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kan-haruの日記

イベント 東京藝術大学大学美術館 鶯谷から上野まで古寺・古建築を巡り夏目漱石の美術世界展を見るその2

2013年08月16日 | イベント
kan-haru blog 2013 東京藝術大学美術館Wikipedia      

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東京国立博物館付近の古建築
開山堂の山門を出ると都道452号の道路で、その都道を西北に進むと道路右側は国立博物館の正門前です。都道452号の道路沿いには古建築が林立しており、「夏目漱石の美術世界展」展示の観賞前に少し寄り道して、古建築を眺めていきます。ただし、古建築の1つの東京藝術大学上野キャンパスは、都道北側に音楽学部があり、南側に美術学部がありますが、「夏目漱石の美術世界展」展示の東京藝術大学大学美術館は美術学部内にありますので、今回は北側キャンパスの音楽学部は割愛とします。

 東京都道452号周辺地図

・東京国立博物館
1872年(明治5年)に日本最初の「博覧会」が湯島聖堂大成殿で開催され、入場券には「文部省博物館」と明記されており、これが日本の「博物館」の始まりです。「文部省博物館」は1873年(明治6年)に太政官正院の「博覧会事務局」に併合され、湯島から内山下町(現在の東京都千代田区内幸町)に移転し、この年は4月15日から博覧会が開かれました。
1877年(明治10年)に上野の寛永寺本坊跡地(現東京国立博物館敷地)で第1回内国勧業博覧会が開催され、展示館の1つである「美術館」は日本で最初に「美術館」と称した建物と云われています。1881年(明治14年)に、寛永寺本坊跡地にイギリス人建築家ジョサイア・コンドルの設計による煉瓦造2階建の本館が完成し、第2回内国勧業博覧会の展示館として使用された後、翌1882年(明治15年)から博物館の本館として使用され、第1回内国勧業博覧会の際に建てられた「美術館」の建物も新博物館の「2号館」として活用されましたが、博物館内に新たな美術館を建造することとなり、宮廷建築家片山東熊の設計で1901年に着工、7年後の1908年に竣工し、翌1909年に美術館は表慶館と名付けられて開館しました。
1923年(大正12年)の関東大震災で本館・2号館共に損壊し、博物館は表慶館のみで展示されました。本館の復興建設は1932年(昭和7年)に着工し、1938年(昭和12年)に開館したのが、現存する東京国立博物館本館(重要文化財 台東区上野公園13番9号)です。(「イベント 東京国立博物館 手塚治虫の漫画と仏像でたどる釈迦の生涯「ブッダ展」その1」参照)
新館は、1968年(昭和43年)に東洋館が、1984年(昭和59年)に資料館が、1999年(平成11年)に平成館(「イベント 東京国立博物館 江戸三座の役者28図を描いてデビューし10カ月で姿を消した東州斎写楽を見るその1」参照)が開館しています。

東京国立博物館正面口の先を進むと、都道に面して因幡の国の大名因州池田屋式表門(黒門 国の重要文化財)が、丸の内の藩邸から1892年(明治25年)に芝高輪台町の常宮御殿の表門として移建され、1954年(昭和29年)修理を加えて移築したもので、屋根は入母屋造、門の左右に向唐破風造の番所を備えており、江戸時代末期の大名屋敷表門として格式高い姿を見せています。

 東京国立博物館(:東京国立博物館本館20110525、右:因州池田屋式表門Wikipedia)

・黒田記念館
東京国立博物館先の交差点を渡った右側に建つ古建築は、黒田清輝(1866-1924)記念館です。黒田記念館は、日本近代洋画の父黒田清輝が、1924年(大正13年)に没する際、遺産の一部を美術の奨励事業に役立てるよう遺言し、これをうけて1928年(昭和3年)に竣工しました。記念館には、1930年((昭和5年))に美術に関する学術的調査研究と研究資料の収集を目的として美術研究所(東京文化財研究所の前身)が設置されました。2007年(平成19年)に独立行政法人文化財研究所と独立行政法人国立博物館が統合し、新たに独立行政法人国立文化財機構が設置された組織改編により、黒田記念館は東京国立博物館に移管されました。
記念館の設計は岡田信一郎によるもので、建物全体がスクラッチタイルでおおわれ、正面には黒光りする大きなドアがあり重厚な印象を受ける建物で、正面2階部分には、3つのアーチ窓を両側から挟んで列柱が並ぶルネッサンス風様式です。半地下階付の鉄筋コンクリート造2階建の建物です。

 黒田記念館(左・右写真拡大 黒田記念館HPから)

・旧東京音楽学校奏楽堂
東京音楽学校(現東京藝術大学音楽学部)の施設だった旧東京音楽学校奏楽堂は、文部技官山口半六と久留正道の設計と音響設計 が上原六四郎により、1890年(明治23年)に日本初のオーディトリウム(演奏会場)として、木造地上2階建ての桟瓦葺で建てられました。1987年(昭和62年)に台東区に移管され、東京国立博物館先交差点対面の現在の地(台東区上野公園8-43)に移築保存されて、1988年(昭和63年)に重要文化財として指定されています。

 旧東京音楽学校奏楽堂(写真拡大0628)

・東京藝術大学の古建築
東京国立博物館先交差点の対角線の東京藝術大学の角の、青銅の「東京藝術大學」の名札が掛かっている門は旧美術学校、旧音楽学校の旧正門です。旧正門を入った建物は正木記念館で、東京美術学校の校長を32年間の長期にわたって在任した第5代校長正木直彦の功績を顕彰するため1935年(昭和10年)に建てられました。設計は岡田信一郎門下の金沢庸治で、白の漆喰壁、入母屋の瓦屋根は日本の伝統美術を評価してきた美術学校の姿勢を反映しています。

 東京藝術大学美術学部の古建築物1(:移転された旧正門0628、右:正木記念館 東京都市整備局HPから)

正木記念館沿いに先に進むと鬼瓦屋根をいただく山門を思わせる門があり、それが明治時代の本館玄関です。玄関を入ると右側に、東京藝術大学旧東京美術学校玄関があり、設計は鳥海他郎・大澤三之助・古宇田實により1913年(大正2年)建築され、1972年(昭和47年)の東京藝術大学本館取り壊しの際、玄関部分のみ現在の正木記念館中庭に移築したものです。
 旧東京美術学校玄関(左:玄関表面 東京都市整備局HPから、:玄関裏面 0628)

玄関を入り、その左側には、沼田一雅が1936年(昭和11年)に製作した陶造の「正木直彦先生像」が置かれています。屋外中庭には、ロダンの「青銅時代」のブロンズ像が置かれています。

 玄関を入って見られる像(:正木直彦先生像、:ロダンの「青銅時代」ブロンズ像0628)

美術学部の門を入ってすぐ左側の建物が陳列館は、1929年(昭和4年)に竣工した西洋風の展示館で、設計したのは岡田信一郎で、スクラッチタイル、トスカナ式の飾り柱、天窓があります。岡田信一郎は、大阪中之島中央公会堂(大正7年)、鳩山一郎邸(鳩山会館、大正12年)、歌舞伎座(大正13年)、明治生命館(昭和9年:重要文化財)などを設計しました。これらは用途が全く異なる分野の建物で、 “様式建築の鬼才”と呼ばれ高く評価されています。

 旧東京美術学校陳列館(:陳列館0628、右:陳列館前に設置の皇居二重橋の旧飾燈 台東区文化ガイドブックから)

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