紙の上の沖縄で短歌をつくる 歌人屋良健一郎


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紙の上の沖縄で短歌をつくる 歌人屋良健一郎

「『基地が当たり前』の風景に悩み揺れる沖縄の若き歌人 歌にこめた思い」という記事がネットにあったので読んだ。週刊朝日に掲載したのをネットに載せたものだ。
基地と沖縄に関連する記事は全て読む癖がついているので読んだ。延江浩というラジオマンが音楽とともに社会を語るTOKYO FMを放送していて、その放送を週刊朝日が連載している。「基地が当たり前・・・」は本土復帰50年の特番として放送した。
延江氏が話した相手が屋良健一郎氏であった。屋良氏は東大に進み、現在は名護市の名桜大学で沖縄短歌史を研究している歌人である。

屋良氏は歌手の普天間かおりさんと一緒に辺野古に行った。
「漁港横にはバリケードが築かれ、ガードマンが一人たたずみ僕らを見ていた」
と述べている。彼のいうバリケードは左翼が違法に占拠して建てたテントの横の壁のことだろう。バリケードと呼べるようなものではない。


テントは辺野古区の南側にある。辺野古の北は山である。その裏にキャンプ・シュワブがあり、キャンプ・シュワブの北東の沿岸に辺野古飛行場建設を進めている。このテントは辺野古飛行場建設現場とは遠く離れた全然関係のない場所にある。住民が海辺を散歩する場所にテントがある。
屋良氏は、
「こちらの基地建設反対ののぼりには『じゅごんのいるうみをまもりたい』『美ら海残そう子や孫に』。県民投票で辺野古埋め立て反対の民意が示されたのにもかかわらず、国は工事を進めようとしている」と述べている。しかし、ここは辺野古基地から遠く離れた辺野古の住宅地の近くにある。こんな場所にテントを建てるのは横暴である。


2014年に沖縄防衛局が「辺野古工事に着手」した。その時に反対派がテントに集まった。彼らは辺野古基地とは反対の海に向かって抗議している。彼らは中南部から来ている。道路に多くの車を駐車して辺野古住民の生活を阻害した。住民は怒り、住宅地に駐車しないように要求して反対派と揉めた。



 反対派の集会は今も続いている。


屋良氏はテントの看板に書いてあるのを述べたのである。テントの中には左翼の主張の張り紙が張られている。屋良氏は左翼の主張を代弁している。
辺野古の住民にテントに対してどう思うかと聞くと、「散歩することができなくなった」と言っていた。 
この場所は辺野古の村に近く、住民が散歩したり、夕涼みする場所であった。辺野古住民の生活の場を奪ったのが左翼のテントである。テントを建てたのはコンクリートの土台があったからである。辺野古移設反対派は辺野古の住民に嫌われている。

屋良氏は歌手の普天間かおりさんと辺野古に行った。それは週刊朝日の企画で辺野古に行ったのだ。でなければ普天間産と行くはずがない。普天間さんは海に向かって二見情話を歌う。屋良氏は辺野古をテーマにした短歌を詠むというのが週刊朝日の企画だっただろう。だから、屋良氏は短歌を詠む目的で辺野古にいった。

テントの右側にあるのが辺野古漁港である。辺野古埋め立て地が見える浜に行くには、この港の右端に移動する。写真で分かるように辺野古の住宅地から浜はかなり離れている場所にある。


木々の反対側がキャンプ・シュワブである。右上の白い建物はキャンプ・シュワブの建物である。


 浜に出ても辺野古埋め立て地が見えない。はるか向こうにキャンプ・シュワブを囲っている金網が見える。囲いの向こうがキャンプ・シュワブであり、埋め立て地が見える。


反対派が金網に抗議のプラカードを貼り付けている場所である。
ここから辺野古埋め立て地が見える。
埋め立てる前に突堤を建設している写真である。私が撮った写真である。海を汚染しないために外側の壁をつくっている。
辺野古に行く前に私が気にしていたのは爆音であった。エンジン調整の爆音が辺野古住宅地に届くか否かを気にしていた。


あんなに遠い飛行場なら辺野古に爆音は届かない。辺野古飛行場は辺野古住民への影響はほとんどない。ほっとした。ほっとしながら写真を撮った。
 
こんな風景を見て、屋良氏は短歌を詠んだ。

転倒し
辺野古の砂の
重さゆえ
島の歴史の悲しみに触れ

 屋良氏が辺野古に行ったのは辺野古の住民や飛行場建設の現実を自分の目で見て、真実の辺野古を短歌で詠じるためではなかった。屋良氏の真実の辺野古はすでに屋良氏の中にあった。すでにある屋良氏の辺野古の真実を辺野古の風景を利用して詠じるために辺野古に行ったのである。
 浜辺で強風にあおられて転倒して右胸を強打したという。強い雨が傘にバチバチと当たる音で屋良氏は「鉄の暴風」といわれた米軍の艦砲射撃を思い出したという。
 「じゅごんのいるうみをまもりたい」「美ら海残そう子や孫に」。県民投票で辺野古埋め立て反対の民意が示されたのにもかかわらず、国は工事を進めようとしている。そんな中での本土復帰50年・・・・屋良氏は左翼が創り上げた紙の上の沖縄に立って辺野古を見ているのだ。

 埋め立てが進んできてはっきりしたのは埋め立てが海を汚染しないことである。金網から見える埋め立てまでの海はきれいである。汚染されていないことが直接分かる場所が辺野古移設反対派がプラカードを張ってある金網である。屋良氏は埋め立てで海が汚染されない事実を自分の目で見たはずである。埋め立てで汚染しないからジュゴンは守られる。美ら海も残る。それが嘘偽りない辺野古の真実である。ところが屋良氏は埋め立てでじゅごんや魚は死ぬと信じている。
海上移設、県外移設ができなくなった。それでも普天間飛行場の危険を防ぐために辺野古移設を政府が決めた。辺野古住民は移設に賛成し、名護市長選でも移設反対派が敗れた。それなのに屋良氏は3年前の県民投票に固執している。屋良氏は左翼がでっち上げた紙の上の沖縄にどっぷりひたっている。

 「『基地が当たり前』の風景に悩み揺れる沖縄の若き歌人 歌にこめた思い」は週刊朝日が企画したものである。3年前(2019年)には「辺野古の現実、短歌でどう詠む 沖縄の歌人ら、表現めぐる葛藤を議論」を朝日新聞が企画掲載している。朝日が短歌の世界にまで介入していることには驚いたというか感心したというか。
 紙の上の沖縄を構築するのに紙の上の文字専門の朝日は大きく貢献しているようだ。

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