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男性同性愛といっても少年愛が主だった近世日本

2015-02-18 20:30:51 | 読書ノート
ゲイリー・P.リュープ『男色の日本史:なぜ世界有数の同性愛文化が栄えたのか』藤田真利子訳, 作品社, 2014.

  江戸時時代の日本における男性同性愛の実態を調べた歴史書。著者は米国の日本史研究者で、原書はMale Colors: The Construction of Homosexuality in Tokugawa Japan、発行は1995年。性器が巨大に描かれた春画が満載されており、人前で読むときは気をつけよう。

  著者によれば、江戸時代の日本では古代ギリシアに匹敵するほど男色文化が栄えたという。その源流は中世の僧侶であると推測され、女性がいない生活環境のゆえに少年が性愛の対象となった。これが同じく男性だけで寝食を共にする機会の多い武士にも模倣され、街が出来た当初は男性人口が過剰だった江戸で男色がさらに栄んになった。後に商人が台頭すると彼らも武士の価値観と行動を引き継いだ。しかし、男色は相思相愛によるものではなく、少年の売春という形になった。こうした習慣は、幕末明治の開国で西洋の価値観が浸透することで廃れてしまったという。以上の流れを、膨大な春画や引用文献で裏付けている。

  本書で描かれた男色行為は、同性愛といっても純粋な同性愛ではなく、異性愛でもある大人の男性が女性っぽい美少年を愛するものがほとんどである。どっちが攻めでどっちが受けかという、性交時の役割分担は年齢で決まる。少年側は快楽を得られず、互恵的な関係ではないように見える。また、直観的には異性愛者による少年愛とは女性への性的接触が難しいからこその代替行為という気がするのだが、違うのだろうか。性的欲求の領域まで支配階級が嗜んでいると下層の者は模倣したくなるものなのか。というか、そもそも性欲の対象というのは模倣可能なのか? このあたりは、よくわからない。いずれにせよ奇書。
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