・2013年11月20日5版
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ようこそ K&A kan-haru 日記へお越し頂きまして、有難うございます。
kan-haru 日記の INDEX もリニューアルしましたので、それに合わせて この 「kan-haru 日記の見方について」 も更新しました。
日記索引の INDEX をリニューアルしましたので、日記の全記事を索引できます。
kan-haru 日記では、記事索引のために「< 総合INDEX へ」をクリックして、「カテゴリー別総合目次(全日記INDEX)」へ進み、目次記載のカテゴリー項目を選択すると、当該の「カテゴリー毎の目次」を表示します。
カテゴリー毎の目次は、常時更新を行っておりますが、当該カテゴリーの第1回から最新の掲載記事まで一望して索引することができます。
また、日記の検索・索引が複数の方法で行えますので、「kan-haru日記 おしらせ 目次構成のリニューアルにより索引・検索が簡単で便利になりました」(←ここをクリックして)参照してください。 (2013年11月18日)
1 日記について
kan-haru 日記は、2006年3月8日に掲載開始からの登録が1400編を超え、掲載の写真、地図や資料などが非常に多数に達しています。(2013年11月18日現在)
日記の形式は、記録誌的な志向で掲載してあり、何時でも、何時まででも、また電子百科辞典的に検索して参考資料としてご利用ができます。
日記は、多様なテーマでカテゴリーも多数に分かれており、掲載も順不同に登録してあり閲覧頂くには、kan-haru 日記の見方についてのルールをご理解頂く必要があり、以下に目次などのガイダンスを記載しました。
日記の掲載の趣旨
kan-haru のは、大森町に65年間住んで、その想い出を風化させないために大森町に特化した、「大森町界隈あれこれ」についての記事を、豊富な写真、地図、資料と共に記録誌風に残すことを、テーマの一つとして記述してあります。
大森町の記録の中には、筆者の父の同僚でありました若山武義氏が、1946年の終戦翌年に記述した手記「戦災日誌」を、ご遺族のご好意の提供により一つのテーマとして掲載してあります。私の少年時代に遭遇した大森町大空襲の悲惨な体験と無知な戦争の記録は、今や、戦争を知らない人が80%を超え、風化した戦争を語り継ぎ平和の維持を願うため、実在した貴重な記録でありますので、解説と共に手記を掲載しました。掲載の手記は、「戦災編」と「戦後編」を、解説記事と共に完結連載しました。
日記の二つ目のテーマとしては、筆者が住んでいる大森町の周辺以外の地域の大田区、東京を初めとした全ての地域で筆者が触れた風土記、風景・風物詩、旅、イベント、見学記などを日記と記録誌風に、豊富な写真、地図、資料を付けて掲載してあります。
また日記は、Web時代のコミュニケーションとしての有用なツールでありますので、今後は記録誌日記の形態での掲載の他に、ブログの利・応用活用を進化した発想で、新たなコンテンツの創作にチャレンジし、次のテーマとして掲載して見たいと思っております。
2 日記の目次について
日記の目次構成は、「大森町界隈あれこれ」と大森町を除く全般の記録記事および「その他」のテーマ(カテゴリー)別の構成を示した「カテゴリー別総目次」と、テーマ毎の掲載記事を示した「カテゴリー毎目次」および、毎月1日付け掲載の「前月登録日記目次」から成ってます。以下にカテゴリー別の総目次項目とその概要を示してありますので、ご参考にして下さい。目次をクリックしますとテーマ(カテゴリー)毎の目次が表示されます。
「前月登録日記目次」は、前月登録日記項目と共にカテゴリー覧の総目次から、上記の「カテゴリー毎INDEX」に連携しますので、そのカテゴリーの第1回掲載から最新の掲載記事までを常時索引できます。
・カテゴリー別目次からの日記項目の選択
表示された総目次の該当項目をクリックすると、該当項目の日記のページが表示されますので、日記を選択して閲覧することができます。
・日記、資料などの選択項目の表示(共通)
目次や日記のページ内に下線付きの文字が表示されておりますが、下線付きの文字上をクリックすると、日記ページや写真・地図などの資料またはリンク先のホームページなどが表示されます。
・選択表示ページから元のページへ戻るには
選択して表示されたページから、元の表示ページに戻るには、表示ブラウザのメニューバーの「戻る」をクリックすることにより、元のページが表示されます。
[目次]
2-1 大森町界隈あれこれ
1 大森町界隈あれこれ 大森町に住んで65年 目次 (連載完結)
大森町に住みついたのは昭和13年(1938年)で、居住場所は国道15号(第一京浜)と三叉路分岐した、国道131号(産業道路)の大森警察署に面した処が、父の勤務先事務所で、その2階が大森町でのはじめての社宅住まいとなりました。日記はその1からその6までの6編の連載です。
2 大森町界隈あれこれ 空襲編若山武義氏手記 総目次 (連載完結)
2-1 大森町界隈あれこれ 空襲編若山武義氏手記 総目次1/3
若山武義氏の第1編 鎮魂! 大森町大空襲の手記で、東京大空襲~あれから61年~の日記連載2編と、大森町大空襲の戦災体験の手記11編の連載です。
3 大森町界隈あれこれ 戦後編若山武義氏手記 総目次
3-1 大森町界隈あれこれ 戦後史編手記 第1~4編総目次
昭和戦後史の太平洋戦争の終結、天皇制の問題集、我らの生活談義および配給生活談義の手記21編の連載です。
4 大森町界隈あれこれ 大森町の社寺 目次 (連載中)
氏子の諏訪神社を初めとした、大森町に鎮座する寺社についての由来や例祭および戦前の例祭写真、神輿が自宅に来訪、大森警察署に神輿珍入などの他、道路拡幅工事のため境内の縮小問題等のトピックス記事などの記事で、連載継続中です。
5 大森町界隈あれこれ 大森町商店街 目次 (連載中)
大森町商店街のサマーフェスティバルや美原通り夜店フェスティバルを探訪した印象記録などで、大森町にある商店街の抱える問題点に触れられればと、連載継続中です。
6 大森町界隈あれこれ 大森海苔物語 目次 (連載中)
かって大森町は、歴史のある日本一の海苔生産地でありましたが、東京湾の埋め立て事業により、1963年に漁業権が放棄され、大森周辺での海苔生産の幕が退かれました。
その歴史的名残で、現在でも「大森本場乾海苔問屋協同組合」があり、大田区と品川区の海苔問屋の67社が加盟しています。筆者の路地を挟んだ隣家は、海苔生産業を営んでおりまして、毎年冬場には海苔の天日乾しの風物詩が見られました。現在、海苔の生産に関する情報は風化寸前ですので、歴史ある海苔生産の情報を少しでも残せたらと、連載の継続を試みます。
7 大森町界隈あれこれ 京浜急行 目次 (連載中)
現在、大森町の中心を通る京浜急行電鉄は、大森町住民の交通の要として重要な基幹交通です。かって、大森村は、大森の繁華街として大変賑わっておりましたが、東海道線の開通にあたり大森村の住民は、村の中心に鉄道が通るのを反対したため、大森町の西端を通る路線となり、大森駅は大森村の隣接地の新井宿と不入斗の両字であった所に開設され、「大森駅」と命名されました。その後、「軒先貸して母屋をとられる」形で、「大森駅」の周辺が、「大森」の中心地となり、開発が進み経済・文化は大森町から大森駅周辺へと移って行ったのです。
東海道線が開通した後大森町を京浜電車が走るのは、約30年後の1901年に六郷橋と東海道線の大森間が開通しました。
現在の京浜急行電鉄では、京浜急行本線の平和島から六郷土手までと、同支線の京急蒲田から大鳥居までの区間の連続立体交差化を進めております。この間の高架化工事は、大森町沿線周辺を初めとして、今後大変貌を遂げます。カテゴリーの京浜急行のブログは、これから、大変貌の記録を掲載し、連載して行きます。
8 大森町界隈あれこれ 大森町風景 目次2006~2012年版 、2013年版 (連載中)
大森町風景では、旧東海道(三原通り)の様な文化財的な古い風景と、大森ふるさとの浜辺公園の様な古き良き大森海岸を想い起こそうとの発想で2007年4月にオープンします。大森町風景では、古き風景・風物詩と次の世代の新しい風景を取り混ぜて、連載して行きます。
9 大森町界隈あれこれ イベント 目次2006~2009年版、2010年版、2011年版、2012~2013年版 (連載中)
大森町で開催の「ポレポレエコまつり」や「OTAふれあいフェスタ」などのイベント参加記事を連載して行きます。 (1月30日)
10 大森町界隈あれこれ 大森町学びや 目次 (連載中)
、 筆者は、幼稚園、小学校(国民学校)、中学校(旧制、新制)、高等学校と全ての学校は、大田区の大森町の学びやで勉強してきました。大森町での、戦前、戦中(疎開学童を含む)、戦後の各時代の学生生活の記録を纏めてみたいと思います。
2-2 大森町の以外での体験記録あれこれ
21 風景・風物詩 総目次 (連載中)
江戸の三大祭りや、高円寺の阿波踊り、朝顔市・ほをずき市の夏の風物詩や山の上ホテルでの異業種交流会暑気払いなどの見物や参加の記録を、関連資料を付加して掲載し、連載して行きます。
22 小さな旅 総目次 (連載中)
京都日帰り・桜花見、秩父長瀞の蝋梅と火渡り、清澄庭園・江戸資料館、旧古川庭園、矢切の散歩道(野菊の墓)などの小旅行記で、連載して行きます。
23 旅ものがたり 総目次2010~2013年版 (連載中)
家族・兄弟、学友たちとの国内宿泊旅行記の掲載しております。九州旅行、土湯や草津温泉、越中おわらの旅などを掲載中です。
24 秋葉原界隈 総目次 (連載中)
秋葉原は、2005年3月に「秋葉原ダイビル」が、2006年3月に「秋葉原ク ロスフィールド」がオープンし、2005年8月には、「つくばエクスプレス」が開通し、さらに2005年9月には「ヨドバシカメラ」が開店して大きく変貌しました。
秋葉原電気街との付き合いは、ラジオ少年として中学2年生(19 47年)時代から電気部品店街を物色した頃から始まり、電気街が幾 多の変遷で変革した中、通信機製造メーカー時代の電気部品調達 や、ソフトハウス時代の開発用パソコンやソフトウェアの調達な ど、現代に至るまで半世紀以上も続き、縁が深く馴染みの多い歴史のある想い出の街です。
「秋葉原ダイビル」、「秋葉原クロスフィールド」、「ヨドバシカメラ」も仕事や個人的に関係のある施設です。また、筆者が所属している組織の例会の会場も、秋葉原の近くにあり、秋葉原は少年時代から現在に至るまで関係が続いており、何かと日記掲載の機会がある街で、連載して行きます。
25 イベント 総目次 (連載中)
若き新進気鋭の陶芸家、木工製品手造家具・玩具の創作家とメルヘンチックな色鉛筆画のアート達が組んで、「ぬくもり三彩展」、倉澤杏菜のベルリン芸術大学留学を記念ピアノリサイタルや日本書道美術院「教育部展」などの見学記や鑑賞記を掲載しており、連載して行きます。
26 ITと技術 総目次 (連載中)
スーパーコンピュータの地球シミュレータ(海洋研究開発機構横浜研究所) 見学記やパソコンのトラブル遭遇記を掲載しており、連載して行きます。
27 Weblog 総目次 (連載中)
kan-haru 日記に絡む記事を掲載します。
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1 日記について
kan-haru 日記は、2006年3月8日に掲載開始からの登録が1400編を超え、掲載の写真、地図や資料などが非常に多数に達しています。(2013年11月18日現在)
日記の形式は、記録誌的な志向で掲載してあり、何時でも、何時まででも、また電子百科辞典的に検索して参考資料としてご利用ができます。
日記は、多様なテーマでカテゴリーも多数に分かれており、掲載も順不同に登録してあり閲覧頂くには、kan-haru 日記の見方についてのルールをご理解頂く必要があり、以下に目次などのガイダンスを記載しました。
日記の掲載の趣旨
kan-haru のは、大森町に65年間住んで、その想い出を風化させないために大森町に特化した、「大森町界隈あれこれ」についての記事を、豊富な写真、地図、資料と共に記録誌風に残すことを、テーマの一つとして記述してあります。
大森町の記録の中には、筆者の父の同僚でありました若山武義氏が、1946年の終戦翌年に記述した手記「戦災日誌」を、ご遺族のご好意の提供により一つのテーマとして掲載してあります。私の少年時代に遭遇した大森町大空襲の悲惨な体験と無知な戦争の記録は、今や、戦争を知らない人が80%を超え、風化した戦争を語り継ぎ平和の維持を願うため、実在した貴重な記録でありますので、解説と共に手記を掲載しました。掲載の手記は、「戦災編」と「戦後編」を、解説記事と共に完結連載しました。
日記の二つ目のテーマとしては、筆者が住んでいる大森町の周辺以外の地域の大田区、東京を初めとした全ての地域で筆者が触れた風土記、風景・風物詩、旅、イベント、見学記などを日記と記録誌風に、豊富な写真、地図、資料を付けて掲載してあります。
また日記は、Web時代のコミュニケーションとしての有用なツールでありますので、今後は記録誌日記の形態での掲載の他に、ブログの利・応用活用を進化した発想で、新たなコンテンツの創作にチャレンジし、次のテーマとして掲載して見たいと思っております。
2 日記の目次について
日記の目次構成は、「大森町界隈あれこれ」と大森町を除く全般の記録記事および「その他」のテーマ(カテゴリー)別の構成を示した「カテゴリー別総目次」と、テーマ毎の掲載記事を示した「カテゴリー毎目次」および、毎月1日付け掲載の「前月登録日記目次」から成ってます。以下にカテゴリー別の総目次項目とその概要を示してありますので、ご参考にして下さい。目次をクリックしますとテーマ(カテゴリー)毎の目次が表示されます。
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[目次]
2-1 大森町界隈あれこれ
1 大森町界隈あれこれ 大森町に住んで65年 目次 (連載完結)
大森町に住みついたのは昭和13年(1938年)で、居住場所は国道15号(第一京浜)と三叉路分岐した、国道131号(産業道路)の大森警察署に面した処が、父の勤務先事務所で、その2階が大森町でのはじめての社宅住まいとなりました。日記はその1からその6までの6編の連載です。
2 大森町界隈あれこれ 空襲編若山武義氏手記 総目次 (連載完結)
2-1 大森町界隈あれこれ 空襲編若山武義氏手記 総目次1/3
若山武義氏の第1編 鎮魂! 大森町大空襲の手記で、東京大空襲~あれから61年~の日記連載2編と、大森町大空襲の戦災体験の手記11編の連載です。
3 大森町界隈あれこれ 戦後編若山武義氏手記 総目次
3-1 大森町界隈あれこれ 戦後史編手記 第1~4編総目次
昭和戦後史の太平洋戦争の終結、天皇制の問題集、我らの生活談義および配給生活談義の手記21編の連載です。
4 大森町界隈あれこれ 大森町の社寺 目次 (連載中)
氏子の諏訪神社を初めとした、大森町に鎮座する寺社についての由来や例祭および戦前の例祭写真、神輿が自宅に来訪、大森警察署に神輿珍入などの他、道路拡幅工事のため境内の縮小問題等のトピックス記事などの記事で、連載継続中です。
5 大森町界隈あれこれ 大森町商店街 目次 (連載中)
大森町商店街のサマーフェスティバルや美原通り夜店フェスティバルを探訪した印象記録などで、大森町にある商店街の抱える問題点に触れられればと、連載継続中です。
6 大森町界隈あれこれ 大森海苔物語 目次 (連載中)
かって大森町は、歴史のある日本一の海苔生産地でありましたが、東京湾の埋め立て事業により、1963年に漁業権が放棄され、大森周辺での海苔生産の幕が退かれました。
その歴史的名残で、現在でも「大森本場乾海苔問屋協同組合」があり、大田区と品川区の海苔問屋の67社が加盟しています。筆者の路地を挟んだ隣家は、海苔生産業を営んでおりまして、毎年冬場には海苔の天日乾しの風物詩が見られました。現在、海苔の生産に関する情報は風化寸前ですので、歴史ある海苔生産の情報を少しでも残せたらと、連載の継続を試みます。
7 大森町界隈あれこれ 京浜急行 目次 (連載中)
現在、大森町の中心を通る京浜急行電鉄は、大森町住民の交通の要として重要な基幹交通です。かって、大森村は、大森の繁華街として大変賑わっておりましたが、東海道線の開通にあたり大森村の住民は、村の中心に鉄道が通るのを反対したため、大森町の西端を通る路線となり、大森駅は大森村の隣接地の新井宿と不入斗の両字であった所に開設され、「大森駅」と命名されました。その後、「軒先貸して母屋をとられる」形で、「大森駅」の周辺が、「大森」の中心地となり、開発が進み経済・文化は大森町から大森駅周辺へと移って行ったのです。
東海道線が開通した後大森町を京浜電車が走るのは、約30年後の1901年に六郷橋と東海道線の大森間が開通しました。
現在の京浜急行電鉄では、京浜急行本線の平和島から六郷土手までと、同支線の京急蒲田から大鳥居までの区間の連続立体交差化を進めております。この間の高架化工事は、大森町沿線周辺を初めとして、今後大変貌を遂げます。カテゴリーの京浜急行のブログは、これから、大変貌の記録を掲載し、連載して行きます。
8 大森町界隈あれこれ 大森町風景 目次2006~2012年版 、2013年版 (連載中)
大森町風景では、旧東海道(三原通り)の様な文化財的な古い風景と、大森ふるさとの浜辺公園の様な古き良き大森海岸を想い起こそうとの発想で2007年4月にオープンします。大森町風景では、古き風景・風物詩と次の世代の新しい風景を取り混ぜて、連載して行きます。
9 大森町界隈あれこれ イベント 目次2006~2009年版、2010年版、2011年版、2012~2013年版 (連載中)
大森町で開催の「ポレポレエコまつり」や「OTAふれあいフェスタ」などのイベント参加記事を連載して行きます。 (1月30日)
10 大森町界隈あれこれ 大森町学びや 目次 (連載中)
、 筆者は、幼稚園、小学校(国民学校)、中学校(旧制、新制)、高等学校と全ての学校は、大田区の大森町の学びやで勉強してきました。大森町での、戦前、戦中(疎開学童を含む)、戦後の各時代の学生生活の記録を纏めてみたいと思います。
2-2 大森町の以外での体験記録あれこれ
21 風景・風物詩 総目次 (連載中)
江戸の三大祭りや、高円寺の阿波踊り、朝顔市・ほをずき市の夏の風物詩や山の上ホテルでの異業種交流会暑気払いなどの見物や参加の記録を、関連資料を付加して掲載し、連載して行きます。
22 小さな旅 総目次 (連載中)
京都日帰り・桜花見、秩父長瀞の蝋梅と火渡り、清澄庭園・江戸資料館、旧古川庭園、矢切の散歩道(野菊の墓)などの小旅行記で、連載して行きます。
23 旅ものがたり 総目次2010~2013年版 (連載中)
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24 秋葉原界隈 総目次 (連載中)
秋葉原は、2005年3月に「秋葉原ダイビル」が、2006年3月に「秋葉原ク ロスフィールド」がオープンし、2005年8月には、「つくばエクスプレス」が開通し、さらに2005年9月には「ヨドバシカメラ」が開店して大きく変貌しました。
秋葉原電気街との付き合いは、ラジオ少年として中学2年生(19 47年)時代から電気部品店街を物色した頃から始まり、電気街が幾 多の変遷で変革した中、通信機製造メーカー時代の電気部品調達 や、ソフトハウス時代の開発用パソコンやソフトウェアの調達な ど、現代に至るまで半世紀以上も続き、縁が深く馴染みの多い歴史のある想い出の街です。
「秋葉原ダイビル」、「秋葉原クロスフィールド」、「ヨドバシカメラ」も仕事や個人的に関係のある施設です。また、筆者が所属している組織の例会の会場も、秋葉原の近くにあり、秋葉原は少年時代から現在に至るまで関係が続いており、何かと日記掲載の機会がある街で、連載して行きます。
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若き新進気鋭の陶芸家、木工製品手造家具・玩具の創作家とメルヘンチックな色鉛筆画のアート達が組んで、「ぬくもり三彩展」、倉澤杏菜のベルリン芸術大学留学を記念ピアノリサイタルや日本書道美術院「教育部展」などの見学記や鑑賞記を掲載しており、連載して行きます。
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27 Weblog 総目次 (連載中)
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