米国は中国包囲に戦略を転換した

米国は中国包囲に戦略を転換した

 米国の戦略が変わった。ソ連、中国を中心とした社会主義国の拡大を阻止する戦略から中国包囲に変わったようである。
 沖縄の祖国復帰は米軍基地に自衛隊を加えて沖縄の軍事基地を維持するのが目的であった。そのことを指摘していたのが琉大の学生運動であった。このことを2015年に出版した短編小説集「一九七一Mの死」に書いてある。

1971年の琉大の学生運動は日の丸と星条旗を交錯させて燃やしていた。右公園の県民大会では檀上を選挙して日の丸と星条旗を燃やした。燃やした理由は祖国復帰の理由はベトナム戦争で莫大な戦費を使って財政危機に陥った米国が財政を立て直すためにベトナムから引き上げ、沖縄の米軍基地も米軍基地も縮小しようとしたが、日本政府は沖縄を復帰させることによって負担を肩代わりして、米軍基地をそのまま維持する目的があって沖縄の祖国復帰であることを煮の丸と星条旗を燃やすことによって主張した。「一九七一Mの死」にこのことを書いた。

一九七一Mの死

琉球大学の学生集団は立ち上がり、ジグザグデモを始めた。そして、革新政党や労働組合の代表が居並んでいる会場の前に出ると、演壇の周囲をぐるぐる回り始めた。デモ隊の中から数人のヘルメットを被った学生が出てきて、演壇に駆け上がり、演説している労組の代表者と進行係を排除して演壇を占拠した。学生たちは演壇の中央で日の丸と星条旗を交錯させるとふたつの旗に火をつけた。灯油を染み込ませた日の丸と星条旗は勢いよく燃えた。演壇の回りをジグザグデモしている学生たちの意気は上がり、シュプレヒコールは大きくなった。
私は、日の丸と星条旗が燃え終わると、デモ隊は意気揚々と元の場所に戻るだろうと予想しながら演壇の周囲をデモっていた。すると、労働者の集団がデモ隊に近づいてきた。私はその集団はデモ隊への抗議の集団であり、デモを指揮しているリーダーたちと押し問答が起こるだろうと予想していたが、労働者の集団がデモ隊に接近すると、デモ隊の一角が悲鳴を上げて一斉に逃げ始めた。労働者の集団は抗議をするためではなく、学生のデモ隊を実力で排除するためにやってきたのだった。県民大会の演壇を占拠し、日の丸と星条旗を燃やしたのは横暴な行為であり許されるものではない。しかし、だからといって労働者集団が学生のデモ隊を問答無用に襲撃するのは私には信じられないことだった。唖然とした私は、逃げ惑う学生たちの流れに押されて走った。走っている途中で、前日の雨でぬかるんでいる泥土に足を取られ、片方の革靴が抜けてしまった。私は革靴を取るために立ち止まろうとしたが、逃げ惑う群の圧力は強く、私は群れに押し流されて与儀公園の外に出た。
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日本は沖縄の祖国であり、母なる祖国に復帰するのが沖縄の悲願であると主張している祖国復帰運動家にとって、日の丸は祖国日本の象徴であり崇高な存在であった。ところが、その頃の琉球大学自治会は、崇高なる日の丸を、こともあろうに祖国復帰運動家たちが目の敵にして最も嫌っているアメリカの象徴である星条旗と交錯させて一緒に燃やす行為を繰り返していた。星条旗と一緒に日の丸を焼却する琉球大学自治会の行為は、日の丸を祖国復帰運動の象徴にしている運動家たちを嘲笑し侮辱しているようなものであった。だから、与儀公園の県民大会の主催者は琉球大学自>治会を嫌悪し、参加を許可しなかったし、演壇で日の丸と星条旗を燃やした琉球大学自治会の学生集団を実力で排除したのだろう。
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ソ連、中国、モンゴル、北朝鮮、北ベトナムなどアジア大陸のほとんどの国が日本やアメリカと対立する社会主義国家であり、アジアの社会主義圏は拡大しつつあった。ベトナム戦争は敗北の色が濃くなり、南ベトナムが北ベトナムに併合されて社会主義国家になるのは時間の問題だった。米軍が駐留していなければ北朝鮮に侵略される可能性が高い韓国、中国侵略に脅かされ続けている台湾、フィリピンの共産ゲリラの不気味な存在。カンボジアなどの東南アジアの毛沢東主義派の武力攻勢など、アジアは共産主義勢力がますます拡大し、日米政府にとってますます沖縄の軍事基地は重要な存在になっていた。
ベトナム戦争で莫大な国家予算を使って経済危機に陥ったアメリカは沖縄のアメリカ軍基地を維持するのが困難になり、経済力のある日本の援助が必要となっていた。そこで、日米両政府は沖縄を日本に返還することによって、沖縄の米軍事基地の維持費を日本政府が肩代わりする方法を考えだした。
沖縄が日本の一部になれば米軍基地を強化・維持するための費用を国家予算として日本政府は合法的に決めることができる。米軍基地の維持費を日本政府が肩代わりするための沖縄施政権返還計画は着々と進み、1971年6月17日、宇宙中継によって東京では外相愛知揆一が、ワシントンではロジャーズ米国務長官が沖縄返還協定にそれぞれサインした。これで「沖縄返還協定」は1972年5月15日午前0時をもって発効し、沖縄の施政権がアメリカから日本に返還され、沖縄県が誕生することになった。
日米政府による沖縄施政権返還協定に反発したのが「祖国復帰すれば核もアメリカ軍基地もない平和で豊かな沖縄になる」と日米政府が全然考えていない非現実的な祖国復帰を自分勝手に妄想し続けていた沖縄の祖国復帰運動家たちであった。妄想は妄想であり現実ではない。妄想が実現することはありえないことである。
沖縄を施政権返還すれば沖縄のアメリカ軍基地の維持費を日本政府は堂々と国家予算に組み入れることができる。泥沼化したベトナム戦争のために莫大な戦費を使い果たし財政的に苦しくなっていたアメリカを日本政府が合法的に経済援助するのが沖縄の施政権返還の目的であった。それが祖国復帰の内実であった。ところが「祖国復帰すれば核もアメリカ軍基地もない平和で豊かな沖縄になる」という妄想を吹聴し続けた祖国復帰運動家たちは、祖国復帰が実現するのは祖国復帰運動が日米政府を動かしたから実現したのだと自賛しながらも、施政権返還の内容が自分たちの要求とは違うといって反発をした。妄想の中から一歩も飛び出すことができない祖国復帰運動家たちは祖国日本に裏切られたなどと文句をいい、日米政府が100%受け入れることがない非現実的な「無条件返還」の要求運動を展開した。
ソ連・中国等の社会主義圏とアメリカ・西ヨーロッパ諸国の民主主義圏との緊迫した世界的な対立やアジアの政治情勢やベトナム戦争の劣勢を考えれば、沖縄のアメリカ軍基地を再編強化するための本土復帰であるのは歴然としたものであった。世界やアジアの政治情勢を無視して、自分勝手に描いた妄想でしかない祖国復帰論が日米政府に通用するはずがなかった。

琉球大学自治会は、沖縄の施政権返還は日本政府とアメリカ政府の共謀によって沖縄のアメリカ軍基地を強化維持するのが目的であることを世間にアピールするために日の丸と星条旗を交錯させて燃やし続けていた。私はその行為は理解できたし賛同もしていた。しかし、県民大会の議事進行を邪魔し、演壇を占拠して日の丸と星条旗を燃やすのは横暴な行為だ。許されることではない。あのような横暴なことをやるから一般学生は離れていくのだ。横暴で過激な行為は学生運動を衰退させてしまうだけである。
明日になれば、私が学科委員長だった頃と同じように、それぞれの学科委員長はそれぞれの学科集会を開き、県民大会の演壇で日の丸と星条旗を燃やした意義を学生たちに説明するだろう。しかし、県民大会の議事進行を中断させて、演壇を占拠したことに正当性があるかどうかという問題はなおざりにするだろうし、日の丸と星条旗を燃やしただけで、琉球大学自治会の主張が県民大会に集まった人たちに理解されたかどうかの問題もなおざりにしてしまうだろう。私は過激化していく学生運動にため息をついた。
       一九七一Mの死

沖縄の米軍基地はアジアの共産主義の拡大を押さえるのが目的であった。ベトナム戦争で共産主義は北ベトナムが勝ち、アジアに共産主義がどんどん拡大していく状態になっていた。ところが50年後のアジアは71年の予想と違った。1991年にソ連が崩壊した。ソ連の周辺国にはソ連から離れた国々が議会制民主主義国家になっていった。アジアでは共産主義はそれほど広がらなかった。
中国は習近平政権になると自由な市場経済をなくし、民間企業を弾圧して社会主義色を強めていった。米国は中国への警戒を強めていくようになった。

 米国は日本、韓国、インド、フィリピン、オーストラリアなどの中国周辺の民主主義国家との連帯を強めていって中国包囲網を築いている。

    つづく
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クワッド(日米豪印)がロシア・中国に圧力をかけた

クワッド(日米豪印)がロシア・中国に圧力をかけた

日本の林外相とブリンケン米国務長官、オーストラリアのウォン外相、インドのジャイシャンカル外相がクアッド外相会談を開いた。
中国の強引な海洋進出やロシアによるウクライナ侵略を踏まえ、4か国は共同声明に中露の名指しは避けつつ、「現状を変更しようとするいかなる一方的な試みにも反対する」と明記し、「国連及び国際システムを一方的に毀損(きそん)する試みに対処するために協力する」と強調した。
クワッドの4カ国は陸海空軍の合同訓練を何度もやり、中国の台湾侵攻、海洋進出への対抗を強化してきた。
今回は4カ国の外相が集まりロシアには「核兵器の使用またはその威嚇は許されない」、中国には。中国の海洋進出にルールを守るように国名は出さずに暗に警告した。
いよいよクワッドの結束は強力になってきた。中国、ロシアへの圧力は次第に強くなっていくだろう。
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若者参加少なし 進む左翼運動の老齢化 

若者参加少なし 進む左翼運動の老齢化 

政府が南西地域で進める防衛体制の強化に反対する集会が那覇市で開かれた。
実行委員は「今回の集会にできるだけ多くの若者が参加してほしい」と思っていたが会場を訪れている多くは沖縄戦の体験者に近い世代・・・老人たちであった。若者の参加は少ない。
南西地域の石垣市長、与那国町長、竹富町長は防衛体制の強化に賛成している。市町民の選挙で選ばれた⒊市町長は防衛体制の強化に賛成しているのだ。地元自治体の思いに反対する集会を遠く離れた那覇市で開いたのである。デニー知事と同じように地元自治体の切なる思いを切り捨てた集会である。
日本の平和を維持し沖縄が戦場にならないために努力しているのは政府である。防衛力強化のための南西諸島への自衛隊の配備やアメリカ軍との一体化を進めるのは沖縄が戦争にならないためである。防衛強化を戦争にするためであると考えるのは妄想である。
ロシアのウクライナ侵攻、中国の台湾侵攻の噂がある中で若者が参加しないのは当然である。集会は平和主義を装った左翼の反政府、反米運動である。こんな集会に参加する若者が少ないのが当然である。
左翼の老齢化が進んでいることが明確になった集会と言えるだろう。
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日本のジャーナリストは民主主義思想が欠落している

日本のジャーナリストは民主主義思想が欠落している

 最近とても強く感じるのは日本のジャーナリストには民主主義思想が欠落していることである。日本は明治になった時に大日本帝国憲法を制定する。日本は帝国主義国家であったのだ。清国と戦争をして勝ち、台湾を植民地にした。日ロ戦争にも勝ち東清鉄道の一部である南満洲鉄道を獲得するなど満洲における権益を拡大した。

 5・15事件、2・26事件の訓示クーデターによって政党政治に向かっていた日本は軍国主義国家に進んだ。太平洋戦争で敗戦した日本は米国の圧力によって憲法は大日本帝国憲法から日本国憲法に変わった。日本は軍国主義から議会制民主主義になった。
 このことは中学の社会科で習う。米国が統治していた沖縄で育った私は沖縄が米国の植民地なのかどうかに関心があった。米国の政治、沖縄の政治、そして日本の政治については教科書で習ったことを基本にして考えた。選挙による国民主権、三権分立の国家体制である議会制民主主義が最高の民主主義であると思っている。最近強く感じるのはジャーナリストには中学の時に教科書で習った議会制民主主義思想が欠落していることである。

 ジャーナリストの田原総一朗氏は、「新しい戦前」という言葉が、多くの日本国民の間で危機感を持って語られていることに関心を寄せている。田原氏は1937年の日中戦争から、41年の真珠湾攻撃で始まる太平洋戦争までの4年間について述べた後に戦後の日米安全保障について述べている。
 日本が「新しい戦前」になることは絶対にない。戦前になるということは議会制民主主義が崩壊し軍部が支配する日本になることだ。あり得ないことである。ところが田原氏は戦前の日本と戦後の日本の国家体制が違うことを問題していない。戦前と戦後の政治体制について中学の社会の知識があれば「新しい戦前」になることは絶対にないことが分かる。田原氏は中学社会の知識が不足している。
 戦後の日本は国民の選挙で選ばれた政治家が国の政治を行っている。戦前のような政治をするはずがない。田原氏は、日本は大日本帝国憲法が示す通りに帝国主義国家であったことを認識していない。アジアは歴史的に欧米の植民地獲得競争の標的となってきた。日本もその標的にされたと述べて、植民地にされたくないから欧米列強に対抗できる軍事強国にしたと述べているそれは違う。教科書では日本はイギリスなどの欧州の国々と対等になるために帝国主義国家になり、アジア大陸に進出して植民地を獲得するのを目的とした。その為に軍隊を強くしたのだ。
 ところが田原氏は植民地にされないために軍隊を強くしたというのである。植民地にされないためではなくアジアを植民地にするために軍隊を強くしたというのが真実だ。1940年7月、日本は 「大東亜共栄圏」を発表した。アジアを欧米の植民地支配から日本の植民地にするという構想であった。その狙いがあって日本軍はアジアに進出していったのである。だから、米欧と植民地の奪い合いで戦争になった。田原氏は日本が帝国主義だったことを隠して、1937年の日中戦争から、41年の真珠湾攻撃で始まる太平洋戦争までの4年間について述べた後に、米国に負けた日本は安全保障を根幹から米国に委ねることにしたと説明する。

田原氏と同じく多くのジャーナリストが日米安保は米国有利の不平等条約であるという。田原氏は、経済が悪化し、世界の警察の役割の放棄を表明した米国は日本に協力を要請し、応じないと日米同盟が持続できないと日本に迫っているという。日米が議会制民主主義国家であることを念頭にないから「重大な分岐点である」と考えるのである。
ウクライナ戦争で民主主義国家のウクライナ支援で見られたように民主主義国家の連帯は強い。日米同盟は強く、ずっと続く。そして、沖縄などの米軍基地は縮小し、その代わり自衛隊を強化していく。この流れはずっと前から続いている。沖縄では米軍基地は縮小し、自衛隊基地を拡大している。米軍基地は10年前より10%以上縮小している。海兵隊4000人はグアムに移動することが決まっている。日本の軍事力を強化し、米軍の負担をというのが日米政府の合意である。

日本は安倍首相の時に安保法制を成立させた。そのことによって国外で米軍、インド軍などとの共同訓練がてきるようになった。そして、憲法改正で自衛隊は軍隊になるだろう。日本は今まで以上にアジアの民主主義に貢献できる状態になってきた。
ジャーナリストは自衛隊が軍隊になれば戦前の軍隊と重ねて日本は戦争する国になったと非難するだろう。しかし、帝国主義国家の軍隊と民主主義国家の軍隊は本質的に違う。民主主義の軍隊は国民の選挙で選ばれた政治家が支配し、民主主義の平和維持のために働く。このことがウクライナ戦争ではっきりした。

ウクライナ戦争はプーチン独裁国家ロシアと民主主義国家ウクライナの戦争である。しかし、多くのジャーナリストは独裁と民主主義の戦いとは見ていない。ウクライナ戦争はNATOの進出を食い止めようとしているロシアとの戦争であるとする。だから米国、NATOはウクライナに武器支援しているという。兵士を送ればプーチンは核攻撃をするかもしれないから兵士は送らないで武器を送っているというのである。ジャーナリストにはウクライナを応援する気はない。プーチンの独裁支配を批判する気もない。日本のジャーナリストに民主主義思想がないのは確実である。
ジャーナリストにあるのは民主主義思想ではなく反権力思想である。
反権力思想で政府批判に埋没しているのが多くのジャーナリストである。反権力思想にとってまずいのが国民が選んだ政治家が政治をやる議会制民主主義である。政府批判は国民批判になってしまう。政府批判をするには国民と政府を切り離す必要がある。その方法として日本が議会制民主主義であることを隠し、政府があたかも国民のためではなく自民党の利益になるための存在であるように見せることである。そして、ジャーナリストは国民の味方であるように見せるのだ。
反権力、非民主主義をジャーナリストに次第に感じるようになったが、ウクライナ戦争でますます感じるようになった。
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