二大政党の風が少し吹いてきた

二大政党の風が少し吹いてきた

自民党政権が続く本当の原因

ネットでは自民党政権批判がずっと盛り上がっている。ネットからみれば自民党政権への不信をずっと持ち続けているように見える。マスコミも政権批判をし続けている。そうであるならば政権交代が起こるはずなのに起こらない。自民党がずっと与党であり続けている。ニューズウィーク日本版は「政治への不満はネットにあふれても、選挙では投票しない日本の謎」と述べている。外国のマスメディアから見ればネットやマスコミの政治批判の盛り上がりを見れば政権交代が起こるはずなのに起こらないのである。日本の謎である。
読売の世論調査では政権交代がときどき起きた方がよいと「思う」は65%である。しかし、政権交代の実現性については否定的であり、近い将来政権交代が起きると「思わない」は75%を占めるのだ。
 政権交代が起きるのを望みながらも実現は困難であると多くの国民は思っているのだ。自民党政権に満足しているから政権交代は起こらないということではない。自民党政権への不満は2017年から上がり続けている。


不満が60%以上もあるなら自民党以外の政党が与党になるはずである。しかし、日本では自民党が与党であり続けている。国民が政権交代を望んでいないのだ。米国のニューズウィークには信じられないことなのである。
なぜ政権交代が起こらないのか。
日本が二大政党にならない原因は左翼にある
 自民党の政治に70%以上の不満がありながら他の政党が与党になることを望んでいないのは野党に原因があるということになる。国民にとって自民党以外に与党にしたい政党が存在しないのである。

 過去に自民党以外の政党が与党になったのは二度である。細川内閣は1993年、民主党内閣は2009年に誕生した。細川内閣は自民党を離党した小沢一郎が中心となって社会・新生・公明・日本新・民社・さきがけ・社民連・民改連が連立した。民主党内閣は民主、社民、国民新の3党連立である。しかし、政党名は色々あるが、元は自民党の保守系と元社会党の左翼系の議員による政党である。実質的には自民党離党系と元社会党系政党の連立である。

 左翼は社会主義社会を理想とする思想である。日本は資本主義であり経済がは発展することを優先させる。左翼は経済が発展すると貧富の差が広がる。自由競争は勝者と敗者に分かれ、差別が生まれる。経済発展は公害が広がるなどを問題にする。左翼は経済発展を否定する傾向にある。左翼は日本の大企業が発展することに背を向ける。だから、左翼は経済発展させる政策を考えないという特質がある。
 自民党と旧社会党、共産党との大きな違いは経済政策にある。左翼は国民が歓迎する自民党より優れた経済政策を提示することはしない。できないし考える気もない。
国民の生活を豊かにする政策を出せないのが左翼である。だから、社会党、共産党は与党になることができなかった。細川内閣や民主党内閣で左翼が与党政権になったのは元自民党系政治家のお陰である。自民党系政治家は与党になって政権を握ることを目的にする。自民党を離党して社会党などの左翼と提携したのは数を増やして与党になるためであった。
 自民党離党の保守だけでは自民党に負けることははっきりしていた。左翼を抱き込まないと政権を握ることはできない。政権を握るために左翼と共闘したのである。しかし、保守と左翼では目指す政治に違いがある。政策で対立し政策につまずく。その結果国民の支持を失い、政権は崩壊するのである。

 立憲民主党は保守と左翼の混合であるが、枝野前代表は左翼系であり、政党の実権を握っているのは左翼系であった。だから、自民党と経済関係の政策で競うことはしない。いや、できないというほうが正しい。自民党と政策を競うことはできない立憲民主であった。だから安倍政権のイメージダウンを狙ってモリカケ桜の安倍首相のスキャンダル批判に埋没していた。マスメディアは立憲民主のモリカケ桜追及を大いに盛り立てた。しかし、国民はそうではなかった。その事実が衆議院選挙で如実になる。

立憲民主党は政策で自民党と競うことはしないで自民党政権の不祥事が発覚するたびに「合同ヒアリング」を立ち上げて疑惑を追及した。森友問題では改竄された財務省の決裁文書の提出をしつこく求め、桜疑惑では安倍元首相の事務所とホテルでやり取りされた資料の提出をしつこく求めた。予算委などでモノカケ桜を徹底して追及した。追及する場所が予算委である。これからのの国のあり方を左右する予算案に対して追求するよりも政権の不祥事、スキャンダルに熱心に追求したのが立憲民主党だった。

 衆参両議院は、各々国政に関する調査を行い、これに関して、証人の出頭及び証言並びに記録の提出を要求することができるという憲法62条があること、そして、国民の知る権利を根拠にして立憲民主は追及した。国民の知る権利はあるかもしれないし憲法も保証しているかもしれないが予算委員会の目的は翌年の国の予算のあり方を協議することである。予算のことを追及しないで過去のスキャンダルに多くの時間を割くのは問題である。
 
 モリカケ・桜疑惑の追及に熱心で「合同ヒアリング」の常連だったのが立憲民主の辻元清美氏(大阪10区)、黒岩宇洋氏(新潟3区)、今井雅人氏(岐阜4区)、川内博史氏(鹿児島1区)であった。彼らの追及はマイメディアで盛んにとり上げられ知名度は高かった。

森友問題 
2016年6月、学校法人「森友学園」に大阪府豊中市の国有地が払い下げられた。不動産鑑定士が出した土地の評価額は9億5600万円であったが、近畿財務局が出した払い下げ価格は「約8億円引き」の1億3400万円であった。引き下げ疑惑。

家計問題
 学校法人「加計学園」は2017年、52年間どこの大学にも認められていなかった獣医学部を新設する「国家戦略特区」の事業者に選定された。加計孝太郎理事長が首相の「長年の友」であったため「特別の便宜」の疑い。

桜を見る会問題
 安倍首相側は2015年〜2019年の5年間で、総額約2300万円をホテル側に支払った。一方で、参加者から集まった会費は計約1400万円にとどまり、少なくとも800万円以上を安倍氏側が負担したとみられる。補填(ほてん)額の大半は、政治資金収支報告書に記載されていなかった。安倍首相が自身の後援会関係者を招待することに関与していたとの疑い。

モリカケ・桜問題は安倍元首相の時に起こった疑惑である。立憲民主とマスメデイアによって疑惑が拡大し安倍元首相の支持率は30%台まで下がったことがある。しかし、選挙では大勝して、衆議院も参議院も安定多数の議席を獲得している。マスメディアの世論調査では支持率が落ちても国民の選挙では大勝したのが安倍首相である。
世論調査で安倍政権、菅政権に対して不満が70%を超しているが野党に対してはもっと不満であるから自民党が選挙で勝ち与党になるのである。

そのことが如実に衆議院選で表れた。モリカケ・桜を熱心に追求したのが辻元清美氏、黒岩宇洋氏、今井雅人氏、川内博史氏の4人である。マスメディアにも多く取り上げられて知名度の高い議員たちであった。選挙では確実に当選すると思われていた。ところが4人は落選した。人気があれば比例で復活するはずであるが比例でも復活しなかった。国民はモリカケ・桜の追及に執着する4人にNOの答えを出したのである。
4人の落選にマスメディアの側にしか立たない元NHK政治部記者で評論家の川崎泰資氏は、
「野党が政府・与党の姿勢をただすために批判する。当たり前じゃないですか。政治の原点ですよ。野党が与党と一緒に『いいね、その通り』と言っていればいいのであれば、野党である必要がないし、国会もいらない。メディアが政府・与党応援団と化しているから、野党議員の批判が目立っているのです」
と野党の役目は政府・与党の姿勢を正すことだと述べている。本来は批判はメディアがするべきであるのに与党応援団になっているから野党議員の批判が目立っているという。それはおかしい。朝日、東京、文春など与党を批判するメディアは多い。立憲民主のモリカケ桜批判はメディアも派手にやっている。
川崎氏がいうように政府・与党の姿勢を正すのが野党の役目であるならば野党は独自の政策を提案しないで政府が品行方正であるかないかを監視するだけの政党になってしまう。国民は政党の政策が国民のための政策であるか否かに注目して投票する。野党が与党を目ざすには与党よりも優れた政策を国民に訴えなければならない。その場所が予算委員会である。野党が予算委員会で与党の不祥事を正すだけであるなら与党になれない。ずっと野党のままである。政策で与党としのぎを削りあわなければ与党にはなれない。川崎氏は立憲民主党はずっと野党のままでいろと言っているようなものである。

 国会は国民のための法律を制定する国家の最高機関である。与党であろうが野党であろうが政党に求められるのは国民のための法案作成である。政策が国民に支持された政党が与党になり、支持されなかった政党が野党になる。野党が与党より国民のための政策案をつくれば選挙で国民に支持され与党になれる。自民党が与党であり続けるのは自民党より勝る政策をつくれる政党が居ないからである。立憲民主党は優れた政策で自民党をしのぐことができないから政権のスキャンダル批判をするのである。その代表的な存在がモリカケ桜批判に固執した4人である。4人に国民はNOの烙印を押したのである。
 立憲民主党が川崎氏の望む政党であるから選挙で敗北したのである。

 左翼が主導権を握っている限り立憲民主党が与党になることは無理である。言うまでもなく共産党が与党になるのは不可能である。今度の衆議院選で明らかになったのは左翼が与党になることはないということである。国民がそのことを表明したのが今回の衆議院選挙であった。

二大政党の風が少し吹いてきた

 戦後は保守の自民党、左翼の社会党・共産党の三政党から始まった。三党時代は自民党がずっと与党であった。社会党、共産党だけの左翼政党が与党になったことは一度もなかった。自民党を離党した非自民党保守と社会党系左翼が連立することで与党になった。保守+左翼で与党になれたのであり、左翼だけで与党にはなれない日本であった。それに保守左翼連立は政策がうまくいかず短期間で崩壊した。保守+左翼の政権は崩壊する運命にあるということである。
今の立憲民主党は保守と左翼が合流している政党である。今までの歴史から見れば立憲民主党が与党になれることはないということだ。保守が政策の主導権を握り、政策中心の保守政党になれば可能性はあるかもしれない。モリカケ桜で自民党批判に執着した左翼系の4人が落選したし、代表は旧国民民主党員である保守系の泉健太氏になったので左翼色は薄まるかもしれない。

立憲民主の枝野前代表は与党になるのを目指して国民民主と合流し、社民党を吸収した。そして、共産党とは与党になったら閣外協力するのを条件に選挙共闘をした。しかし、維新の会には共闘を要請しなかった。維新の会に共闘を要請しなかったことは枝野前代表が真剣に与党を目指してはいなったということである。

 ( )が選挙前の政党支持率である。



全野党で支持率は27%である。与党自公民は33%である。全野党でも負けているのに維新の会を外せば17%であり、与党の可能性ますます遠のくだけである。与党を目指すなら維新の会とも共闘しなければならない。しかし、枝野前代表は共闘を呼びかけなかった。枝野前代表が左翼系であることもあるが、維新の会と共闘しなかったことは真剣に与党を目指していたかどうか疑問である。

自民党を制して与党になるには立憲民主・維新の会・国民民主が共闘しない限り実現の可能性はない。共産党も加えたほうがいい。しかし、保守+左翼なら与党になっても内部崩壊する。野党連合は左翼のいない保守連合でなければならない。そのためには立憲民主の左翼と共産党を保守化しなければならない。保守化できなければ衰退させて排除する必要がある。
 立憲民主の左翼や共産党を保守化するというのは無茶だ、できるわけがないと思うだろう。ただ、イデオロギーを抜きにして議席数にこだわれば野党が与党になるには野党全体を保守化しなければならない。その可能性はとても低いが、重要な課題である。

 左翼色のない保守本流の政党が存在する。維新の会である。国会のほとんどの政党は自民党と旧社会党が離合集散してつくった政党である。維新の会だけは違う。大阪の地方政党から国会に進出した政党である。維新の会は正真正銘の保守政党である。
共産党は維新の会を第二自民党と呼んでいる。立憲民主の枝野代表は野党共闘を呼び掛けた時に維新の会だけには呼びかけなかった。共産党がいうように第二自民党と思っていたからだ。このことからも維新の会が紛れのない保守政党であることが分かる。 
維新の会は第二自民党ではない。左翼から見れば保守政党は自民党の仲間のように見えるだけだ。米国は民主党も共和党も保守政党である。二つの政党は左翼・共産党から見れば自民党と同じである。共産党は国民民主党も第二自民党と呼ぶ。国民民主党が保守政党であるからだ。

維新の会が大阪で府民から支持されるようになったのは古い大阪を新しい大阪に改革していったからである。政治改革が維新の会のモットーである。衆議院で41議席を確保して法案提出の権利を確保した維新の会は国会議員に支給される文書通信交通滞在費(文通費)の使途公開などを義務化する文書通信交通滞在費の改正案とガソリン価格を下げるために減税できる規定「トリガー条項」の凍結を解除できる法案を国民民主と共同で提出した。
文書通信交通滞在費改正は税金の無駄遣いをなくすためである。「トリガー条項」凍結の解除は時限的に⒉年間、5%に引き下げ、新型コロナの影響で低迷する経済を立て直すために高騰したガソリン代金を下げ経済を活性化するためである。
維新の会は他に「特別委員長手当廃止」法案も提出した。衆院の議院運営委員会の理事会で、9つある衆院の特別委員会は「実質的な審議はゼロだ」として、委員長手当を廃止する法案を衆院に提出する。
維新の会の井上英孝衆院議員は科学技術・イノベーション推進特別委員長を辞任した。開催時間は手続き目的の2、3分であり(科技特を)開けなかったからだ。衆院の特別委員会は明らかな税金の無駄遣いである。
維新の会が大阪でやった政治改革は税金の無駄遣いを止め、有効に使うことと、経済の活性化であった。その政治姿勢は国政でも実行している。

文書通信交通滞在費改正案は国民民主と共同で提出した。二党は保守として共闘したのである。41+12の勢力になった。選挙ではなく法案で共闘することは素晴らしいことである。
共闘で注目することがもう一つある。この共闘は立憲民主党も参加して三党の共闘である。
 国民民主の前原誠司元外相、日本維新の会の馬場伸幸幹事長、立憲民主の松原仁元拉致問題担当相ら三党の重鎮による一年前からの協議会である。協議会の名前は「国と地方の役割分担」という。
維新の会が大阪で実施した政治改革を研究して全国展開しようという協議会である。全国展開するために法案を来年の参議院選後に提出する予定である。
国民民主党は東京都知事が率いる都民ファーストと共闘することになった。ということは維新の会と共闘することに等しい。日本の二大都市東京都と大阪府を保守共闘が制することになる。

以上が二大政党の風が少し吹いてきたという
根拠である。
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