ここのところ四国のお遍路を歩く方々のことを、おもてなしのことも含めて、テレビでよく放映されています。 ひたすら歩くことによって、何かが変わるということらしいのです。
私が朝歩きをしていたときに出会った知人が、ひたすら朝歩きをしていると、ふと浮かぶ前日のトラブルのことを思い出し、そのことを考えてみると、こう考えれば良かったんだという謙虚な気持ちになって、考えつくというのです。
私はひたすら歩くということに意識が集中し、ある種の無心状態になるのではないかと感じます。
座禅も、深呼吸の要領で大きく吸って、出来るだけ長く吐く呼吸に、吐く息を体の中へ吐き、体の中へ入っていく息を追うようにして、そのことだけに意識を集中します。
単純な一つのことにだけ、意識を集中することが、とても大切なことなのかも知れません。
四国のお遍路の歩きには、お遍路道では休憩所での「おもてなし」が、特別な接待になるようです。 おもてなしをする側も、される側も、その意味を強く感じるようです。
その意味では、お遍路の旅をされた管元首相は、お遍路で何を感じ取ったのでしょうか、相変わらずの気の短い「かんしゃく」は、直ったのでしょうか。
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