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kan-haruの日記

大森町界隈あれこれ 京浜急行の高架化 下り線高架化工事編糀谷駅・下り線高架化(第3回その1)

2013年01月04日 | 大森町界隈あれこれ 京急関連
kan-haru blog 2013誤記訂正20130622 穴守線開通割引券と当時の穴守神社    

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2012年10月21日の下り線高架化により、京急高架化工事は一区切りとなり、大森町(第2回第3回その1その2)、京急蒲田(第2回その1その4)、梅屋敷(第1回その1その4)、雑色(第1回その1その5)の各駅順に、工事記録の変遷と共に下り線高架化の工事記事を編集してきました。空港線糀谷駅に関してはこれまで未掲載であり、今回の記事にて掲載しました。
現在の空港線は、京急蒲田から分岐して途中羽田空港国際線ターミナル経由して、羽田空港国内線ターミナルを結ぶ、東京国際空港(羽田空港)への空港連絡鉄道で、東京都心と横浜を経由して三浦方面と直通乗り入れをしており、都心を抜けると他社路線を経由して成田空港まで直通列車が運行しています。羽田空港への他者路線の東京モノレールとの、乗客争奪のし烈な争いをしています。京浜急行では、2012年10月21日から上下線列車が高架化完成により、踏切が無くなり、京急蒲田駅の2層高架化により、今回記述の糀谷駅の乗客の乗車ホームが一元化され、再び利便性が増しました。
現在の空港線の路線の構成は、京急蒲田から糀谷までは高架化され第1京浜国道の踏切は解消し、糀谷から先は高架を降りて大鳥居駅は産業道路の下を立体化で通り、穴守稲荷までは在来の地上路線で、その先の羽田国際空港までは次項に示す幾多の変遷をへて、地下で国際線ターミナルと国内線ターミナルと結ばれています。

 空港線全路線地図(路線地図拡大)

空港線の変遷
空港線は、1902年(明治35年)6月に蒲田―穴守(初代は海老取川西岸で開業、折り返しループ線設置)間が単線で開通し、穴守線と称していました。1904年(明治37年)5月に本線の品川延長により、大森―穴守運行が蒲田―穴守に変更され、蒲田にループ線が設置されました。1910年(明治43年)3月に複線化され、1913年(大正2年)12月には1km延伸して海老取川東岸に2代目穴守駅が開業しました。廃止された初代穴守駅が翌年住民の要望で初代羽田駅として営業再開されましたが、さらに翌年初代羽田駅東方40m先に、初代稲荷橋駅を設けて初代羽田駅は廃止されました。1940年(昭和15年)10月に、初代稲荷橋西方約200 m地点に2代目稲荷橋駅を設けて、初代稲荷橋駅を移転しました。

 穴守稲荷駅付近の複線復旧工事(昭和27年)

1945年(昭和20年)の終戦により、2代目稲荷橋以遠と、穴守線の上り線は進駐軍に接収され、3代目稲荷橋(現穴守稲荷駅)が終点となり、糀谷駅などの列車交換設備が造れず、1運用の20分間隔の単線運転となりました。1952年(昭和27年)に接収が解除され、蒲田―3代稲荷橋間が複線運転に復帰しました。1956年(昭和31年)4月に初代稲荷橋駅と同じ場所に初代羽田空港駅を開業し、3代目稲荷橋を穴守稲荷に改称しました。1963年(昭和38年)11月に空港線と改称されました。

 穴守線・空港線の変遷説明図(変遷説明図拡大)

初代羽田空港駅は、羽田空港の沖合に移転とともに1991年(平成3年)1月に営業を休止し、1993年(平成5年)4月に、穴守稲荷から路線は地下に入り海老取川を潜り、2代目羽田駅(現天空橋地下駅)の開業とともに廃止されました。2代目羽田駅は、空港第1ターミナルビルの開設とともに1998年(平成10年)11月に天空橋と改称し、同時に2代目羽田空港駅が開業しました。また、2004年(平成16年)11月に、新たな空港第2ターミナルビルの完成により、第2ターミナルビル出改札口を開設しました。
2010年(平成22年)10月21日に、羽田空港新国際線旅客ターミナルビルが完成して、羽田空港国際線ターミナル駅が開業(「イベント 羽田空港国際化 羽田空港D滑走路と新国際ターミナル完成の羽田GLOBAL EXPOその1」参照)しました。また、同時に2代目羽田空港駅が羽田空港国内線ターミナル駅と改名されました。

 空港線穴守稲荷ー羽田空港国際ターミナル間路線図(路線図拡大)

糀谷駅の変遷
穴守線単線の糀谷駅は列車交換設備として1902年(明治35年)設けられ、1945年(昭和20年)4月15日の空襲の被災にあい仮設建物となりました。1953年(昭和20年)5月に、木造ホームから鉄筋コンクリートホームとなり、ホーム長も58m延伸されました。空港線に改称後には、3両編成の列車が初代羽田空港間の折り返し運行を行っていたが、2代目羽田駅(現天空橋)の開業に備えて、1992年(平成4年)4月に駅舎の改築が行なわれました。引き続き同年12月に跨線橋を設置するため、幅の狭い上り線ホームを線形にして下り線側に振って幅を確保して、6輌編成停車のホームとなりました。1994年(平成6年)10月に、京急蒲田(空)第4踏切道を北方に移設して、8輌編成ホームに延伸しました。
2007年(平成19年)3月4日に高架橋脚建立のため、下り線ホームの西方が東方に移設されました。

 下り線ホームの移設のお知らせ

高架化工事前の糀谷駅ホームの改札口は、下り線の中央改札口と、上り線の南口改札口があり、両ホーム間には跨線橋が掛けられた駅構造です。

 糀谷駅ホーム連絡口と改札口(左・中:上り線南口改札口、右:下り線中央改札口)

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