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kan-haru blog 2013 日本銀行落成之図 明治29年に完成した日本銀行落成式(日本銀行絵葉書から)
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日本銀行本店
H11異業種交流会メンバーの恒例行事により、6月3日にわが国の中央銀行である日本銀行本店の旧館を見学してきました。同会の以前の金融関係の見学会には、国立印刷局滝野川工場(「イベント 国立印刷局 1億円紙幣札束の重量を実感できる国立印刷局滝野川工場」参照)があります。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4d/a4/3f56f0fcde5fd220b12c786d01d691f5.jpg)
日本銀行本店案内図
・日本銀行の創業
日本銀行は、わが国の中央銀行として、銀行券を発行し、通貨及び金融の調節を行い、「物価の安定を図ることを通じて国民経済の健全な発展に資すること」を目的として、1882年(明治15年) 10月10日の創業当時には永代橋際(現中央区日本橋箱崎町1番地)で業務(創業当時の本店営業所・扉絵1(←ここをクリック):日本銀行百年史(第1巻)から*1)を開始しました。
日本銀行は認可法人であり、資本金は1億円と日本銀行法により定められており、そのうち55,045千円(平成17年3月末現在)は政府の出資であり、残りは民間等の出資となっています。なお、日本銀行法では、「日本銀行の資本金のうち政府からの出資の額は、五千五百万円を下回ってはならない。」と定められています。
・金座に移転の日本銀行
創業した店舗は、手狭なうえ、都心からやや遠かったこともあり、開業の翌年には早くも店舗の移転が決定され、江戸時代から東海道、中山道、奥州街道、日光街道、甲州街道の 5街道の起点で、交通の要所であり、江戸時代から両替商が軒を連ねていた関係で、江戸時代に金貨製造の金座があった日本橋(中央区日本橋本石町2−1−1)を移転先として選び、設計者は、東京駅、旧両国国技館などの設計も手がけた建築学界の第一人者であった辰野金吾博士が手がけました。
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金座絵巻:文政年間の金座における小判製造過程(日本銀行絵葉書から)
建築様式は、バロック様式の柱や丸屋根と規則正しく並ぶ窓などのルネッサンス様式を取り入れた「ネオ・バロック建築」で、ベルギーの中央銀行を模範に設計したと言われ、1890年(明治23年)9月に着工し、建物の外装は、1891年(明治24年)の濃尾大地震の被害から、総石造りは無理であるとの判断から、積み上げたレンガの上に、外装材として石を積み上げるという方法に変更し、地階と1階は厚い花崗岩、2階と 3階が薄い安山岩により建物の軽量化を図り、1896年(明治29年)2月に竣工(移転した頃の本店営業所・扉絵2(←ここをクリック):日本銀行百年史(第1巻)から*1)しました。
*1 日本銀行の概要 日本銀行百年史(第1巻) (日本銀行ホームページ)
・日本銀行の震災災害
1923年(大正12年)の関東大震災では、建物自体はびくともしませんでしたが、近隣の火災が日本銀行におよび、丸屋根は焼け(←ここをクリック)てしまい、現在のものはその後復元したものです。
日本銀行は、1942年(昭和17年)2月に日本銀行法が制定され、戦後数次に亘って部分的な改正が行われ、1949年(昭和24年)6月の改正では、最高意思決定機関として政策委員会を設置することが定められました。1974年(昭和49年)2月5日には、日本銀行本店の旧館は国の重要文化財に指定されました。
1997年(平成9年) 6月、「独立性」と「透明性」という2つの理念の下に、日本銀行法は全面改正されました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/47/60/1a43c4849c3642e2adb11ba8f9186468.jpg)
本店本館(日本銀行絵葉書から)
・旧館見学
H11異業種交流会メンバーの見学会は、14時45分に西門に集合してから、入り口の警備員さんに見学を告げて通用門を入ると中庭です。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/40/36/cf5664938a68af6255a11bc0e741abdd.jpg)
日本銀行旧館西門と南門(左:旧館西門、右:旧館南門0603)
中庭を抜けて丸屋根中央の玄関を入ると天井にはシャンデリアがあり、見学記念品売り場がある広場で本日の見学者の集合場所です。時間が来ると数名の女性案内人により、見学の注意により、これより先は撮影禁止なので、バックをコインロッカーに入れて、探知機を通りホールに入り説明のビデオを見ます。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/00/8f/c369ada6ec8c5f604a6cc883b7d1a805.jpg)
日本銀行旧館の玄関(左:西門を入って玄関に向かう、右:正面から見た玄関0603)
これから2斑に分かれて女性案内人の説明によるコース見学です。当日のコースとは若干異なりますが、日本銀行ホームページのバーチャル見学ツアーのコースに順じて説明します。先ずは、1階の旧営業所(←ここをクリック)で以前の日本銀行の窓口があったところです。
エレベータで地下1階に進むと地下金庫の入り口で、金庫は明治29年から平成16年6月まで、108年間使われていました。地下金庫の扉は、米国製で、厚さは90センチ、重さは扉が15トン、外わくが10トンあり、地下金庫がひろげられた1932年(昭和7年)に取付けられました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3e/a1/2231f748b2b66a6ac2ef038d9c3758b0.jpg)
旧館地下金庫外扉(日本銀行絵葉書から)
次に、昭和初期に日本で2番目に設置され、その後改装されていますが、古典的雰囲気が漂う大型のエレベータ(←ここをクリック)に乗り2階に上がります。
2階の赤じゅうたん廊下の白い壁の両側には、初代からの歴代総裁(←ここをクリック)の巨大な油絵の肖像画が展示してあります。現在の肖像画は、関東大震災時に焼失したため、その後再製されたものです。
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歴代総裁の肖像画(日本銀行絵葉書から)
次に2階の丸屋根の史料展示室(←ここをクリック)には、日本銀行の歴史を示す金や銀塊を量る大きな天秤、日本銀行に火災などがあったときに集まる駆付人夫のはっぴや照明用の提灯、および業務の始業・終業に打ち鳴らしていた拍子木や、日銀で1961~69年(昭和36年~44年)代に使用していた貴重な品々が展示されていました。
1937~40年(昭和12~19年)には、丸屋根の下の八角形の部屋を総裁室に利用しており、第15代結城総裁が使用していた当時の机と椅子(←ここをクリック)が再現展示してあります。
2階から降りる鉄製の階段(←ここをクリック)は、明治29年に英国から取り寄せたものといわれており、段差が低く段数が多いことと、手すりの美しい模様が特徴です。
最後に、ホールに戻りレクチュアーがあり見学終了です。昔、日本銀行に来るお客様は、馬車などでお金を運んでおり、中庭が荷物の積みおろしに利用されていたので、馬の水飲み場があります。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/23/0f/7d6770ed8a6c484e4b16fce4059a1eac.jpg)
日本銀行中庭(左:馬の水呑み場、右:見学記念写真0603)
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毎月1日付けのIndexには、前月の目次を掲載しております(7月分掲Indexへ)
・カテゴリー別Index イベント総目次 2013年版、2012年版、2011年版、2010年版、2009年版、2008年版、2006・2007年版 へ
<前回 イベント 生誕120年木村荘八展 東京ステーションギャラリーで昭和の東京の油絵と小説の挿絵を見るその4 へ
次回 イベント 貨幣博物館 古貨幣研究家の田中啓文氏の銭幣館コレクションを日本銀行に寄贈し誕生した博物館
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日本銀行本店
H11異業種交流会メンバーの恒例行事により、6月3日にわが国の中央銀行である日本銀行本店の旧館を見学してきました。同会の以前の金融関係の見学会には、国立印刷局滝野川工場(「イベント 国立印刷局 1億円紙幣札束の重量を実感できる国立印刷局滝野川工場」参照)があります。
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日本銀行本店案内図
・日本銀行の創業
日本銀行は、わが国の中央銀行として、銀行券を発行し、通貨及び金融の調節を行い、「物価の安定を図ることを通じて国民経済の健全な発展に資すること」を目的として、1882年(明治15年) 10月10日の創業当時には永代橋際(現中央区日本橋箱崎町1番地)で業務(創業当時の本店営業所・扉絵1(←ここをクリック):日本銀行百年史(第1巻)から*1)を開始しました。
日本銀行は認可法人であり、資本金は1億円と日本銀行法により定められており、そのうち55,045千円(平成17年3月末現在)は政府の出資であり、残りは民間等の出資となっています。なお、日本銀行法では、「日本銀行の資本金のうち政府からの出資の額は、五千五百万円を下回ってはならない。」と定められています。
・金座に移転の日本銀行
創業した店舗は、手狭なうえ、都心からやや遠かったこともあり、開業の翌年には早くも店舗の移転が決定され、江戸時代から東海道、中山道、奥州街道、日光街道、甲州街道の 5街道の起点で、交通の要所であり、江戸時代から両替商が軒を連ねていた関係で、江戸時代に金貨製造の金座があった日本橋(中央区日本橋本石町2−1−1)を移転先として選び、設計者は、東京駅、旧両国国技館などの設計も手がけた建築学界の第一人者であった辰野金吾博士が手がけました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/04/c2/c88c17c108fd99298d3545d5ab8ea868.jpg)
金座絵巻:文政年間の金座における小判製造過程(日本銀行絵葉書から)
建築様式は、バロック様式の柱や丸屋根と規則正しく並ぶ窓などのルネッサンス様式を取り入れた「ネオ・バロック建築」で、ベルギーの中央銀行を模範に設計したと言われ、1890年(明治23年)9月に着工し、建物の外装は、1891年(明治24年)の濃尾大地震の被害から、総石造りは無理であるとの判断から、積み上げたレンガの上に、外装材として石を積み上げるという方法に変更し、地階と1階は厚い花崗岩、2階と 3階が薄い安山岩により建物の軽量化を図り、1896年(明治29年)2月に竣工(移転した頃の本店営業所・扉絵2(←ここをクリック):日本銀行百年史(第1巻)から*1)しました。
*1 日本銀行の概要 日本銀行百年史(第1巻) (日本銀行ホームページ)
・日本銀行の震災災害
1923年(大正12年)の関東大震災では、建物自体はびくともしませんでしたが、近隣の火災が日本銀行におよび、丸屋根は焼け(←ここをクリック)てしまい、現在のものはその後復元したものです。
日本銀行は、1942年(昭和17年)2月に日本銀行法が制定され、戦後数次に亘って部分的な改正が行われ、1949年(昭和24年)6月の改正では、最高意思決定機関として政策委員会を設置することが定められました。1974年(昭和49年)2月5日には、日本銀行本店の旧館は国の重要文化財に指定されました。
1997年(平成9年) 6月、「独立性」と「透明性」という2つの理念の下に、日本銀行法は全面改正されました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/47/60/1a43c4849c3642e2adb11ba8f9186468.jpg)
本店本館(日本銀行絵葉書から)
・旧館見学
H11異業種交流会メンバーの見学会は、14時45分に西門に集合してから、入り口の警備員さんに見学を告げて通用門を入ると中庭です。
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日本銀行旧館西門と南門(左:旧館西門、右:旧館南門0603)
中庭を抜けて丸屋根中央の玄関を入ると天井にはシャンデリアがあり、見学記念品売り場がある広場で本日の見学者の集合場所です。時間が来ると数名の女性案内人により、見学の注意により、これより先は撮影禁止なので、バックをコインロッカーに入れて、探知機を通りホールに入り説明のビデオを見ます。
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日本銀行旧館の玄関(左:西門を入って玄関に向かう、右:正面から見た玄関0603)
これから2斑に分かれて女性案内人の説明によるコース見学です。当日のコースとは若干異なりますが、日本銀行ホームページのバーチャル見学ツアーのコースに順じて説明します。先ずは、1階の旧営業所(←ここをクリック)で以前の日本銀行の窓口があったところです。
エレベータで地下1階に進むと地下金庫の入り口で、金庫は明治29年から平成16年6月まで、108年間使われていました。地下金庫の扉は、米国製で、厚さは90センチ、重さは扉が15トン、外わくが10トンあり、地下金庫がひろげられた1932年(昭和7年)に取付けられました。
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旧館地下金庫外扉(日本銀行絵葉書から)
次に、昭和初期に日本で2番目に設置され、その後改装されていますが、古典的雰囲気が漂う大型のエレベータ(←ここをクリック)に乗り2階に上がります。
2階の赤じゅうたん廊下の白い壁の両側には、初代からの歴代総裁(←ここをクリック)の巨大な油絵の肖像画が展示してあります。現在の肖像画は、関東大震災時に焼失したため、その後再製されたものです。
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歴代総裁の肖像画(日本銀行絵葉書から)
次に2階の丸屋根の史料展示室(←ここをクリック)には、日本銀行の歴史を示す金や銀塊を量る大きな天秤、日本銀行に火災などがあったときに集まる駆付人夫のはっぴや照明用の提灯、および業務の始業・終業に打ち鳴らしていた拍子木や、日銀で1961~69年(昭和36年~44年)代に使用していた貴重な品々が展示されていました。
1937~40年(昭和12~19年)には、丸屋根の下の八角形の部屋を総裁室に利用しており、第15代結城総裁が使用していた当時の机と椅子(←ここをクリック)が再現展示してあります。
2階から降りる鉄製の階段(←ここをクリック)は、明治29年に英国から取り寄せたものといわれており、段差が低く段数が多いことと、手すりの美しい模様が特徴です。
最後に、ホールに戻りレクチュアーがあり見学終了です。昔、日本銀行に来るお客様は、馬車などでお金を運んでおり、中庭が荷物の積みおろしに利用されていたので、馬の水飲み場があります。
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日本銀行中庭(左:馬の水呑み場、右:見学記念写真0603)
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