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公共的な“図書館サービス対象者”の決定

2009-01-04 19:48:40 | 読書ノート
ダグラス・レイバー『司書職と正当性:公立図書館調査のイデオロギー』川崎良孝訳, 京都大学図書館情報学研究会, 2007.

 1940年代後半、米国で行われた『公立図書館調査』について、そのプロジェクトに関わった者の主張や思想的背景について検討する書籍である。記述は、プロジェクトに持ち込まれた概念や主張の再現と整理に終始し、あまり批判的な視点は見られない。(現在も未解決な「公立図書館の公共性」の問題を扱っており、性急な批判を控えた点は本書の価値を高めているといえるかもしれない)。

 『公立図書館調査』と言えば、図書館・情報学研究者の間では、ベレルソンの調査と勧告のみが知られている。それはこうだ。調査によれば、公共図書館の利用者は、その地域に住む住民のごく一部によって占められ、なおかつ階層の上でも中流層への偏りがある。したがって、彼らに重点を絞ったサービスを行うべきである、と。本書によれば、『調査』は彼以外にも、15冊以上の報告書を世に送り出した大プロジェクトであったことがわかる。

 ベレルソンがなぜ全住民へのサービスという方向について考えなかったのか、今までよくわからなかったが、本書を読んではじめて彼のロジックもわかった。彼も含めて、プロジェクトの結論は「公立図書館は生産活動または政治に影響力のある層への重点的なサービスを行うべき」ということだった。

 調査では、全住民を利用対象者とするような蔵書やサービスは、蔵書を娯楽化して知的レベルを低下させると考えられた。特に民間の娯楽の提供業者と争うことは望ましくないことだと考えられていた。娯楽の提供は、長期的には公的サービスであることの根拠を破壊し、さらに民間業者に勝てないと考えられたからだ。

 一方で、利用者の偏りも次のような論理で肯定できると考えられた。図書館がもたらす便益は、生産的な利用者層が図書館で得た情報を社会に活かすことで全住民に行き届くはずであると。特に「民主主義体制の維持」という形でその便益があらわれると考えられた。

 訳者が解説で疑問を呈しているように、『調査』はエリート層の知性と良心に頼りすぎているように思える。しかしながら、情報の消費を民間企業と大衆の判断力に依存できるならば、そもそも公立図書館は不要だろう。社会を維持するために“ある種の情報”への特別待遇が必要である、そう考えなければ図書館に公費を支出する理由を確立することはできないように思われる。『調査』のこうした認識は今でも意義深い。

 これは民間の選択と政府の決定のどっちがいいかという議論に繋がっている。公立図書館が必要だと信じる限りは、後者に依拠せざるえないと思う。
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