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進化心理学による消費行動の解釈

2018-01-24 22:05:38 | 読書ノート
ジェフリー・ミラー『消費資本主義!:見せびらかしの進化心理学』片岡宏仁訳, 勁草書房, 2017.

  進化心理学の知見をベースとした消費社会論。著者には『恋人選びの心』(岩波書店, 2002)という、「性淘汰」概念をきっちりわからせてくれる名著があるのだが、版権を持っている岩波は文庫化もせず再刊もせずで入手し難いみたいだ。『消費資本主義!』はその次の著作で、原著のSpent (Viking)は2009年に発行されている。邦訳は昨年末だから、ずいぶん時間がかかったなあという印象である。

  著者によれば、19世紀末から消費社会論は存在しているけれども、それらは消費することの究極的な動機に触れることができていないという。消費が差異化・見せびらかしのために行われることはわかった。そうだとして、見せびらかしがどういう意味を持つのか?著者はいう。それは繁殖のため、優良な遺伝子を持っていることを見せるため、もっと言えば優良な遺伝子を(有していなくとも)有しているかのように見せかけるためである、と。こう書くと単純化しすぎな気もするもが、基本的な主張はそういうことだ。ちなみに、著者は消費を、自己の快楽を得るための消費と見せびらかしのための消費の二つに分け、後者のみを論じている。

  ならば優良な遺伝子とは何か。消費によってディスプレイしようと試みられているのは、性格や知能だという。もっと言えば一般知能gとビッグファイブ(参考)である。一般知能は高いほうがいい。だが、ビッグファイブの各特性が高いほうがいいのか低いほうがいいのかは、配偶相手との相性および配偶戦略次第であるという。例えば長期のパートナーを得たいのならば堅実性が高いほうがよく、短期のパートナーを求めるならば開放性が高いほうがよいというような。とにかく、消費は慎ましさや善良さも表現できるのだ。自己が有する性格特性を無意識的にディスプレイするものとして消費があり、見る側も消費の仕方を評価しているのだ、と。

  ただし、消費は過大評価されすぎているとも著者はいう。マーケティングのせいで消費による自己演出はうまく機能すると多くの人は思い込まされている。だが、あなたのパートナー候補は実のところあなたの消費が示す微細な差異をきちんと解釈できないかもしれない。また、現代の平等主義は、本来ならば共同体によって多様なはずのディスプレイ競争を消費のみに押し込める効果があり、結果として無駄が多くなるという。その解決策も提示されているが、本気とも冗談ともつかないレベルのかなりの無茶な提案である。

  以上。かなり性格の悪い書きっぷりであり、自分のことを棚に上げてしまえば面白く読める。こういう本を手にするのも「ちょっと頭のいい私」を異性に見せるためのディスプレイだというのだ。しかし、世間に騙されて読書を過大評価しているだけであって、そんなことしたって全然モテたりしないよ、とも指摘されるわけだ。いやな本。衒学的ではないので、ボードリヤールを読むよりはためになるだろう。うーん、でもまあやはり話を単純化しすぎという気がしないでもない。
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