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kan-haruの日記

風景・風物詩 初詣風景 神田明神と川崎大師の神社仏閣への初詣(その1)

2010年01月12日 | 風景・風物詩
kan-haru blog 2010

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初詣
今年は、1月5日に神田明神に、同7日に川崎大師に初参りに行きました。
初詣は、時代とともに変わっているようですが、毎年行く人は70歳代以上が59.1%で、20歳代では44.4%であるとの調査が出ています。元々の初詣は、家長が祈願のため大晦日から元日の朝にかけて氏神の社に籠もる「年籠り」という習慣があり、これが原点となって「除夜詣」と「元日詣」となりました。
江戸時代末期の頃は、その年の恵方の社寺にお参りする「恵方詣」が普通になっていましたが、明治時代の中期頃より初詣が一般化してきました。明治の後期には、鉄会道社が近郊の神社仏閣を「恵方」と称して宣伝を始めたことにより、鉄道網を利用した「元日詣」が広まり、終夜運転が行われるようになりました。
ところが、ここ数年は利用者が減少し終夜運転が縮小傾向で、本数削減や運転を止めたところも出てきました。

初詣には特に定められた規定はありませんが、正月の三が日に参拝するのが初参りと云われたり、正月中に参拝すればよいのだとも云われています。また、初参りの回数も問われていなく、一部の地域では正月三が日に複数の寺社にお参りする「三社参り」という習慣もあります。
初詣の対象は、神社と寺院の何れでもかまわないとされており、多数の神社・仏閣にお参りすれば色々なご利益があるとの説もあります。これは、明治時代の初期に神仏分離が行われる前に、神道と大乗仏教の信仰が一体化していたことに関係があるようです。

神田明神

 神田明神地図

神田明神(千代田区外神田2-16-2)は正式名称を神田神社と称し、神田、日本橋、秋葉原、大手町、丸の内、旧神田市場、築地魚市場などの都心108町会の総氏神様で、神社本庁の別表神社です。

 ご朱印

ご祭神は3柱で、一の宮には大己貴命(だいこく様)が祀られ、二の宮には少彦名命(えびす様)が祀られ、三の宮には平将門命(まさかど様)が祀られています。また、江戸の食を支える青果市場、魚市場の発祥の地であったところから江戸神社、水神社が祀られております。

 神田明神境内図(境内拡大図)

・神田明神正月行事
ご祭神は、家庭円満、縁結び、商売繁盛、事業繁栄、厄除開運、病気平癒など、多くのご神徳をお持ちの神様で、初詣りには30万人以上の人が詰めかけます。元旦から3日間は、無形文化財の神田囃子と獅子舞いが奉納されます。
仕事初めの1月4、5日には氏子の企業の1,500社、10万人が今年の社運隆昌、商売繁盛の祈願に訪れました。

 1月5日も氏子企業の参拝者で一杯の本殿前

また、今年の1月9日の寒中みそぎ行事は、新成人5人を始めとして女性を含めて約30人が参加して、厳寒の中で男性はふんどし、女性は白装束をまとい、大きな氷柱が入った禊場の中で冷水を頭から浴びて身を清める禊が行われます。
1月10日は、平安時代がはじまりの日本料理の伝統を今に受け継ぐ由緒正しい四條流の庖丁儀式が、御社殿で装束姿で古式に則った儀式が執り行われます。
1月9~11日には、期間中の15時からだいこく祭がだいこく様ご尊像の前で行われます。

 神田明神1月行事(左:寒中みそぎ、中:四條流の庖丁儀式、右:だいこく祭)

・神田祭り
神田祭りは日本三大祭、江戸三大祭の一つとして有名であり、江戸時代から徳川幕府の庇護を受け天下祭り(イベント 江戸天下祭 江戸の風情と粋な山車と神輿が丸の内を巡行 その1、2)と呼ばれており、2年に一度の本祭(今年は陰祭り)には鳳輦・神輿が1日かかりで巡行する「神幸祭」と、各氏子町会の約200基の神輿が町で担がれ神社へ「神輿宮入」されます。

・ご由緒(抜粋)
730年 (天平2年)の創建とあり1,270年以上の長い歴史を有する神社です。創建時は武蔵国豊島郡江戸芝崎(現在の大手町の皇居辺り)にあり、天慶の乱(939~940)に敗れた平将門公の首が付近に葬られると転変の変異が続いたので、時宗の真教上人が将門公の祟りを鎮め、1309年 (延慶2年)に将門公を祭神として合祀しました。
将門公を深く尊崇していた徳川家康が江戸に幕府を開くと、当社に神領を寄進しました。江戸の大規模な造成のため、1616年 (元和2年)に江戸城の表鬼門にあたる現在地に移転して、江戸総鎮守に相応しい壮麗な桃山風の社殿が幕府により築かれ、盛大な天下祭りが執り行われました。

 神田明神ご由緒(ご由緒拡大)

1874年(明治7年)には明治天皇の御親拝があり東京を代表する神社として厚く敬われてまいりましたが、1926年(大正15年)の関東大震災により社殿はじめ社宝等を失いましたが、氏子崇敬者の尽力によって1934年(昭和9年)当時としては画期的な鉄骨鉄筋コンクリート造り総漆朱塗り権現造の現在見ることのできる社殿が造営されました。また、平成7年より始まった御造替事業により社殿他建物全てが美しく塗り替えられ、江戸総鎮守としての面目を一新しました。

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