沖縄戦で、上陸するとすぐに学校をつくった米軍と沖縄政界のおかしさ







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沖縄戦で、上陸するとすぐに学校をつくった米軍と沖縄政界のおかしさ 
 皆さんはこの写真を見たことがあるだろうか。私は少年の頃にこの写真を見てとても感動した。感動したのはこの写真の芸術的な強烈さである。少女の足や腰の曲がり、手のしぐさ、水を飲んでいる顔、水筒、黒人兵の姿が強烈に印象に残
った。

 とても印象に残った写真であるが、そんな写真があったことをいつの間にか忘れていた。記録写真集「沖縄戦と住民」という本は月刊沖縄社が1978年に出版した本である。最近、ネットで見つけて購入した。購入した理由はある写真が載っているのを期待したからである。
2年前に沖縄市のパルミラ通りで写真展があった。沖縄戦の時の子供たちの写真であり、この写真も展示していたが、
写真には、戦争中に子供を保護したらすぐに浴びせて清潔にする写真や、戦時中であるにも関わらず米軍は学校を開いていて子供たちが運動場で遊んでいる写真があった。私が驚いたのは沖縄戦が始まって間もない頃に米軍が学校を開いたことであった。そのことは初めて知った。米軍が学校を開いたことを書いてありそうな本をネットで探したが見つからなかった。最近、この写真を表紙にしている「沖縄と住民」という本を見つけたので、もしかすると戦中に学校を開いたことが載っているかも知れないと期待して購入した。
「沖縄戦と住民」は沖縄戦を記録した写真集である。A4判の200ページを超す特大の写真集であるが、この写真集に掲載している写真のほとんどは米海兵隊のカメラメンが撮ったものである。
読谷、嘉手納からの上陸から始まり、中南部の激戦や捕虜収容所の様子まで掲載している。日本兵の死体だけでなく、墓に隠れていたが殺された住民、女子狙撃兵の死体、路上で射殺された老女など、多くの戦争被害者の写真も載っている。この写真集は沖縄戦を知るのには貴重な資料である。
私が知りたいことも本の後ろに載っていた。
小学校設立については4ページあり、コザ第二小学校と戦争孤児施設、高江洲小学校を紹介している。
コザ第二小学校の開会式では子供たちに「シッカリ、ベンキョウシマショウ」と訓示するケラー少佐や開校祝賀運動会の写真が載っている。
写真を紹介する前に日本国家の教育者としてのプライドを紹介する文章も載せてある。

戦勝者に媚びぬ教育者
米軍軍政府は教育再建にも情熱を燃やし、上陸早々、各収容所内の教育者をピックアップ、各地区に学校を建てさせた。開講式には地区隊長が出席、祝辞を読んだ。宜野座村でそんな隊長を前に、こんな来賓祝辞を述べた教育者がいた。

ある日の夕方、ひとりの百姓が鍬をかついで家路を急いでおりました。汗ダクで働きつかれて重い足どりでした。
ところがどうしたことか、沈んで行く夕日の反対側から、また太陽が出てくるではありませんか。しかもその太陽はトテツもない大きいものでした。お百姓はまた朝がやってきたと思いました。
百姓は疲れきった体を重い足どりで、しかたなくいまきた道を畑へ引きかえして行きました。「これでは休むひまも寝るひまもない」
みなさん。今のお話の、あとの太陽とはフメリカのことです。大きいと言ったのは物量を誇っているという意味です。
しかし皆さん天に二日は道理が通りません。皆さんは先生の教えをよく守って、大きくなったら、あとから出てきた太陽を撃ち落とさなければなりません。それが皆さんの大事な役目です・・・・・・・・
お話は終わった。期せずして満場の拍手は鳴りやまなかった。アメリカ人の地区隊長も通訳から説明を聞いて、おくらばせながら拍手を送った。微笑さえ浮かべていた。たよりない朝鮮人の通訳は、いまの話をなんと訳したのだろう。
戦勝者に媚びない教育者が沖縄にはたくさんいたのである。
                「沖縄戦と住民」
高江洲小学校の設立は4月6日だった。米軍が上陸してから6日目であった。高江洲小学校のある泡瀬方面に米軍が進行したのは4月3日であったから、住民を捕虜にすると同時に学校を設立したのである。
校舎は仲喜州国民学校の木造校舎を利用した。教員64人。児童生徒2,414人であった。机を並べて勉強している写真と広場で子供たちが整列している写真を掲載してある。米軍は教育を重視していたことが分かる。
捕虜収容所や学校の写真を見ている内にあることに気が付き胸が締め付けられた。「沖縄戦と住民」の表紙の少女は裸足である。彼女だけではない。運動場で整列している子供たちもみんな裸足である。捕虜収容所の人たちも裸足である。私の脳裏に初代県知事である屋良朝苗氏の復帰前の県民大会での演説が蘇った。屋良氏は日本人としての誇りを強調し「たとえ、戦前のように芋と裸足の時代に戻るとしても祖国日本に復帰するべきである」と演説して拍手喝采を浴びていた。
保守は米軍基地がなくなれば沖縄は貧乏になり、戦前のような「芋と裸足」の社会になるといって祖国復帰に反対していた。屋良氏は保守に反論し、「芋と裸足」に戻っても祖国復帰をするべきであると主張したのである。戦前は「芋と裸足」の時代であったと聞いても、それほどのショックはなかった。しかし、「沖縄戦と住民」で裸足の写真を見るとショックは大きかった。裸足の生活は貧しいというより極貧である。戦前は極貧だったと痛切に感じる写真であった。
戦後の沖縄は極貧生活から抜け出した。原因はは世界一経済が豊かであるアメリカの軍事基地があったからである。民主主義国家であるアメリカは沖縄を植民地ではなく民主主義社会しようとしていた。生活も豊かにしようと経済発展に努力した。
小学5年生の時、琉大を卒業したての砂辺松一先生が担任だったが、戦後の沖縄は自分のような貧しい家でも大学に行けて教師になれるといって感謝していた。戦後の沖縄はアメリカ世と呼んでいたが、アメリカ世に感謝をする大人は居たが嫌っている大人はいなかった。しかし、新聞などの公の世界ではアメリカに感謝する言葉は見当たらなかった。政治家や知識人は感謝ではなく批判をしたからである。

沖縄戦の時、「八重山戦争マラリア」とも呼ばれ、終戦間近の1945年、日本軍によるマラリア発生地域への強制疎開により、多くの人が犠牲になった事件は何度も取り上げられ日本軍の非難をしている。しかし、アメリカ軍がマラリアを撲滅したことは政治家や識者は話さないし書かない。マラリアを撲滅したアメリカ軍への感謝の言葉を一度も見たことはない。批判するべきことは批判し感謝するべきことは感謝するのがあるべき姿だと思う。しかし、沖縄は米軍に感謝することを禁句にしている。

沖縄戦では、赤ん坊が泣くと壕内に隠れていることをアメリカ兵に知られてしまい、殺されてしまうと思って赤ん坊の口をふさいで殺してしまう悲劇が多く伝えられている。
もし、赤ん坊の泣き声が壕外に聞こえたらどうなっていただろうか。アメリカ兵は赤ん坊の泣き声のする壕を襲撃しただろうか。答えは否である。米軍は襲撃をしないで壕内の島民を救い出した。

その証拠がこの写真である。壕には11人の住民が隠れていたが、赤ん坊の泣き声を聞いた米軍は攻撃をしなかった。壕に隠れていた住民は赤ん坊の泣き声で全員が無事に救出されたのである。4月の戦争初期のことである。
日本兵に強制されて母親が赤ん坊を窒息死させた悲劇は何度も書かれ、日本兵非難の理由にされるが、もし、赤ん坊を殺さないで泣き声が壕外に聞こえた時はどうなっていたかは書かれてこなかった。書くと米軍のヒューマニズムを認めてしまい、米軍は強姦と殺人を繰り返して沖縄県民を弾圧してきたという主張ができなくなるからだ。

米兵が女性を強姦した事件は多くあった。その事実は伝えるべきである。しかし、赤ん坊の泣き声を聞いた米兵は襲撃しないで隠れている島民を救出した事実も伝えるべきである。

沖縄では米軍の悪を広め、善を隠していく。それが戦後70年以上も続いている。これもまた沖縄の政治的悲劇ではないだろうか。
私は戦後の沖縄は幸運だったと思う。民主主義国家であり世界第一位の経済大国アメリカが統治したし、これまた世界第二位だった民主主義国家日本の地方自治体になったのである。民主化も経済も日米政府のおかげで発展したのが沖縄である。
沖縄はある意味で政治も経済も順調に発展してきた。発展しなかったのは政治家や識者たちの頭である。
例えば国頭村のヘリパッド建設であるが、県道70号線を封鎖したりしてヘリパット建設阻止運動は盛んに行われたが予定通り4基のヘリパッドは建設された。政治的には順調に進んだのである。阻止運動で政治が阻害されることはなかった。ヘリパット建設阻止運動は民主主義に背くものであったが、日本の議会制民主主義はヘリパット建設阻止運動なんかでびくともしない。

 おかしなのは沖縄の政界である。現実離れしたおかしい政治思想だから実現はしない政治思想である。おかしな政治思想を実行している代表が翁長知事である。
 なにしろ安保条約に賛成している翁長知事が安保条約破棄を党の理念にしている共産党と共闘したのだ。共闘できない者同士が共闘するのが沖縄の政界である。翁長知事と共産党は辺野古移設反対は同じであるが、翁長知事は普天間飛行場の県外移設を主張し、共産党は閉鎖撤去を主張している。それに安保廃棄の共産党は米軍基地を日本から撤去することを目的にしているから国内移設である県外移設には反対である。移設賛成派と反対派が共闘することはあってはならないが沖縄であるのだ。こんなのは政治ではない。県民を騙す詐欺である。あきれてものがいえない。
 詐欺師翁長が知事選挙で勝って県知事になった。それが沖縄である。詐欺で知事になった翁長氏がまともな政治ができるはずはない。

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