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生命の価値にグラディエーションあり

2011-09-04 18:40:13 | 読書ノート
ピーター・シンガー『実践の倫理:新版』山内友三郎, 塚崎智監訳, 昭和堂, 1999.

  倫理学または政治哲学の書。入門書というわけにはいかないが、ある程度の知識があれば、ロールズやカントを読むよりはずっとわかりやすいと言える。著者はオーストラリアのメルボルン出身、ユダヤ系の哲学者で「功利主義」という立場を標榜している。

  「利益」を感知できる存在に対する平等な配慮というのが、彼の功利計算の基礎にある。その帰結はなかなか過激である。まず、そうした存在に、動物の一部──類人猿など──が入る。未来に対する感覚を持ち、その中で自己を位置づけることのできる動物は、人類と平等だというのである。功利計算のうちにそうした動物たちの快苦も含めることによって、食肉用の家畜に対する飼育状態の改善、実験動物の非「人道的」な扱いに対する反対、ひいては自然保護といった主張がでてくる。しかしながら、保護には段階があって、自意識のある動物と、それを持たないが快苦は感じられる動物、快苦を感じる神経システムが備わっていない植物のそれぞれの間には、重みの上で違いがある。また、他の存在の幸福のために動物を処分することが功利計算にかなうとしても、もっとも痛みを与えない方法で殺害を実行しなければならない。

  同じ論理が、人間に対しても適用される。自意識のある存在と、回復の見込みの無い植物人間や痛覚を形成する前の段階にある胎児は異なる。後者は快苦を感じない存在であり、彼らを保護する側(親族)の負担(=苦)が大きいならば、その生命を終わらせることは許されるとする。妊娠初期の中絶はこのような基準で肯定される。さらに、痛みがわかる段階の胎児・または新生児においても、重い障害のためその後の生活が苦痛に満ちたものとなると予想される場合は、安楽死を許容すべきだという。誤解を招かないように言っておくと、障害があっても幸福な人生を営む可能性があるケース──例えば裕福な家庭に生まれたダウン症児──では、この原理は適用されない。また、自意識の芽生えた障害者も、功利計算の適用対象であって、一般の人々と同様に扱われる。一方で、回復の見込みのない重い病気を抱えた患者の安楽死は、本人がそれを望み、医学的に管理されているという条件で、肯定される(これも留保をつけておくが、自殺一般が肯定されているわけではない、念のため)。

  全体としてかなり際どい議論を含んでおり、上のラフな説明を読んでいきり立つような方々は是非本書に挑んでいただきたい。納得するかどうかは別として、考える価値のある難問が目白押しである。
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