kan-haru blog 2009
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節分祭
節分祭は立春の前日に行われる風物誌で、今年は2月3日の火曜日に行われた諏訪神社節分追儺式での豆まきを見て行きました。
昨年の節分祭の時には、大森町に住んで70年の記念として年男に応募したのですが、生憎と当日は雪に見舞われ豆をまくことができずに、参加者に手渡しで渡すというあまり様にならない節分(「大森町界隈あれこれ 二月の風物詩諏訪神社 氏神様の節分・初午・針供養風景」参照)で、すっきりと鬼を追い払うことができませんでした。
・追儺式
諏訪神社の年男年女の芳名板には、節分追儺(ついな)式と書かれています。
追儺の儀式とは、「鬼やらい」「なやらい」「鬼走り」「厄払い」「厄おとし」「厄神送り」等と俗に称せられ、疫病などをもたらす悪い鬼を駆逐する行事をいいます。追儺式は、今では節分に神社寺院で豆を撒いて鬼を払う行事ですが、元は古代中国から伝わった宮中行事で大晦日に行なわれ、邪気を払うといわれる桃の木で作った弓や杖を持ち、祈祷をして鬼を払ったと伝えられています。
諏訪神社節分追儺式(左:節分祭・初午祭案内板、中:諏訪神社、右:年男申込者芳名板)
・豆まき
中国では古くから小豆や五穀を用い邪気を払う習俗があり、日本もそれに倣ったといわれ、室町時代には宮中や幕府でも今とほぼ同じような形式の豆まきが行われていたようです。年の数だけ豆を食べるのは江戸時代の宮中の豆打で行われていたと云われています。
また、江戸時代になると追儺式は宮中の行事ではなくなり、農民行事として民間で広く行われるようになり、一般の神社やお寺で節分に豆まきが行われるようになりました。
・諏訪神社の追儺式
今年の諏訪神社(大森西2-23-6 地図参照)追儺式は、午後3時から応募の年男35名を3回に分けて豆まきを行います。年男の申込をして参加すると、裃を着用し神官を先頭にして本殿に入ります。追儺式は先ず、神主が祝詞をあげ、一同礼拝してから本殿内の内部に2回「福は内」と豆をまき、外部に向って1回の「鬼は外」と唱えて豆を撒きます。
節分追儺式(左・中:追儺式で本殿に入る、右:本殿から「鬼は外」と唱えて鬼を払う)
神官が太鼓を鳴らして儀式が終わると、豆の入った枡が各自に渡され、本殿前で記念写真を撮り、観客が待っている神楽殿に上がり、クライマックスの豆まきが行われます。
儀式を終え豆撒き会場へ(左:儀式を終え豆を持って本殿を出る年男、中・右:豆撒き会場へ進む)
神楽殿での豆まきは、豆、お菓子、みかんが撒かれ観客がわれ先にと取り合います。豆まき風景を撮影していると、みかんが体にあたり、お菓子も目の前に飛んできて2個も縁起物が取れましたので、運の良い年であることを期待したいです。
豆まきで撒かれた縁起物をうまく取れた人は、今年1年は運がよい年に恵まれることを願う大森町鎮守様の春の風物詩です。
豆撒き風景
・近隣神社の豆まき
諏訪神社の近隣の谷戸三輪神社(大森西5-18-1 地図参照)でも豆まきが行われますので、午前中に節分祭の準備風景を見てきました。例年は3回の豆撒きが行われ、今年は神楽殿から撒かれるようです。
谷戸三輪神社節分祭準備の風景(左:谷戸三輪神社、中:豆まき神楽殿と年男申込者芳名、右:節分祭・初午祭案内板)
初午祭と針供養
・初午祭
お稲荷さんの総本社である伏見稲荷様は、711年(和銅4年)に降臨されたのが2月の初午だったと云われ、2月の最初の午の日に「初午祭」が行われます。
今年は2月6日が初午にあたり、諏訪神社では末社の伏見稲荷神社の御縁日の初午祭を午後3時から式典が行われました。
・キツネとお稲荷さん
初午祭の稲荷神社の信仰は、農耕を司る倉稲魂(うがのみたまのかみ~神宇迦之御魂神とも表記)を祀って五穀豊穣や商売繁盛を祈願します。昔の諏訪神社の周辺は、田圃と畑の農村でしたので、豊作を祈る農家の信仰が厚く、境内に末社の稲荷様を祀られたのでしょう。
宇迦之御魂神の別名を「御饌津神」(みけつのかみ)と称し、狐の古名を「けつ」と云い、三狐神と解して稲荷神の使いとなりました。時代とともに稲荷狐は格があがり白狐神として稲荷神社に祀られるようになりました。稲荷神社の前には、狛犬の代わりに狐の像が置かれますが、諏訪神社では白狐の像が置かれています。
下社の伏見稲荷神社前の白狐像(左・中・右写真拡大)
初午祭の式典は、神社役員やお参りに来た人が諏訪会館に集まり、神主さんの先導でお稲荷さまで祝詞を挙げて儀式を行い、代表に合わせて参詣します。
初午祭(左・中・右写真拡大)
・針供養
針の供養は江戸時代から、針の労をねぎらい裁縫上達を祈る祭りとして広まったそうで、関東では一般に2月8日に行われます。2月8日は、田畑に関する作業の始まりの日であることから、この日に行われるようになったのではと云われます。針供養は各地の寺院や神社で行われますが、起源は和歌山の淡島神社だとされています。
諏訪神社には、内川沿いに金山神社(「大森町界隈あれこれ 大森町の社寺 諏訪神社その2」参照)という金山彦大神(カナヤマヒコノオオカミ)を祀った境外の別社があり、初午祭りを終えてから金山神社(地図参照)で針供養が行われます。
神主さんと神社役員や針供養をする女性が参列して豆腐に針を刺して神殿に捧げ、祝詞を挙げて供養をして代表に合わせあて参拝します。
針供養(左・中・右写真拡大)
針供養が済むと一般参詣者にお菓子が配られます。
初午祭のお菓子プレゼント
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節分祭
節分祭は立春の前日に行われる風物誌で、今年は2月3日の火曜日に行われた諏訪神社節分追儺式での豆まきを見て行きました。
昨年の節分祭の時には、大森町に住んで70年の記念として年男に応募したのですが、生憎と当日は雪に見舞われ豆をまくことができずに、参加者に手渡しで渡すというあまり様にならない節分(「大森町界隈あれこれ 二月の風物詩諏訪神社 氏神様の節分・初午・針供養風景」参照)で、すっきりと鬼を追い払うことができませんでした。
・追儺式
諏訪神社の年男年女の芳名板には、節分追儺(ついな)式と書かれています。
追儺の儀式とは、「鬼やらい」「なやらい」「鬼走り」「厄払い」「厄おとし」「厄神送り」等と俗に称せられ、疫病などをもたらす悪い鬼を駆逐する行事をいいます。追儺式は、今では節分に神社寺院で豆を撒いて鬼を払う行事ですが、元は古代中国から伝わった宮中行事で大晦日に行なわれ、邪気を払うといわれる桃の木で作った弓や杖を持ち、祈祷をして鬼を払ったと伝えられています。
諏訪神社節分追儺式(左:節分祭・初午祭案内板、中:諏訪神社、右:年男申込者芳名板)
・豆まき
中国では古くから小豆や五穀を用い邪気を払う習俗があり、日本もそれに倣ったといわれ、室町時代には宮中や幕府でも今とほぼ同じような形式の豆まきが行われていたようです。年の数だけ豆を食べるのは江戸時代の宮中の豆打で行われていたと云われています。
また、江戸時代になると追儺式は宮中の行事ではなくなり、農民行事として民間で広く行われるようになり、一般の神社やお寺で節分に豆まきが行われるようになりました。
・諏訪神社の追儺式
今年の諏訪神社(大森西2-23-6 地図参照)追儺式は、午後3時から応募の年男35名を3回に分けて豆まきを行います。年男の申込をして参加すると、裃を着用し神官を先頭にして本殿に入ります。追儺式は先ず、神主が祝詞をあげ、一同礼拝してから本殿内の内部に2回「福は内」と豆をまき、外部に向って1回の「鬼は外」と唱えて豆を撒きます。
節分追儺式(左・中:追儺式で本殿に入る、右:本殿から「鬼は外」と唱えて鬼を払う)
神官が太鼓を鳴らして儀式が終わると、豆の入った枡が各自に渡され、本殿前で記念写真を撮り、観客が待っている神楽殿に上がり、クライマックスの豆まきが行われます。
儀式を終え豆撒き会場へ(左:儀式を終え豆を持って本殿を出る年男、中・右:豆撒き会場へ進む)
神楽殿での豆まきは、豆、お菓子、みかんが撒かれ観客がわれ先にと取り合います。豆まき風景を撮影していると、みかんが体にあたり、お菓子も目の前に飛んできて2個も縁起物が取れましたので、運の良い年であることを期待したいです。
豆まきで撒かれた縁起物をうまく取れた人は、今年1年は運がよい年に恵まれることを願う大森町鎮守様の春の風物詩です。
豆撒き風景
・近隣神社の豆まき
諏訪神社の近隣の谷戸三輪神社(大森西5-18-1 地図参照)でも豆まきが行われますので、午前中に節分祭の準備風景を見てきました。例年は3回の豆撒きが行われ、今年は神楽殿から撒かれるようです。
谷戸三輪神社節分祭準備の風景(左:谷戸三輪神社、中:豆まき神楽殿と年男申込者芳名、右:節分祭・初午祭案内板)
初午祭と針供養
・初午祭
お稲荷さんの総本社である伏見稲荷様は、711年(和銅4年)に降臨されたのが2月の初午だったと云われ、2月の最初の午の日に「初午祭」が行われます。
今年は2月6日が初午にあたり、諏訪神社では末社の伏見稲荷神社の御縁日の初午祭を午後3時から式典が行われました。
・キツネとお稲荷さん
初午祭の稲荷神社の信仰は、農耕を司る倉稲魂(うがのみたまのかみ~神宇迦之御魂神とも表記)を祀って五穀豊穣や商売繁盛を祈願します。昔の諏訪神社の周辺は、田圃と畑の農村でしたので、豊作を祈る農家の信仰が厚く、境内に末社の稲荷様を祀られたのでしょう。
宇迦之御魂神の別名を「御饌津神」(みけつのかみ)と称し、狐の古名を「けつ」と云い、三狐神と解して稲荷神の使いとなりました。時代とともに稲荷狐は格があがり白狐神として稲荷神社に祀られるようになりました。稲荷神社の前には、狛犬の代わりに狐の像が置かれますが、諏訪神社では白狐の像が置かれています。
下社の伏見稲荷神社前の白狐像(左・中・右写真拡大)
初午祭の式典は、神社役員やお参りに来た人が諏訪会館に集まり、神主さんの先導でお稲荷さまで祝詞を挙げて儀式を行い、代表に合わせて参詣します。
初午祭(左・中・右写真拡大)
・針供養
針の供養は江戸時代から、針の労をねぎらい裁縫上達を祈る祭りとして広まったそうで、関東では一般に2月8日に行われます。2月8日は、田畑に関する作業の始まりの日であることから、この日に行われるようになったのではと云われます。針供養は各地の寺院や神社で行われますが、起源は和歌山の淡島神社だとされています。
諏訪神社には、内川沿いに金山神社(「大森町界隈あれこれ 大森町の社寺 諏訪神社その2」参照)という金山彦大神(カナヤマヒコノオオカミ)を祀った境外の別社があり、初午祭りを終えてから金山神社(地図参照)で針供養が行われます。
神主さんと神社役員や針供養をする女性が参列して豆腐に針を刺して神殿に捧げ、祝詞を挙げて供養をして代表に合わせあて参拝します。
針供養(左・中・右写真拡大)
針供養が済むと一般参詣者にお菓子が配られます。
初午祭のお菓子プレゼント
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