三上智恵さんを批判する2






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沖縄県民は翁長知事に騙されている
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三上智恵さんを批判する 2

命限り(ぬちかじり)~沖縄県知事が被告として法廷で語った200分~・三上智恵

 2016年2月15日午後2時。福岡高裁那覇支部で辺野古の埋立てを巡る「代執行裁判」の第4回口頭弁論が開かれた。埋立て許可を取り消した沖縄県知事を被告にして国が始めた裁判だ。弱い者が強い者を訴えるならわかるが、戦後70年間も基地を押しつけてきた側が沖縄に対して、さらに引受けないことに怒り、司法の力まで借りて屈服させようとしている。諸外国から見たら理解しがたい構図ではないだろうか。私は地元紙に傍聴記を書くために法廷で一部始終を見届けた。

 裁判官に向かって左手、国側の弁護団は総勢20人弱。20分前に着席完了、私語一切無し。右手沖縄県側は23人、ぎゅうぎゅうに詰めて3列に座る。翁長知事はピンと背筋を伸ばして、口を一文字にして開廷を待つ。緊張の中に静かなエネルギーが漲っているのを感じる。

 201号法廷は那覇の裁判所の中でも大きい部屋だというが、高校の教室ほどの広さしかない。傍聴席は記者を入れても48席、これを巡って380人が抽選に並んだ。裁判官と係官合わせて100人が法廷という名の狭い部屋に膝をつき合わせ、異常なエネルギーが充満している。
 右半分からは、沖縄の歴史と尊厳をかけた負けられない闘いに臨む熱気がびんびん伝わってくる。が、左半分に座る国側の人々は一様にポーカーフェイス。冷静なのか冷たいのか、空気もひんやりしている。左側の空間が水色なら、知事のいる右側は熱気でオレンジ色。四角い部屋の空気はタテに真っ二つに分かれている。その、真ん中でせめぎ合っている目に見えないラインこそが、この国の民主主義と地方自治を取り戻す闘いの最前線なのだ。こんな小さな空間から、国家の根幹に巣くう闇を照らす法を引き出していかなければならない。

 被告である翁長知事は証人台に移動、まず全員起立して「良心に従って真実を述べる」旨の宣誓を要求される。紺のスーツに深紅のネクタイを締めた知事は用意されたグラスに水を注ぎひと口を口に含んだ。予定ではこれから1時間半、被告・原告双方からの質問に資料など一切無しで答えるのだ。緊張しないわけがない。

 県側弁護団からの最初の質問は、「知事選に立候補するに至ったいきさつ」だった。以下は私が法廷で取ったメモを参考に、極力質問と答えの趣旨を正確に再現するつもりで書くが、あくまで私の聞き取り能力の範囲であることはご容赦願いたい。

翁長知事
「昭和25年、保守の政治家の家に生まれました。幼い頃から基地を巡って保革が対立し、大人たちが罵り合いながら生きてきたのを見ていました。保守は革新の言い分を理想論だと切り捨て、革新は金で命を売るのかと保守に迫る。本来沖縄県民が望んで持ってきたわけではないのに、その基地を巡って県民同士が争うわけです。いつしか、それを誰かが上から見ていて笑っているのではないかと思うようになりました。父が(のちに那覇市と合併する真和志市の)市長だったので、将来市長になりたいと考えたときにも、県民の心を一つにしたいという思いはずっとありました」

Q 稲嶺県政の時には、辺野古移設を一旦は受け入れていたのでは?

「当時は自民党県連の幹部でした。苦渋の思いで軍民共用空港にすることと使用期限を付けることで稲嶺知事を支え、当時の岸本名護市長も条件を付けて容認して政府に協力する姿勢を取っていましたが、平成18年に米軍再編の話が進み、一方的な閣議決定で条件も含め白紙になってしまった。一体何だったのだろうと政府のやることに徐々に批判的になっていきました。
 この問題の当初、政府には野中さんや小渕さんと言った戦中戦後の沖縄に思いを寄せて下さる政治家がいました。中曽根政権の官房長官を務めた後藤田さんは、『俺は沖縄には行かないんだ』と話しました。『どうしてですか?』というと、『県民がかわいそうでな…。直視できないんだよ』とおっしゃった。胸が熱くなりました。私たちの思いに応えようとしていた方々もいたのです。
 那覇市長の時代に民主党政権が県外移設を掲げて誕生しました。鳩山総理がそれをやってくれるならと大いに期待しましたが1年足らずで元に戻ってしまった。県内に作らないためには、沖縄県としてはもう○○党なんて言っていられない。解決するにはオール沖縄しかないと思いました」

Q 県知事選では大差を付けて当選したがその理由をどう見る?

「サンフランシスコ講和条約で沖縄は日本から引き離されて、アメリカに土地まで買い上げられようとしました。戦後で貧しくて、当時の沖縄は裸足とイモの生活です。それでも、自分たちの土地は売らないと。この時は保革関係なく力を合わせて土地買い上げに抵抗し、一坪たりとも売らなかったことは県民の誇りです。そして賃貸借になったわけですが、県内の基地の7、8割が個人の地主で、元は無理やり取り上げられた土地です。それなのにほかからは『お前たちは基地で食ってるんだろう』と言われ続け、傷つけられ続けてきました。だからこそ前知事の『3000億円の交付金でいい正月が迎えられる』という発言を聞いたときには、県民の尊厳が崩れ落ちるような気持ちになりました。
 私たちは当然豊かさを求めますが、誇りを失ってはいけない。私が知事選のスローガンに掲げた『誇りある豊かさ』は、革新が大事にしてきた誇りと、保守が重視してきた豊かさ、両方を取り入れた概念です。繰り返しますが、私たちは自分から基地を差し出したことは一度もない。それなのに、普天間基地が老朽化して使い勝手が悪いから、また沖縄から差し出せという。出さないなら、と警察も海上保安庁も一緒になって、陸で、海で、県民を押さえつけてでもやってやろうというあの姿を毎日県民が見ていたら、将来の子や孫のことを考えたらとてもこれではいけないと。それが大差での勝利に繋がったのだと思います」

Q どうしても沖縄に基地を置かなくてはならない理由に日米安保がある。それについては?

「元々保守の政治家ですから、日米安保体制の必要性は理解しています。しかし昨今中国の脅威ばかりが叫ばれて、中谷防衛庁長官もスクランブル発進が増えているとか宮古・八重山へのミサイル配備が急務であるとかこんこんと話されていますが、旧ソ連との緊張関係が高まっていた時代と比べても今のほうがそこまで危険なのかどうか。それで、中国防衛に関して沖縄が役割を果たせということならば、あの70年前の口に出して言えないような苦しさと同じことを繰り返すことになりますが、それはおかしくはありませんか?  
 昔は、沖縄は中国に近いから抑止力だと言われた。しかし今は、中国から近すぎて危険だと言われています。マイク・モチヅキさん、ジョセフ・ナイさんも報告しています。中国からのミサイルで普天間基地も嘉手納基地も一発でやられてしまうそうです。物の本によれば、そのミサイルに核弾頭を搭載できるといいますし、そんなものが飛んでくるなんて心が凍る思いです。先日の北朝鮮からのミサイルも6、7分で沖縄上空に到達した。そんな中に我々はいるのです。中谷長官は沖縄のことを領土としか考えていないかも知れませんが、沖縄の先々の子どもたちのことを守っていくのは、我々沖縄の責任世代しかないんです。辺野古に作られる基地は200年も対応する恒久的な基地で、強襲揚陸艦が接岸する軍港と弾薬庫も備えています。米国と中国の緊張関係が今後続いていく中で日米安保と言ったときに、沖縄の安全という視点は決定的に欠けているのではないでしょうか」

Q 知事が埋立てを取り消したことに対して防衛省は執行停止を求め、国交省がそれを認めたが?

「菅官房長官は、日本は法治国家だと言いますが、本当にそうなのかどうか。防衛省と国交省、アンパイアとプレーヤーが一緒という形で、到底納得できるものではありません。すると国は直ちに代執行訴訟に入ったんですね。戦後ずっと日本の安全保障を支え続けてきた沖縄県民に対して、あくまでも押しつけていこうという姿勢に大きな疑問を持ちました。三権分立に則って客観的な判断を仰ぎたいというのはそこから来ています。知事として、裁判にこうして出廷するということは正直なところ心身ともに大変な思いもあります。しかし、司法の公正な裁きを信頼するからこそ、ここに臨んでいます。
 沖縄県からしますと、日本国民としての自由度、民主主義、自己決定権どれもないがしろにされてきたという思いがあります。この国が、安保体制も含めて世界に理解され尊敬される国であって欲しい。そして沖縄が誇りと希望を持って子や孫が生まれ育ち、ふるさとを愛しながら自信を持って生きていけるように、わたしたちは頑張っているのです。慎重な判断をして頂きたい。そして将来の日本のことも考えて欲しい。アンパイアとプレーヤーが一緒という、同じ行政内の判断ではなしに、裁判所の方できちっと公正な判断をして欲しいと願っています」

 アンパイアとプレーヤーが一緒であってはならない、と最後にもう一度繰り返したくだりは、私の勝手な解釈だが国交省と防衛省の行政機関内の癒着のように国と司法が癒着したような判決はやめて欲しいと念を押したようにも感じたが、考えすぎだろうか。
 ここまでおよそ140分、熱弁というにふさわしいドラマティックな展開だった。法廷にカメラを持ち込めない理由はもちろんよく理解しているが、傍聴した人の多くがこれは県民に、いや全国民に聞いて欲しい内容だったと感じていたことだろう。裁判長はまっすぐ知事を見て、時折うなずき、メモを取っていた。途中歴史の話に重複が見られるときには「簡潔に」と促す場面もあったが集中を切らすことなく聞いていたという印象だった。しかし若い裁判官の一人が途中居眠りをしていたのは残念だった。「三上智恵」

三上さんは「真ん中でせめぎ合っている目に見えないラインこそが、この国の民主主義と地方自治を取り戻す闘いの最前線なのだ」と言い、裁判所を民主主義と地方自治を取り戻す闘いの場所にしている。民主主義国家だから裁判ができる。裁判で民主主義を取り戻すという考えはおかしい。裁判が民主主義を取り戻す闘いであるなら、もし翁長知事が負けると民主主義を取り戻すことができないということになる。
三上さんのいう民主主義とはどういうものだろう。
翁長知事は知事選で辺野古移設反対を選挙公約して勝った。衆議院選挙でも辺野古移設反対を選挙公約にした候補者が全員当選した。三上さんのいう民主主義とは翁長知事の主張を尊重して辺野古移設を中止するのが民主主義ということなのか。しかし、国は辺野古移設を進めている。辺野古移設を進めている国は民主主義を守っていない。だから、裁判で民主主義を取り戻して辺野古移設を中止する。三上さんが「この国の民主主義と地方自治を取り戻す闘い」とはそういうことであろう。翁長知事も沖縄は日本国民としての自由度、民主主義、自己決定権どれもないがしろにされてきたとと主張している。
翁長知事の答弁は、県民、政府、記者たちに発言してきたのと同じ内容であり、新しいものはない。三上さんは裁判所での翁長知事の答弁を裁判所に居なかった多くの人に伝えるために頑張ったが、今まで繰り返し発言したことであり、なんの新鮮味もない答弁を裁判所に居なかった人たちに知らせる効果があるとは思えない。

三上さんは裁判所が民主主義と地方自治を取り戻す闘いの場と考えている。闘いなのであるから翁長知事が裁判に勝った時は取り戻すことができるが、負けた場合は取り戻すことができないということになる。もし、裁判に負けた場合は裁判所は民主主義を取り戻す場所ではないと三上さんは判断するのだろうか、それとも裁判所は民主主義であるか否かを判断する場所であるから裁判で負けたのだから辺野古移設に反対することは民主主義ではないと理解し、負けた後は辺野古移設反対を主張することを止めるのだろうか。そうであるなら、三上さんが裁判所を民主主義の砦であることを理解していることになる。
三上さんは以前から翁長知事の支持者であり、翁長知事が辺野古移設反対を主張したから三上さんも辺野古移設反対派になったのではない。逆である。辺野古移設反対派であった三上さんは、翁長知事が辺野古移設反対を選挙公約にしたから翁長支持者になった。三上さんは翁長知事を支持しているのではなく、翁長知事の辺野古移設反対を支持しているのである。
そんな三上さんだから、翁長知事が辺野古移設を認めた瞬間に翁長知事支持を止めるだろう。三上さんは裁判で翁長知事が敗北したからといって辺野古移設反対を止めるはずはない。もし、翁長知事が負けた時は、裁判所は国の味方であり、民主主義を否定していると非難するだろう。
それを予感させるのが、「アンパイアとプレーヤーが一緒であってはならない、と最後にもう一度繰り返したくだりは、私の勝手な解釈だが国交省と防衛省の行政機関内の癒着のように国と司法が癒着したような判決はやめて欲しいと念を押したようにも感じた」である。防衛省と国交省は国の機関であるが、それぞれが法律で定められた機関であり、アンパイヤとプレーヤーは独立した関係になっている。国交省は法律に基づいて国交省の要求を処理していく。
そもそも、この裁判は、翁長知事が承認取り消しをしたのは違法であるから取り消すように訴えた裁判である。翁長知事の取り消しが違法かどうかを問う裁判であって防衛省と国交省が一緒かどうかを問う裁判ではない。翁長知事が議会制民主主義の根幹である法治主義を守っているか否かの裁判である。

三上さんのいう民主主義とは辺野古移設反対に賛成することである。三上さんにとって辺野古移設に賛成するのは民主主義ではない。辺野古移設反対=民主主義である三上さんにとって、国民の選挙で選ばれた議員によって成り立っている国会も政府も民主主義ではないし、三権分立も民主主義ではないのだ。三上さんの求める民主主義は三上さんが正しいと思う政治である。三上さんの民主主義は議会制民主主義ではない。三上さんのイデオロギーを実現することが民主主義である。
議会制民主主義は多数決を原理としている。選挙で多くの票を取った候補者が国会議員となり、議員の多数決で法律が決まる。法律に準じて行政は行われる。裁判所は法律に則って判決を下す。これが議会制民主主義であり、日本は議会制民主主義国家である。
2010年に国、県、名護市、辺野古の賛同で辺野古移設が政治的に結着した。2014年に公有水面埋立法に則って県は防衛局の埋め立て申請を承認したので辺野古崎沿岸の埋め立ては決まった。民主的手続きによって辺野古埋め立ては決まったのである。議会制民主主義は法治主義であり、法的手続きを踏んだ辺野古埋め立てを翁長知事の埋立承認取り消しという違法行為で止めることはできない。
裁判所は民主主義の闘いではあるが、それは三上さんのいうイデオロギーの勝利を目指した三上さん流の民主主義の闘いではなく、議会制民主主義によってつくられた法律に合法であるか否かの闘いである。翁長知事の承認取り消しが合法であるなら翁長知事は裁判に勝利するだろう。しかし、違法行為であるなら敗北する。
翁長知事は「三権分立に則って客観的な判断を仰ぎたい」と答弁しているが、裁判所で翁長知事が主張すべきは裁判に勝つために承認取り消しが合法であることを説明することである。裁判官に政治問題を主張するべきではない。翁長知事の裁判所での答弁は三権分立を理解していない答弁である。

議会制民主主義を理解し、行政法を認識していたら翁長知事は承認取り消しをしなかった。翁長知事の議会制民主主義への無知、法治主義への無知が承認取り消しをさせたのである。それが国と翁長知事の質疑応答で明らかになる。三上さんがイデオロギー民主主義であることも明らかになる。

2016/02/19 に公開
平成28年2月18日木曜日に放送された『沖縄の声』。本日は、キャスターの又吉康隆­が「政府が「根本案」の修正要請検討、要請すれば翁長知事に大打撃」、コラムコーナー­”又吉康隆のこれだけは言いたい”では「二大政党は共産党が参加する野党連合より大阪­維新の会のほうが可能性あり」のテーマについて解説いただきます。
※ネット生放送配信:平成28年月2月19日、19:00~
出演:又吉 康隆(沖縄支局担当キャスター)

チャンネル桜





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担当(090-2588-5051)


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宜野湾市民の安全な生活を守る裁判と報告会のお知らせ


翁長知事を訴えた宜野湾市民訴訟の第2回公判が平成28年2月23(火)に開催されます。つきまして下記の通り担当弁護士の先生方をお招きいたしまして報告会を開催いたします。ご多忙とは存じますが裁判の傍聴、報告会のご参加のほど宜しくお願い申し上げます。


第2回公判 那覇地裁 平成28年2月23(火) 午後2時 

報告会 
場所 真栄原公民館
時間 平成28年2月23(火) 午後6時


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