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米国の政治制度は特異で機能不全を起こしているという

2019-02-12 07:25:30 | 読書ノート
フランシス・フクヤマ『政治の衰退:フランス革命から民主主義の未来へ(下)』会田弘継訳, 講談社, 2018.

  上巻の続き。下巻冒頭ではアフリカ諸国が言及される。アフリカは19世紀に植民地化されたが、宗主国側は投資をケチり、十分な統治機構を用意しなかった。この点が独立後マイナスに作用した、というのが著者の見立てである。機能する官僚制が形成される以前に民主制が導入されることになり、結果として政治が利益配分と利益誘導の道具に堕したという。ただし、例外もあり、タンザニアは独立後時間をかけて国民形成に成功した例だとのこと。

  大きく頁が割かれているのはやはり米国だ。19世紀後半か20世紀半ばにかけて猟官制度をかなりの程度克服することができ、能力や専門性の面で優れた官僚制度を備えるようになった。しかし、近年は「拒否権政治」のために行政効率が落ちているという。拒否権政治には二つのルートがある。一つは議会であり、利益団体と結びついた議員が行政府の意思決定に介入し、公共の利益を損ねる。もう一つは裁判所で、一部の利害関係者や政治運動家の訴えを聞き入れた判決によって拘束し、行政側が時間をかけて行ってきた利害調整を否定・破壊する。こうして、官僚には過剰な説明責任が求められ、欧州や日本では通常ならば行政が裁量している事象もできなくなっているという。国家は矛盾するさまざまな要求に翻弄され、前にも進めず後にも引けないような状態らしい。

  東アジアで注目されているのは中国である。中国共産党は、国内の中産階級の成長によって民主化への要求に直面する可能性がある。ただし、そうした新興階級は支配層に取り込まれることもままあり、あるいはナショナリズムを使ったイデオロギー的動員によって民主化への関心を逸らされることもありうるという。

  日本に対する分析では、伝統的に国家の過剰があると指摘されている。日本の統治機構の宿痾として官僚の過大な自律性があることは、文科省による「説明責任なき」統制を日々感じる大学人にはよくわかるところだ(しかしながら、日本のマスメディアは権力の問題を政治家の問題であると誤認していることが多い)。

  というわけで、バランスのよい民主制国家というのはごくまれな産物だというのがわかる、著者は世界すべての国が民主国家に向かうと予想しているけれども。全体としては議論が未整理なままだが、こまごまとした脱線部分も興味を引く。

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