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kan-haruの日記

イベント 東京藝術大学大学美術館 鶯谷から上野まで古寺・古建築を巡り夏目漱石の美術世界展を見るその6

2013年09月05日 | イベント
kan-haru blog 2013 上野駅130周年 

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昔を追い上野の山の散策(続)
・秋色桜の碑
清水観音堂舞台上から「月の松」を通して、不忍の池に浮かぶ弁天島の弁天堂(「風景・風物詩 上野公園不忍池 弁天堂近くで開花した蓮の花の観賞」参照)を見て、清水観音堂裏東南には秋色桜の碑と井戸があります。秋色桜の碑は、元禄の頃日本橋小網町の菓子屋の娘お秋が、花見客で賑わう井戸端の様子を詠んだ句
“井戸ばたの桜あぶなし酒の酔”
を桜の枝に結び、輪王寺宮に賞せられ一躍江戸中の大評判となりました。秋色桜の碑は、聴鶯荘の主人が1940年(昭和15年)に建てたもので、現在の秋色桜は1978年(昭和53年)に植え接いだもので九代目にあたるものと推定されています。

 秋色桜(左:秋色桜の碑、右:秋色桜の井戸0823)

・彰義隊の墓と西郷隆盛像
秋色桜の碑の南方には、彰義隊の墓(台東区有形文化財)があります。15代将軍徳川慶喜は、鳥羽伏見の戦いに敗れ江戸へ戻り、1868年(慶応4年) に彰義隊を結成し、上野山にたてこもる。同5月15日未明、大村益次郎指揮する東征軍は総攻撃(上野戦争)をして彰義隊は敗退し、寛永寺も壊滅的打撃を受けました。前正面の小墓石は、1869年(明治2年) に寛永寺子院の寒松院と護国院の住職が密かに埋葬したもので、後の1869年(明治2年) に元彰義隊小川興郷らによって、山岡鉄舟の筆になる「戦死之墓」と刻む大墓石を造立しました。
彰義隊の墓南側の西郷隆盛像は、1898年(明治31年)に除幕式が行われ、隆盛が高村光雲の作で、犬は後藤貞行の作で、岡崎雪聲の鋳造したものです。西郷は、1827年(文政10年)薩摩藩士として鹿児島加治屋町に生まれ、若くして藩主島津斉彬に重用され国事に奔走し、1864年(元治元年)に許されて長州を敵としたが、後に薩長連合を結成し、1867年(慶応3年)に王政復古を成し、明治維新の基礎を確立しました。1871年(明治4年)に政府の懇請で参議に就任、近代国家建設の重要な役割を果しました。明治年征韓論に反対、帰郷し私学校を興す。1876年(明治9年)に、政府は鹿児島県陸軍省砲兵属廠の武器弾薬を、赤龍丸で大阪に搬出する。財産搬出に私学校徒は怒り従軍登録を始め、1877年(明治10年)に西南の役となり、転戦7ヵ月余で敗れて城山で西郷隆盛は自刃しました。

 彰義隊の墓(左)と西郷隆盛像(右)(0823)

上野駅
上野駅の開業は、1883年(明治16年)7月28日に開業し、上野と熊谷間の営業が開始され、今年で上野駅開業130周年を迎えました。上野駅との出会いは、私が3歳の頃下谷に住んでおり、寝かせつけるため毎日のように母に連れられ、鶯谷駅のガード上から蒸気機関車や省電の走り交う列車を眺め、あと1つ見てから帰るとせがんだ記憶のある古き想いのある駅です。

 開業当時の上野駅(1885年JR東日本から)

また、実家が水戸線にあるので帰京するとき、菩提寺が古河にあるので法事・墓参のとき、親類が水戸にあるので訪問する時には、何時も複雑な構造の連絡通路を通り、上野駅始発の宇都宮線や常磐線に乗って出かけています。さらに、上野には博物館が多く、動物園もあり展示会やイベントには下車する駅で、幼稚園・小中学・高校・大学から現在までの長期に亘り個人にとって、最も馴染みの深い駅なのです。

 1932年(昭和7年)竣工の上野駅正面玄関(2008年 Wikipediaから)

西郷隆盛像から上野の山を降りると、カーブした中央通りとアメヤ横町入り口の通路と、線路沿いの公園口への道路との交差点にでて目の前が上野駅です。

 上野恩賜公園と上野駅

上野の山を降りて大通りの交差点を渡ると、山手線・京浜東北線高架橋の橋げたの下が上野駅です。

 上野駅前大通り交差点(0823)

・上野駅130周年
130周年を迎えた現在の上野駅を、幼少からの想い出を追憶して、駅構内の一部を回遊してみました。先ずは、上野の山を下りて大通り交差点を渡ると、高架橋の下が上野駅不忍口です。

 上野駅不忍口(0823)

不忍口通路を入り直進して左折すると山下口への通路で、右折するとアトレ上野の商店を抜けてグランドコンコースです。

 上野駅不忍口通路(左:上野駅不忍口、右:不忍口連絡通路0823)

グランドコンコースの天井には、国立科学博物館で開催の特別展“深海―挑戦の歩みと驚異のいきものたち―”に展示出展のダイオウイカの張りぼてが吊り下げられています。コンコースの右側には、正面玄関口に出る二層吹き抜けのホールのガレリオがあり、1932年(昭和7年)当時は南北の両側にはずらりと一面に出札窓口がならんでいました。現在は、2階の通路も大幅に広げられエスカレータを設置して、1・2階とも店舗・レストラン店舗に使うため改修されました。

 グランドコンコースと吹き抜けホール(左:ダイオウイカの張りぼてのあるグランドコンコース、右:吹き抜けホール2階へのエスカレータ0823)

吹き抜けのホール ガレリオ2階の回廊西壁面では、上野駅開業130周年を振り返る写真展を開催していました。

 吹き抜けのホール2階の上野駅開業130周年写真展(左上中上右上左下中下右下:0823)

上野駅開業130 周年記念イベントの“上野駅開業130 年を振り返る写真展”は、2013年7月28日から8月31日まで開催され、1883 年の上野駅開業から現在に至るまでの駅舎や駅周辺の風景および往年の列車写真等が展示されていました。

 上野駅開業130 年を振り返る写真展(写真拡大0823)

130周年写真展を見てグランドコンコースから中央改札を通り、1階ホームへ入場すると朝倉文夫氏の作「三相の像」があります。駅の開設と朝倉文夫氏の生誕が同じくしていることを知り、記念のために台東区を通じてこの像を贈られ建設されたもので、「三相」とは「知・情・意」の意味だそうです。

 中央改札から1階ホームへ入場(:中央改札、:朝倉文夫氏の作「三相の像」0823)

そろそろ、寝台特急「カシオペア」の入線時間となるので、13番線ホームへと進みますと、手前に石川啄木の歌「ふるさとの訛なつかし/停車場の人ごみの中に/そを聴きにゆく」の歌碑が設置されています。入線時間となると、ゆっくりと寝台特急「カシオペア」が入線してきました。当日の13番線入線の「カシオペア」は「推進回送」ではなく、先頭の機関車EF510-510に引かれて入線してきました。残念ですが時間がないため、発車の状態が見られないままに帰宅しました。

 「カシオペア」が機関車に引かれて13番線ホームに入線(左上:石川啄木の歌碑、中上:左側13番線ホーム、右上左下中下右下:「カシオペア」が機関車に引かれて入線0823)

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