、彼に一国を背負わせることは危険だった。彼はその器ではなかったのだ。

 彼を担ぎあげた周囲の責任は、どうなるのだろうか。

 私もいい加減な人間だ。人を見る目がない。安倍晋三氏を応援しようとしていた不明を、我ながら残念に思う。

 今後、彼のことを口にすまい。

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通風談義

2007年09月24日 12時37分26秒 | 身辺雑記

 ある方のご主人が、通風に罹ったと聞いた。
「風が吹いても……」と言われるほどの痛みなので、家中の大騒ぎが想像できる。

「家中の大騒ぎ」などの表現は、不謹慎かもしれない。病人やご家族に対し、失礼極まりないこと。しかし、ことが通風となると、どうしても親近感が湧いてしまって、失礼な態度が出てしまう。
 このような癖は、私だけの特異な例ではない。

「おいおい、○○さんも痛風になったってさ」
「へー、あの人、そんなに飲んだっけ?」

 痛風罹患者近辺の通常の風景。

 私の友人や知人の中にも、痛風患者は多くいて、会えば冷やかし半分に病状交換をしている。
「どう……?」、と、相手の足元を指さして訊ねる。
「時々だねえ」。つまり、時々痛むらしいのだ。
「なんで……?」。薬をキチンと飲んでいれば、痛まないはずではないか。訊ねたほうには、そんな思いがある。
「ここんところ痛まなかったンで、大丈夫かなあと思って飲まなかったんだよねえ」

 この知人は何度も痛みを再発させている。
 原因は、薬服用忘れと暴飲暴食。あっ、それに肥満だ。

 「同病相憐れむ」という言葉がある。

「夜になると咳込んじゃってねえ」
「実はこのごろ、オレもそうなんだ。喘息かなあ」
「ウン、咳喘息ってのがあるらしいから、気をつけたほうがいいぜ」

 通常は、同情しながらの話になる。
 ところが、痛風の場合は、同情の前に親近感が湧いてしまう。妙な病気だ。

 生命に別状ないという安心感があるからだろうか。

 私の発病は20年ほど前。
 左足親指の付け根が、ポッとピンクいろになったが、さほど痛まなかった。
 少し指が曲がった感じだったので、外反母趾かなと思った。整形外科の診察を受けたら、「痛風のケ」と言われた。正しくは高尿酸血症。
「痛くありませんよ!」。
 痛くないのだから、痛風ではないのではないか。素人のくせに、私はそんな主張。
「血液検査の結果では、尿酸値が高い。いつ痛くなってもおかしくない。薬を服用していただきます」、と医師。
 痛くなってから飲めばいいのではないか、という私に対し、
「あなたの尿酸値は高い。放置したままでは腎臓を傷めます」と、いつになく強い医師の指示で、その日から薬を飲みはじめた。

 私の周囲には、痛風患者が多い。薬を正しく飲み続け、みな再発していない。
 勝手に薬をやめて再発させている友人は、一人だけ。

 

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お中日

2007年09月23日 20時22分02秒 | 日記・エッセイ・コラム

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 台風10号で大被害を被った近所の鶏頭が、やっと生き返った。

 毒々しいほどの赤。

 大きな頭を並べ、じっと私を見つめていて、気味が悪いような雰囲気だ。

 花々は、どんな思いで私を見ているのやら。

(写真をクリックすると、大きくなります)

                             


 
 
 今日は彼岸のお中日。

 高速道で、茨城県北部へ往復。
 両親の墓参りである。

 往路は中程度の渋滞。つまり、思っていたほど混んではいなかった。

 久しぶりに弟妹たちと会った。
 会えば、いつものことながら、戦争末期の話題が多くなる。

 末弟は昭和21年生まれなので、戦争末期には、登場人物として出てこない。
 だから話題には入れず、可哀想かなあと思っていたら、むしろ積極的に聞きたがる。
「それで、それで……」といった調子で、私たちの発言を促してくる。
 苦労した団塊の世代。兄姉に対し、かなり気配りをしてくれた。ダメな弟と叱咤していたころが、まるで嘘のよう。やはり、歳月は人を変えてくれる。

 自分が知らない時代の両親に、会いたい気持ちもあったのかもしれない。
 少しばかりいじらしく思えた。

 帰路は予想に違わず、大渋滞。
 でもまあ、今年のお彼岸も無事に過ごせて、しんそこホッとした。
 
       

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朝から暑い

2007年09月22日 09時55分32秒 | 日記・エッセイ・コラム

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 朝から暑い。

 暑い中を、カミさんが駒込へ墓参りに行った。いつもなら私も一緒なのだが、今日に限って一人で行った。兄たちとの話がありそうな雰囲気だ。私は遠慮することにした。
 その寺には、カミさんの両親たちの墓がある。

 同じ寺に、わが家の墓もある。私が入る予定で準備していたお墓だった。
 しかし、私の前に、長男の細君が入ってしまった。1歳にも満たない子供を残しての早逝だった。

 今年の夏、その3回忌も済ませた。
 孫も満3歳になった。

 明日は茨城県へ。私の両親の墓参りだ。カミさんも同道する。

 常磐高速道を行くのだが、きっと渋滞気味になるはずだ。早朝に出発しないと、渋滞に巻き込まれて、大ごとになる。
 しかし行かなければならない。なにかの都合で行かなかったりすると、落ち着かない気持ちで、幾日間かを過ごすことになってしまう。

 写真は先日撮った曼珠沙華だ。
 暑い日だったが、お彼岸の日に使おうと思って、念入りに撮った。
 念入りに撮ったからと言って、傑作が生まれる保証はない。
 しかし私は、思いを込めて「念入り」に撮った。作の良否は別。
 (写真をクリック頂くと大きくなります

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恥ずかしさの心理

2007年09月22日 06時34分16秒 | 日記・エッセイ・コラム

Simg_0963t_2  (写真をクリックして頂けると大きくなります)

 コムラサキシキブです。

 花より実が美しい。

 陽に映えたムラサキが、高貴な印象です。

                                                    

 人生を70年以上やっていれば、「思い出すだに恥ずかしい」ことは、無数にある。

 高校生のころ、特定の女学生と話をしたいため、用事もないのに彼女の家の廻りをうろついて、家の人に咎められたことがあった。思い出しても、かなり恥ずかしい事件だ。

 カミさんと結婚するときの話だ。上司に媒妁人を頼んだ。万事簡略にしましょうということで、結納は、媒酌人と私の2人で行った。結納の品については、デパートで買った箱入りの一式を持って行き、箱も拡げずに先方に渡した。これなどは、ひどい話だ。

 もう何十年も経っているのに、そのような恥ずかしい事件を、突然思い出してしまったりする。
「ドキッ……」となるが、そんなとき、決まって大声を出す。
「あーあー」などと、意味のない大声を出すこともあるし、突然歌を唄い始めることもある。

 入浴中に思い出すケースが多い。
 なにかルールがあるのだろうか。
 私は突然、浴室で大声を発する。家人は気づいているだろうか。

 恥ずかしいことが脳裏を掠めると、とたんに大声が出る。いや、大声を出して恥ずかしさから自分を守るのかもしれない。
 このようなとっさの衝動は、私だけのことなのだろうか。
 それとも、極くありふれた心理状況なのだろうか。

 このごろは、突飛な行動もなくなったので、恥ずかしい思いを残すことは少なくなった。

 待てよ!恥ずかしく感じなくなったのかも知れないぞ!

 もしもそうだったら、これぞ恥ずかしいことだ。

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