デニー知事はコロナ感染を本土並みにするべき それこそが沖縄政治に求められているもの

デニー知事はコロナ感染を本土並みにするべき それこそが沖縄政治に求められているもの
 
祖国復帰50年ということでデニー知事は日米両政府に対し、米軍普天間飛行場の速やかな運用停止や名護市辺野古の新基地建設断念、日米地位協定の改定を求める新たな建議書を発表した。そして、50年経っても沖縄は政治、経済が本土並みになっていないと日本政府を批判した。
玉城デニー知事は岸田首相と首相官邸で会談し、米軍基地などに関する日米両政府への要求事項をまとめた「平和で豊かな沖縄の実現に向けた新たな建議書」を手渡した。沖縄のコロナ感染がどんどん増えている最中の10日にデニー知事は東京に行き、岸田首相に建議書を渡した。建議書を渡してもなんの効果もないことは復帰50年ではっきりしていることである。それは意見発表であって政治ではない。デニー知事がやらなければならないことは建議書による意見発表することより沖縄のコロナ感染を本土並みにすることである。
沖縄のコロナ感染は直近1週間の人口10万人当たり新規陽性者数は956.22人で全国1位である。2位は北海道349.86、3位は鹿児島県313.07、全国平均は206.19である。沖縄の感染率は2位の北海道の3倍弱、全国平均の4倍強である。全国ワースト断トツが50日以上も続いている沖縄である。ひどすぎる。異常事態である。デニー知事が取り組まなければならないのはコロナ感染を減少させ。せめて本土並みに近づけることである。
ところがデニー知事は本土並みを目指したコロナ対策をするのではなく、岸田首相に建議書を渡したのと同じことをコロナ対策でもやった。「コロナ感染拡大警報」である。デニー知事は沖縄本島と宮古島市に警報を出した。テレビ、新聞、ラジオでデニー知事の警報が流れる。聞いた人の中にはもっと用心しようと考える人もいるだろうし、考えない人もいるだろう。聞かなかった市民もいる。警報の効果はほとんどない。
 デニー知事がやるべきは感染拡大の原因を専門家に調べさせ、コロナ感染拡大を押さえる方法を見つけることである。本土の感染率の低い自治体のコロナ対策を調査させるのも必要だ。効果のあるコロナ対策を提案することができない専門者会議のメンバーの入れ替えもやるべきである。本土からコロナ対策に優れた専門家を招聘するのも重要だ。これこそがコロナ対策である。警報はコロナ対策にはならない。
 県には対策本部を設置している。対策本部の対策が有効であるか否かを判断するのがデニー知事である。有効ではない対策しか出さないならメンバーを入れ替えるのがデニー知事のやるべき政治である。しかし、デニー知事はやらない。対策本部の言いなりである。

島根県の丸山知事は換気が不十分な環境での部活動や他の学校との練習試合での感染事例が複数確認されているとし、島根県教委に換気の徹底などの指示をしたという。ゴールデンウイーク前よりはコロナ感染が少なくなっているのは島根県が県民に要請した県外への移動自粛などに、可能な限り対応してもらった成果であるとした。
政府が進めているインバウンドや屋外でのマスク着用の緩和などの動きについては「インフルエンザや風邪とは違うという証拠が、沖縄の今の実態。バカでもわかる事実だ」と政府を批判した。
 丸山知事の判断や政策がすべて正しいとは言わない。しかし、知事に一番必要であるのは県のトップに立つ政治家としての主張と政策を立てることである。デニー知事には丸山知事のような政治家としての主体性がない。左翼に言われるがままである。日米政府と関係する米軍基地問題は県だけで解決できる問題ではないし左翼の主張を知事の意見発表にしたとしてもいいが、日米政府と関係がないコロナ感染問題は違う。コロナ感染は県民に直接影響する。コロナ感染はデニー知事が中心になって対策をたてなければならない問題である。本土の自治体の長は全員実行している。沖縄のデニー知事だけが県幹部に任せっきりである。だから日本最悪の感染状態になったのである。デニー知事は政治家ではない。左翼のコメンテーターである。。
 コロナ対策は県庁幹部、県立病院の医師が計画し、実行する。デニー知事の仕事は県庁幹部や医師の計画を発表することである。政治家ではなく政策発表者である。

 沖縄県は政府のクラスター対策班が指示した濃厚接触者の全員PCR検査を専門家会議の指示で止めた。2年前の8月であった。県民は濃厚接触者であっても症状が出ない人はPCR検査をしなくていいことになった。その代わり自主的に2週間は仕事を休み家にいるように指示した。指示を守る守らないは自由である。これはコロナ感染が増える政策である。この政策によって沖縄は2年前から感染率は日本トップである。それを放置しているのがデニー知事である。感染率を押さえることができる優秀なコロナ対策班を組織することがデニー知事の仕事である。なんの効果もない建議書渡し、「コロナ感染拡大警報」ではなく、効果ある政策をするべきである。本土並みを主張するデニー知事こそが本土並みのコロナ対策をするべきである。
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )

ロシア軍のような残虐な強姦をなくすために日本の慰安婦制度があったことを知るべき

ロシア軍のような残虐な強姦をなくすために日本の慰安婦制度があったことを知るべき

ウクライナ戦争でソ連兵士は強姦、殺戮、暴行、強奪の残虐行為を繰り返した。ソ連兵の残虐な強姦のナュースを見た時に脳裏によぎったのがある。慰安婦である。日本の慰安婦制度は兵士が民間人を強姦させないのが目的の制度である。慰安婦がいたから日本軍は強姦が非常に少なかった。なぜ日本には慰安婦制度があったのか。日本は島国であり同一民族である。同一民族であることが民間人を犠牲にしないという考えが生まれたのである。
そのことについて「少女慰安婦像は韓国の恥である」に書いた。、


大坂夏の陣図屏風
日本軍が大陸進出をし、戦争をしたから慰安婦が居たのは事実である。日本軍が大陸進出をしなければ慰安婦は存在しなかった。慰安婦が存在した責任は日本にある。それは異論を挟む余地はない。
 慰安婦が性奴隷であったのか、性奴隷ではなかったのかを主張し合う前に、私たちは慰安婦について正確に知らなければならない。慰安婦がどんな存在であったかを正確に知って初めて正当な主張ができる。
 慰安婦は先の大戦で急に誕生したのではない。誕生するまでには長い日本の歴史がある。私たちはそのことを知る必要がある。
 慰安婦問題をやる前にあなたに見てもらいたい絵がある。大坂夏の陣図屏風に描かれた絵である。

 大坂夏の陣図屏風(おおさかなつのじんずびょうぶ)は、慶長20年(1615年)に起きた大坂夏の陣の様子を描いた紙本金地著色・六曲一双の屏風絵である。大阪城天守閣所蔵、重要文化財。筑前福岡藩黒田家伝来で、「黒田屏風」、「黒田本」とも呼ばれる。戦国時代最後の戦いの激烈さと戦災の悲惨さを迫真の描写で描き出し、数ある日本の合戦図屏風の中でも白眉と呼ばれる。
大坂夏の陣図屏風 (大阪城天守閣・国指定重要美術品)
各隻150.3x360.7㎝の大画面に、人物5071人、馬348頭、幟1387本、槍974本、弓119張、鉄砲158挺などが精緻に描き込まれている。右隻には1615年6月3日(慶長20年5月7日)大坂夏の陣最後の戦いの様子が、左隻には大坂落城間際、または後の大混乱する様を迫真的に描き出している。全体的な構図は大坂城を中心に、向かって右が南、左が北で、右から左へ合戦の推移が時系列順に自然に展開するよう工夫されている。それだけなら合戦の絵であるが、大坂夏の陣図屏風には合戦ではなく戦争から逃げようとする敗残兵や避難民が描かれていて、略奪・誘拐・首狩りしようとする徳川方の兵士や野盗も描かれている。このような生々しい描写は他の合戦図屏風には見られない。

制作時期は、生々しい描写から陣後まもなくだったと推測される。福岡藩の故実によれば合戦に参加した黒田長政が、この戦いを記録するために筆頭家老の黒田一成、または家臣の竹森貞幸に命じて作成したものとされる。ただ、長政は右隻第2扇目中央やや上に、あまり目立たない形で描かれている。異説として右隻第3扇目上部にこの戦いで討ち死にを遂げた本多忠朝が奮戦する様子を描いていることから本多家で作られ、それが婚礼の輿入れ調度の一つとして黒田家にもたらされたとする説もある。しかし、黒田吉之に本多家の姫が輿入しているが、光之が編纂させた黒田家の故実成立と時期が重なっているためにこの説の信憑性は薄い。

描いたのは「八郎兵衛」なる絵師が一人で描いたとする説や、土佐派を学んだ「久左衛門」、両者を折衷する説、右隻と左隻で保存状態が異なり(左隻のほうが状態が良い)、描写の微妙な差異が指摘されることから、左隻はやや後に別の絵師によって作られたとする説や、同一工房内で複数の絵師が手掛けたとする説がある。
大坂夏の陣図屏風は戦をテーマにした絵である。武将たちが勇ましく戦っている絵が多い。しかし、この屏風は他の戦の屏風とは違う絵がある。兵士たちが戦っている絵だけではなくて、戦乱から逃げようとする町民を兵士が襲っている絵もある。
そして。女性が兵士に襲われる衝撃的な絵がいくつもある。世界でもこんな絵は少ないと思う。
戦場は無法地帯であることをこの屏風絵は如実に表している。殺人をしても強姦をしても逮捕する警官はいない。兵士のやりたい放題である。
勝ったほうの兵士は農民・町民の財産を取り上げ、抵抗するものは殺し、女を強姦する。それが当たり前のように行われていたのが戦場である。

それは歴史的事実である。NHKの日曜大河の戦国時代ドラマの戦争の裏には農民・町民の惨劇が繰り返されていたのである。しかし、NHKは武将たちのかっこういいドラマを描くだけである。NHKだけでなく時代劇ドラマでは戦争の裏側で町民や農民が兵士に略奪され、殺され、強姦される凄惨な様子はほとんど描かない。描いてあるのが大坂夏の陣図屏風である。


大坂夏の陣図屏風は戦争をリアルに描いたというより、あってはいけない戦争の悲劇を描いたのだと考えられる。
 このような女性の性被害をなくすことを武将たちは考えていた。それが公娼制度の始まりである。
           「慰安婦は韓国の恥である」
 写真はネットで見つけた。簡単に見つけたので日本の慰安婦制度を正しく説明するジャーナリストや学者が居るだろうと思っていたら、驚いたことに一人も居なかった。それどころか韓国の性奴隷である妓生 (キーセン)を日本軍の慰安婦に仕立て上げ、慰安婦は性奴隷だという理屈を日本のジャーナリストがつくり上げ、それが韓国と日本で広まった。韓国は世界に広めた。「慰安婦は性奴隷」で日本を非難してきたが、慰安婦が居ることによろつて民間人の犠牲をなくしたことがウクライナ戦争で判明した。 
・・・慰安婦が性奴隷であったとしても慰安婦が居たら民間人の女性は犠牲にならない・・・
と思うだろう。
 「慰安婦は性奴隷」は日本と韓国の左翼が広げた。左翼の発祥の地はロシアである。そのロシアが「慰安婦は性奴隷」運動を潰すことになる。
 韓国の「慰安婦は性奴隷」運動は弱体化している。ウクライナ戦争のロシア軍の残虐な婦女暴行が起こったことでもっと弱体化するだろう。

コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )