昨日のブログで、失敗談を書いた。
考えるまでもなく、誰も失敗はしている。失敗しない人はいない。
とは言っても、「誰も失敗はしているんだ」と言って、開き直ってばかりもいられない。
パソコンの操作ミスで、書いた原稿を飛ばした程度のことなら、癪に触るが書き直せばすむ。
浮気がバレたら、トボケ通すか、床に額を擦りつけて詫びまくる。
あるいは、ウソでもいいから、「もう絶対にしません!」と、誓いの言葉を叫び立てる。
失敗によっては、人命にかかわる事故や、莫大な金銭的損失を招く失敗もある。
もう一度言うが、誰もが失敗はしている。
その失敗から何を学び、失敗をしない対策を立てることが肝要なのだ。
夜ブログを書き終えたとき、パソコンのキー操作をミスし、せっかくの原稿をブッ飛ばしてしまった。いっときは怒り心頭に発した。しかし、もともと私の軽率が原因。夜中のことなので、怒ってみてもその遣り場もなく、自分の手で怒りの炎を消した。
しかし同じ内容のブログを書く気持ちは失せて、ほかの失敗談を書き、ことを済ませた。
まあ言ってみれば、他愛のないボヤキで済む話だったのだが、失敗によっては、そんな軽い処理では済まないものもある。
世に「失敗学」なる学問が、立派に存在している所以だ。
「失敗学」の命名は、立花隆氏とのこと。運動の提唱者は、畑村洋太郎氏。
「失敗学」を要約すれば、「失敗の根幹原因を究明し、同じ過ちを繰り返さない方策を考え、世の中に普及する」ということのようだ。
このごろ、飛行機事故も多い。自動車事故も後を絶たない。物理的な「機器」の問題もあろうし、取り扱う人に起因するケースもある。
建設工事での事故も多い。ほとんどはヒューマンエラーと言われ、「つい、うっかり」が多い。この問題がもっとも古典的な失敗であり、それだけにもっとも難しい。
「人」に起因すると言っても、未熟によるモノなのか、うっかりミスなのか。能力の問題もあるし、責任感の欠如だってある。
失敗したら、原因を究明して対策を講じ、再発防止に努めていく。これが「失敗学」。
世の亭主諸君は、沢山応用できそうだ。火遊びに失敗は許されません。
戦争こそ、もっとも重大な失敗の一つだ。世の中に、これ以上の失敗はない。
「失敗学」によって原因を究明し、世界から戦争を根絶しなければならない。
そのようなことを考えれば、パソコン操作のミスなど、取るに足らない。怒る方が愚かと言うべきか。
しかし、時間のロスとなるので、今後は「失敗学」の教えに従い、パソコンの習熟に努めようと思う。
これが私の「失敗学」である。
こんな程度の「失敗学」では、きっとまた、ミスるに違いないネ。